魔窟降臨伝【完結】

竹比古

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かせを……解けよ……」
 赤みがかった鋭い瞳で、輪は言った。
 死を目前にしていることを裏付けるような、苦しみに満ちた言葉ではあるが、美しさと妖しさの二つは、未だ失われては、いない。
 男たちの表情が、かつてない恐怖に凍りついた。それでも、その頬は薄紅色に染まっている。
 魅せられているのだ、その邪眼に。
 そして、見よ。ベッドの四隅にいる男たちが、輪の四肢を繋ぐ革紐を、言われるままに解き始めたではないか。
 他の男たちも、それを咎めるでもなく、ただ黙って見つめている。
 革紐が、輪の体を解放した。
 それを見ても、我に返る男たちはいなかった。
 これが、彼の邪眼の威力だというのか。
 輪は、五発もの銃弾を埋め込まれた瀕死の体を、ベッドの上に重く起こした。
「く――っ!」
 刹那、駆け抜けたその痛みに、きつく唇を噛み締める。常人なら、気絶するどころか、死んでいてもおかしくはない傷なのだ。それを、意識を失いもせず、堪えている。
 急所は外れていたとはいえ、弾は、その体に確かに食い込んでいるはずなのだ。出血の量も半端ではなく、弾を取り出すために存分に嬲られ、傷口も酷く悪化している。起きて歩けるはずもない傷なのだ。
 だが、輪は起き上がった。シーツを裂き、それを包帯代わりに傷口を縛り、血止めをする。
 息が詰まりそうな光景であった。
 シーツを巻く度に、苦鳴が零れる。
 その顔色は、白さを通り越して、蒼白い色に変化していた。
 夜の一族のような面貌である。
 傷口を縛るだけで、二〇分以上の時間が掛かったであろうか。
 それでも男たちは、その場所から微動ともせず、輪が傷口を縛るのを、黙って見ていた。
 輪の息は、荒い。酸素を取り入れることが出来ないように、浅い呼吸を繰り返している。
 その彼が次にしたことは、男たちのポケットの中を探ることであった。
 一人の男の上着の内ポケットに、目当てのものを見つけたのか、輪はわずかに表情を緩め、その中身を取り出した。
 輪の手が握っているのは、銀色に輝くピル・ケースである。中には、ヘロインと注射器が入っている。
 チャイナ・ホワイト――モルヒネの一五〇倍も強い鎮静剤である。鎮痛剤フェンタニールのメチル類似化合物で、一時は上質のヘロインと誤解されていたこともある。ハリウッドで数十人もの死者を出した、強力な薬物だ。
 今の輪には、最も有効な痛み止めとなる。
 輪は、自らの上腕部に駆血帯ゴムバンドを巻き付け、まず静脈を浮き上がらせてから、白い粉をアンプル内の蒸留水で溶かし、注射器の中に一定のスプーンを吸い上げた。余分な空気を、注射器を弾いてニードルの方へと集め、プランジャーを押して、外に出す。それから、浮き上がらせた静脈の上に、ニードルを射した。
 プランジャーを引くと、ニードルがきちんと静脈に入っていることを伝えるように、赤黒い血が、注射器内に流れ込む。
 それを見て輪は、プランジャーを、押した。
 痛みはすぐに、引き始めた。
「充分、楽しんだかい……ミスター.羅……? 次に顔を合わせた時は……もっと楽しめる方法を……教えてやるよ……」
 それは、その美しい少年が残した、あまりにも恐ろしい血の誓約であった……。


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