シークレット・ミッション

吉田 咲

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 国上の姿が完全に消え去った後、腕の中にホールドされたまま振り返ると、北条がやれやれといった顔でこちらを見ていた。

「おまえ、変なもの引き寄せるなよ」
 苦笑交じりにそう言いながら、北条が健吾の頭に顎を乗せる。
 同じことを過去に清文にも言われたことがあるな、と思ったらムッとして、「だったら置いてくなよ」と文句を言うと、北条が顎を頭にぐりぐり突き刺してきた。
 地味に痛い。

「まあ、遅くなった俺が悪かった。小寺をスタジオに待たせてあるだろう?そこまで戻ろう」
 どうやら北条は、到着後まっすぐ収録スタジオに向かったために健吾とすれ違ってしまったらしい。
 楽屋で待っていてくれればよかったのに、わざわざ探しに来てくれたことが嬉しい。
「木山も戻れるか?今後のことで相談したいことがある」
 北条が問いかけると、「はい」と緊張気味に返事をしながら、木山が健吾の横に並ぶ。
 ボディガード二人に両脇を固められてスタジオに戻ることになった健吾は、自分がVIPになったような気がして浮かれたのもつかの間、すれ違う人が挨拶しながらぎょっとした顔を向けるので、途中からいたたまれない気持ちになり、小さく身を縮めることになった。
 こういう場面で堂々とできないあたり、自分はVIPには向いていないなとしみじみ思う。

 スタジオ入口付近で小寺と合流すると、北条は健吾に「小寺と遊んでろ」と言い残し、木山を連れて少し離れた場所で打ち合わせを始めてしまった。
 その様子からして、あまり健吾には聞かせたくない内容の話なのだろうと予想できる。
 不安になり、話しかけられても気もそぞろな健吾に、小寺がしょうがないなというように笑う。
「それにしても健吾さん、ホント大事にされてますよねぇ」
 小寺がほう、と感心したようにそうに言うので、思わず「どこがだよ!」と反論してしまった。
 けれど、健吾だってちゃんとわかっている。大事にはされていると思う。この上なく。
 ただ、その扱いが完全に子供に対するそれのような気がするのが、納得いかないだけで。

「さっきも北条さん、健吾さん挨拶に出たって言ったらすぐに追いかけて行かれたんですよ。ここで待ってたらどうですか?って言ったんですけどね」
 それは純粋に嬉しかった。
 北条は今も、健吾から目を離さずに木山と話している。
 たとえそれが仕事だからとはいっても、絶えず健吾に気を配り、すべての危険から守ろうと気を張ってくれている北条が自分を大切にしていないなどとは、口が裂けても言えない。

 最近の健吾は、北条がそばにいると素直になれない反面、くすぐったい気持ちでいっぱいになるようになった。
 そばにいられると嬉しい、そばにいないと寂しい。
 ずっと触れていたい、笑顔が見たい、やさしくされたい。
 今も、こちらの様子を確認する北条と目が合うとなんとも言えない嬉しさがこみ上げてくる。
 相手を思う前に好意を寄せられることが多く、それをうまくあしらってきた健吾だが、北条に対してだけは自分の持つ感情を扱いきれずに、もどかしい思いをしている。
 まるで吸い寄せられるように急速に、北条に気持ちが傾いていくのが止められない。
 不毛な思いは抱くまいと思っていたのに、と、健吾は北条から視線をそらし、誰がつけたのかわからない床の靴跡を見つめた。

 北条と健吾の関係は、警護士とただの依頼人だ。
 事件が解決して健吾の身に危険がなくなれば、北条は元いた場所に戻るのだろう。状況によってはもっと早くに帰国することになるかもしれない。
 北条と離れるぐらいなら、いつまでも犯人なんて捕まらなくていいと思う自分がいる。
 あの腕にずっと守ってもらえるなら、いっそこのままでいい。
 けれど、そんなことが許されるはずがない。
 北条には北条の生活があり、解決してもしなくても、彼はそう遠くない未来アメリカへ帰国する。
 そして、友達ですらない自分たちが会うことは、二度とないだろう。

 健吾はため込んだ暗い気持ちを吐き出すように、大きく息をついた。
 直後、ぽん、と頭に大きな手がのせられ、驚いて上を仰ぎ見る。

「どうした。何かあったか?」
 やけに落ち込んでるな、と心配する顔をみせながら、北条が健吾の腕を取って懐へ引き寄せる。
 ぎゅっと抱きしめられて頭をぐしゃぐしゃとかき回されると、嬉しさのあまり泣きたくなった。
 小寺と木山は二人の過剰なスキンシップには慣れっこなので何も言わないが、スタジオに残る女性スタッフがぎょっとしてこちらを見る視線が痛い。
 それでもやめてくれとは言い出せずに、健吾は黙って北条の胸にぐりぐりと顔をこすりつけた。

「健吾、良いニュースだ」
 両頬を手のひらで包まれて、ぐいっと顔を上げさせられる。
 神秘的な色合いの碧い目の中に、頼りない子供のような顔をした健吾が映りこんでいた。
 北条には自分がこんな風に見えてるんだと思うと急激に恥ずかしさを覚えて、目線を横に反らす。
 それを見た北条が気遣うようにすぐさま手を引いてしまったので、途端に健吾は不安になった。
 離れていった袖口をつかんで、もう一度頬に触れて欲しいと叫んでしまいそうになる唇を、ぐっと引き結んで我慢する。
 衝動を抑え込んだ反動で唇が震え出し、健吾はそれを隠すためにうつむき、密着していた北条の胸を押して強引に体を離した。
 どうした、と再び聞かれても、首を横に振ることしかできない。
 北条に、厄介だと思われているだろうと思う。
 面倒だと思われているに違いない。
 実際そんな気配が頭上から落ちてきた気がして、健吾はぎゅっとこぶしを握り、何かに挑むように床の一点をにらみ続けた。

「悪い、ちょっとはずしていいか?」
 誰に対してそう断りをいれたのか、と健吾が顔を上げようか迷っているうちに、いきなり体が宙に浮きあがった。
 驚いて体を強張らせると、「なにもしない。落ち着け」と間近で低い声が響く。
 どうやら子供のように北条に抱き上げられてしまったらしい。
 そうとわかると猛烈な恥ずかしさがこみあげてきて、健吾はなんとか降りようと、拘束する北条の腕の中でジタバタと体をよじった。
「控え室はどこだ?」
 健吾を抱えたまま歩き出す北条に、後ろから楽屋を案内する声がかかる。
 早いスピードで後ろに流れていく景色と、すれ違う人の驚愕の視線に冷や汗をかきながら、結局健吾はそのまま自分の控室である楽屋まで運ばれてしまった。
 北条はおろした健吾を部屋に押し込むと、扉に鍵をかけ、いたわるようにそっと健吾の髪に触れた。

「さっきから一体どうした?なんだか様子が変だな」
 尋ねる北条にふるふると首を振って否定すると、「健吾」と名を呼ばれ、やんわりとたしなめられる。
「その様子だと、どうやら原因は俺か。何かおまえを不安にさせるようなことをしたか?」
 北条は自分に非があると思っているようだが、もちろんそうではない。
 あわてて顔を上げ、「違う」と答えてからまたうつむくと、頭上から北条の困ったようなため息が降ってきた。
 今、面倒だと思われた。
 そう思うだけで、じわりと涙が滲み出る。
「健吾、言わなきゃわからない。……俺に触れられるのが嫌か?」
 思ってもみなかった問いかけに、違う!と激しく首を横に振る。
「それなら、なぜ視線を合わせようとしない?俺に警護されるのが嫌になったか?しばらく木山と交代するか?」

 普段は健吾の心の動きにあれだけ機敏なくせに、どうして肝心な所で変な思い違いをするのだろう。
 そう北条をなじりたい気持ちでいっぱいだったが、わかって欲しいという思いと、知られたくないという思いがまじりあって、健吾自身、すでにどうしたらよいのかわからなくなっていた。
 ひとつだけわかっていることは、北条と離れたくない、というそれだけ。
 木山と警護を交代するだなんて、何をどう考えたらそれを望んでいると思えるのか、普段の健吾の様子を見ていればわかりそうなものだ。
 けれどそれを北条がわかってくれない以上、自分で訴えるしかない。そう思っているのに、どうしてもたった一言の「嫌だ」が出てこなかった。
 
「……戻るか」
 俯いたまま何も言わない健吾に、北条が諦めたように背中を向ける気配がした。
 北条の拒絶に、胸にずきんと鋭い痛みが走る。

 お願いだから、背中を向けないで。
 お願いだから、こっちを向いて。
 振り向いて、俺を見て。
 俺を、拒絶しないで。

 健吾の祈るような思いが届いたのか、ドアを開ける前にふと北条が振り返り、はっとしたように目を見開いた。
「おまえ……なんて顔してるんだ」
 北条が駆け寄り、思わず、といった様子で抱き寄せてくれたので、腕を回して思いきりその体にすがりつく。
 スーツの背中をぎゅっと強く握りしめると、「悪かった」と北条が囁いて健吾の髪に鼻先を埋めた。

「蒼馬、いやだ」
 やっと出た一言に、体に回された北条の腕に力がこもる。
「俺から、離れていかないで」
「わかった」
「俺を置いて、どこかに行ったりしないで」
「わかってる」
「帰らないで。ずっとそばにいて」
「帰らない。約束する」

 ボロボロと零れ落ちた涙が、北条のシャツに吸い取られていく。
 気付けば健吾は、北条にしがみつきながら子供のように声をあげて泣いていた。
 体の奥底から湧き出てくるわけのわからない感情の嵐に翻弄されて、しゃくりあげながら泣き喚くのを止められなかった
 北条はそんな健吾にあきれもせず、泣いている間中ずっと強く抱きしめてくれていた。

「悪かった」
 健吾がようやく落ち着いた頃、気付いてやれなくてすまなかった、と、北条は健吾の髪に唇を寄せてそう謝罪した。
 悪いのは北条に執着する自分なのに、北条はそれを受け入れ、離れないと約束してくれる。
 それがたとえ、健吾を落ち着かせる為のその場しのぎの言葉だったとしても、今はどうしてもそれを信じていたい。

 せめて、好きだというこの気持ちを諦められるようになるまでは。


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