魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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拾漆

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 象牙と灰色の中間のような、くすんだ色合いの裾の長い衣を纏う三人の異国人たちが、じめじめと湿った九龍城砦に訪れたのは、夜になってからのことであった。
 頭からすっぽりと長衣を纏っているために、顔は見えない。その面貌には、暗い影が落ちている。
 老人のように思えたのは、三人の内の二人までもが、長い杖を持っていたせいであっただろう。上部に行くに連れて太くなる、奇妙な捩れを持つ杖である。
 オークの樹、だろうか。
 形は、二人共に違っている。
 長さは、身長よりも、頭一つ分くらい、高い。――いや、胸元まで白い髭を伸ばす小柄な老人の方は、頭二つ分は、高い。
 その老人は、髭からしても老人と判るが、もう一人の方は、杖を持っているとはいえ、歩き方や体つきからしても、老人であるとは思えなかった。
 恐らく、女であろう。
 残る一人も、老人ではないに違いない。片手に美しい細工の竪琴を持ち、一番の長身を有している。
 魔法使いドルイドと、女魔法使いドルイダス、そして、吟遊詩人バード、――そんな言葉こそ相応しい、三者であった。
 見るも悍ましいこの魔窟を、怯みもせずに歩いている。
 だが、その者たちの姿は、誰にも見えていないのであろうか。彼らの姿を気に留める者は、いなかった。
「再生の象徴たる車輪が廻っているのはこの地ですか、賢者カフヴァ」
 三人の中で、十一弦の竪琴を持つ長身の男が、白髭を胸元まで伸ばす老人に、訊いた。
 少し変わった言葉、といってもいいかも知れない。あの幻のように美しい幻術師、蜃が聞いていたなら、その言葉を、古代アイルランド語であると言っただろう。
「この地は早々に消し去ってしまわなければならぬ。このような異形の地が甦ってしまうなど……。《再生の車輪》は、この地で廻るべきものではないのだ」
「八月一日の《ルグナサーの祭り》まで、あと半月――。宇宙の尋常な秩序が中断し、自然と超自然の障壁が取り除かれるその日。シイが開かれ、全ての神性を持つ者や、死人しびとの霊が人間界を自由に動き回り、時には人間界の事柄に干渉するその時を逃せば、あとは十一月のサワーンの祭りまで、機会はありません」
 杖を持つ女が、仰々しく言った。
「しかし、何故このような地に、《再生の車輪》が廻り始めたのでしょうか?」
 竪琴を持つ男が、再び賢者に問いかける。
「それは、わしにも解らぬ。あと半月――。どうしてもそれを探り出さねばならないのだ。そなたの竪琴にも頼らねばならぬだろう」
「御意に」
 一体、この三者は何者である、というのだろうか。世にも悍ましいこの魔窟に訪れた、異国人たちは。
 蒸し暑い風が、ふと、止まった。
 ほう、と感嘆のような声を零したのは、白髭を蓄える老人、賢者カフヴァと呼ばれた人物であっただろうか。
 地上三メートルほどの空間に、奇妙なひずが生じたのだ。いびつな硝子を嵌め込んだような、陽炎が揺らめきながら立ち昇ったような、そんな不安定なひずみであった。
 徐々にゆがみが正されて行く空間の中、幻のように浮かび上がったのは、世にも美しい玲瓏な青年の姿であった。
 結い上げられた黒髪が背に零れ、涼しげで物静かな黒瞳が、そのまま東洋の神秘を形容している。
 柔らかい翡翠色の衣も、また然り。彼の透明さを、宝石のように際立てていた。
「これは見事な……。精霊シイとも人間とも思えぬが――。いや、精霊シイに近いか。――我らに何か御用ですかな、この世のものではない御方」
 夜の神のような青年を恍惚と見上げ、頬すら染めて、賢者は訊いた。
 他の二人も同じように、その青年を見上げている。
「……この九龍城砦を呼び出したのはあなた方か、遠きケルトの民のすえよ」
 静寂に相応しい声で、青年は訊いた。
 伝説の幻術師――蜃。
「永きを生きられる御方には、我々の素性も隠せませぬか。――我が名は、カフヴァ。アイルランドが、まだエリンと呼ばれていた頃からの知識を学んだものでございます。――隣におりますのが私の弟子で、グローヌ。遠き日はアルパと呼ばれた地より、古の聖地へ学びに参ったケルトの末――。そして、こちらにおりますのが、我が友、トルウ。ウェールズより参ったケルトの末で、吟遊詩人バードの称を得ております」
 賢者カフヴァは、恭しい口調で、隣に並ぶ二人の身分を紹介した。そして、
「この地の出来事は、我が知識ちからで成し得ることではございませぬが、消し去ることなら出来ましょう。自然と超自然の障壁が開かれる祭りの宵――時と力がありますれば」
 言葉は恭しく、畏怖の念に満ちているというのに、その言葉の意味は、目の前に現れた青年に、この件から手を引け、と警告しているもののようでもあった。


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