醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄された公爵令嬢ですが、実は本物の聖女だったので王国が滅びかけています

きまま

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王城を出た馬車の中、夜気が肌を冷たく撫でる。リリエルはその夜気に触れながら、微動だにせず座っていた。

「……お嬢様」

向かいに座る老執事が言葉を探すように口を開く。
が、次の言葉は霞のように掴めず、口から出なかった。

「……大丈夫ですから」

リリエルの声は息を吐くように小さく、かえって老執事の胸を締めつける。

馬車はやがて公爵邸へと辿り着いた。
リリエルは誰に何を言うこともなく、自室へと戻った。部屋は真っ暗で誰の目もない。そっと彼女は仮面を外す。
それと同時に窓辺の項垂れた花は背筋を伸ばし、彩り、やがて花瓶が——割れた。

その割れた花瓶を眺めながら、リリエルはゆっくりと目を閉じる。

「やはり、外すべきではありませんでしたね……」

そう呟きながら、仮面をもう一度着け直す。かつて、その瞳をさらした日を思い出しながら。



——それはまだレオンハルトと出会う前の頃のことだった。

母が原因不明の熱にうなされ、意識を失いかけていたことがあった。呼吸は浅く、不規則で、胸が上下するたびに不安が募り、額は指先が焼けるように熱く、夜が明けてもその熱が引く気配はなかった。
リリエルにできることも少なく、ただ、その手を握り続けることだけで、無情にも母の奇跡を信じるか、母が冷たくなることを待つほかなかった。

しかし、リリエルにとって母はなくてはならない存在だった。公爵令嬢として生まれ、厳しい礼法教育を受けた彼女にとって母は心の甘え処であったから。

だから、母の顔を見つめ、祈っていた。
神様、どうか母を救ってください——と。

その瞬間だった。
リリエルの視界が音もなく真っ白に染まった。
色も輪郭も失われ、目の前にあったはずの人影すら消える。
遅れて、瞳の奥に熱を帯びているのを感じた。そして、瞳が焼ける。
痛い……?
痛い!
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い——



そう転げ回って、一体いくらの時間が経ったのだろうか。気づけば、視界は戻っていて、痛みさえもまるで何事も無かったかのように引いていた。

一つ、呼吸を整える。
あの痛みはなんだったのだろうか、と考えながら何気なく辺りを見渡す。
すれば、調度品は砕け散っていて、床にはひびが走り、そして、窓ガラスが粉々に弾け散っていた。まさに惨状だ。

転がり回ったときに破壊の限りを尽くしたのか、とリリエルは邪推する。しかし、打撲をしたような痛みがあるわけでもなく、謎はさらに深まるばかりで。

そして、その謎だらけの中で規則的に繰り返される呼吸が一つ。

リリエルはそこでハッと気づく。
母の乱れていた呼吸が整っているということを。
火照っていた頬からは血の気が引き、触れても先ほどの熱は感じられなかった。苦悶に歪んでいた表情も緩み、母は穏やかな眠りへと落ち着いている。

母が回復したと安堵するのも束の間、リリエルには何がなんだかよくわからなかった。目の痛みも惨状の部屋も母の回復も何一つとして結びついてさえいない。

しかし、理解する。

部屋の惨状を見た侍女が悲鳴を上げ、騒ぎは瞬く間に屋敷中へ広がった。医師、使用人、そして、父。
誰もが母の奇跡的な回復に驚きながらも、同時に視線は無言でリリエルへと集まっていた。怯える表情や人じゃない者を見るような気色悪い表情をリリエルは見てしまった。

——恐れ。
それをリリエルは理解してしまった。

「……この子の瞳を見た者が?」

誰かがそう呟いた。
はっきりとした根拠があったわけではない。しかし、壊れた部屋と癒えた母、その中心に立つ少女。偶然という言葉では片付けられなかったのだろう。

だから決めたのだ。
隠そう、と。
仮面で顔を隠し、瞳を伏せ、祝福と代償の力を封じる。そうすれば、誰も傷つかない。誰も恐れない。
それがその力を持ってしまった者としての責任だと信じてきた。

(なのに……)

婚約破棄の言葉が胸に蘇る。

「醜い存在」

思わず、唇を噛みしめる。
もし、この瞳を見せていれば。
もし、美しさを知っていれば。
そんな考えが浮かび、すぐに打ち消した。

彼が求めていたのは、飾りとしての美だから。
都合の良い王妃。従順な人形。美麗な側室。
聖女である自分など、最初から必要とされていなかった。
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