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【茶会 4】
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侍女にショールを取りに行かせている間、クララベルは話をしている振りをして暖を取るためにミスティに寄り掛かる。
ミスティは、竜がどんな感覚で生活しているのかなんて一言も説明するわけにはいかないなと頬を掻く。
「……あいつ、俺がクララベルと結婚するって分かったら落ち込むのかな?」
ミスティは目を細めて遠くにいるオリバーの集団を眺める。
「え、ああ、オリバー? さぁ、どうでしょうね。単に王家に近づきたいだけじゃない? あそこに群れていた者たちは皆そうよ」
「まぁ、我儘な姫なんて、権力抜きでモテるわけないよね」
ミスティが身を寄せ合ったクララベルの頬をつつくと、クララベルは嫌そうに眉を顰める。
「腹の立つ言い方ばかりするわね」
クララベルは運ばれてきたお茶の入ったカップを持ち上げる。暖をとれたことに満足して、ミスティしか気づかない密やかさでほうっと息をついた。
ミスティは物言いたげに半眼でクララベルを見る。
「何よ?」
クララベルは身近に置いた者には警戒心があまり働かない。
ミスティとの距離の取り方だって淑女として褒められたものではない。
だからといってミスティが敢えてそれを指摘しないのは、クララベルとの近い距離を楽しんでしまっている後ろめたさからだった。
「別に。狙われてるかもしれないのに無防備だな、って思っただけ。――そういえば、彫刻って?」
「彫刻? ああ、そうだわ、聞いて! あいつは嫌いだけど、サンドライン家にはそれは見事な彫刻があってね。無名の彫刻家が彫ったらしいんだけれどね――」
仲の良し悪しを横に置けば、クララベルとミスティは共通の趣味の話題で溢れている。
美術品のことや、流行りの芸術についてなら、いつまでだって話していられるほどだ。距離を置かずに何でも話せる友人がいなかったので、ミスティがいるとつい喋りすぎてしまう。
そうしていると、オリバーの集団とは別の方向から青年がやってくる。
深い鳶色の髪を清潔に撫でつけ、海老色のジャケットを着た体格の良い青年だ。服を着ているが、どれほど鍛えているのかはその足運びで分かる。
「姫様、お茶をご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
朗らかな声でクララベルに向かって発せられる声にミスティは警戒した。
「まぁ、ダグラス、来ていたのね! ここは二人掛けだけれど……いいわ、椅子をもう一つここに置きましょう」
「いいのですか? 皆に睨まれてしまいますよ」
「いいのよ! 私もダグラスと話がしたいわ」
ダグラスと呼ばれた青年も、気安い雰囲気でクララベルに話しかける。
ミスティは邪魔なやつが来たなと内心むっとした。それなのにクララベルが調子よく青年を受け入れたので、更にむっとする。
オリバーとは違い、クララベルはダグラスと親しそうだし、ダグラスもクララベルを特別に思っているとミスティにはすぐに分かる。
そうとは知らず、クララベルは機嫌よくダグラスをミスティに紹介しはじめた。
「ダグラスは私の幼馴染なの。とはいっても、ダグラスの方が二つ年上だけど。弓の名手でね、城の訓練場の的は外したことがなわ。レトが褒めるくらいだから、相当の腕前よね」
武芸など全く興味のないミスティとは違い、上背もあり、引き締まった体つきだ。
クララベルが屈託なくダグラスを持ちあげるのが、ミスティにはちっとも面白くない。
「南方のフォレー領はダグラスの御父上が治めているのよ。フォレー伯爵が城でお仕事がある時は、一緒に城で遊んだりしたわ。何年か前になるけど、フォレー領に行って冬の休暇を過ごしたこともあるの。この辺りとは風景が違っていてね、暖かくて過ごしやすい所だったわ。本当に久しぶりね、いつぶりかしら」
「去年の誕生日にも城に来ていますよ」
「あれは冬からだったら、一年近く経つわ」
「姫様……なんでも、御縁談が流れたとか?」
ダグラスは片眉を上げて、核心を突く。
今まで面と向かってそれを話題に出した者はいなかった。それだけでもクララベルとの距離が知れる。
「いやだわ、からかいに来たの? ここ以外では話題に出さないでね。私、逆に白紙に戻って安心しているくらいなんだから」
「気落ちしているのかと心配しておりましたが、その様子なら大丈夫なのでしょうね」
眉をひそめるクララベルに、ダグラスは楽しそうにクスクスと笑う。ミスティは重ねて、全然面白くない。
「あからさまに喜んではあちら側に失礼だわ――今の話はここだけにしておいてね。ダグラスも知っていて人が悪いんだから。代わりはアイリーンに決まったの。喜んでいたわ」
「どういった意向での決定だったのかは察しておりますよ。クララベル様はアイリーン様を気に入っていらっしゃいますものね」
ダグラスは意味ありげに頷く。クララベルと縁談の話があったサルべりア国のハッサン王子は、妹のアイリーンの初恋の人だった。クララベルは何としてもアイリーンに縁談を譲りたかったのだ。結果悪役を務めることになった。
「――姫様、ところで、そちらのお嬢様は? 私のような田舎者には一生縁のなさそうな御令嬢ですので、紹介していただけないのは分かっておりますが、ご挨拶くらいお許しいただけませんか?」
大人しくお茶を飲みながら二人の話を聞いていたミスティだが、おどけてダグラスが話題を振ってきたので、カップを置く。
(クララベルにしか興味ないくせに、よく言うよ)
ミスティは会話の端々から、ダグラスの気安さに隠された真意を見抜いていた。
「紹介するわ。こちらは、絵画教室のお友達のミッシーよ。ミッシーはね、とても絵が上手なの!」
この男、どうしてくれようかと勇んでいたミスティは、社交辞令とはいえ、不意にクララベルに絵を褒められ、面食らって耳の端を赤くした。
オリバーに紹介した時とはわけが違う。クララベルは出来る範囲でミスティのことをダグラスに紹介しようとしている。
「いえ、姫様の方がお上手ですわ……」
頬を赤らめ小さな声で謙遜すれば、世にも美しい令嬢の出来上がりだ。
「ミッシー嬢、姫様は絵に関しては嘘をおっしゃらない。昔から絵画には熱心に取り組んでいらっしゃったのですから。ミッシー嬢の絵が本当に素晴らしいから、本心でお褒めくださるのですよ」
ダグラスは眩しいものを見るような目でクララベルを見る。
ミスティは、よく知っている仲だとばかりにクララベルについて話すダグラスが憎くて仕方ない。
「そうだ、あの時の画家は見つかったのですか? 誕生日の贈り物の肖像画、誰の作か結局わからずじまいだったのでしょう? 去年もまだ見つからないと嘆いておいででした」
ダグラスは単に絵画についての話題を広げようとしたのだろう。しかし、ミスティとクララベルは示し合わせたかのように笑顔を貼りつかせて、動きを止める。
「あ、ああ、ええと、そうね。そんなこともあったかしらね。子どもの頃だったし、忘れてしまったわ」
クララベルがちらりとミスティを見る。ミスティは気が付かない振りをして令嬢を演じ続けたが、内心、冷や汗をかいて誤魔化すためにカップを持ち上げてお茶を口に含んだ。
「そうですか? 毎年、誕生日のパーティに呼ばれる度にその話をしておいででしたよ? 探しているのに、全然見つからないと――」
クララベルとミスティは互いに気まずさを感じていたが、訊いたダグラスはその話をやめようとしない。
誕生日の絵とは、幼いクララベルがミスティの父に強請って手に入れた肖像画の事だ。つまり、ミスティが初めてクララベルを覗き見で描いた肖像画の事に他ならない。
ジェームズはその作家について尋ねないことを条件に、クララベルに肖像画を手渡した。クララベルは作者がミスティだと知らずに、長いことその画家を探していたのだ。
(そういえばあの絵、どこにあるんだろうな? 飾ってあるところを見たことがないな)
ミスティは急にお茶が苦くなって、添えられていた砂糖菓子を口に押し込んだ。
「まぁ、そんなこともあったかしらね。そういえば、オリバーの幼馴染のお嬢様はお元気? フォレー領でお会いしてから、時々お手紙をいただいたりするのよ。オリバーとのことをいろいろ書いてきてくれるの。仲が良さそうで何よりね」
「ああ、ヘラですか? 姫様に手紙まで差し上げているとは知りませんでした……。何かお手を煩わせるようなことはありませんでしたか?」
やっと別の話題に移り、二人はため息をつきたいくらいだった。
そうしているうちに、再びオリバーとその取り巻きたちがやってくる。
「ダグラス殿、美姫を一人で独占するとは羨ましい。我々も仲間に入れてほしいものですな」
「これはこれは、オリバー様、独り占めだなんてめっそうもない。久しくご無沙汰しておりましたのでご挨拶を申し上げていた所でございます。フォレー領は遠いですからね。この茶会が済んだら私もまたすぐに領地へ帰らなければなりません。……しかし、ここは少し狭いですね。あちらのテーブルに移動されてはどうですか?」
肖像画の事がうやむやになったのはいいが、主催者側であるクララベルにばかり有力者の若者が群れていては、茶会が意味をなさない。
クララベルは、通り過ぎるたびに着飾った令嬢たちに声をかけ、大きなテーブルにつかせた。
若者たちは隣り合ったものと自己紹介をしながら少しずつ打ち解けていく。
中には席を越えてまでクララベルに取り入ろうとしたり、ミスティと知り合おうとしたりする者もいた。それでも、少しずつ気の合ったものが連れ立って席を離れ始めて、会は若者にふさわしいものになっていく。
こんなに周りに人がいれば、今日はクララベルに危害を加える者もいないだろうと、ミスティがまたテーブルに置かれた菓子に手を伸ばそうとしたそのときだ。
ミスティの耳はかすかな金属と金属の擦れる音を拾い上げた。カップとスプーンの触れる音とは違う、金属の鞘に入った、金属――ナイフのようなものかもしれない。
「クララベル、動くなよ、金属の擦れる音がした。お前の右斜め後方だ。どうする?」
ミスティはにこにこしながら扇で口元を隠し、小声で言う。
このざわめきの中では、どうせ二人の話は聞こえない。
「わかったわ。ミスティ、騒ぎ立てないで。私を東屋まで連れ出して。ここではレトも助けに来れないわ。手洗いにでも行く振りをして、レトが暴れられるところまで移動しましょう」
ふふふ、と皆には楽しそうに笑って見せながら、クララベルがミスティの耳に手を添えて指示を出す。
ミスティがクララベルの指示に従って、再びもじもじとクララベルに耳打ちしようとする。
「姫様、私……」
「まあ、そうね。気がつかなくてごめんなさい。ミッシー、ついていらっしゃい。私もご一緒するわ」
「はい、姫様」
「私たち、少し失礼するわ」
婦人の退席理由を察した参加者たちは、二人を邪魔しないように周りと話を続ける。
ミスティはクララベルにエスコートされながら席を立ち、東屋の方へ向かう。
丁度クララベルのショールを持ってきたレトが、遠くの渡り廊下を歩いて来るのが見えた。
「……よかった、レトが来るわ」
しかし、ミスティの耳は明らかに自分たちについてきているかすかな音を感じていた。悪意が迫っている。
「クララベル、誰か付いてきている。東屋の影で襲うつもりだ。合図をしたら走ってレトさんのところまで逃げろ」
「え? 私だけ? ミスティはどうするのよ。そんな細腕で反撃できるわけないじゃない。ミスティも一緒に逃げるのよ」
「……お前、俺を侮っているだろう」
「侮ってるに決まってるでしょ!」
見るからに筆しか持ったことのない細腕に、荒事が出来るとは思えない。
「戦争の時に、バロッキーがどうして前線に送られたか知っているか?」
「そんなの、しらないわよ!」
こそこそと話をしながら東屋で止まり、敵を誘う。
まだ遠いが、レトが見える。
レトも二人の姿を見つけたようで、小走りでやってくる。
「とにかく合図したら走れ。俺たちが気が付いたと知られたら、レトさんが取り逃がす」
「本当に大丈夫なの?」
「しつこいな! 俺たちは、大丈夫なんだよ! 俺が大丈夫だって言ったら大丈夫だ!」
竜の血は守るべき者の危険に対して防衛反応が強く出る。クララベルが番なのだと認識しはじめてからは、どうしようもないくらいに。
今のミスティは護衛として、ジェームズより役に立つ。
ミスティはクララベルを害しようと近づいてくる何者かの気配が、手に取るように分かった。
「今だ、走れ!」
ドンと背中を押す。
前に躓くようにクララベルが走り出すと同時に、後ろからついてきた者が走り出す気配がする。
ミスティの本能はクララベルの安全に向けて研ぎ澄まされていた。自分の横を走り去ろうとする何者かに危なげなく足をかける。女の足は細かった。
女官の格好をした娘がバランスを失い倒れ込む。
取り落としたナイフを取り上げるため金気のする方を向くと、後ろから迫ってきた女官にドンと前方に吹き飛ばされた。目の前には整えられたばかりの低木の生垣が迫る。顔を怪我するのは嫌だと、ミスティは咄嗟に手で頭をかばって茂みに突っ込んだ。衝撃で一瞬気が遠くなったが、レトが飛んできて暴れた音だけは聞こえる。
「ミスティさん、ご無事ですか? 賊は取り押さえましたよ!」
近くでレトの声が聞こえているが、ミスティはクララベルの気配ばかりを追う。
レトと女官から離れてクララベルの気配がする。緊張しているが、おかしな様子はない。
「……よし、無事だな」
クララベルの安全を確認して、ミスティは意識を手放した。
ミスティは、竜がどんな感覚で生活しているのかなんて一言も説明するわけにはいかないなと頬を掻く。
「……あいつ、俺がクララベルと結婚するって分かったら落ち込むのかな?」
ミスティは目を細めて遠くにいるオリバーの集団を眺める。
「え、ああ、オリバー? さぁ、どうでしょうね。単に王家に近づきたいだけじゃない? あそこに群れていた者たちは皆そうよ」
「まぁ、我儘な姫なんて、権力抜きでモテるわけないよね」
ミスティが身を寄せ合ったクララベルの頬をつつくと、クララベルは嫌そうに眉を顰める。
「腹の立つ言い方ばかりするわね」
クララベルは運ばれてきたお茶の入ったカップを持ち上げる。暖をとれたことに満足して、ミスティしか気づかない密やかさでほうっと息をついた。
ミスティは物言いたげに半眼でクララベルを見る。
「何よ?」
クララベルは身近に置いた者には警戒心があまり働かない。
ミスティとの距離の取り方だって淑女として褒められたものではない。
だからといってミスティが敢えてそれを指摘しないのは、クララベルとの近い距離を楽しんでしまっている後ろめたさからだった。
「別に。狙われてるかもしれないのに無防備だな、って思っただけ。――そういえば、彫刻って?」
「彫刻? ああ、そうだわ、聞いて! あいつは嫌いだけど、サンドライン家にはそれは見事な彫刻があってね。無名の彫刻家が彫ったらしいんだけれどね――」
仲の良し悪しを横に置けば、クララベルとミスティは共通の趣味の話題で溢れている。
美術品のことや、流行りの芸術についてなら、いつまでだって話していられるほどだ。距離を置かずに何でも話せる友人がいなかったので、ミスティがいるとつい喋りすぎてしまう。
そうしていると、オリバーの集団とは別の方向から青年がやってくる。
深い鳶色の髪を清潔に撫でつけ、海老色のジャケットを着た体格の良い青年だ。服を着ているが、どれほど鍛えているのかはその足運びで分かる。
「姫様、お茶をご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
朗らかな声でクララベルに向かって発せられる声にミスティは警戒した。
「まぁ、ダグラス、来ていたのね! ここは二人掛けだけれど……いいわ、椅子をもう一つここに置きましょう」
「いいのですか? 皆に睨まれてしまいますよ」
「いいのよ! 私もダグラスと話がしたいわ」
ダグラスと呼ばれた青年も、気安い雰囲気でクララベルに話しかける。
ミスティは邪魔なやつが来たなと内心むっとした。それなのにクララベルが調子よく青年を受け入れたので、更にむっとする。
オリバーとは違い、クララベルはダグラスと親しそうだし、ダグラスもクララベルを特別に思っているとミスティにはすぐに分かる。
そうとは知らず、クララベルは機嫌よくダグラスをミスティに紹介しはじめた。
「ダグラスは私の幼馴染なの。とはいっても、ダグラスの方が二つ年上だけど。弓の名手でね、城の訓練場の的は外したことがなわ。レトが褒めるくらいだから、相当の腕前よね」
武芸など全く興味のないミスティとは違い、上背もあり、引き締まった体つきだ。
クララベルが屈託なくダグラスを持ちあげるのが、ミスティにはちっとも面白くない。
「南方のフォレー領はダグラスの御父上が治めているのよ。フォレー伯爵が城でお仕事がある時は、一緒に城で遊んだりしたわ。何年か前になるけど、フォレー領に行って冬の休暇を過ごしたこともあるの。この辺りとは風景が違っていてね、暖かくて過ごしやすい所だったわ。本当に久しぶりね、いつぶりかしら」
「去年の誕生日にも城に来ていますよ」
「あれは冬からだったら、一年近く経つわ」
「姫様……なんでも、御縁談が流れたとか?」
ダグラスは片眉を上げて、核心を突く。
今まで面と向かってそれを話題に出した者はいなかった。それだけでもクララベルとの距離が知れる。
「いやだわ、からかいに来たの? ここ以外では話題に出さないでね。私、逆に白紙に戻って安心しているくらいなんだから」
「気落ちしているのかと心配しておりましたが、その様子なら大丈夫なのでしょうね」
眉をひそめるクララベルに、ダグラスは楽しそうにクスクスと笑う。ミスティは重ねて、全然面白くない。
「あからさまに喜んではあちら側に失礼だわ――今の話はここだけにしておいてね。ダグラスも知っていて人が悪いんだから。代わりはアイリーンに決まったの。喜んでいたわ」
「どういった意向での決定だったのかは察しておりますよ。クララベル様はアイリーン様を気に入っていらっしゃいますものね」
ダグラスは意味ありげに頷く。クララベルと縁談の話があったサルべりア国のハッサン王子は、妹のアイリーンの初恋の人だった。クララベルは何としてもアイリーンに縁談を譲りたかったのだ。結果悪役を務めることになった。
「――姫様、ところで、そちらのお嬢様は? 私のような田舎者には一生縁のなさそうな御令嬢ですので、紹介していただけないのは分かっておりますが、ご挨拶くらいお許しいただけませんか?」
大人しくお茶を飲みながら二人の話を聞いていたミスティだが、おどけてダグラスが話題を振ってきたので、カップを置く。
(クララベルにしか興味ないくせに、よく言うよ)
ミスティは会話の端々から、ダグラスの気安さに隠された真意を見抜いていた。
「紹介するわ。こちらは、絵画教室のお友達のミッシーよ。ミッシーはね、とても絵が上手なの!」
この男、どうしてくれようかと勇んでいたミスティは、社交辞令とはいえ、不意にクララベルに絵を褒められ、面食らって耳の端を赤くした。
オリバーに紹介した時とはわけが違う。クララベルは出来る範囲でミスティのことをダグラスに紹介しようとしている。
「いえ、姫様の方がお上手ですわ……」
頬を赤らめ小さな声で謙遜すれば、世にも美しい令嬢の出来上がりだ。
「ミッシー嬢、姫様は絵に関しては嘘をおっしゃらない。昔から絵画には熱心に取り組んでいらっしゃったのですから。ミッシー嬢の絵が本当に素晴らしいから、本心でお褒めくださるのですよ」
ダグラスは眩しいものを見るような目でクララベルを見る。
ミスティは、よく知っている仲だとばかりにクララベルについて話すダグラスが憎くて仕方ない。
「そうだ、あの時の画家は見つかったのですか? 誕生日の贈り物の肖像画、誰の作か結局わからずじまいだったのでしょう? 去年もまだ見つからないと嘆いておいででした」
ダグラスは単に絵画についての話題を広げようとしたのだろう。しかし、ミスティとクララベルは示し合わせたかのように笑顔を貼りつかせて、動きを止める。
「あ、ああ、ええと、そうね。そんなこともあったかしらね。子どもの頃だったし、忘れてしまったわ」
クララベルがちらりとミスティを見る。ミスティは気が付かない振りをして令嬢を演じ続けたが、内心、冷や汗をかいて誤魔化すためにカップを持ち上げてお茶を口に含んだ。
「そうですか? 毎年、誕生日のパーティに呼ばれる度にその話をしておいででしたよ? 探しているのに、全然見つからないと――」
クララベルとミスティは互いに気まずさを感じていたが、訊いたダグラスはその話をやめようとしない。
誕生日の絵とは、幼いクララベルがミスティの父に強請って手に入れた肖像画の事だ。つまり、ミスティが初めてクララベルを覗き見で描いた肖像画の事に他ならない。
ジェームズはその作家について尋ねないことを条件に、クララベルに肖像画を手渡した。クララベルは作者がミスティだと知らずに、長いことその画家を探していたのだ。
(そういえばあの絵、どこにあるんだろうな? 飾ってあるところを見たことがないな)
ミスティは急にお茶が苦くなって、添えられていた砂糖菓子を口に押し込んだ。
「まぁ、そんなこともあったかしらね。そういえば、オリバーの幼馴染のお嬢様はお元気? フォレー領でお会いしてから、時々お手紙をいただいたりするのよ。オリバーとのことをいろいろ書いてきてくれるの。仲が良さそうで何よりね」
「ああ、ヘラですか? 姫様に手紙まで差し上げているとは知りませんでした……。何かお手を煩わせるようなことはありませんでしたか?」
やっと別の話題に移り、二人はため息をつきたいくらいだった。
そうしているうちに、再びオリバーとその取り巻きたちがやってくる。
「ダグラス殿、美姫を一人で独占するとは羨ましい。我々も仲間に入れてほしいものですな」
「これはこれは、オリバー様、独り占めだなんてめっそうもない。久しくご無沙汰しておりましたのでご挨拶を申し上げていた所でございます。フォレー領は遠いですからね。この茶会が済んだら私もまたすぐに領地へ帰らなければなりません。……しかし、ここは少し狭いですね。あちらのテーブルに移動されてはどうですか?」
肖像画の事がうやむやになったのはいいが、主催者側であるクララベルにばかり有力者の若者が群れていては、茶会が意味をなさない。
クララベルは、通り過ぎるたびに着飾った令嬢たちに声をかけ、大きなテーブルにつかせた。
若者たちは隣り合ったものと自己紹介をしながら少しずつ打ち解けていく。
中には席を越えてまでクララベルに取り入ろうとしたり、ミスティと知り合おうとしたりする者もいた。それでも、少しずつ気の合ったものが連れ立って席を離れ始めて、会は若者にふさわしいものになっていく。
こんなに周りに人がいれば、今日はクララベルに危害を加える者もいないだろうと、ミスティがまたテーブルに置かれた菓子に手を伸ばそうとしたそのときだ。
ミスティの耳はかすかな金属と金属の擦れる音を拾い上げた。カップとスプーンの触れる音とは違う、金属の鞘に入った、金属――ナイフのようなものかもしれない。
「クララベル、動くなよ、金属の擦れる音がした。お前の右斜め後方だ。どうする?」
ミスティはにこにこしながら扇で口元を隠し、小声で言う。
このざわめきの中では、どうせ二人の話は聞こえない。
「わかったわ。ミスティ、騒ぎ立てないで。私を東屋まで連れ出して。ここではレトも助けに来れないわ。手洗いにでも行く振りをして、レトが暴れられるところまで移動しましょう」
ふふふ、と皆には楽しそうに笑って見せながら、クララベルがミスティの耳に手を添えて指示を出す。
ミスティがクララベルの指示に従って、再びもじもじとクララベルに耳打ちしようとする。
「姫様、私……」
「まあ、そうね。気がつかなくてごめんなさい。ミッシー、ついていらっしゃい。私もご一緒するわ」
「はい、姫様」
「私たち、少し失礼するわ」
婦人の退席理由を察した参加者たちは、二人を邪魔しないように周りと話を続ける。
ミスティはクララベルにエスコートされながら席を立ち、東屋の方へ向かう。
丁度クララベルのショールを持ってきたレトが、遠くの渡り廊下を歩いて来るのが見えた。
「……よかった、レトが来るわ」
しかし、ミスティの耳は明らかに自分たちについてきているかすかな音を感じていた。悪意が迫っている。
「クララベル、誰か付いてきている。東屋の影で襲うつもりだ。合図をしたら走ってレトさんのところまで逃げろ」
「え? 私だけ? ミスティはどうするのよ。そんな細腕で反撃できるわけないじゃない。ミスティも一緒に逃げるのよ」
「……お前、俺を侮っているだろう」
「侮ってるに決まってるでしょ!」
見るからに筆しか持ったことのない細腕に、荒事が出来るとは思えない。
「戦争の時に、バロッキーがどうして前線に送られたか知っているか?」
「そんなの、しらないわよ!」
こそこそと話をしながら東屋で止まり、敵を誘う。
まだ遠いが、レトが見える。
レトも二人の姿を見つけたようで、小走りでやってくる。
「とにかく合図したら走れ。俺たちが気が付いたと知られたら、レトさんが取り逃がす」
「本当に大丈夫なの?」
「しつこいな! 俺たちは、大丈夫なんだよ! 俺が大丈夫だって言ったら大丈夫だ!」
竜の血は守るべき者の危険に対して防衛反応が強く出る。クララベルが番なのだと認識しはじめてからは、どうしようもないくらいに。
今のミスティは護衛として、ジェームズより役に立つ。
ミスティはクララベルを害しようと近づいてくる何者かの気配が、手に取るように分かった。
「今だ、走れ!」
ドンと背中を押す。
前に躓くようにクララベルが走り出すと同時に、後ろからついてきた者が走り出す気配がする。
ミスティの本能はクララベルの安全に向けて研ぎ澄まされていた。自分の横を走り去ろうとする何者かに危なげなく足をかける。女の足は細かった。
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「ミスティさん、ご無事ですか? 賊は取り押さえましたよ!」
近くでレトの声が聞こえているが、ミスティはクララベルの気配ばかりを追う。
レトと女官から離れてクララベルの気配がする。緊張しているが、おかしな様子はない。
「……よし、無事だな」
クララベルの安全を確認して、ミスティは意識を手放した。
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私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
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