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貴族の結婚は、愛なんてものとは無縁である。
家のため、地位のため、財産のため。
つまりは、生き延びるための契約にすぎない。
私も、そんな制度に巻き込まれた一人だった。
社交の場で笑顔を浮かべていても、内心は違う。
誰と組めば得か。どこに嫁げば損か。
令嬢たちの目は常に冷静で、視線の裏には打算が光っている。
家柄はどうか。持参金はいくらか。見た目は整っているか。跡継ぎを産めるかどうか。
結婚相手に求められる条件は、数えればきりがない。
そして、それらすべてが、当人の意思とは無関係に決められていく。
噂話の裏でスキャンダルを探り、交渉の材料にするのも日常茶飯事だ。
裏で相手の家を揺さぶり、条件を引き出すのは、貴族家同士の常套手段である。
だからといって、婚約が決まったからと安心はできない。
別の家から強引に割り込まれることもあるし、婚約破棄なんてよくある話だ。
――貴族の婚姻は、静かに進む権力争いだ。
心のうちでそう語る私の目には、覚悟とともに、どこか理性的な光が宿っていた。
一般家庭とは異なり、貴族の結婚には暗黙の了解がある。
特に夫となる男性には、はっきりとは語られない“特権”が黙認されている。
それが、愛妾の存在だ。
夫が愛する女性を囲い、子をもうけることは許容されていた。
たとえ相手が平民であっても、産まれた子どもを養子に迎えれば家の存続に問題はないとされる。
――それは、不倫とは呼ばれなかった。
感情と血筋の合理性が折り合いをつけた、貴族ならではの常識である。
家を維持することがすべてに優先される社会だからこそ、貴族の男には多くの“権利”が与えられていた。
それでも、越えてはならない一線はある。
家を潰すような行為は、どんな身分であっても許されないはずなのに。
「そのはずよね?」
鏡越しに問いかけた。映るのは、水色の瞳に金髪の令嬢、私――リュシー。
伯爵家の娘として、誰にも恥じないように育てられてきた。貴族の妻になる覚悟もしていた。なのに。
初日にこれである。
相手は、公爵家の跡取り息子・ダニエル。
家同士の取り決めで結婚が決まり、彼も渋々同意したらしい。
ところが、初夜。彼は私の目を見てこう言い放った。
「君のような人を抱けない」
しかもベッドの手前で。
唖然として声も出なかった。
初夜がなかっただけでなく、夫婦としての関係さえ築く気がないようだった。
貴族の結婚が打算的なのは知っていた。愛がなくても契約は成り立つし、愛妾も持つ。
それでも、私は妻になる努力をしてきた。立ち居振る舞い、教養、礼儀、見た目にも気を配っていた。
それなのに、何も始まらず、何も与えられないなんて。
違和感はあった。けれど、確信に変わったのはその夜のことだった。
ダニエルが夜遅くに屋敷を抜け出したのだ。
こっそり後をつけていくと、街外れの空き家に入っていった。
息をひそめて覗くと、そこにはこの国の第一王女・ブリジット様がいた。
二人は、間違いなくそういう関係だった。
私は音を立てないように、その場を離れた。
感情がどうこうではない。彼に恋愛感情はなかった。
ただ――これはまずい。
ブリジット様には、他国の婚約者がいる。軍事大国ソドルの王子だ。
あの国は、嫁入りする女性に貞操を求める。徹底した検査もある。処女でなければ、即婚約破棄。
それどころか、不良品を送り込んだとして開戦理由になりかねない。
もしバレれば、ブリジット様は結婚できない。
いや、それどころか、貞操を奪ったダニエルが死刑になる。
さらに、外患誘致として私もろとも一族全員が処刑される可能性すらある。
「本当に……最低」
怒りの矛先は浮気そのものじゃない。
王女様に手を出すなんて、危機感がなさすぎる。
この結婚は、今すぐ終わらせなければならなかった。
翌朝、ダニエルは自室で平然と寝ていた。
無神経な姿に呆れながら、私は口を開いた。
「その、私たち別れましょう。この結婚はなかったことにしたいのだけど」
「そういうわけにはいかない。私にも立場というものがある」
「こちらの責任として説明します。契約破棄の負担も、すべて私の家が引き受けます」
「いや、それじゃだめなんだ。君には妻として『円満な貴族家庭』を演じる義務がある」
ああ、これは――私を“カモフラージュ”として使っている。
表向きは円満な夫婦を演じ、不倫がバレないようにする盾として、私を手放すわけにはいかないということか。
事実に気づいた瞬間、体の奥から怒りが湧き上がった。
でも、ぶつけてはいけない。冷静でいなければ。
「どうしてもダメですか?」
「どうしてもだ。もし夜の生活が不満なら、今からでも抱いてやるが……」
……は?
頭が真っ白になりかけた。
今さら何を言い出すのか。
怒鳴りつけたい衝動をこらえ、きっぱりと言い返した。
「いえ、結構です」
声が震えなかったことだけは、自分を褒めてあげたい。
家のため、地位のため、財産のため。
つまりは、生き延びるための契約にすぎない。
私も、そんな制度に巻き込まれた一人だった。
社交の場で笑顔を浮かべていても、内心は違う。
誰と組めば得か。どこに嫁げば損か。
令嬢たちの目は常に冷静で、視線の裏には打算が光っている。
家柄はどうか。持参金はいくらか。見た目は整っているか。跡継ぎを産めるかどうか。
結婚相手に求められる条件は、数えればきりがない。
そして、それらすべてが、当人の意思とは無関係に決められていく。
噂話の裏でスキャンダルを探り、交渉の材料にするのも日常茶飯事だ。
裏で相手の家を揺さぶり、条件を引き出すのは、貴族家同士の常套手段である。
だからといって、婚約が決まったからと安心はできない。
別の家から強引に割り込まれることもあるし、婚約破棄なんてよくある話だ。
――貴族の婚姻は、静かに進む権力争いだ。
心のうちでそう語る私の目には、覚悟とともに、どこか理性的な光が宿っていた。
一般家庭とは異なり、貴族の結婚には暗黙の了解がある。
特に夫となる男性には、はっきりとは語られない“特権”が黙認されている。
それが、愛妾の存在だ。
夫が愛する女性を囲い、子をもうけることは許容されていた。
たとえ相手が平民であっても、産まれた子どもを養子に迎えれば家の存続に問題はないとされる。
――それは、不倫とは呼ばれなかった。
感情と血筋の合理性が折り合いをつけた、貴族ならではの常識である。
家を維持することがすべてに優先される社会だからこそ、貴族の男には多くの“権利”が与えられていた。
それでも、越えてはならない一線はある。
家を潰すような行為は、どんな身分であっても許されないはずなのに。
「そのはずよね?」
鏡越しに問いかけた。映るのは、水色の瞳に金髪の令嬢、私――リュシー。
伯爵家の娘として、誰にも恥じないように育てられてきた。貴族の妻になる覚悟もしていた。なのに。
初日にこれである。
相手は、公爵家の跡取り息子・ダニエル。
家同士の取り決めで結婚が決まり、彼も渋々同意したらしい。
ところが、初夜。彼は私の目を見てこう言い放った。
「君のような人を抱けない」
しかもベッドの手前で。
唖然として声も出なかった。
初夜がなかっただけでなく、夫婦としての関係さえ築く気がないようだった。
貴族の結婚が打算的なのは知っていた。愛がなくても契約は成り立つし、愛妾も持つ。
それでも、私は妻になる努力をしてきた。立ち居振る舞い、教養、礼儀、見た目にも気を配っていた。
それなのに、何も始まらず、何も与えられないなんて。
違和感はあった。けれど、確信に変わったのはその夜のことだった。
ダニエルが夜遅くに屋敷を抜け出したのだ。
こっそり後をつけていくと、街外れの空き家に入っていった。
息をひそめて覗くと、そこにはこの国の第一王女・ブリジット様がいた。
二人は、間違いなくそういう関係だった。
私は音を立てないように、その場を離れた。
感情がどうこうではない。彼に恋愛感情はなかった。
ただ――これはまずい。
ブリジット様には、他国の婚約者がいる。軍事大国ソドルの王子だ。
あの国は、嫁入りする女性に貞操を求める。徹底した検査もある。処女でなければ、即婚約破棄。
それどころか、不良品を送り込んだとして開戦理由になりかねない。
もしバレれば、ブリジット様は結婚できない。
いや、それどころか、貞操を奪ったダニエルが死刑になる。
さらに、外患誘致として私もろとも一族全員が処刑される可能性すらある。
「本当に……最低」
怒りの矛先は浮気そのものじゃない。
王女様に手を出すなんて、危機感がなさすぎる。
この結婚は、今すぐ終わらせなければならなかった。
翌朝、ダニエルは自室で平然と寝ていた。
無神経な姿に呆れながら、私は口を開いた。
「その、私たち別れましょう。この結婚はなかったことにしたいのだけど」
「そういうわけにはいかない。私にも立場というものがある」
「こちらの責任として説明します。契約破棄の負担も、すべて私の家が引き受けます」
「いや、それじゃだめなんだ。君には妻として『円満な貴族家庭』を演じる義務がある」
ああ、これは――私を“カモフラージュ”として使っている。
表向きは円満な夫婦を演じ、不倫がバレないようにする盾として、私を手放すわけにはいかないということか。
事実に気づいた瞬間、体の奥から怒りが湧き上がった。
でも、ぶつけてはいけない。冷静でいなければ。
「どうしてもダメですか?」
「どうしてもだ。もし夜の生活が不満なら、今からでも抱いてやるが……」
……は?
頭が真っ白になりかけた。
今さら何を言い出すのか。
怒鳴りつけたい衝動をこらえ、きっぱりと言い返した。
「いえ、結構です」
声が震えなかったことだけは、自分を褒めてあげたい。
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