喫茶店フェリシア夜間営業部

山中あいく

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エスプレッソ

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1人分作るより2人分作った方が手間がかからないからと、休憩の時間を前倒しにしココアを作ってくれたマスターは、よりにもよって甘いミルクココアにマシュマロをみっつも浮かべた。
というのも、これはカーバンクルがお友達に振る舞うんだとココアをリクエストしたからで、いつぞや私がココアにマシュマロを浮かべて飲んでいたのを見てどうしても真似したくなったとのことだ。
昼間にクッキーとビスケットを焼いたのは良いんだけど、ひとりで食べるには多すぎと店に持ってきたのはいいのだけど、何故お客さん一人ひとりにサービスとして出すことになったのだろう。
「やっぱり女の子の手作りクッキーって、それだけでステータスになるよね」
マスターがそんなことを鼻歌交じりに言うものだから、やめてとは言えず、デザート枠のおまけに付けることになったのだ。
クドラクさんなんか泣いて喜ぶし、リクさんはそもそも気にしてる様子もなく、普通にお代わりを要求してくるしで、いつも通り喧嘩に発展してやっとしずめたところだった。
そもそもなんでクッキーを作ることになったかというと、通販の「紅茶とクッキーのセット」を定期購入を申し込んだことから始まった。
それが今日届き、わくわくしながら開封した途端の絶望。クッキーは既に焼き上げられた物が届くと思っていたのだけど、まさかの粉だけだったとは。それでも、どうしても紅茶とクッキーの組み合わせで楽しみたくて作ったのだ。女子力アップと自分に言い聞かせて。無理矢理やる気を奮い起こさせて。
なんだかんだ言いつつも、クッキーを焼く作業は面白かったし、定期購入を取り消すということはしなかった。
手早く休憩を済ませて戻ってくると、客層が少しだけ変わっている事に気づく。
フェリシアでは何をするわけでもなく長居するお客さんに、本当に食事だけのお客さん、基本飲み物だけでおしゃべりをしにくるお客さんに別れている。おおまかに言うところ、クドラクさんは長居するお客さんに含まれ、リクさんやアルクさんは食事だけのお客さんに含まれる。ウィザードさんやウイッチさんはおしゃべりをしに来るけど食事もするというおしゃべり派だ。
えっと、今はいち、にー、さん……お客さんは見たところ6組。
既に帰られたリクさんの食器を片付けないとと横目で確認しつつ、マスターに休憩終わりましたと報告をする。やはりひとりでは中々行き届くことができない大きさのこの店は、休憩している僅かな間にでも状況が一変することもある。
大急ぎで食器を片付け、厨房とホールを往復していたらクドラクさんに呼び止められる。右手を少し挙げるだけのクドラクさんのよびとめかたは、よく見ていないとすぐに見過ごしてしまうほどのもの。
さすがに接客業をはじめ、辺りに神経を尖らせている癖がついたものの、忙しい時にこれをやられるとさすがに見逃してしまう。マスターが厨房にいるということは料理のオーダーがあるとき。だからその時は私がホールを全て見ていることになっている。
「はい、何でしょうか?クドラクさん」
「エスプレッソを追加で頼む。やっと決心がついた」
「まだ食べてなかったんですか?」
クッキーが2枚やっと入るくらいのバスケットを目の前にずっとにらめっこをしていたのか、来店から随分経つというのにまだ残っていた。
「勿体無いであろう。食べてしまっては残らぬ!」
「また作りますって言ったじゃないですか。定期購入でまた届くんですし」
握りしめた拳はわなわな小刻みに震え、下唇をきゅっと噛み締めている。いくら中世顔の整った外国人顔をしていてもおっさんだ。人外の。
これが金髪ウェーブヘアの可憐な女の子だったらどれだけ華やかで、こちらも心がうたれるだろうか。残念ながらクドラクさんにはそれが微塵も感じ得ない。
急いでカウンターに戻りエスプレッソ用の小さなカップをウォーマーから取り出す。クドラクさんに限りエスプレッソのオーダーは受けていい事になっているので、遠慮なく練習させてもらっていた。もちろんオーダーで通すものなので、ここに至るまで何度もダメ出しを食らったし、随分と時間がかかった。ミルクフォームはどうしても未完成で泡も均一なクオリティーにならないし、注ぎ方も不完全だ。しかしそんな中エスプレッソの抽出だけは合格を貰った。
それでミルクフォームを完全にするまで味にうるさいクドラクさん限定でという条件で出すことを許されたのだ。もちろんクドラクさんは遠慮なく評価をしてくれる。それが有り難くもあり、同じくらいの恐怖でもある。どちらに転ぶのかはその日のコンディションにもよる。
手順通りに慎重にエスプレッソを抽出して、どきどきしながらもそれを悟られぬように平然を装いテーブルに置く。
「お待たせ致しました。エスプレッソです」
分量はきっちり計った。抽出方法も間違いはない。調節もした。すべてが教えられた通りだ。
「うむ」
小さく頷き、小さなカップを手を添える。緊張の時間だ。
クドラクさんはひとくちエスプレッソを含むと数秒間かけてゆっくりと飲みこむ。味のキレや酸味、そして鼻に抜ける香りを時間をかけて吟味しているのだ。
「ふぅ……」
「どうでした?」
恐る恐る聞くこの瞬間が一番緊張する。手にじんわりと汗が滲み、持っているトレイが滑ってしまう。落とさないように抱きしめながら少し身をかがめると、クドラクさんは伏せていた目をしっかりとあわせ感想を伝えてくれた。
「酸味が強いがこれは個性のうちだな。
苦味はそれほどまで強くない。豆の酸化には気をつけているようだ。それは伝わってくる。
合格だ。美幸」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げて急いでマスターに伝えたくて厨房へ戻ると、クドラクさんはまだ何か言いたげに右手を泳がせていた。
たぶんクッキーのことなんだろうけど、クッキーの感想なんてどうでもいい。今はエスプレッソで頭がいっぱいだから、この喜びをマスターに伝えたいのだ。
「マスターマスター!合格もらっちゃいました!」
「ん?エスプレッソかい?良かったね。美幸ちゃん」
「あとはミルクフォームとカプチーノですよね!リベンジ頑張りますよ!」
「ははっ、そうだね。頑張ってね。
と、その前にこれカウンターのお客さんに提供お願い」
「はい!」
その日、次の日の営業からエスプレッソは他のお客さんにも出して良いと正式に許可がおりた。さすがにエスプレッソだけを頼むお客さんは滅多にいないけど、騎士団の中でも少数ながらコーヒー党の人が増えてきているのでおすすめしたいと案を密かに練っていた。
クドラクさんの帰り際、カスターセットの紙ナプキンで包んだ塊をスーツの胸ポケットにこっそりと入れているところを見たから、きっとクッキーを食べれずにいたのだろう。悪くなる前に食べてほしいんだけどな。
そんなことを思いつつ、今日一番のとびきりの笑顔でクドラクさんを見送ると、クドラクさんは顔を赤らめ少し照れたようにして扉をあとにするのだった。
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