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夢と目合う ※ ※モブユン
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しおりを挟む「貴方はこの場所においてなら尚、その目を背けてはならない。」
俺は目を伏せ、そのような言葉を低く宣い、ユンファさんを戒めた。
「……え…?」
「……とはいえ…貴方にはそのように目を背けなければならないといったような……俺はどうも貴方の中に、そういった酷い思い込みがあるようにも思えるのです…。……」
仕方がない――次の策に出ようか。
目を伏せたままの俺は、この胸の前で包み込んでいた彼の白い片手を、まるで白い月下美人の花びらを一枚、一枚、外側から丁寧に剥いていくかのように開かせた。
そしてその白く男なりに大きな美しい手を、今度は俺の左胸――なお、黒いパーカのこの左胸には「赤薔薇と蛇」のブランドロゴがある。……赤と緑とベージュの縞に「猫型」の黒ぶちが浮かんでいる模様の蛇が、赤薔薇の緑の棘付きの茎に絡み付き、その八分咲きの赤い花の下で頭をもたげている。
そして、その蛇の横顔の口元からはチロリと先が二つに割れた赤い細い舌が覗き、またその横顔についた琥珀色の丸い片目の中央にある、縦長の黒い瞳孔は見る者を睨めつけている……あるいは見る者を「唆そう」としているのか……そうして今俺の左胸にある、そのブランドロゴの「赤薔薇と蛇」の上――に、彼の白い手のひらを押し付けさせるようにして、更に俺は、その上からこの両手をそっと優しく重ねる。
そのようにして俺はこの「蛇」を隠したのだ。そして、まんまとユンファさんの手を捕らえたのである。
俺は仮面の下で唇の端を上げながら、はたと目を上げた目元ばかりは、ユンファさんの目を同情的な風情で見つめる――俺はどうしようもない大嘘吐きであるから、「今」にもっとも相応しい表情を作るのなんて大得意なのだよ――。
「…これは貴方のお辛そうな様子を見ていて、俺がふと思ったというだけのことなのですが……もしかすると貴方は今、とても今の自分では畏れ多くて、とても、“とても自分なんかじゃ、あの場所の前には立てない”と、…そうしてご自分のことを酷く責められてしまうほどに、貴方は今、ご自分のことを大変罪深いと…そう思っていらっしゃるのでは……?」
「……、…」
ユンファさんは目を瞠りハッとした。
図星であったからである。あたかも「そうなんです」とその目で言ってくる彼に、俺は「やはりそうでしたか、お可哀想に…」と憐れんだふうに顔をゆるゆると横に振り、彼のそのハッとした表情によって今、自分の推察が当たっていたことでやっと合点がいったかのように振る舞った(実際はずっと視ていたので、確信をもっていたことだ)。
しかしその次の瞬間に俺は――内心を当てられたことに驚いているユンファさんの目をじっと見据えたまま、切実げに声を低く腹から響かせ、強い調子でユンファさんにこう問い掛ける。
「――しかし貴方は、本当に罪深いのでしょうか…?」
「……、…、…」
すると俺の問い掛けにまた彼の瞳が曇る。すなわち『当たり前だ、僕は罪深い』というのである。――もうすでに懺悔の目をしているユンファさんだが、俺は彼の弱った両目をじっと強く見つめる。
「…まず…何が罪な事かというのは人ではなく、神が決められることかと…俺はそのように思いますし…――まして…何よりも、貴方はもう既に、此処に訪れることを許されているではないですか…?」
「……それは…どういう……」
ユンファさんはいよいよ「俺の誘い」にまんまと食い付いた。俺はまた仮面の下で口元をニヤリとさせる。
――自分を「罪深い」などとは露ほども思わないが、我ながら俺は大嘘吐きなのである。まるで聖書の創世記に現れる「蛇」のように、こうして俺はしゅるしゅると厭らしい舌で、彼の無垢な真っ白い頬をねぶり、擽って誘い唆しているのである。――神の身許において嘘をつく、まさか信心などあるはずもないこの俺の、欲望に穢れた「エゴ」のためにも。
「…アダムとエバは楽園から追放されました…それは彼らが自分の罪から目を背け、言い訳をして、神を怒らせたからですね。…だけれど貴方は今、確かに此処にいらっしゃる。――つまり…もし貴方が本当に、神にゆるされざるほど罪深い人だというのなら、神は何もかもを叶えられるその強大な力によって、貴方をこの部屋から追放することさえ訳ないはずです……そう…まるで、アダムとエバにそうしたように、ね……?」
とはいえ……俺は嘘ばかりを言っているわけでもない。
今ユンファさんに、「今はなお自分は罪深い」と思わせているその「咎」――すなわち、彼が思い込みによって背負い込んでしまっている「罪」というのはその実、客観的、あるいは「神の目」によって見れば、全く彼のものではない。……いわば「ケグリの罪」である。
しかしユンファさんは、禁じていた知恵の実を食べたことを神に問い詰められたエバのように、「蛇がわたしを唆して、あの知恵の実を食べさせたのです」とも、またアダムのように、「私の妻(エバ)が私にそれを勧めたから、私は彼女に言われるまま、その知恵の実を食べてしまったのです」とも、言わない。――そのようには少しも思ってすらいない彼は、むしろ『全ては僕の罪だ』と、何ら彼が背負う必要のない「罪」をまで背負ってしまっている。
俺はこのような神らしいほどのユンファさんが、「あの場所」において神の怒りを買い、あまつさえ神から責められるとはとても思えない。むしろ彼は、彼が信ずる神にも寵愛というほど愛されているはずだ、と――それこそは俺の本心である。
「しかし貴方は今も尚、こんなにも素敵なお部屋に…足りないものなど何もない、何もかもが今此処にある、神のお恵みと祝福に満ち満ちた、まるで素晴らしい楽園のようなこのお部屋に…――貴方は今も尚、確かにこの楽園にいらっしゃるではないですか…。…」
「……、……」
俺が努めてユンファさんの無辜を強調してゆくうち、ユンファさんの切ない切れ長の眦がキラリと光る。――彼は俺なんかの言葉に涙ぐんでいるのである。
やはり今のユンファさんには「ゆるし」が必要である。
また何より、彼にこそその「ゆるし」が与えられるべきだとは俺も思うが、――しかし、まさかその神聖なる「ゆるし」を騙っているだけの俺に、それによって唆されているとも知らずに……ね。泣いちゃうだなんて愛おしいな……全くいい感じだ。
「決して神は、愛し子である貴方のことをお見捨てにはなられない。…例えば、神が貴方を“罪深い淫魔”であると思われているのなら、貴方は何かしら神の力によって齎された障害に阻まれ、この場所に辿り着くことさえもできなかったはずです…――アダムとエバを楽園から追放して以来、神は“生命の樹”を、ケルビムと炎の剣によってお守りになられているでしょう…。神は未然に、貴方の来訪を拒むこともできた…――しかし貴方は、無事この場所へと訪れた。…すなわち…貴方が此処に居られる時点で、もう既に貴方は、神からの慈悲深い“ゆるし”を与えられているのではないでしょうか…? どうも俺には、そのように思えて仕方がない……」
「…………」
ユンファさんは神妙な表情で俺の目を見、涙ぐむほど真剣になって、俺の言葉に聞き入っている。――俺はまさか神の存在自体を否定はしないし、一応「彼ら」に対する敬意というものは持っている。ただしこうして神だなんだと宣えど、申し訳ないが俺の信ずる神とは、今もなお俺の目の前に居られるこの男神だけだ。
――俺はこの綺麗な「月の男神」がどうしても欲しい。
どうしても俺はこの男神を手中に収め、この両手の中で大切に独り占めをしたい。だからこそ俺はまるで「蛇」のように、ユンファさんを「あの場所」へ誘おうとしているのだ。
全知全能たる神は、なぜか「蛇」をもお造りになり、そしてその「蛇」をも「楽園」に住まわせた。――
「…全てのことには必ず意味があるものです。…そうです、貴方がこの場所に訪れられたことにもまた、必ず何かしらの意味がある…。…間違いなく神が仕組まれた、神聖なる意味が……ね…――貴方の胸の内に宿る神を中心にしてお考えになれば、貴方もまたきっと、そのことに気が付けるはずです」
「……、……」
ユンファさんは真剣な顔で俺の目を見ながら、浅くコクと一度頷いた。――ある意味で「あの場所」には、「生命の樹」と「知恵の樹」が生えているといってもよい。
月下・夜伽・曇華という月の男神は、目を覚まさなければならない。
彼はその目を開けなければならないのである。
「…するとあるいは…むしろ神が、愛する貴方を此処までお導きになられたのではないか…――貴方がとりわけて神に愛され歓迎をされているからこそ、貴方は、このような素晴らしい場所に来られたのではないか……俺にはむしろ、そのようにさえ思えるのです…。」
「……、…」
俺の巧みな蛇の舌に騙され、唆されているユンファさんは、もう既に納得をしかかっている。あともう一歩踏み込めばあるいは、といったところかな……俺は、どうしてもユンファさんを「あの場所」の前へと導きたい。――今の彼には「ゆるし」が必要なのだ。
ぜひユンファさんには「あの場所」に赴いて、「彼ら」からの「ゆるし」を受け取ってもらいたいのである。
――俺の、ためにね。
「…そもそも神に歓迎されている貴方が、此処で神の怒りを買うなど…まずあるはずもないことですよ…。むしろ、神もとりわけ寵愛をしている…敬虔な愛し子の貴方とは、是非このような素晴らしい場所でお会いしたかったのではないのかな…――貴方の祈りが、やっと通じたのでしょう………神に、ね…。」
「……、……」
ユンファさんの群青色の瞳が薄紫色に色を変える。
彼の弱々しく希望を失っていたまぶたが、ハッとしてみるみると開かれていったのである。
「どうぞご安心ください。それでもご不安ならば、この俺が保証いたしましょう…? 神の愛し子である貴方が、少しの勇気を出して“あの場所”に赴けば、必ずや貴方には、貴方を歓迎する神からの“お恵み”と“祝福”、そして“ゆるし”が与えられると……」
「……は、……――。」
――その光を取り戻したユンファさんの薄紫色の瞳は、ゆっくりと移ろいで、その神妙な顔と共に、より明るい「光」のほうへと向けられる。
「しかし……貴方がそれでも…どうしても“あの場所”に行くのはお嫌だと仰られるのなら、俺ももうこれ以上は何も……。……」
俺は「あともう一歩」と自分の左胸にある彼の片手の、その上から自分の両手をそっと退かし、もう一歩実際に踏み込んでは、「光」のほうに気を取られているユンファさんの細い腰を両方、するりと撫でながら――蛇がその麗しい肉体に巻き付くよう、なめらかに――彼の腰の裏を、彼の背を抱き寄せる。
「……ぁ、……」
すると余所見をしていたユンファさんは、まず俺に抱き締められたことに驚き、次にはその片方の手のひらに伝わる、俺の胸の鼓動にも少し驚いて体を強張らせる。
俺がユンファさんを抱き締めたことにより、元より俺の左胸に押し付けさせていたユンファさんの片手のひらが、より確かに俺の左胸と密着したのである……トクン、トクン、トクン……俺の穏やかなる脈を、俺の霊質をその人に味わわせながら、俺はユンファさんの白い片耳にこう囁く。
「ただ…何よりも罪深いこと…それは…――神から目を背けること、なのでは……?」
「……ッ、……」
ビクッとユンファさんの腰が跳ねる。
俺はやおらまた引いてゆき、するりと彼の腰を両方撫でながら離れる――するとユンファさんはドキドキと胸を高鳴らせながらも、自らの意思で「あの場所」の前へ行くことを決意した、まっすぐな薄紫色の瞳で俺の両目を見てくる。
「……あ、ありがとう…ございます…――その通りです、仰る通り…もう、僕はもう目を背けません…。例え…罰を受けようとも、……貴方の仰る通り…僕がこんな素敵な場所に来られたのも、きっと神のお導きですね……」
「……ふ、ふふふ…、ええ、勿論……」
ユンファさんは自分の胸板の中央を片手で押さえ、神妙なる薄紫色の瞳で俺の目を見つめてくる。彼は先ほどに比べて、すっかりその黒い美しい眉に凛々しさを取り戻している。――二人の間に流れる、ちゃらちゃらとした水の音が清々しい。まるで福音である。
……貴方はあなたのためだけにその目をひらき、そしてその目で貴方は、確かな「光」を見なければならない。――おれはあなたの目をひらかせたい。
今ふさがれているあなたの目は――俺の前ではひらいているべきだ。
そのために俺は巧みに嘘を使って、ユンファさんが思い込んでいる「罪」を、少しだけ軽くしてあげたのである。
貴方が「あの場所」において「ゆるし」を得るために――貴方がその「ゆるし」によって、素晴らしい自由を得るために――更に、二人が「あの場所」で「永遠の生命」を得ることが叶い、あなたの目が開かれ、貴方が「あなた」に戻れるように。
そして――貴方がこの俺ただ一人だけを、その美しい「神の目」に映してくれますように――と。
「…そう…。間違いなく貴方は神に導かれたのだよ、この場所へと…――さあ俺と共に参りましょうか、神の御前に…ね……?」
「はい」
俺はやおら、ユンファさんの隣に並んでは彼の肩を抱きなおし、いよいよと「あの場所」へ二人の体を向ける。
打って変わって清々しくすっきりと晴れたユンファさんの、その神妙ながら凛々しい横顔――彼の目はもうすでに一つの意思をもって、「あの場所」へまっすぐに向けられている。
俺たちが今から向かう先――見上げるほどに高く大きな、荘厳かつ豪華絢爛な「ステンドグラス」に描かれている――「神」が大手を広げ、ユンファさんを歓迎している。
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