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差し出された手
しおりを挟む山中だからか、昼間だというのに、樹々の向こうは霞がかかったように薄らいでいた。
ふと、アザミの持つ物質変換の【アルカナ】のことを思い出したが、あれほど濃い霧という訳ではない。
「おい、藤堂、急ぐなよ。前を確かめながら進め」
郡司は言ったが、藤堂は、
「タヌキを見失っちまう」
と、どんどん先に歩いていく。それは、郡司の足でも追いつくのがやっとの速さで、すぐに息が切れ始めるほど――。それなのに、タヌキと藤堂は変わらぬ顔をして進んでいる。
足元はただ枯れ葉が積もっただけの山道に思えるが、木の枝や根っこ、石などが隠れていて、うっかりすると転びそうになってしまう。
「うわっ!」
――ホラ。
枯れ葉の下の石を踏んでしまい、郡司はそのまま転んで、両手をついた。
「イタタタ……」
漏らした苦鳴に差し出されたのは、
「はい」
白く、きれいな指先だった。
それに、その声――!
「紗夜!」
郡司は思いがけずに顔を上げ、目の前の人物に焦点を合わせた。
そこにいたのは間違いなく、あれから捜し続けていた、行方不明の妻、紗夜の変わらない笑顔だった。
「あーあ、怪我したら大学の人に迷惑をかけるわよ」
と、子供にするように、郡司の手のひらの土をハタいてくれる。
「紗夜……どうしてここに……」
「あら、一緒に来たじゃない。今日はせっかくの休みで、ハイキング日和なんだから」
木洩れ日が透ける秋の高い空を見上げて、紗夜が言った。
「一緒に……?」
そういえば、紗夜も動きやすいパンツスタイルで、背にはリュックを背負っている。
「そうか……。そうだったな」
休日は昼近くまで寝てしまうことが多いが、今日は朝からよく晴れていて、ガラにもなくハイキングに行こう、ということになったのだった。本来、あまりアウトドア派ではない郡司だったが、整備されたハイキングコースを歩いて、お弁当を食べるくらいなら――と、紗夜に促されるままに出て来たのだ。そして、出てきたら出てきたで調子に乗って、うっかり足を取られて転んでしまった。
「よし、弁当目指して歩くぞ!」
「クスクス! 展望台目指して、でしょ」
紗夜の笑い声に、足もすっかり軽くなってしまった。いくらでも、どこまででも歩いて行けそうで、疲れも感じなくなったくらいだ。
今日も紗夜は可愛くて(その可愛さからは想像もできないが、柔道の有段者なのである)、左手の薬指には郡司とお揃いの結婚指輪(当然だが)、服はスポーツメーカーの動きやすいもの、肩にかかる髪はシュシュで束ね、子供が出来たら切った方が楽かも、などと言っていた。
紗夜と手をつないで歩きながら、郡司は自分の妻さえ観察してしまう自分の職業病に、苦笑を零した。
そういえば、最近やたらと『観察している場合ではないのに、観察してしまう』という状況になり、今のように苦笑いを零すことが多々あったような気がする。
加えて……何かが心に引っ掛かっていて、すっきりしない。山の空気は澄み、こんなにも自分は幸福に満たされているというのに――。
「ねェ、今度の休みも出かけましょうよ」
体を動かすことが好きな紗夜は、まだ今日が終わってもいないのに、次の休みの予定を口にする。
「いいけど――。どこに行きたいんだ?」
郡司は訊いた。
「そうねェ……」
紗夜の声を待つ間、郡司はいやに自分が落ち着かず、ソワソワしていることに気が付いた。自分で自分を観察している自分を見つけたような感覚である。胸騒ぎのような、紗夜の行きたい場所を一秒でも早く聞きたいような……。
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