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あれからもう三年が経つ。
私はここに残って知りうる限りの厄災を防いでいる。防ぎきれないものも少しはあるが、三年前に聖女を無理やり覚醒させたので、手に負えないものはそちらに丸投げすることも多い。
手紙が来たのはファウストが姿を消してからすぐだった。
「魔王になるはずだった少年を見つけ出した。どうにかする。しばらく帰れない」とだけ書かれた手紙は間違いなくファウストの肉筆だった。
世界はとっくに滅びている頃だから、ファウストもあの子もきっと生き延びたのだろう。
私はいつも婚約が邪魔して国を出ることができなかったから、誰かが早めに魔王に接触できたのは初めてだ。
ファウストが国を出てすぐ、教会は私に別の相手ができればそちらに嫁いでもよいと許可を出した。いまさらだ。
繰り上げで、王太子妃にと望まれた時は生きた心地がしなかったが、なんやかんやと理由をつけて断った。
第二王子は国の外に逃げたのだ。それで元気にしているなら国の仕事なんかしなくても全くかまわない。
あと少し待てば婚約は完全に解消される。そうしたら私は魔女に弟子入りでもしようと思っている。善き魔女として余生を過ごすのも楽しそうだ。
あと少し。
あと三ヶ月!
(そうすれば、私は本当に自由になるのよね)
そう思っていたある日、すっかり日に焼けたファウストが目の前に立っていた。
まずい時に帰ってきた。
ファウストは、前世の記憶より少し年上で、野性味の溢れる筋肉のつきかたをしている。
王子様というよりは盗賊のような格好だ。
赤い髪は伸び放題で、後ろで一つにくくっている。
「待たせたな、レアーナ」
「まってねーよ」
厄災の芽を摘むために一人で出かけ、森で暮らしている老婆を訪ねた後だった。
ファウストは野太くなった声で私の名を呼ぶ。
「こ、婚約はまだ生きているよな?」
「は? ここんにゃく? そんな方おりましたかな? ええと、養老院にいた方かしら? 記憶ではもう亡くなられたと思いますけど……ココンニャーク伯爵のことよね?」
何となく恐ろしい圧を感じてとぼけると、ファウストはものすごい速さで私の間合いに入り込む。
「とりあえず、まだ婚約者だし、仕方ないから、不本意だが! 再会の口付けを!」
言い訳がましいことを言って私の腕をつかむ。
「ほほほ、ごめんなさぁい! 私、匂いの強いものを食べましたから、またの機会に」
どうにもファウストの様子がおかしいので、手を振り払って後ろにさがる。
安心できずにさらに五歩、後退る。
「もしかして、もう他に婚約者がいるのか?」
「他にって、二股みたいな言い方ね。一股もねーわ」
乱暴に答えて、しっしっと追い払うように手を振る。
「――それで首尾は? 勝手に出て行って、私の愛らしい魔王ちゃんは見つかったの?」
それを聞いてファウストはむっとしたように答える。
「まさか、あんなガキだったとは思わなかった。あいつは世界を呪う悪の魔術師にはなり得ない。もちろん魔王にもだ。魔術は諦めて、剣で世界征服するっていっていたぞ」
「あの細腕で?」
私は記憶の中のショタっ子魔王を思い出した。小さな体に黒いマントをまとって、とても剣を振り下ろす力があるようには思えない。
「俺が稽古をつけてやったら性格が明るくなってな。まあ、今も少々悪い魔術を使うが、もう大丈夫だ。俺もついでに剣の師を見つけて、力の調節を学んでいた」
二人の未来が今までとは変わっていることに内心安堵して、目を伏せる。
「どうして帰ってきたのよ。楽しくやっているようじゃない」
「レアーナ、これを見てくれ」
ファウストは上着を脱ぐと、下着も脱ぎ去って、盛り上がった胸筋を私に見せた。
うっかり筋肉の方を凝視してしまったが、よく見ると心臓の上のあたりに青い絵のようなものが描かれている。子供の落書きのようだ。
「これは――呪いね」
「お前以外の女と結婚すれば死ぬ呪いをかけられた。お前の心からのキスでないと解けない」
ファウストは深刻そうな顔をしている。こんな呪いのせいで、再び私の前に現れなければならなかったのだ。いったい誰の仕業だろう。
「あー、はいはい」
私はファウストの頭を引き寄せると、遠慮なく口付けた。
「んがっ! そんな易々とするな! 言っただろう、心からのキスでないと解けないと……」
「どう?」
日に焼けた胸から、少しずつ青い煙が立ち上り、胸の落書きが空に還る。
「な……解けた……? なぜ……」
当たり前だ。解けないはずがない。
「心からのキスでしょう? 魔術でいう心からって、愛のこもったキスとは限らないのよ。強い想いならいいの。心からなら、なんだって。心底どーでもいいと思ってキスしたって解けるのよ。強い想いが必要なだけで」
「そ、そんなはずはない!」
「どうでもいいっていう心を真剣に込めたわ。解けたんだからいいじゃない、もう私を自由にして。後三ヶ月帰ってこなければ自動的に婚約破棄になるけど、ファウストが一筆書けば手間がなくて助かるわ」
「そんな……」
「国を救った聖女様が神殿でお待ちかねよ。婚約破棄をしてから会いに行ったら? あの子、忙しくて泣いてるわ」
ファウストはギリリと歯を鳴らす。
「まだそんな事を……おぼえてろ!」
「ちょ、待ちなさいよ!」
そのまま高いところまで跳び上がって、ファウストは国に戻らなかった。
それどころかまた姿を消した。
*****
私はここに残って知りうる限りの厄災を防いでいる。防ぎきれないものも少しはあるが、三年前に聖女を無理やり覚醒させたので、手に負えないものはそちらに丸投げすることも多い。
手紙が来たのはファウストが姿を消してからすぐだった。
「魔王になるはずだった少年を見つけ出した。どうにかする。しばらく帰れない」とだけ書かれた手紙は間違いなくファウストの肉筆だった。
世界はとっくに滅びている頃だから、ファウストもあの子もきっと生き延びたのだろう。
私はいつも婚約が邪魔して国を出ることができなかったから、誰かが早めに魔王に接触できたのは初めてだ。
ファウストが国を出てすぐ、教会は私に別の相手ができればそちらに嫁いでもよいと許可を出した。いまさらだ。
繰り上げで、王太子妃にと望まれた時は生きた心地がしなかったが、なんやかんやと理由をつけて断った。
第二王子は国の外に逃げたのだ。それで元気にしているなら国の仕事なんかしなくても全くかまわない。
あと少し待てば婚約は完全に解消される。そうしたら私は魔女に弟子入りでもしようと思っている。善き魔女として余生を過ごすのも楽しそうだ。
あと少し。
あと三ヶ月!
(そうすれば、私は本当に自由になるのよね)
そう思っていたある日、すっかり日に焼けたファウストが目の前に立っていた。
まずい時に帰ってきた。
ファウストは、前世の記憶より少し年上で、野性味の溢れる筋肉のつきかたをしている。
王子様というよりは盗賊のような格好だ。
赤い髪は伸び放題で、後ろで一つにくくっている。
「待たせたな、レアーナ」
「まってねーよ」
厄災の芽を摘むために一人で出かけ、森で暮らしている老婆を訪ねた後だった。
ファウストは野太くなった声で私の名を呼ぶ。
「こ、婚約はまだ生きているよな?」
「は? ここんにゃく? そんな方おりましたかな? ええと、養老院にいた方かしら? 記憶ではもう亡くなられたと思いますけど……ココンニャーク伯爵のことよね?」
何となく恐ろしい圧を感じてとぼけると、ファウストはものすごい速さで私の間合いに入り込む。
「とりあえず、まだ婚約者だし、仕方ないから、不本意だが! 再会の口付けを!」
言い訳がましいことを言って私の腕をつかむ。
「ほほほ、ごめんなさぁい! 私、匂いの強いものを食べましたから、またの機会に」
どうにもファウストの様子がおかしいので、手を振り払って後ろにさがる。
安心できずにさらに五歩、後退る。
「もしかして、もう他に婚約者がいるのか?」
「他にって、二股みたいな言い方ね。一股もねーわ」
乱暴に答えて、しっしっと追い払うように手を振る。
「――それで首尾は? 勝手に出て行って、私の愛らしい魔王ちゃんは見つかったの?」
それを聞いてファウストはむっとしたように答える。
「まさか、あんなガキだったとは思わなかった。あいつは世界を呪う悪の魔術師にはなり得ない。もちろん魔王にもだ。魔術は諦めて、剣で世界征服するっていっていたぞ」
「あの細腕で?」
私は記憶の中のショタっ子魔王を思い出した。小さな体に黒いマントをまとって、とても剣を振り下ろす力があるようには思えない。
「俺が稽古をつけてやったら性格が明るくなってな。まあ、今も少々悪い魔術を使うが、もう大丈夫だ。俺もついでに剣の師を見つけて、力の調節を学んでいた」
二人の未来が今までとは変わっていることに内心安堵して、目を伏せる。
「どうして帰ってきたのよ。楽しくやっているようじゃない」
「レアーナ、これを見てくれ」
ファウストは上着を脱ぐと、下着も脱ぎ去って、盛り上がった胸筋を私に見せた。
うっかり筋肉の方を凝視してしまったが、よく見ると心臓の上のあたりに青い絵のようなものが描かれている。子供の落書きのようだ。
「これは――呪いね」
「お前以外の女と結婚すれば死ぬ呪いをかけられた。お前の心からのキスでないと解けない」
ファウストは深刻そうな顔をしている。こんな呪いのせいで、再び私の前に現れなければならなかったのだ。いったい誰の仕業だろう。
「あー、はいはい」
私はファウストの頭を引き寄せると、遠慮なく口付けた。
「んがっ! そんな易々とするな! 言っただろう、心からのキスでないと解けないと……」
「どう?」
日に焼けた胸から、少しずつ青い煙が立ち上り、胸の落書きが空に還る。
「な……解けた……? なぜ……」
当たり前だ。解けないはずがない。
「心からのキスでしょう? 魔術でいう心からって、愛のこもったキスとは限らないのよ。強い想いならいいの。心からなら、なんだって。心底どーでもいいと思ってキスしたって解けるのよ。強い想いが必要なだけで」
「そ、そんなはずはない!」
「どうでもいいっていう心を真剣に込めたわ。解けたんだからいいじゃない、もう私を自由にして。後三ヶ月帰ってこなければ自動的に婚約破棄になるけど、ファウストが一筆書けば手間がなくて助かるわ」
「そんな……」
「国を救った聖女様が神殿でお待ちかねよ。婚約破棄をしてから会いに行ったら? あの子、忙しくて泣いてるわ」
ファウストはギリリと歯を鳴らす。
「まだそんな事を……おぼえてろ!」
「ちょ、待ちなさいよ!」
そのまま高いところまで跳び上がって、ファウストは国に戻らなかった。
それどころかまた姿を消した。
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