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草野 周作
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刑事である草野周作は取調室へと入った。
灰色の壁に囲われた狭い部屋の中には、簡素な机と椅子が向かい合って並べられている。
手前にある椅子に腰を掛けながら、草野はゆっくりと深呼吸をした。
頭の中が酷く混乱している、全ては目の前に座っている男が原因だった。
机に置かれた資料に改めて目を通す。
男の名前は田中満、歳は三十歳、株式会社石倉文具に勤める会社員、小太りで眼鏡を掛けた、どこにでもいそうな冴えない男だ。
田中は十日前に遺体が発見されたモデル殺人事件の容疑者として逮捕されており、すでに九日間の勾留と取り調べを受けていた。
草野は容疑者の男の顔を覗き込む、疲れ果てた虚な目で机の一点をじっと見つめていた。
「田中さん、毎日同じ質問をして申し訳ないですけど、花山香さんが亡くなった時の状況を教えてくれますか?」
ゆっくりと頭を上げた田中は、声を絞り出すように話し始めた。
「恋人だったモデルの花山香さんは自宅で首を吊り、自殺をしていました」
「本当に花山さん本人でしたか?」
「恋人を見間違えるはずがありません」
「亡くなられているのは確認しました?」
「確認しました、間違いありません」
「では、なぜその場で救急車や警察を呼ばなかったんですか?」
「怖くて、咄嗟に逃げてしまいました。すみません」
「その後は、家には行かなかったんですか?」
「すみません、本当に怖くて。何も出来ませんでした」
「花山さんとの交際期間は?」
「約一年前からです。ただ、彼女のモデルという仕事柄、お互いに周囲には秘密にするよう約束していました」
「秘密の交際ねぇ」
草野はボールペンで頭を掻いた。
「じゃあ次に、事件について警察が捜査して分かっている事を話します。花山さんは、一ヶ月前から失踪していて家族から捜索願が出されていました。遺体は山の中に埋められていて、刃物による十数箇所の刺し傷があります。遺体の損傷が激しく正確な死亡推定時刻は割り出せませんでしたが、失踪したのと大体同じ時期に亡くなっていると考えられます」
草野は一度言葉を切り、反応を見た。田中は焦点の定まらない目を空中に向けていた。
「田中さん、あなたが話した内容と矛盾している点がありますよね?」
田中は俯いてしまい話す気配が無い。
「あなたは花山さんが首を吊って自殺していたと話しましたよね? なぜ、自殺した花山さんが刺殺された遺体として見つかっているんですか?」
「分かりません」
「いや、分からない訳が無いでしょう。単刀直入に聞くけど、田中さんが花山さんを殺害したんじゃないですか?」
「違います、私は殺していません!」
「そうですか。では、花山さんは首を吊って自殺をしたが奇跡的に生き返って、その後にまた何者かによって殺害されたという事ですか? こんな話が現実的だと思いますか?」
「分かりません」
草野は力任せに拳でテーブルを叩いた、田中の体がビクッと跳ね上がる。
「分かりませんじゃないんだよ、警察を舐めてんのか! お前が犯人なんだよ、さっさと白状しろ!」
田中の全身をカタカタと震わせながら、消え入りそうな声を出した。
「すみません。でも、僕は犯人じゃないんです」
草野は鼻で息を吐きながら椅子の背もたれに体重を預けた。
しぶとい奴だ、このままじゃ埒があかない。
草野は諦めて取調室を後にした。
デスクに戻ると、直属の上司である吉田の元に向かった。
「お疲れ様です。今、よろしいでしょうか」
吉田は熊のような巨大をゆっくりと動かし、草野に視線を向けた。
「モデル殺人事件の容疑者の件だろ、何か喋ったのか?」
「依然として被害者の女性は自殺したと供述しており、殺害に関しては否認しています。なかなか口を割らないので苦戦しています」
「たぶん無理だな」
予想外の言葉に驚き、草野は反応が遅れた。
「えっ、無理ですか?」
「長年やってきた刑事の勘だが、あいつは人を殺せる人間じゃあないよ。殺してないものを話すことは出来ない。それより、問題はなぜ自殺したと供述しているかだ」
「別にいる真犯人を庇っているか、捜査を混乱させるのが目的でしょうか」
吉田は太い腕を組み、にんまりと笑った。
「草野も刑事課に配属してもうすぐ一年になるか、鋭い考え方が出来るようになったじゃないか」
「ありがとうございます、吉田さんの教育のお陰です。しかし、私にはやはり田中が犯人のように思えてしまいます」
吉田は声を出さずに頷いた。その時、草野の背後から声が掛かった、振り返ると同じ刑事課の同僚が立っていた。
「吉田さん、お話し中に失礼します。田中満の家宅捜索の結果が出ました」
「おぉ、どうだった。なんか証拠は出たか?」
「それが、何も出ませんでした。被害者の毛髪や指紋、血痕など、証拠は何一つありませんでした」
「やはりそうか、これで別に犯人がいる可能性が高くなったな。田中の携帯電話やパソコンの通信記録はどうだ?」
「そちらも同様で、被害者と通信した記録は見つかりませんでした」
吉田は顎に生えた髭を手で撫でる。
「田中は被害者と恋人関係に合ったと供述してるのに、通信記録が全く無いのはおかしいな。可能性があるとすれば、田中は被害者のストーカーをしていて、勝手に交際していると思い込んでいたパターンか? そういえば、通報者の女性の事情聴取の方はどうなってる?」
「通報者の三船京子は、田中の職場の後輩です。ここ最近で親しい関係になったようで、通報を行った当日は田中の家にいたようです。一か月程前から田中は、恋人だったモデルの花山香が自殺したと社内で話していたそうです」
「そうか、分かった。じゃあ引き続き関係者の聞き込み捜査を行なってくれ」
「分かりました」そう返事をすると、報告に来た刑事は離れて行った。
吉田は忌々しそうに顔を歪めた。
「目撃者や証拠は何一つ見付かってないのに、真偽不明な証言をしている容疑者だけがいる。これは、かなり面倒な事件だな」
「田中の勾留期間を延長するのは可能でしょうか?」
「犯行を否認しているし、物証も出てこない以上は難しいだろうな。明日には釈放だよ」
「そうですか。では、もう一度取り調べに行ってきます。奴は絶対に犯行に関わっているはずです。必ず自白させてやりますよ」
「何だかやけに張り切ってるな。刑事になったばかりで手柄が欲しいのは分かるが、あんまり無茶な事はするなよ」
「はい、分かっています。失礼します」
草野は頭を下げ、その場を後にする。
どんな手を使ってでも田中に犯行を自白させてやる。これはまたとないチャンスだ。
灰色の壁に囲われた狭い部屋の中には、簡素な机と椅子が向かい合って並べられている。
手前にある椅子に腰を掛けながら、草野はゆっくりと深呼吸をした。
頭の中が酷く混乱している、全ては目の前に座っている男が原因だった。
机に置かれた資料に改めて目を通す。
男の名前は田中満、歳は三十歳、株式会社石倉文具に勤める会社員、小太りで眼鏡を掛けた、どこにでもいそうな冴えない男だ。
田中は十日前に遺体が発見されたモデル殺人事件の容疑者として逮捕されており、すでに九日間の勾留と取り調べを受けていた。
草野は容疑者の男の顔を覗き込む、疲れ果てた虚な目で机の一点をじっと見つめていた。
「田中さん、毎日同じ質問をして申し訳ないですけど、花山香さんが亡くなった時の状況を教えてくれますか?」
ゆっくりと頭を上げた田中は、声を絞り出すように話し始めた。
「恋人だったモデルの花山香さんは自宅で首を吊り、自殺をしていました」
「本当に花山さん本人でしたか?」
「恋人を見間違えるはずがありません」
「亡くなられているのは確認しました?」
「確認しました、間違いありません」
「では、なぜその場で救急車や警察を呼ばなかったんですか?」
「怖くて、咄嗟に逃げてしまいました。すみません」
「その後は、家には行かなかったんですか?」
「すみません、本当に怖くて。何も出来ませんでした」
「花山さんとの交際期間は?」
「約一年前からです。ただ、彼女のモデルという仕事柄、お互いに周囲には秘密にするよう約束していました」
「秘密の交際ねぇ」
草野はボールペンで頭を掻いた。
「じゃあ次に、事件について警察が捜査して分かっている事を話します。花山さんは、一ヶ月前から失踪していて家族から捜索願が出されていました。遺体は山の中に埋められていて、刃物による十数箇所の刺し傷があります。遺体の損傷が激しく正確な死亡推定時刻は割り出せませんでしたが、失踪したのと大体同じ時期に亡くなっていると考えられます」
草野は一度言葉を切り、反応を見た。田中は焦点の定まらない目を空中に向けていた。
「田中さん、あなたが話した内容と矛盾している点がありますよね?」
田中は俯いてしまい話す気配が無い。
「あなたは花山さんが首を吊って自殺していたと話しましたよね? なぜ、自殺した花山さんが刺殺された遺体として見つかっているんですか?」
「分かりません」
「いや、分からない訳が無いでしょう。単刀直入に聞くけど、田中さんが花山さんを殺害したんじゃないですか?」
「違います、私は殺していません!」
「そうですか。では、花山さんは首を吊って自殺をしたが奇跡的に生き返って、その後にまた何者かによって殺害されたという事ですか? こんな話が現実的だと思いますか?」
「分かりません」
草野は力任せに拳でテーブルを叩いた、田中の体がビクッと跳ね上がる。
「分かりませんじゃないんだよ、警察を舐めてんのか! お前が犯人なんだよ、さっさと白状しろ!」
田中の全身をカタカタと震わせながら、消え入りそうな声を出した。
「すみません。でも、僕は犯人じゃないんです」
草野は鼻で息を吐きながら椅子の背もたれに体重を預けた。
しぶとい奴だ、このままじゃ埒があかない。
草野は諦めて取調室を後にした。
デスクに戻ると、直属の上司である吉田の元に向かった。
「お疲れ様です。今、よろしいでしょうか」
吉田は熊のような巨大をゆっくりと動かし、草野に視線を向けた。
「モデル殺人事件の容疑者の件だろ、何か喋ったのか?」
「依然として被害者の女性は自殺したと供述しており、殺害に関しては否認しています。なかなか口を割らないので苦戦しています」
「たぶん無理だな」
予想外の言葉に驚き、草野は反応が遅れた。
「えっ、無理ですか?」
「長年やってきた刑事の勘だが、あいつは人を殺せる人間じゃあないよ。殺してないものを話すことは出来ない。それより、問題はなぜ自殺したと供述しているかだ」
「別にいる真犯人を庇っているか、捜査を混乱させるのが目的でしょうか」
吉田は太い腕を組み、にんまりと笑った。
「草野も刑事課に配属してもうすぐ一年になるか、鋭い考え方が出来るようになったじゃないか」
「ありがとうございます、吉田さんの教育のお陰です。しかし、私にはやはり田中が犯人のように思えてしまいます」
吉田は声を出さずに頷いた。その時、草野の背後から声が掛かった、振り返ると同じ刑事課の同僚が立っていた。
「吉田さん、お話し中に失礼します。田中満の家宅捜索の結果が出ました」
「おぉ、どうだった。なんか証拠は出たか?」
「それが、何も出ませんでした。被害者の毛髪や指紋、血痕など、証拠は何一つありませんでした」
「やはりそうか、これで別に犯人がいる可能性が高くなったな。田中の携帯電話やパソコンの通信記録はどうだ?」
「そちらも同様で、被害者と通信した記録は見つかりませんでした」
吉田は顎に生えた髭を手で撫でる。
「田中は被害者と恋人関係に合ったと供述してるのに、通信記録が全く無いのはおかしいな。可能性があるとすれば、田中は被害者のストーカーをしていて、勝手に交際していると思い込んでいたパターンか? そういえば、通報者の女性の事情聴取の方はどうなってる?」
「通報者の三船京子は、田中の職場の後輩です。ここ最近で親しい関係になったようで、通報を行った当日は田中の家にいたようです。一か月程前から田中は、恋人だったモデルの花山香が自殺したと社内で話していたそうです」
「そうか、分かった。じゃあ引き続き関係者の聞き込み捜査を行なってくれ」
「分かりました」そう返事をすると、報告に来た刑事は離れて行った。
吉田は忌々しそうに顔を歪めた。
「目撃者や証拠は何一つ見付かってないのに、真偽不明な証言をしている容疑者だけがいる。これは、かなり面倒な事件だな」
「田中の勾留期間を延長するのは可能でしょうか?」
「犯行を否認しているし、物証も出てこない以上は難しいだろうな。明日には釈放だよ」
「そうですか。では、もう一度取り調べに行ってきます。奴は絶対に犯行に関わっているはずです。必ず自白させてやりますよ」
「何だかやけに張り切ってるな。刑事になったばかりで手柄が欲しいのは分かるが、あんまり無茶な事はするなよ」
「はい、分かっています。失礼します」
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