醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした

きまま

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8.

アルヴァリア公爵邸の応接間はシャンデリアの光を受け、明るかった。
厚いカーテン越しに差し込む光は薄暗く、霧に遮られて輪郭を失っている。まるで外の世界とこの部屋とが切り離されているかのようだった。

リリエルは銀の仮面を着けたまま、応接間の中央に立ち、背筋を伸ばし、両手を静かに重ねていた。

扉が開き、二人の男が入ってくる。
先頭に立つのはレオンハルト。その背後に一歩距離を取るようにフリンズが立っていた。

「久しいな、リリエル」

先に口を開いたのはレオンハルトだった。
その声音は落ち着いており、あたかも話し合いの場に来たかのような調子だった。

「単刀直入に言う。国が困っている」

それだけ告げると、彼はリリエルを見据え、仮面の奥を覗き込む。その視線には相手の感情を配慮するような毛色はなく、ただわがままだ。リリエルはそう感じていた。

「王都の結界は弱まり、民は不安に怯えている。だから、君の力が必要だ。戻ってきてほしい」

その言葉を彼はふんぞり返りながら言った。
リリエルの胸がわずかにざわつく。

「戻れば、以前と同等の待遇は保証しよう。公爵家の立場も私の婚約者としての地位もだ」

それは譲歩のつもりだったのだろう。
だが、その口調の節々にはやはり変なプライドが引っかかって、リリエルはかえって頷くことを拒んだ。

「……戻るとは、どこへでしょうか」

「王城だ。君が本来いるべき場所だろう」

そこに疑問を挟む余地などない、とでも言うような飄々とした表情だった。

「私はあの場で不要だと言われました」

「結果的に、君を傷つけた部分があったのは認めよう。……だが、感情と現実とは別だ。今は国のために最善を選ぶべきだと思うがね」

レオンハルトはそう言ったが、その言葉は軽い。非を認めながらその実、非を認めようとはしていないらしい。
そればかりか、彼の中では話はすでに終わっているようだ。謝罪も対等な言葉もない。ただ、戻るのが当然という前提だけがそこにあった。

彼の言葉が応接間に落ちたあと、わずかな沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、これまで一歩後ろに立っていたフリンズだった。

「……兄上」

静かな呟きだった。だが、その一声には呆れも怒りも混ざったような諦観があった。
レオンハルトは眉をひそめる。

「何が言いたい」

レオンハルトの声は低く、抑えられていたが、そこには苛立ちが滲んでいた。その問いは説明を求めるものではなく、反論を許さない威圧だった。
フリンズは一拍置いてから、静かに口を開く。

「兄上は彼女が王城を去った理由を忘れているのではないでしょうか」

応接間の空気がわずかに張り詰める。
リリエルは身動き一つせず、その言葉の行方を見守っていた。

「衆人の前で不要だと断じたのは、紛れもなく兄上です。婚約を破棄し、王城から追い出した。それは結果的などという曖昧なものではない」

淡々とした口調だった。
感情を乗せていないからこそ、その言葉は事実として突き刺さる。

「兄上自身が否定し、壊した。だから今、戻れという言葉は醜いです」

フリンズがため息混じりに言葉を漏らせば、レオンハルトの表情が歪む。否定したい衝動と否定できない現実がぶつかり合っているようだ。

「……国が危機にあるのは事実だ。それを前にして、一個人の嫌だという感情だけを優先するのか?」

その言葉は低く唸るような声で、責任を盾にした非難だった。
だが、フリンズは即座に首を振る。

「兄上がわがままな感情だけで国には不要だ、と切り捨てたのなら。リリエル様も、感情だけで国を不要だ、と切り捨てていいのは確かです」

レオンハルトの唇がわずかに開き、そして閉じる。反論の言葉は見つからなかった。

「聖女だから従え、義務だから戻れ――その論理は通用しません。選ぶ権利は彼女にあって、頭を下げる責任は私たちにある」

フリンズの言葉が終わると、応接間は再び静まり返った。
先ほどまで張り詰めていた空気は今度は別の重さを帯びてそこにあった。
レオンハルトは何も言わなかった。
いや、というより言えなかったの方が正しい。唇を結び、視線を逸らし、拳を握り締めている。その姿は王子というよりも我を貫き通した一人の男の後悔だった。

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