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カマとカードは使いよう

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 赤い羽根を持つ天使が、二つの聖杯の中身を常に均等に保っている――その背景には、山から朝陽が昇り、天使の足もまた、水と陸の間で均衡を保っている。そんな絵の描かれた、大アルカナである。
「間違いないわ。触れたものに同化できる【TEMPERANCE】……」
 アザミが節制のカードを手に取ると、車との同化が解けたのか、ドアと石垣の狭い隙間に、一人の男が挟まっていた。手だけが、窓から車の中に見えている。
「た……助けてくれ……」
 傷だらけで、身動きが取れないようである。本当に隙間なく密着しているのだ。
「これ、郡司の車だろ? 傷だらけにして怒られるぞ」
 車の外を覗き込み、シバが現実的な言葉を吐いた。あの負けのカツと暮らしていただけあって、どうやら苦労性らしい。
「うーん、確かに災難続きよねぇ。奥さんは行方不明、家は火事で焼け、その現場には妊婦の遺体、おまけに車は傷だらけ」
「最後の一つはおまえのせいだろ?」
「あら、じゃあ、私がこの男に捕まって、大人しく【アルカナ】を奪われればよかったって言うの?」
「……。言い訳は自分でしろよ」
 シバの方が大人である。
「――で、どうするんだ、この男は?」
「そうねぇ。もっと【アルカナ】のある場所に案内してもらおうかしら」
「おまえ、ただのオカマじゃないな?」
「失礼ね! 私は可憐な乙女よっ」
 二匹――いや、一人と一匹がそうして話をしていると、
「おまえたちも……【アルカナ】を集めているのか……?」
 まだ車に挟まれたまま、男が訊いた。
「あら、私は不死身のミイラ、【THE WORLD】みたいに、人殺しをしてでも、なんて極悪人じゃないわよ」
 車と石垣の間に挟んで、痛い目に遭わせるくらいのことはするが。
「なら、やめておけ……。あの方が持っているのは、【THE WORLD】だけではない。【THE DEVIL】もだ……。カマの敵う相手じゃねぇ」
「カマじゃなくて乙女よ!」
 本当なら、もう一回、石垣に擦りつけてやりたいくらいだが――。
【THE DEVIL】――。不死身のカードに加えて、他人の脳に干渉できる【アルカナ】まで持っている人物に、どうすれば敵うというのだろうか。第一、この男に【TEMPERANCE】のカードを持たせて余裕でいるのだから、他にどんな切り札トランプを持っているのか、それも気になる。
 まだ、多くの【アルカナ】を持っているのだろう。
「じゃあ、行くとしましょうか」
 アザミは【THE MAGICIAN】のアルカナをひと撫でして、車と石垣に挟まれた男の体の水分を、脱水を起こして動けない程度に霧散させた。
 車を少し前に動かして、路上でハァハァと苦し気にしている男を車に積み込む。
「正直に全部話してくれたら、アルカリイオン飲料を買ってあげるわ」
 そんなアザミの言葉に、
「鬼だな、おまえ」
 シバが言う。
 唇がカサカサに乾いて、目も虚ろな男の様子は、さすがに同情を引いたのだろう。
「仕方がないでしょ。この男を女や子供の体に作り変えても、私の集中力が切れると元に戻るし、水分を抜いて動けなくするのが一番安全よ。――今の内に身体検査をしておいてね、シバちゃん」
 この物質変換能力も、使いようによっては、かなり強力な武器となるのだ。人間は、水分を抜けば死んでしまう生き物なのだから、意図的に体内の水分を霧に変換して放出させれば、それだけで勝負に決着がつく。
「カマとカードは使いよう、ってか」
「――何か言った、シバちゃん?」
「いや。こっちにこんな奴が張り付いていたのなら、向こうにもヤバイ奴が行ってるんじゃないのか?」
 向こう、とはもちろん、郡司と藤堂のことである。
「男なんだから、自分で何とかするでしょ」
「だといいがな……」

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