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本編【全40話】
23.Side:エルン
しおりを挟む「北の教会?そんなものがあるのか?」
思わず、聞き返した。それにマルフは静かに頷きを返す。
そこは私の知る限り、父からも母からも、誰からも聞いたことのない場所だった。
「そこはリディア=ヴェルクレアが秘密裏に建てた場所でしてな。エルン様が知らないのも、まあ無理はないでしょう」
リディア=ヴェルクレア。それはかつて、フォルセインを荒らした聖女の名だ。
「私のお父様は教会のことを知っているのか」
「ええ、知っていますとも。そして、それが聖女の治療所であることも」
私の問いに、マルフはまた首を縦に振った。その首を横に振ってしまった方が気分は良かったのに、と思ってしまう。
聖女の治療所——。
その言葉は聖女が追放されたすぐ後に、知ってはいた。ただ、その時はそれが言葉以上に何かを隠しているようには思えなかった。
「治療所なんて名ばかりで、実際は聖女を訪れた患者を隔離するためだけの施設でしてな……」
少量の食事、不適切な管理、治療を待つしかない患者の行く末——。
私が治療所について詳しく聞けば、マルフはその全てを語った。それに私はただ、沈黙を返す他なく、卓上の木椀から出る湯気さえ鬱陶しく感じる。
「……なぜ、お父様は教えてくれなかったのだろうか」
と、その沈黙の中で呟く。
単に私の能力を疑ったのか、認められていないのか。それはどうにも当てはまる回答が分からなかったが、教会の存在を私が知っていれば、こんな遠回りなことはせずにいれたのに、と苛立ってしまう。
「領主様は少しずつ、人を助ける大切さを学んでいただきたい、と言っていましてな」
私の疑問に答えるようにマルフが口を挟む。
……たしかに、人々を助けるのはいい。
ただ、お父様が悩んでいたことがすぐ近くにあるはずなのに、私たちの薬学はそれに比べて、すごく小さなことをしている気がしてならなかった。これではまるで、子供のお遊びみたいで——。このままで良いはずがなかった。
「マルフ、その場所を詳しく教えてはくれないか」
「それを知ってどうなさるおつもりなのですかな」
「……人々を助けねばならない。王命を果たすために——それが、私の役目だから」
語り出しは細く、自信のなさをいやに強調しているようだった。
しかし、それは本心だ。王命を果たし、跡取りとしての責務も果たす。その役目がきっと、お父様に認められるために必要だ、と信じている。
「エルン様の熱意、十分に伝わりました。少しお待ちを」
マルフは満足そうな笑みを見せると、後ろの棚から一枚の地図を取り出した。その地図を見れば、フォルセイン邸から遠い北の方に赤い点が置かれている。
「エルン様は十分に人を助けておりますからな。この地図をお渡ししましょう。その代わり、しっかりと王命を果たすのですぞ」
「ああ、必ず果たすと約束しよう」
その赤い点を指先でなぞる。冷たい紙の感触が、これから歩む道の険しさを告げているようだった。
「エルン様、お話終わりましたでしょうか」
マルフとの話も一段落し、お茶を飲み干してから数分。エリシアが階段から顔を覗かせていた。終わったことを伝えれば、鞄を抱え直し、いそいそと私の横にやってくる。その瞳を見れば、なにかを語りたいようにうずうずと揺れていた。
以前、彼女は私のことを「分かりやすすぎる」と言っていた。それは彼女も同じなのではと勘ぐってしまうが、それを彼女に言うのは野暮なのだろう。
「では、帰るとするか。マルフ、本当に感謝しているぞ」
その言葉を残し、私たちは石畳の上で二つの小さな靴音をゆっくりと響かせた。
道中、エリシアは薬の試作品が成功していることに喜び、嬉々として患者の快方を語っていた。その瞳や声音はやはり心地よく映り、薬学を心の底から楽しんでいるように思えた。
そして、その瞳を眺めながら同時に思う。彼女を巻き込んでもいいものか、と。
思えば、彼女にとってフォルセイン領はどことも知らない、無関係の場所だ。それなのに、疫病だと無理やり連れてきて、常に危険を伴わせながら薬を作る、そんな処遇を送らせてしまっている。
もう十分に巻き込んでしまっている。それは分かっている。ただ、これ以上巻き込ませるのは、酷く無神経で酷なことのように思えた。
「エルン様、聞いているのですか。さきほどから、ぼーっとしているように見えるのですが」
「……すまない、少し眠気がして」
「問診所に戻ったらセリオン草のお茶でも入れましょうか」
「ああ、助かる」
どこか浮ついたように嘘を重ねて、彼女の表情を見ながらもう一度考える。
それは一晩考えてもどうにも答えが見つかりそうにない難解な問題のように思えた。
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