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「……ただ、客観的証拠がないのも事実だ」
カロスト殿下は閉じた報告書を指で静かになぞりながら、そう言葉を漏らした。
殿下は柔らかく椅子の背にもたれながらも、父としての心の所在を探しているようで、その指先をわずかに震えさせていた。
「今すぐエリスをここに呼んで、叱責すること自体は簡単だ。だが、あいつは言い逃れる術をいくつでも持っている」
カロスト殿下はそう呟き、額に手を当てた。
重厚な執務机にもたれるその姿は、王としての威厳よりも一人の父としての疲れが滲んで見える。
「いっそエリスを牢に閉じ込めてられたら、楽なのだが、それでは王家としての筋が通らん。親というものは、本当に面倒だな。エレリーナ」
頭を抱えながら、ふっと力なく笑う。
やはり、その表情は父としての影があって、それをさらけ出してくれているというのは、酷く胸を痛めるものだった。
きっと、殿下はエリスの行いを何となく掴んでいるのだ。ただ、確証がなかっただけで、後一つの後押しが無かっただけで——。
私は言葉を探し、そっと呟く。
「エリス殿下のためを思っておられるのですね」
「ああ。だからこそ、しっかりと事実を明るみにしなくてはならない」
短い肯定は苦く柔らかい吐息とともに落ちた。
そして、殿下は机の上に置かれた報告書へ視線を落とす。
その眼差しは父としての迷いと、王としての覚悟が複雑に重なっていて、ページの縁を指でなぞるその仕草にも、息子を庇いたい親心と、それを許さない義務感の間で揺れていた。
殿下はしばらく言葉を選ぶように沈黙し、やがて、小さく首を振る。それは確かな決意を固めたように。
「これは私の独り言なんだがな」
前置きしたあと、殿下は少しだけ視線を宙に逃がした。
「……噂が立ったのは、二ヶ月ほど前だ。エリスがロゼッタを寵愛している——そんな話だった。彼らは良き親友として、分別をしながら交流を深めていたから、最初は、ただの尾ひれのついた噂だと思っていた」
殿下はゆっくりと椅子の肘掛を指先で叩いた。
その軽い音に、抑え込んだ苛立ちと戸惑いが滲む。
「ただ、今回の件でその考え方を疑わなくてはならなくなってしまった。婚姻前の男女が、ましてや他に婚約者がいる立場で、軽々しく一線を越えるなどあってはならないからな。王家に生きる者なら、なおさらだ」
淡々とした声なのに、殿下は驚くほど静かだった。怒りではなく、深い失望がそこにあるようだった。
そして、短い沈黙の後。
「……四ヶ月だけ待ってくれ。そうすれば、事実が明るみになるはずだ」
殿下ははっきりとそう告げた。
四ヶ月——。
それは長いようでいて、短いように思えた。たった四ヶ月でエリスの言い逃れる術を奪い、罪を問えるのなら、割にあっている。
しかし、一つの疑問が残った。
「その間、私は何をしていれば良いでしょうか」
「申し訳ないが、今回の件は王国の未来に関わるものだ。だから、貴女を関係者として、一度王家の者に監視させよう。——良いな?」
「ええ」
王命であるはずの言葉を、殿下はどこか許しを乞うように発した。
私はその声音を裏切らないよう、きちんと頷く。
殿下は少しだけ息をつき、続けた。
「もちろん、エリスにもロゼッタにも監視をつけさせるつもりだ。エリスには、門番のガルドとリオンを、ロゼッタには騎士のセラフィナとヴァレリナをつけさせるつもりでいる」
ガルドとリオンはどちらも王城に長く仕えている忠実な門番で、セラフィナとヴァレリナは女性でありながら、男性に負けないくらいの実力がある優秀な騎士だ。
——それくらい殿下も本気だと言うことだ。
その事実が胸にじわりと広がると同時に、小さな疑問が痛むように芽を出した。
……私はどうなるのだろうか。
喉の奥に引っかかったその問いは、自然と声になった。
「私には誰が……?」
私のか細い問いに、カロスト殿下はわずかに目を伏せ、それからゆっくりと告げた。
「……貴女の隣にいる、テオエルをつけさせよう」
その言葉は胸の奥にすとんと落ち、そして、私の心を確かに揺らした。
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