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「傘の先をこっちに向けるな」

 クソ王子が私に向けて怒鳴る。
 まだ16歳だが、よく鍛えられた体には大人以上の力が宿る。

「あらあら、まだ私にそのような口を利くのですか? ファウスト様、しつけが足りませんでしたか!」

 日傘を畳んで、ぽすぽすとファウストの赤い頭を叩くと、嫌そうに払いのけられる。

「だいたい、いつも、レアーナは説明が足りないんだ」
「あーら、私の言うことをきく約束でしょう? 私に受けた恩を忘れてしまったようですね」

 私は今までに、何度もファウストの窮地を救っている。

「他国の王子に怪我をさせて外交問題にならなかったのは、誰のおかげだったか、思い出したかしら?」
「ぐっ……」
「ソニア殿下の発注したネックレスを千切ってしまったのを直してあげたのは?」

 ファウストは人よりも腕力が強く、幼い頃は加減ができずに遊び相手に怪我を負わせることが多かった。
 私が力との付き合い方を教える前は、ろうに繋がれることもあったくらいだ。
 私は日傘の長さだけ間をあけて、後に魔獣王子と呼ばれるはずのファウスト第二王子を見る。

「ヒロインと悪役令嬢だけが額に汗して世界を救う時代は終わりました。王子も頑張れ! もっと頑張れ! ハーレム要員として終わりたくなければ、さあ! 脳筋は私に従え!」

「何を言っているんだ……」

 ファウストに理解される必要はない。
 悪役令嬢に転生して更に何度も命を失った私は、今回こそ平和な老後が欲しいのだ。
 もう繰り返される同じ人生はまっぴらだ。

「教えてあげたではないですか、聖女無くして世界平和無しですよ」

 私たちが酷い方法で意識を奪った、聖女となる運命を背負った少女、リンファを囲んで押し問答している。
 頭は打たなかったと思うが、乾いた動物のフンの上に背中から倒れこむのを目撃してしまった。

 ――見なかったことにしよう。

「……気が向かないのだ」
「向く、向かないの話ではありません。権力者に人権なんてありません」

 私たちは国を救っている最中だ。
 すごく省エネなやり方で。

「神」は言った。「転生した世界で魂を救うために抗え」と。
 私はきっと別の世界で何かの罪を犯したのだろう、神の望む生き方をしない限りは永遠に、死してもなお、同じ人物の人生に戻される。

(抗ったつもりで、いたんだけどな……)

 一人で奮闘して、何度も失敗して、死ぬたびに同じ場所へ戻されて、万策尽きた私は、王子を巻き込むことにした。

 結局、この国は聖女の覚醒無しで救われない。
 どんなに私が引っ掻き回しても変わらなかった世界が、王家の血の者を従えた途端に動揺しているのがわかる。
 もうすでに、いくつかの厄災を防ぐことに成功した私は、結局これが正解だったのかと、軽い絶望感を感じていた。


 愚鈍な王子のおかげで計画は遅れている。
 国の滅亡までもう二年もない。
 まだぐずぐずと悩んでいる王子の尻を蹴る。

「だからって、リンファ嬢にキスだなんて……」
「意識を失っています。つべこべ言わずに、ぶちゅっとしてこい」
「犯罪じゃないのか?」
「こんなの、犯罪に決まってる!! 犯罪に手を染めるくらいの気概がなくて、国を救えるならとっくにそうしてる!」

 リンファの淡い金髪が昏倒薬こんとうやくの影響で一部分だけ紫に染まっている。色が戻る前に事を済まさねば。

「1回だけ、1回だけだな。それ以上は無理だからな」
「く ど い !」

「うわっ、うわぁ、だめだっ、俺は……」

 ファウストのタイを引いて赤い頭を近くまで寄せると、人慣れしていない初心うぶな王子は途端に顔を赤くする。

「ふふふ、その勢いですよ」

 ドンと押して、倒れたリンファの顔にファウストを押し付ける。

「……っ」

 ファウストは抵抗したが、耳に息を吹きかけて怯んだ隙に、リンファの顔にファウストの顔を擦り付けた。
 念のため頭を押して、グリグリと唇同士が擦れ合うようにする。

「はぁ、こんなことのために、どれだけ時間がかかるのよ」
 
 顔をあげたファウストは、少し涙目で私をにらむ。
 ゴシゴシと汚れを落とすように唇を拭っているのは、リンファにはちょっとみせられない。
 こんな美少女に唇を捧げて、何を嫌がることがあろう。
 この王子、ちょっと人から距離を置かれる立場にいたので、王子専任の爆弾処理に選ばれた私に、犬のように懐いてしまったのだ。

「ひ、ひどい、俺の純潔を……」
「おおげさね。単なる接触よ。舌も入れてないから粘膜接触でもないわ」
「とにかく、このキスは不本意だ。こんな事にどんな意味があるっていうんだ」

「うっさい。見てなさい」

 乾いたフンの上に寝かされたリンファが光を発している。
 その光は大きくなって大気に広まり遠くまで矢のように飛んでいく。これが国に攻め入ってきていた邪を退けるのだ。
 後々魔女と呼ばれるようになる私には、キンと高い音がなって空気が清浄になったのが分かる。
 
 魔王を覚醒させないために聖女の早めの覚醒が必要だと分かったのは、すぐ前の生でのこと。
 いつもリンファが能力に目覚めるのは、もっと後になってからだ。その時には取り返しのつかないことが1つだけあったのだ。

「王家の血を引く者の接吻せっぷんで聖女は覚醒する。これが遅いと魔にやられて死ぬ者が増える。まさか、その中に魔王の母親が含まれているとはおもわなかったのよね。毎回、国が滅ぶギリギリで聖女と三角関係恋愛ごっこしなきゃならないのもしんどかったし」
 
 ファウストはつかめるわけがないのに聖女からあふれる光に指を通して、驚いた顔をしている。

「お前が言っていた前世の話は、本当だったのか」
「信じてなかったのね。これでいくつかの命が救われて世界が変わるわ」

 魔によって母を奪われた高い魔力を持つ子供が世界を呪い、古代の魔物に身を乗っ取られることで理性を失い、やがて魔王となる。
 魔と呼ばれる怪異は、今の光でで全て消え去ったはずだ。つまり、魔に母を殺される子もいなくなる。

「もう、お役御免ね。さあ、もう、私と婚約破棄して。そうしないと、私、あの子を探しに行けない。念のため彼が孤独じゃないか、しばらく見張らなきゃならないんだから」

 そのために計画を早めたようなものなのに、ファウストはどう形容したらよいのか分からない顔をした。
 お茶に砂糖と間違えて塩を入れた時のような顔で私を見る。

「お前が行かなくてもいい。そいつを孤独にしなければいいんだろ、なんで、レアーナが全部どうにかしなきゃならないんだ!」

 私は何となくイラっとしてその横っ面を日傘で殴りつけた。
 ちっとも効いている様子もなく、一ミリも動かない。

「はっ、お前がクソ王子だったからだろうがっ!」

俺には責任がないだろうが!」

 強い力を制御できず、爪弾き者だった第二王子は許嫁の悪役令嬢に利用されあっちへよろよろ、こっちへよろよろ自分を持たずに漂う――そういうストーリーのゲームだった。
 他にもヒーローがいるはずなのに、ゲームの世界を模した世界の、第二王子ルートに縛り付けられている。
 聖女も悪役令嬢も苦しめ、あげくギリギリで聖女に絆されるファウストはゲームプレイヤーからも無駄筋呼ばわりされていた。無駄筋――無駄な筋肉達磨の略だ。

 転生したてのて驚きや憤りはもう忘れてしまった。もう私はずいぶん長いことレアーナ・アディソン公爵令嬢をしているのだから。

「とにかく、お前の役目はおしまいだ」
「でしょうね、早く婚約破棄なさい」
「くそっ」

 口では私に勝てない事を知っているファウストは足元の石を拾うと、鬱憤を込めて空き家の壁に投げつける。

 拳ほどの石だったはずだが、壁を突き抜けて柱に当たったようで、ぐずぐずと崩壊の音を立てて空き家は塵芥じんかいに帰した。

 ずっと無口のまま、私を家に送り返して、その日のうちにファウストは姿を消した。


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