恋愛図書館

よつば猫

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裏図書館1

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 なぁ、結歌……
俺の声は届いてる?
触れてるのはわかるかな?

 キミが昏睡状態に陥ってから、2ヶ月が過ぎようとしていた。


「毎日、来て下さってるんですよね?
いつも、ありがとうございます」
不意に、結歌の母親から感謝の言葉を告げられて。

「いえっ……
僕が結歌の傍に居たいだけなので……」
驚いて戸惑う。

 この約2ヶ月間、結歌の両親は土日に来てて。
その時は結歌との時間を譲って、俺は談話室とかで時間を潰してた。

 母親の方は平日も2日ほど来てたけど。
同じ部屋にいても、いつも挨拶を交わすだけだった。

 もちろん父親の方とはそれすら無くて。
顔を合わせたり、桜菜越しに絡む事はあっても。
俺の会釈は無視されて、存在してないかのように扱われてた。

 まぁ院内や桜菜の前で騒がれるよりよっぽどマシだから、気にはしてなかったけど。
2人とも俺の事を煙たがってると思ってたのに……

「……あなたは、とっくにこの子の事を諦めたんだと思ってました。
私は、あなた達の事で何も力になれず。
それどころかこの子には、ずっと我慢させてばかりで……
きっとバチが当たったんですねっ。
この子に申し訳ないっ……」

 そう顔を歪める結歌の母親は……
虐待を防げなかった事をずっと後悔して、自分を責めて来たんだろう。

 だけど……
"道哉も家族も傷付けただけだったよっ"
広部さんから聞いた、結歌の言葉を思い出す。

「……結歌さんはきっと、ご両親を責めるどころか。
心配をかけた事で、同じく申し訳ない気持ちを持ってると思います。
なので、お身体を大事にされて……
目覚めた時に、明るく迎え入れてあげて下さい」

 結歌の母親は、口に手を当て頷くと。

「ありがとう、ございますっ……
あなたもどうか、無理をなさらずに」
労いの言葉をくれて。

 今日で30歳を迎えた俺は……
ささやかな誕生日プレゼントをもらった気分になった。


「パパぁ!
あっ、おばーちゃんもっ!
あのねっ、きょう うんどーかいのれんしゅうでねっ?
サナがダンスのおてほんになったんだよっ!」
そう突入してきた愛娘。

「へぇっ!
すごいね桜菜、運動会が楽しみだっ。
じゃあパパは美味しいお弁当をたくさん作って、応援にいくね?
あ、千川さんもいらっしゃいますよね?」

「はい、ぜひ……
桜菜ちゃん、ダンス楽しみにしてるわね?」

「ワーイっ!おばーちゃんもくるのっ?
おじーちゃんもくるよねっ!?
サナがんばるー!」

「早坂さんのおかげで、お弁当が助かりますっ」
嬉しそうな広部さん。

「いえ、これぐらいしか……
あっ、何かリクエストはありますか?」

 そんな風に…。
結歌を和気あいあいとした空気が包んで、嬉しくなった。



「良かったですね。
少し、和解されたようで」
結歌の母親が桜菜と買い物に出掛けた隙に、広部さんがそう漏らす。

「はい。
まぁ、結歌の父親とは相変わらずですけど」

「そうですか?
拒絶の空気が、少し緩んだようにも感じますが……
でも手強いでしょうね。
ずっと、結歌が選ぶ男に不信感を持ってきたようですし」

 そこでふと過ぎったマリちゃんの言葉。

ー結歌の好みは変わりもんでしょ?
この子ってば、いつもヘンな男ばっか好きになるの!ー

「結歌は何でそんな、不信感を持たれるような変な男ばかり……」
自分の事は棚上げで、思わず呟くと。

「変な男というより……
父親と違って、世間体を気にしない人に惹かれてたんだと思います。
世間体に苦しめられて来た彼女は、ありのままの自分で居られる場所を求めてたんでしょうね」

ー恥をかかすなとか、気遣いが出来てないとか……
要は、躾のつもりの虐待ですー
この前の広部さんの言葉が、その苦しみを説き明かす。

 思いもよらなかった切ない事由に、胸を痛めながらも……
こんな時でも嫉妬心が渦を巻く。


「……ところで」
そこで突然、神妙な面持ちに変わる広部さん。

「桜菜も居ない事ですし、もう2ヶ月になるので……
そろそろお話しておかなければと思います」

 意味深な言い回しが、不安感を掻き立てる。



「リビングウィル!?」
聞き慣れないそれは、尊厳死の宣言書と呼ばれるもので……
要は生前意思の事らしい。

 結歌はそれを作成してて、その要望は……
【私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください】
といったもので。
意思表示が出来ない等の状態が3か月以上続く場合が、それに当たるそうだ。

 元より結歌のケースでは……
3ヶ月以内に意識が戻らない場合は、植物状態が永続する可能性が高いらしい。

「私達の所為で、すみませんっ……」
作成のきっかけは、広部さん夫妻だそうで。

 精神科医のご主人は、寝たきり患者の家族が抱える問題を目の当たりにして来て。
自分は家族にそんな苦しみを味あわせたくないと作成を思い立ち、広部さんもそれに賛同したらしい。

 結歌はそんな2人の話を聞いて。
自分もそうなった時家族に負担を掛けたくないと、作成に踏み切ったようだ。

 現実問題、それを支える家族の負担は計り知れなくて……
金銭面はもちろん。
体力的にも精神的にも疲弊して、共倒れの危険も伴うらしい。

「いえっ、結歌が決めた事なので……」

 とはいえ、そんな要望受け入れられない!
生命維持装置の取りやめは、死を意味してて……
激しい動揺と混乱に襲われる。

「ご両親には、主治医の方から説明されてると思いますが……」
その同意が無ければ結歌の要望は通らないと、補足がされた。

 その時はどんな決断が下されるのか……
あと約1ヶ月。
どうかそれまでに目覚めて欲しい!

「……早坂さん。
私は念の為お知らせしただけで、決して諦めた訳ではありませんよ?」

「解ってます……
俺も、諦めるつもりはありません」
結歌を見つめながら、その意識に届けるように言い放った。


 だけど言葉とは裏腹に、心は不安に取り憑かれてた。

もし目覚めなかったら……
最悪な結果になったら……
そんな考えが、いくら払っても消えてくれない。

 俺の所為だ……
全部俺がっ……!
自責の念と後悔も、ここぞとばかりに猛威を振るう。


 なぁ、結歌。
俺との出会いは、キミにとって不幸でしかなかったのかな……
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