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意識不明

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「どうぞ。まだ意識はありませんが」
 そう言って、瀬尾医師が示したのは、確かにあの時、郡司が心臓マッサージをした男だった。少し太り気味で、あの時は全身に汗を掻いていた。もしかすると、【THE STAR】のカードを持っていることで、誰かに追われていたのかも知れない。郡司の家の前で、犬に吠えられていた連中とか――。
「持ち物は警察ですか?」
 郡司が訊くと、
「いや、ご家族だろう。――交通事故じゃないのかい?」
「いえ……。事故だと思います」
「えらく歯切れが悪いなァ。誰かに突き飛ばされたのを見た、とかなら――」
「いえ、違うんです。この人は誰にも突き飛ばされてはいないし、故意に撥ねられたわけでもない。きっと、この人本人にも撥ねられる意思はなかったと思います」
「――では、何が気になるんだ?」
 不可解なことを言う郡司に、瀬尾医師が訊く。
「誰かに追われていたんじゃないかと思うんです。随分、汗を掻いていたし、テレポ――飛び出した場所もおかしいし……」
 そう。思い描いた場所にテレポート出来ることを知っていたはずなのに、あんな危険な場所に移動するなど――。恐らく、自宅や会社、よく行く場所には追手が張り付いていると解っていたから、全く関係のない場所にテレポートしようとしたのだろうが、誤って道路の真ん中に出てしまったのだろう……。運が悪いとしか言いようがない。
「で、気になって確かめに来た、という訳か」
「……」
 少し違うが、今はそういうことにしておくしかない。
「何か変わったものを持っていたとか、そういうことはなかったですか?」
「例えば、盗んだ宝石や、産業スパイ的に記憶媒体とかかい?」
「ええ……。もしくはカードとか」
「さてなぁ。財布の中や名刺入れの中までは見なかったからなぁ。少なくとも、意識不明の患者や俺に訊くより、藤堂君に訊いた方が情報が入るんじゃないか?」
 電話で取り次いだ刑事の名を出し、瀬尾医師が言った。
「そうですね」
 そう言ってから、
「ご家族は?」
 郡司は訊いた。さっきから、家族の姿を全く見かけていないのだ。
「帰ったよ」
 瀬尾医師の言葉である。どこか刺々しい、含むもののある言葉だ。
「意識不明の重体なのに?」
「家庭の事情にまでは踏み込めないさ」
「……そうですね」
 もしかすると、秘密アルカナを手に入れたことで、人生が変わってしまったのかも知れない。
「ありがとうございました」
 郡司は救命救急センターを後にした。
 結局、他のカードの所在や、【THE STAR】のアルカナについての詳しいことは、何も判らないままだった。
 だが、ここで諦めてしまう訳には行かない。『三牧忠則』がテレポーテーションに失敗して、道路の真ん中に飛び出したように、紗夜も全く思わぬ場所に運ばれて行ってしまったかも知れないのだから。神秘の力を知らなかったのなら、尚更。
 携帯を取り出し、再び藤堂刑事に連絡を取る。
「――かけて来ると思ったよ」
 藤堂は言った。三牧忠則が何も話せない状態であることを知っていたせいだろう。
「何か見ていたのか?」
 と、尋ねて来る。藤堂も、瀬尾医師同様、郡司の行動から、三牧の死がただの事故ではない、と思ったのだ。
「いや、見たことは全部話したさ」
 郡司は言った。
「なら、何のために三牧に会いに行ったんだ?」
「信じられないだろうが、紗夜が目の前で消えたんだ……」

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