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【俺はそろそろ俺の婚約者の馬鹿みたいな赤い衣装が恋しい】
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「――事情はわかった。しかし、協力できるかどうかはわからない。生憎だけれど、貴族の結婚は個人の望みが通るほど自由ではないんだ」
ダグラスは視線をそらして茶碗の中に視線を落とす。
この国ではお茶占いの風習などないはずなのに、カップの底の澱を熱心に読み解こうとしているようにも見える。
「あれから二年も経つ。僕にも見合いの話が何件か来ている。それだけじゃない、フォレー領を治める仕事を学ぶために頻繁に講習を受けている夫人候補もいる」
「だけどさ、ダグラスはクララベルのことが……」
俺が言いきる前に苛ついた様子でダグラスが俺を遮る。
「バロッキーというのは誰もが皆そうなのか? めったな事は言わない方がいい。そちらの為にも僕の為にも」
俺は屋敷のどこからか、にぎやかな声と女性の靴音が近づいてくるのを聞いて、会話を中断して扉の方に視線を向けた。
ダグラスは首をかしげて俺を見たが、次第に近づいてくる声に気がついたのだろう、盛大に眉をしかめて、その皴をもとの貴族らしい柔和なものに戻した。
「あら、ダグラス、お客様?」
ノックもなく、客室のドアが開けられ、少女が一人、部屋に入って来る。
俺と同じくらいか、少し若いくらいの年齢だろう。
シュロ人に多い濃い褐色の髪はくるくると癖が強い巻き毛だ。
髪と同じ色の大きな目をきょろきょろと動かして、ダグラスと俺を見比べている。
赤いドレスはクララベルが着るものと似ているような気もする。クララベルが着るものより大胆な作りで、胸や腰を強調するために黒いレースで縁取ってある。実際、こういったデザインのものを下品にならないように着こなすのは難しいのだ。
この少女は残念ながら少々失敗している。まぁ、喧嘩にでも行くのならぴったりの衣装だろうが。服のせいか濃いまつげに彩られた瞳は好戦的にすら見える。
「ああ、ヘラ、来ていたのか?」
「ええ、ここでユーノと会うことになっていて」
「ああ、前に言っていた講習か。熱心なことだな」
「フォレー領の為になることだったら、きちんと学んでおかなければならないと思うの。いずれ領の管理の一端を任されるのだと思うと身が引き締まるわ」
「素晴らしい心がけだ」
なるほど、この少女が伯爵夫人候補なのだろう。
愛らしい顔だと言えなくもないが、クララベルの方が断然可愛い。
「ヘラ、探したわ。書斎に誰もいないから――」
少し遅れて、少女がもう一人部屋に入ってくる。
灰色がかった髪に、それよりは薄い灰色の目が儚げに見える。この辺りではシュロ人に近い見た目が多いが、どちらかといえば王都でよく見る色彩だ。
可憐ではあるが、もちろんクララベルの方が美人だ。
客間に俺がいるのを見て、少女は慌てて腰を屈めてお辞儀をした。
ヘラとは違ってユーノはカヤロナの国民らしく、俺の目を見て一瞬身を竦ませた。
「お客様がいらしていたとは知らず、申し訳ありません」
「やぁ、ユーノ」
「まぁ、ユーノ、やっと来たのね。あなたはいつもゆっくりねぇ」
笑ってヘラが言うが、どう見ても悪い笑みだ。
「講習の場所が変更になったと聞いたから、書斎で待っていたのよ。ヘラが来ないから先生が困っていたわ」
「ダグラスに挨拶するのが先よ。ユーノはフォレー家の仕事に携わる自覚が足りないのではない? んまぁ、だらしない、リボンが曲がっているじゃない? 背筋くらいしゃんとしたら?」
曲がってもいないリボンを引っ張って、ヘラはユーノと呼ばれた少女を小突き回す。
わかりやすい女同士の力関係が見えて「うわぁ」と心の中で悲鳴を上げた。ここまで分かりやすく意地が悪いのは、貴族社会では逆に珍しい。
「あ、ごめんなさい。大丈夫よ、自分で直せるわ。ダグラス様、大切なお客様だったのではないのですか? ヘラ、私たちがお邪魔しては失礼だわ」
ヘラよりもユーノの方が貴族的な感覚があるのだろう。
ヘラの手を引いて部屋の外に出ようとするユーノをダグラスが制して、俺を紹介をはじめる。
「せっかくだから君たちにも紹介しよう。こちらはミスティ・バロッキー殿。クララベル王女の婚約者だ。ミスティ殿、こちらはユーノ・ドルトン嬢とヘラ・ゴーシュ嬢だ。どちらもフォレー家に協力的な大家の令嬢だよ」
「初めまして、ミスティ・バロッキーです。フォレー領は素晴らしいところですね」
俺だってちゃんと被る猫は用意してある。
にこやかに告げると、俺の顔が気に入ったのだろう、ヘラが愛らしく見えるように目を見開き口を形よく見えるように整えて上目遣いをしはじめる。
(――こういうのが俺には理解できないんだよな)
ヘラはダグラスの妻を目指しているのではなかったのだろうか?
それよりも、ゴーシュという名には聞き覚えがある。ついさっき見てきた銅山の地主の名だ。
俺は身を屈めて、礼の姿勢をとる。
「ゴーシュ殿のご息女でしたか」
「まぁ、やっぱりあなたが査定に来たバロッキーなのね。珍しい目の色をなさっていると思ったわ。私、竜の目って初めて」
ヘラは俺の目をまじまじと見る。シュロ人には竜を恐れる者がいないというのは本当のようだ。
「ヘラ、失礼なことを言うものではないよ」
「いえ、シュロ出身の方はバロッキーの竜の目を見ても、このように受け入れてくれる方が多いのでありがたいです。王都ではそれがなかなか難しくて」
「これの何が恐ろしいのかわからないわ。シュロであれば奴隷がその目の色をしていたら、高く売れること間違いなしよ」
不穏なことを言っている。
シュロにはまだ奴隷制度があるのだ。まぁ、あのマルスが俺をそういう風に売りに出すつもりなら高く売れるのだろう。これにはさすがにダグラスも眉を顰めた。
「ヘラ、やめないか。なんて不躾なことを言うんだ。クララベル様の婚約者だと言ったのを聞かなかったのか?」
「あら、あんな資金力のない王家のお姫様でしょ? 不敬罪だってきっとゴーシュ家が寄付でもすれば許して下さるわ」
確かにカヤロナ王家にはあまり潤沢な資金があるとは言えない。バロッキーが治める税が王家を支えていると言っても過言ではない。フォレーはもともと竜の国とは違う独立した集落だったというし、カヤロナ王家に対する姿勢も王都とフォレーとでは同じではないようだ。
「バロッキー家は正真正銘ただの商人ですから、不敬罪だなんて物々しいことにはなりませんよ」
俺がそういうと、ヘラは満足そうに笑う。
「寂れた廃坑を見に来たのでしょ? バロッキー家は不要な山を高く買ってくれるんだってパパが言っていたわ。あんな不毛の土地をどうするつもりなの? おかしな商売ね。まぁいいわ。私の輿入れの足しにしたいの。できるだけ高く買ってくださいましね」
なかなか生意気な口をきく。
つんとクララベルのように顎をあげて見下げようとするが、どうにも品が無い。
クララベルの代わりにヘラを妻にしなければならないのだとすると、ダグラスには少し同情してしまう。
ダグラスが窘めたのに、ヘラのおしゃべりは続く。
「クララベル様も美しい方だったけれど、ミスティ様はもっとお美しいのね」
「ヘラ、姫様を引き合いに出すようなことは言ってはいけない」
ダグラスが言うと、あからさまにムッとしはじめた。
「あら、クララベル様のことになるとダグラスはいつもそうなのね。私、何か悪いこと言ったかしら」
「王家に対する不敬罪というものがある。君はシュロ人の血が濃いが、ここは正真正銘カヤロナ国だよ。国の恩恵を受けている者は須く王家に敬意を表するものだよ」
「ダグラスはいつも姫様の味方をするのね。そんな方が夫になるのでは先が思いやられるわ。あーあ、私、なんだか気分が悪いので、失礼します」
子どものようにへそを曲げて、ぷいっとそっぽを向く。
クララベルのはいつも演技だが、ヘラのこれは本気らしい。
ダグラスの未来が心配になってきた。
「ユーノ、あなたもいらっしゃいってば。ダグラスだけでなくて、ミスティ様にも色目を使うつもり?」
「そんな、私……」
へそを曲げるだけでは気が済まなかったようで、ヘラはユーノにも八つ当たりを始める。
ダグラスは慣れた様子で退室をうながす。
「ユーノも下がって構わないよ。僕はミスティ殿とまだ話があるから」
「それでは失礼いたします……あの、ダグラス様、お暇な時で構いませんので今日も勉強を見ていただけますか?」
「ああ、夕食後のお茶の後にでも」
「はい!」
ユノは控えめな微笑みを浮かべ、丁寧な礼をして退室していった。
足音が去って、ダグラスは仏頂面に戻った。
どうやらこの顔が素らしい。
「あーあ、あれがゴーシュ家の娘か。で、アレとあの子がダグラスの婚約者候補?」
「そうだ。ヘラの暴言、済まなかった。今回は見逃してほしい。――どうだ? クララベル様の我儘が愛らしく見えるだろ?」
「まぁ、クララベルの我儘なんか演技だし」
「まったくだ」
ダグラスにはダグラスなりの面倒な問題があることは知れた。
ダグラスは疲れたように腕を組み、ソファに座りなおす。
「そういえば、妙なことを言っていたな。バロッキーがゴーシュ家の土地に何用だ?」
「ああ、さっきの続きの話だよ。俺、いろいろ考えたんだけど、ゴーシュ家からあの銅山を買い取るつもりなんだ。まだまだ、これから調査の内容を持ち帰って検討って段階なんだけど」
「あの廃坑をか? 何の得が……」
「ゴーシュ家はそう思っていないようなんだけど、あの鉱山はまだ廃坑じゃない。銅を探すために掘り返しすぎて土を汚して採掘が中止になったんだろうな。実際は、三分の一も掘れてないはずだ」
「そうなのか?」
「俺の見込みでは銅はまだ採りつくされていない。どれほど残っているかとか、それをどうするかは俺だけでは判断がつかない。あったとしても鉱毒が怖いから銅には積極的に手を付けなくてもいいと思っている。それとは別に、シュロ人は興味がなかったのかもしれないが、あの山は孔雀石が出る。それだけじゃなくて、藍銅鉱もかなり採れそうだ。バロッキーが加工すればゴーシュ家から取り上げた廃坑は再び金を産む」
銅山の開発もそこからでる鉱毒も、フォレー領にとっても無関係な話ではない。いくら金を生む話でもダグラスが協力する気にならなければ絵に描いた餅だ。
「藍銅鉱か、しかし、国内消費だけでは値が下がるぞ。輸出するならば国を通さなければならないだろう」
輸出には国の許可が必要だ。新たな品目を輸出品に加えるのは一商家にとっては少々骨の折れる手続きが必要だ。
「そう。そこでフォレー家だ。うちは特定の貴族とは密なやり取りはしてこなかった。でも、俺は個人的なお友達のダグラス君がいるフォレー家から人を借りたり、取れた鉱物の管理を任せるかもしれないよなぁ。親友になったダグラス殿と事業を立ち上げたり、金銭的にも密な関係を築くかもしれないよね。バロッキーの商品ではなくて、フォレー領の産出品として輸出品に加われば、うちは面倒な手続きをフォレー領任せにできるし」
胡散臭い話だ。当然ダグラスは嫌そうに顔を顰める。
「バロッキー家がフォレー家と手を組むと言うのか?」
「フォレー領とうちの繋がりはいよいよ強くなって、もし結託したらカヤロナ王家の財力を超える。そう思わない?」
「それは、まずいな……」
「地方の力を持ちすぎるフォレー家をどうにかしようとするとすれば、分離か懐柔だ。フォレー家のような大きな領を分離するのは危険が多すぎる。シュロと組んで独立でもされたら一大事だ。ここでクララベルが出てくる。寡婦になったクララベルがフォレー家に嫁げば王家との繋がりを強調できるし、バロッキーへの牽制にもなる」
とりあえず、ここまでが俺がおぼろげに描いた台本の輪郭だ。
「まぁ、そのままクララベルがオスカーに嫁ぐよりはずいぶんマシな筋書きだと思ったんだけど、あとはダグラス次第だな」
俺は普段、竜ではない人がどう考えるかなんて頓着しない。でも、ダグラスが竜ではないということが俺の計画を阻んでいるのはよくわかった。
竜と違って、心が一つに定まらないというのは相当に大変なことなのだろう。多すぎる選択肢が行動を鈍らせる。
「いや……事が大きすぎる。まだ返事はできない。まずもって、そんなことが可能なのか?」
ダグラスが返事が出来ないと言い出したのはいい傾向だ。まだまだ交渉の余地があるということなのだろう。
「竜は番の為ならなんだってするんだよ。俺だって竜のはしくれだし、死ぬ前に一仕事しておいてもいいとおもうんだよね」
「つがいか……」
目の前にぶら下がった人参に齧りつくつもりでいるくせに、もったいぶった顔をする。
フォレー領にとって、さっきの二人の少女のどちらかを妻にするより、もっともっと利がある話だとダグラスはちゃんと理解している。ダグラスに得しかない。面白くない。
「あー、もう無理。明日、予定より早く出発するからってフォレー卿に伝えておいて。早く帰ってクララベルといちゃいちゃしないと、俺、死ぬ」
ダグラスに嫌がらせを言えば、盛大な舌打ちが飛んできた。
ダグラスは視線をそらして茶碗の中に視線を落とす。
この国ではお茶占いの風習などないはずなのに、カップの底の澱を熱心に読み解こうとしているようにも見える。
「あれから二年も経つ。僕にも見合いの話が何件か来ている。それだけじゃない、フォレー領を治める仕事を学ぶために頻繁に講習を受けている夫人候補もいる」
「だけどさ、ダグラスはクララベルのことが……」
俺が言いきる前に苛ついた様子でダグラスが俺を遮る。
「バロッキーというのは誰もが皆そうなのか? めったな事は言わない方がいい。そちらの為にも僕の為にも」
俺は屋敷のどこからか、にぎやかな声と女性の靴音が近づいてくるのを聞いて、会話を中断して扉の方に視線を向けた。
ダグラスは首をかしげて俺を見たが、次第に近づいてくる声に気がついたのだろう、盛大に眉をしかめて、その皴をもとの貴族らしい柔和なものに戻した。
「あら、ダグラス、お客様?」
ノックもなく、客室のドアが開けられ、少女が一人、部屋に入って来る。
俺と同じくらいか、少し若いくらいの年齢だろう。
シュロ人に多い濃い褐色の髪はくるくると癖が強い巻き毛だ。
髪と同じ色の大きな目をきょろきょろと動かして、ダグラスと俺を見比べている。
赤いドレスはクララベルが着るものと似ているような気もする。クララベルが着るものより大胆な作りで、胸や腰を強調するために黒いレースで縁取ってある。実際、こういったデザインのものを下品にならないように着こなすのは難しいのだ。
この少女は残念ながら少々失敗している。まぁ、喧嘩にでも行くのならぴったりの衣装だろうが。服のせいか濃いまつげに彩られた瞳は好戦的にすら見える。
「ああ、ヘラ、来ていたのか?」
「ええ、ここでユーノと会うことになっていて」
「ああ、前に言っていた講習か。熱心なことだな」
「フォレー領の為になることだったら、きちんと学んでおかなければならないと思うの。いずれ領の管理の一端を任されるのだと思うと身が引き締まるわ」
「素晴らしい心がけだ」
なるほど、この少女が伯爵夫人候補なのだろう。
愛らしい顔だと言えなくもないが、クララベルの方が断然可愛い。
「ヘラ、探したわ。書斎に誰もいないから――」
少し遅れて、少女がもう一人部屋に入ってくる。
灰色がかった髪に、それよりは薄い灰色の目が儚げに見える。この辺りではシュロ人に近い見た目が多いが、どちらかといえば王都でよく見る色彩だ。
可憐ではあるが、もちろんクララベルの方が美人だ。
客間に俺がいるのを見て、少女は慌てて腰を屈めてお辞儀をした。
ヘラとは違ってユーノはカヤロナの国民らしく、俺の目を見て一瞬身を竦ませた。
「お客様がいらしていたとは知らず、申し訳ありません」
「やぁ、ユーノ」
「まぁ、ユーノ、やっと来たのね。あなたはいつもゆっくりねぇ」
笑ってヘラが言うが、どう見ても悪い笑みだ。
「講習の場所が変更になったと聞いたから、書斎で待っていたのよ。ヘラが来ないから先生が困っていたわ」
「ダグラスに挨拶するのが先よ。ユーノはフォレー家の仕事に携わる自覚が足りないのではない? んまぁ、だらしない、リボンが曲がっているじゃない? 背筋くらいしゃんとしたら?」
曲がってもいないリボンを引っ張って、ヘラはユーノと呼ばれた少女を小突き回す。
わかりやすい女同士の力関係が見えて「うわぁ」と心の中で悲鳴を上げた。ここまで分かりやすく意地が悪いのは、貴族社会では逆に珍しい。
「あ、ごめんなさい。大丈夫よ、自分で直せるわ。ダグラス様、大切なお客様だったのではないのですか? ヘラ、私たちがお邪魔しては失礼だわ」
ヘラよりもユーノの方が貴族的な感覚があるのだろう。
ヘラの手を引いて部屋の外に出ようとするユーノをダグラスが制して、俺を紹介をはじめる。
「せっかくだから君たちにも紹介しよう。こちらはミスティ・バロッキー殿。クララベル王女の婚約者だ。ミスティ殿、こちらはユーノ・ドルトン嬢とヘラ・ゴーシュ嬢だ。どちらもフォレー家に協力的な大家の令嬢だよ」
「初めまして、ミスティ・バロッキーです。フォレー領は素晴らしいところですね」
俺だってちゃんと被る猫は用意してある。
にこやかに告げると、俺の顔が気に入ったのだろう、ヘラが愛らしく見えるように目を見開き口を形よく見えるように整えて上目遣いをしはじめる。
(――こういうのが俺には理解できないんだよな)
ヘラはダグラスの妻を目指しているのではなかったのだろうか?
それよりも、ゴーシュという名には聞き覚えがある。ついさっき見てきた銅山の地主の名だ。
俺は身を屈めて、礼の姿勢をとる。
「ゴーシュ殿のご息女でしたか」
「まぁ、やっぱりあなたが査定に来たバロッキーなのね。珍しい目の色をなさっていると思ったわ。私、竜の目って初めて」
ヘラは俺の目をまじまじと見る。シュロ人には竜を恐れる者がいないというのは本当のようだ。
「ヘラ、失礼なことを言うものではないよ」
「いえ、シュロ出身の方はバロッキーの竜の目を見ても、このように受け入れてくれる方が多いのでありがたいです。王都ではそれがなかなか難しくて」
「これの何が恐ろしいのかわからないわ。シュロであれば奴隷がその目の色をしていたら、高く売れること間違いなしよ」
不穏なことを言っている。
シュロにはまだ奴隷制度があるのだ。まぁ、あのマルスが俺をそういう風に売りに出すつもりなら高く売れるのだろう。これにはさすがにダグラスも眉を顰めた。
「ヘラ、やめないか。なんて不躾なことを言うんだ。クララベル様の婚約者だと言ったのを聞かなかったのか?」
「あら、あんな資金力のない王家のお姫様でしょ? 不敬罪だってきっとゴーシュ家が寄付でもすれば許して下さるわ」
確かにカヤロナ王家にはあまり潤沢な資金があるとは言えない。バロッキーが治める税が王家を支えていると言っても過言ではない。フォレーはもともと竜の国とは違う独立した集落だったというし、カヤロナ王家に対する姿勢も王都とフォレーとでは同じではないようだ。
「バロッキー家は正真正銘ただの商人ですから、不敬罪だなんて物々しいことにはなりませんよ」
俺がそういうと、ヘラは満足そうに笑う。
「寂れた廃坑を見に来たのでしょ? バロッキー家は不要な山を高く買ってくれるんだってパパが言っていたわ。あんな不毛の土地をどうするつもりなの? おかしな商売ね。まぁいいわ。私の輿入れの足しにしたいの。できるだけ高く買ってくださいましね」
なかなか生意気な口をきく。
つんとクララベルのように顎をあげて見下げようとするが、どうにも品が無い。
クララベルの代わりにヘラを妻にしなければならないのだとすると、ダグラスには少し同情してしまう。
ダグラスが窘めたのに、ヘラのおしゃべりは続く。
「クララベル様も美しい方だったけれど、ミスティ様はもっとお美しいのね」
「ヘラ、姫様を引き合いに出すようなことは言ってはいけない」
ダグラスが言うと、あからさまにムッとしはじめた。
「あら、クララベル様のことになるとダグラスはいつもそうなのね。私、何か悪いこと言ったかしら」
「王家に対する不敬罪というものがある。君はシュロ人の血が濃いが、ここは正真正銘カヤロナ国だよ。国の恩恵を受けている者は須く王家に敬意を表するものだよ」
「ダグラスはいつも姫様の味方をするのね。そんな方が夫になるのでは先が思いやられるわ。あーあ、私、なんだか気分が悪いので、失礼します」
子どものようにへそを曲げて、ぷいっとそっぽを向く。
クララベルのはいつも演技だが、ヘラのこれは本気らしい。
ダグラスの未来が心配になってきた。
「ユーノ、あなたもいらっしゃいってば。ダグラスだけでなくて、ミスティ様にも色目を使うつもり?」
「そんな、私……」
へそを曲げるだけでは気が済まなかったようで、ヘラはユーノにも八つ当たりを始める。
ダグラスは慣れた様子で退室をうながす。
「ユーノも下がって構わないよ。僕はミスティ殿とまだ話があるから」
「それでは失礼いたします……あの、ダグラス様、お暇な時で構いませんので今日も勉強を見ていただけますか?」
「ああ、夕食後のお茶の後にでも」
「はい!」
ユノは控えめな微笑みを浮かべ、丁寧な礼をして退室していった。
足音が去って、ダグラスは仏頂面に戻った。
どうやらこの顔が素らしい。
「あーあ、あれがゴーシュ家の娘か。で、アレとあの子がダグラスの婚約者候補?」
「そうだ。ヘラの暴言、済まなかった。今回は見逃してほしい。――どうだ? クララベル様の我儘が愛らしく見えるだろ?」
「まぁ、クララベルの我儘なんか演技だし」
「まったくだ」
ダグラスにはダグラスなりの面倒な問題があることは知れた。
ダグラスは疲れたように腕を組み、ソファに座りなおす。
「そういえば、妙なことを言っていたな。バロッキーがゴーシュ家の土地に何用だ?」
「ああ、さっきの続きの話だよ。俺、いろいろ考えたんだけど、ゴーシュ家からあの銅山を買い取るつもりなんだ。まだまだ、これから調査の内容を持ち帰って検討って段階なんだけど」
「あの廃坑をか? 何の得が……」
「ゴーシュ家はそう思っていないようなんだけど、あの鉱山はまだ廃坑じゃない。銅を探すために掘り返しすぎて土を汚して採掘が中止になったんだろうな。実際は、三分の一も掘れてないはずだ」
「そうなのか?」
「俺の見込みでは銅はまだ採りつくされていない。どれほど残っているかとか、それをどうするかは俺だけでは判断がつかない。あったとしても鉱毒が怖いから銅には積極的に手を付けなくてもいいと思っている。それとは別に、シュロ人は興味がなかったのかもしれないが、あの山は孔雀石が出る。それだけじゃなくて、藍銅鉱もかなり採れそうだ。バロッキーが加工すればゴーシュ家から取り上げた廃坑は再び金を産む」
銅山の開発もそこからでる鉱毒も、フォレー領にとっても無関係な話ではない。いくら金を生む話でもダグラスが協力する気にならなければ絵に描いた餅だ。
「藍銅鉱か、しかし、国内消費だけでは値が下がるぞ。輸出するならば国を通さなければならないだろう」
輸出には国の許可が必要だ。新たな品目を輸出品に加えるのは一商家にとっては少々骨の折れる手続きが必要だ。
「そう。そこでフォレー家だ。うちは特定の貴族とは密なやり取りはしてこなかった。でも、俺は個人的なお友達のダグラス君がいるフォレー家から人を借りたり、取れた鉱物の管理を任せるかもしれないよなぁ。親友になったダグラス殿と事業を立ち上げたり、金銭的にも密な関係を築くかもしれないよね。バロッキーの商品ではなくて、フォレー領の産出品として輸出品に加われば、うちは面倒な手続きをフォレー領任せにできるし」
胡散臭い話だ。当然ダグラスは嫌そうに顔を顰める。
「バロッキー家がフォレー家と手を組むと言うのか?」
「フォレー領とうちの繋がりはいよいよ強くなって、もし結託したらカヤロナ王家の財力を超える。そう思わない?」
「それは、まずいな……」
「地方の力を持ちすぎるフォレー家をどうにかしようとするとすれば、分離か懐柔だ。フォレー家のような大きな領を分離するのは危険が多すぎる。シュロと組んで独立でもされたら一大事だ。ここでクララベルが出てくる。寡婦になったクララベルがフォレー家に嫁げば王家との繋がりを強調できるし、バロッキーへの牽制にもなる」
とりあえず、ここまでが俺がおぼろげに描いた台本の輪郭だ。
「まぁ、そのままクララベルがオスカーに嫁ぐよりはずいぶんマシな筋書きだと思ったんだけど、あとはダグラス次第だな」
俺は普段、竜ではない人がどう考えるかなんて頓着しない。でも、ダグラスが竜ではないということが俺の計画を阻んでいるのはよくわかった。
竜と違って、心が一つに定まらないというのは相当に大変なことなのだろう。多すぎる選択肢が行動を鈍らせる。
「いや……事が大きすぎる。まだ返事はできない。まずもって、そんなことが可能なのか?」
ダグラスが返事が出来ないと言い出したのはいい傾向だ。まだまだ交渉の余地があるということなのだろう。
「竜は番の為ならなんだってするんだよ。俺だって竜のはしくれだし、死ぬ前に一仕事しておいてもいいとおもうんだよね」
「つがいか……」
目の前にぶら下がった人参に齧りつくつもりでいるくせに、もったいぶった顔をする。
フォレー領にとって、さっきの二人の少女のどちらかを妻にするより、もっともっと利がある話だとダグラスはちゃんと理解している。ダグラスに得しかない。面白くない。
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