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第八章 浮遊霊の抱える不安
96.香気
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時間は朝の五時、部屋の外で何やら人の動く音がし始めた。康子が出かける用意を始めたようだ。それに胡桃の弁当を作るとも言っていた。確かに他人のためにすべてを捧ぐ様な生き方は不自然かもしれない。何か事情があるのかもしれないし、単純に報酬がいいのかもしれない。
どちらにせよ僕にはあまり関係がないことなので、推測したり詮索したりしても仕方がない。胡桃はとても気にしているが、それは彼女の持つ人一倍の好奇心によるものだ。
僕は、どちらかと言えば康子さんの境遇よりも胡桃のその考え方に興味を惹かれる。刑事ドラマが好きだとかそういう理由なのか、それとも父親に対して本当は本気で不信感を持っているのか。
胡桃は利発で快活、育ちもよく演劇に打ち込み才能もあるという、一見欠点なんて何もないように見える。しかしその奥では悩みを抱えているようにも感じる。学校では信頼できる友達はいないとも言っていたし、この週末にも遊びに行く予定もなく、僕達幽霊と行動を共にするくらいだ。
単に興味があるからと言うのであればまだいいが、もし一人だったとしたら家で孤独な週末を過ごすことにでもなったのだろうか。僕はそんなことを考えながら時間が過ぎるのを待っていた。扉の向こうではパタパタとスリッパで歩く音のほかに何かを調理する音が聞こえ始めた。
胡桃が弁当を持って出かけるのであれば、どこか風景のいいところにでも案内できたらいいのだが、あいにく僕は出不精でそんな場所をすぐには思いつかない。それほど近くはないが、思い当たるところと言えば桑無山か奥絹川辺りだけれど、あそこもハイキングコースと釣堀くらいしかないし、紅葉の季節でもないので冬行くには微妙な観光地だ。
桑無山駅は僕の家がある物流倉庫駅からは絹川鉄道で一時間半くらいなので、小学校の遠足と言えば桑無山へ行くのが定番だった。そのため近隣小学校の生徒だった者は大体が六回は行くことになる。その桑無山駅からハイキングコースをひたすら歩き、絹川渓谷駅まで戻ってからまた電車で帰るという工程はまだ小さい僕達にとってなかなかの苦行だったのを思い出す。
胡桃が起きる時間にもよるが、一応今日の行き先として提案してみよう。外は大分明るくなってきている。さて、何時に起きることだろうか。
その時机の上の時計がアラーム音を鳴らし始めた。どうやら六時になったようだ。しかし胡桃はピクリとも動かない。鳴りやまないアラームに気が付いたのか、部屋のドアが静かに開き康子が顔をのぞかせる。そしてゆっくりと部屋に入って来てアラームを止めた。
「胡桃さん、起きますか?私はそろそろ出かけてしまいますが、朝ごはんとお弁当置いておきますね」
耳元で優しく声をかけた康子さんに胡桃は返事を返す様子はない。康子さんは笑いながら少しはだけた掛け布団を直し部屋を出ていった。だが出かけると言っていた康子が玄関を開けた様子はなくまだ部屋にいるようだ。もしかしら朝日が迎えに来るのかもしれない。
部屋にはまた静寂が戻り、胡桃と千代がすやすやと気持ちよさそうに寝ている。昨日は大分歩いたから、千代はともかく胡桃は疲れているだろう。
しばらくしてリビングでインターフォンの音がして康子が受け答えをしているのが聞こえた。やはり朝日が迎えに来たようだ。しかしまだ康子が出かける様子はない。インターフォンが鳴ってから数分後、今度は別の音が聞こえた。康子さんがパタパタと歩く音がしてから玄関を開く音が聞こえた。
「康子さん、おはよう。朝食ご馳走してくれるなんてなんだか悪いわね」
「いえいえ、今日はお誘いどころか運転までお願いしてしまうのだからこれくらいはさせてくださいな」
「私はどうせ暇してますからドライブがてらお付き合いしますよ。矢島までは二時間半くらいはかかると思いますが、休憩したくなったら遠慮なく言ってくださいな」
「はい、ありがとうございます。では朝ごはんにしましょうか、今用意しますから座っていてくださいね」
「康子さん、私手伝うわよ。胡桃ちゃんはまだ寝てるの?」
「ええ、起こさなかったらお昼ころまで寝ていると思います。毎日がんばっているから疲れがたまっているのではないかしら」
「ちょっと覗いてくるわ、起きちゃうかしら?もし起きちゃっても一緒に朝食取れるからいいかな」
そんな会話が聞こえた後、胡桃の部屋のドアを軽くノックしてから真子が入って来た。真子はそのままベッドへ近づいてくる。
「あらあら、ぐっすり寝ているわ。眼鏡かけていないとホント美少女ね、まつ毛が長くて羨ましいわ」
胡桃の顔を覗き込んだ真子が僕も惹かれた長いまつげを褒めた。開けたままのドアから味噌汁の香りが入ってくる。
「う、うーん…… お味噌汁……」
その香りに刺激されたのか胡桃が寝言のような寝起きのような、どちらともつかない言葉を口にした。
「あら起こしちゃった? 胡桃ちゃん、おはよう」
「あれ……? 真子さん? おはよう。どうしてこんなところにいるの?」
「今日は康子さんと出かけるから迎えに来たのよ。これから朝ごはんだけど一緒に食べるでしょ?」
「ああ、そういえば康子さんが言ってたわね。食べる前に顔洗ってくるわ」
そういうと胡桃はベッドから起き上がり、真子は部屋を出てキッチンへ向かった。
どちらにせよ僕にはあまり関係がないことなので、推測したり詮索したりしても仕方がない。胡桃はとても気にしているが、それは彼女の持つ人一倍の好奇心によるものだ。
僕は、どちらかと言えば康子さんの境遇よりも胡桃のその考え方に興味を惹かれる。刑事ドラマが好きだとかそういう理由なのか、それとも父親に対して本当は本気で不信感を持っているのか。
胡桃は利発で快活、育ちもよく演劇に打ち込み才能もあるという、一見欠点なんて何もないように見える。しかしその奥では悩みを抱えているようにも感じる。学校では信頼できる友達はいないとも言っていたし、この週末にも遊びに行く予定もなく、僕達幽霊と行動を共にするくらいだ。
単に興味があるからと言うのであればまだいいが、もし一人だったとしたら家で孤独な週末を過ごすことにでもなったのだろうか。僕はそんなことを考えながら時間が過ぎるのを待っていた。扉の向こうではパタパタとスリッパで歩く音のほかに何かを調理する音が聞こえ始めた。
胡桃が弁当を持って出かけるのであれば、どこか風景のいいところにでも案内できたらいいのだが、あいにく僕は出不精でそんな場所をすぐには思いつかない。それほど近くはないが、思い当たるところと言えば桑無山か奥絹川辺りだけれど、あそこもハイキングコースと釣堀くらいしかないし、紅葉の季節でもないので冬行くには微妙な観光地だ。
桑無山駅は僕の家がある物流倉庫駅からは絹川鉄道で一時間半くらいなので、小学校の遠足と言えば桑無山へ行くのが定番だった。そのため近隣小学校の生徒だった者は大体が六回は行くことになる。その桑無山駅からハイキングコースをひたすら歩き、絹川渓谷駅まで戻ってからまた電車で帰るという工程はまだ小さい僕達にとってなかなかの苦行だったのを思い出す。
胡桃が起きる時間にもよるが、一応今日の行き先として提案してみよう。外は大分明るくなってきている。さて、何時に起きることだろうか。
その時机の上の時計がアラーム音を鳴らし始めた。どうやら六時になったようだ。しかし胡桃はピクリとも動かない。鳴りやまないアラームに気が付いたのか、部屋のドアが静かに開き康子が顔をのぞかせる。そしてゆっくりと部屋に入って来てアラームを止めた。
「胡桃さん、起きますか?私はそろそろ出かけてしまいますが、朝ごはんとお弁当置いておきますね」
耳元で優しく声をかけた康子さんに胡桃は返事を返す様子はない。康子さんは笑いながら少しはだけた掛け布団を直し部屋を出ていった。だが出かけると言っていた康子が玄関を開けた様子はなくまだ部屋にいるようだ。もしかしら朝日が迎えに来るのかもしれない。
部屋にはまた静寂が戻り、胡桃と千代がすやすやと気持ちよさそうに寝ている。昨日は大分歩いたから、千代はともかく胡桃は疲れているだろう。
しばらくしてリビングでインターフォンの音がして康子が受け答えをしているのが聞こえた。やはり朝日が迎えに来たようだ。しかしまだ康子が出かける様子はない。インターフォンが鳴ってから数分後、今度は別の音が聞こえた。康子さんがパタパタと歩く音がしてから玄関を開く音が聞こえた。
「康子さん、おはよう。朝食ご馳走してくれるなんてなんだか悪いわね」
「いえいえ、今日はお誘いどころか運転までお願いしてしまうのだからこれくらいはさせてくださいな」
「私はどうせ暇してますからドライブがてらお付き合いしますよ。矢島までは二時間半くらいはかかると思いますが、休憩したくなったら遠慮なく言ってくださいな」
「はい、ありがとうございます。では朝ごはんにしましょうか、今用意しますから座っていてくださいね」
「康子さん、私手伝うわよ。胡桃ちゃんはまだ寝てるの?」
「ええ、起こさなかったらお昼ころまで寝ていると思います。毎日がんばっているから疲れがたまっているのではないかしら」
「ちょっと覗いてくるわ、起きちゃうかしら?もし起きちゃっても一緒に朝食取れるからいいかな」
そんな会話が聞こえた後、胡桃の部屋のドアを軽くノックしてから真子が入って来た。真子はそのままベッドへ近づいてくる。
「あらあら、ぐっすり寝ているわ。眼鏡かけていないとホント美少女ね、まつ毛が長くて羨ましいわ」
胡桃の顔を覗き込んだ真子が僕も惹かれた長いまつげを褒めた。開けたままのドアから味噌汁の香りが入ってくる。
「う、うーん…… お味噌汁……」
その香りに刺激されたのか胡桃が寝言のような寝起きのような、どちらともつかない言葉を口にした。
「あら起こしちゃった? 胡桃ちゃん、おはよう」
「あれ……? 真子さん? おはよう。どうしてこんなところにいるの?」
「今日は康子さんと出かけるから迎えに来たのよ。これから朝ごはんだけど一緒に食べるでしょ?」
「ああ、そういえば康子さんが言ってたわね。食べる前に顔洗ってくるわ」
そういうと胡桃はベッドから起き上がり、真子は部屋を出てキッチンへ向かった。
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