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本編【全40話】
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馬車に揺られながら、遠ざかっていくルナード邸を眺める。
引きずる過去がないと言えば嘘になるけれど、大それた過去もないのが事実だ。とかく、私は未練もなく、新天地へと向かうらしい。私の脳天気な心持ちがそう言っている。
「大丈夫か。体調が優れないのか」
窓の外ばかり眺めていたせいだろうか。隣に座るエルンがそう尋ねてきた。
どうにも、私のことをただの医師だと思い込んでいるらしく、その表情は患者に声をかけるように柔らかい。
「いえ、大丈夫です。……それよりも、ありがとうございます。私だけじゃなくて、他の医師も連れてきてくれて」
「医師は多い方が良いからな。こちらとしても嬉しい限りだ。……それに、聖女がいれば……」
そう言う彼の瞳は満足そうに綻んでいた。彼が成し遂げたいと願っていたことを果たせたのだろうか、とその表情から察する。
しかし、その満足そうな表情の裏にはたしかに、影が孕んでいた。眠気が滲んだ隈がそうさせているのだろうか。
エルンがあくびを一つ。
もう一つ。
そして、また一つ……と、あくびを繰り返すたびに彼の顔が大きく歪む。その疲労を隠そうともしない様子に、私は居てもたってもいられなくなり、そっと荷物の袋を探った。
「少々、お待ちください」
そこから取り出したのは、小さな布袋に入ったセリオン草の茶葉と携帯用の小瓶だ。
馬車の中で揺れを抑えながら、小瓶にセリオン草の茶葉を丁寧に漉す。淡い緑がふわりと広がり、清々しい香りが空気を満たした。
「セリオン草のお茶です。簡易的なものなので、味は保証できませんが、疲労回復に良いですよ。よければ、どうぞ」
小瓶を差し出すと、エルンは驚いたように瞬きをし、それから苦笑いを浮かべて受け取った。そして、慎重に小瓶を見てから、一気に飲み干した。
「医師にはなんでもお見通しのようだな」
「エルン様が分かりやすすぎるだけです」
「ほう。そこまで言うか。それでは今、私がしたいことは当てられるかな」
「粗方、お眠りになりたいのでしょう」
私がすぐに答えると、彼はまた驚いたような表情を見せた。当たったのだろうか、と思ったが、彼はすぐにいたずらな笑みをこぼすと、わたしの膝上へと頭を滑らせる。
「半分正解で、半分不正解だ」
彼はそう言うと、私の気も知らないですぐに目を閉じてしまった。
膝に伝わる異性の感触がどうしようもなく、心臓を騒がせる。慣れない——、というより初めての感触だった。それでも、私の不安が彼の寝息に紛れて少し和らいでいくような気がして、むやみに離すのが、少し惜しいように思えた。
「私は医師ですから……。見なかったことにしておきます……」
と、誰に聞かせる訳でもないが、一人小さく呟いた。
胸の高鳴りをどうにかしようと、窓の外へと視線を逃がす。馬車の足取りはたしかに、フォルセイン領へと向いていた。
引きずる過去がないと言えば嘘になるけれど、大それた過去もないのが事実だ。とかく、私は未練もなく、新天地へと向かうらしい。私の脳天気な心持ちがそう言っている。
「大丈夫か。体調が優れないのか」
窓の外ばかり眺めていたせいだろうか。隣に座るエルンがそう尋ねてきた。
どうにも、私のことをただの医師だと思い込んでいるらしく、その表情は患者に声をかけるように柔らかい。
「いえ、大丈夫です。……それよりも、ありがとうございます。私だけじゃなくて、他の医師も連れてきてくれて」
「医師は多い方が良いからな。こちらとしても嬉しい限りだ。……それに、聖女がいれば……」
そう言う彼の瞳は満足そうに綻んでいた。彼が成し遂げたいと願っていたことを果たせたのだろうか、とその表情から察する。
しかし、その満足そうな表情の裏にはたしかに、影が孕んでいた。眠気が滲んだ隈がそうさせているのだろうか。
エルンがあくびを一つ。
もう一つ。
そして、また一つ……と、あくびを繰り返すたびに彼の顔が大きく歪む。その疲労を隠そうともしない様子に、私は居てもたってもいられなくなり、そっと荷物の袋を探った。
「少々、お待ちください」
そこから取り出したのは、小さな布袋に入ったセリオン草の茶葉と携帯用の小瓶だ。
馬車の中で揺れを抑えながら、小瓶にセリオン草の茶葉を丁寧に漉す。淡い緑がふわりと広がり、清々しい香りが空気を満たした。
「セリオン草のお茶です。簡易的なものなので、味は保証できませんが、疲労回復に良いですよ。よければ、どうぞ」
小瓶を差し出すと、エルンは驚いたように瞬きをし、それから苦笑いを浮かべて受け取った。そして、慎重に小瓶を見てから、一気に飲み干した。
「医師にはなんでもお見通しのようだな」
「エルン様が分かりやすすぎるだけです」
「ほう。そこまで言うか。それでは今、私がしたいことは当てられるかな」
「粗方、お眠りになりたいのでしょう」
私がすぐに答えると、彼はまた驚いたような表情を見せた。当たったのだろうか、と思ったが、彼はすぐにいたずらな笑みをこぼすと、わたしの膝上へと頭を滑らせる。
「半分正解で、半分不正解だ」
彼はそう言うと、私の気も知らないですぐに目を閉じてしまった。
膝に伝わる異性の感触がどうしようもなく、心臓を騒がせる。慣れない——、というより初めての感触だった。それでも、私の不安が彼の寝息に紛れて少し和らいでいくような気がして、むやみに離すのが、少し惜しいように思えた。
「私は医師ですから……。見なかったことにしておきます……」
と、誰に聞かせる訳でもないが、一人小さく呟いた。
胸の高鳴りをどうにかしようと、窓の外へと視線を逃がす。馬車の足取りはたしかに、フォルセイン領へと向いていた。
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