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Karte.3 沈黙の可不可-声
沈黙の可不可-声 5
しおりを挟む初夏の陽差しが降り注ぐ午後。
海を見下ろす別荘には、波の音だけが存在していた。
断崖から碧い海を臨む、美しい場所である。
「ねっ、来て良かったでしょう?」
と、窓際に立つ笙子が、椅子に腰掛ける春名を振り返る。
「……」
春名は無言で、頬杖をついた。――そう。機嫌が悪いのだ。さっきから、不機嫌を露に、景色も見ず、憮然と部屋に籠もっていた。
「あなたもたまにはのんびりとした方がいいのよ。突然貧血を起こすなんて、医者の不養生そのものだわ」
「夜のパーティのことは聞いていなかったが」
と、不機嫌の原因を、口にする。
「言えば来ないでしょう?」
「当然だ」
有閑人種のパーティなど、当直の十倍も疲れる。
「そんな顔してないで。千咲さんとはあなただって無関係じゃないんだから」
「……」
「パーティって言っても気楽なもので、集まる顔触れを別にすれば、そんなに気の張るものでもないし――。取り敢えずは、千咲さんに頼まれた私の顔を立ててちょうだい。ねっ」
こういう時だけ下手に出て来るのである、彼女は。
春名は、ますます不機嫌な顔で、笙子を睨んだ。
「外へ出て来る」
と、席を立つ。
今日を含めて三日間の休暇を過ごすために用意された東向きの心地よい一室は、千咲の父、倉本が持っている別荘の一つであり、もちろん笙子と春名は別の部屋だが、それでも笙子が春名の部屋にいるのは、春名が帰ってしまわないように、という見張りを兼ねてのものである。
その監視を逃れ、春名は、大きく溜め息をついた。
静かな別荘、と聞いていたのだ、ここへ来る前は、確かに。
そして、ここへ着いてからも、それが間違いでないことは、解っている。客が他にもいなければ、という但し書き付きではあるが。
大体、春名は最初から乗り気ではなかったのだ。それでもこうして来てしまったのは、笙子の言葉ではなく、仁がそう言ったからで……。
『別荘? いいじゃないですか、先生。静かな別荘でのんびり出来るなんて。きっと、いい静養になりますよ』
『だが……』
『ぼくは大丈夫ですよ。もう子供じゃないんですから』
『そんなことを言っても――』
『一週間も一月も行く訳じゃないんでしょ?』
『あ、ああ』
『じゃあ、いいじゃないですか。せっかく千咲さんが招待してくれたんですから、断ったりしたら悪いですよ。彼女、おとなしいから、先生を誘うのだって勇気がいったと思いますよ』
『……』
『いい空気を吸って、羽を伸ばして来てください』
羽を伸ばすどころか、すっかり萎えて縮んでいる。
そんな仁の言葉を思い出しながら、春名は、岩を縫うように続く石の階段を降り始めた。
その下は、別荘に集まっている客人たちの駐車場と化した空間となっている。――いや、並ぶ車の壮観さからすれば、モーターショーさながらの雰囲気であったかも、知れない。
その階段を途中まで降りると、小さな子供の姿が目についた。石の階段にちょこんと座り、画用紙に何やら絵を描いている。まだ八つか九つくらいだろう。明るい金髪と、碧い瞳をした、愛らしい男の子である。
海外からも客が来ている、ということだったから、恐らく、その客人の子供の一人なのだろう。
そう思いながら、春名は海からの風に瞳を細め、幼子の傍らへと身を屈めた。
「Hello」
と、優しく声をかける。
だが、幼子は首を傾げ、一旦、画用紙から顔を上げたものの、すぐにまた画用紙へと視線を戻し、描きかけの絵を、捲り上げた。
どう見ても、絵を見られるのが恥ずかしくて捲り上げた、というようには、見えない。
――嫌われた、かな。
本来、子供には好かれるタイプのはずなのだが。
春名は、真っ白になった画用紙を見て、苦笑を零した。
画用紙の上に文字が並んだのは、その後だった。
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