シークレット・ミッション

吉田 咲

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 人気商売にそれなりのリスクはつきものだと、森本健吾は思っている。

 メディアに顔を出している以上、プライベートは制限されても仕方がないと考えているし、画面に映る自分の姿に、素の自分とは全く異なるイメージを抱かれてしまうことだって、ある程度は仕方がないことだと思う。

 しかしそのせいで、自分の命が危険にさらされることになるならば、話は全く違ったものになる。
 
 ここ数日の家代わりであるホテルのパウダールームの、無駄に広々とした鏡に写る健吾の顔は、自分でもちょっとどうかと思う程げっそりやつれていた。
 思わず「ひどいな」と呟いて苦笑してしまうレベル。
 大きくため息をついてみても目の下のクマと心のモヤモヤが消え去るわけでもなく、だからといって何をどうすれば良いのかさっぱりわからないので、健吾は今朝もまた、鏡の前で途方にくれていた。

「ベッドに入っても眠れない夜」というものを3回も経験すれば、屈強なゴリラでもさすがにやつれるんじゃないだろうか。
 それが線の細い健吾なら、なおのこと。
 ホテルは苦手で、ただでさえ落ち着かない上に、現在は大きな不安要素を抱えているため、健吾はかれこれ三日ほど、安眠とは程遠い夜を過ごしている。
 これで体調不良に陥らない方がおかしいだろう。

 健吾の職業は、浮き沈みの激しいタレント業だ。それなりに知名度は高く、人気もある。
 人生何が起こるかわからないもので、実を言えば健吾は、タレントを目指すつもりなどこれっぽっちもなかった。
 だから時々、何故今ここでこうしているのかと不思議に思う。

 健吾には相方がいて、名を遠山清文という。
 男性としては小柄で、どちらかといえばやさしい顔立ちをした健吾と、長身でクール、男性的な清文は、二人を発掘した芸能プロダクションがお笑いタレントに強い事務所であったがために、芸人枠のようなもので売り出されることになった。
 デビューのきっかけが、学生時代に清文たち悪友と組んでいたバンドだったので、二人共歌を歌えるし楽器も演奏できる。
 けれど、デビューはグループバンドでしたわけではなく、でもお笑い芸人でもない。
 なにものでもないコンビタレント、B.K(ビッケ)。
 歌って踊れて、二人の遣り取りに何故だか笑いがおきる。
 やや異色な立ち位置が時代のニーズに合っていたのか、二人の知名度は瞬く間に上がり、あっという間に芸能界で不動の地位を確立してしまった。
 そこから10年近く、コンビタレントとしては微妙な立ち位置ではあるが、なんとか芸能界の荒波に揉まれ続けて生きている。
 
 それなりに順調に進んでいたはずだったのだが、どういうわけか健吾は今、悪意を持った第三者の手によって、人生の崖っぷちに立たされていた。


 ホテル滞在4日目を迎える、慣れない生活の疲労と睡眠不足がつもりにつもった朝に、健吾はプロダクションの社長に呼び出されて事務所に向かっていた。
 そろそろ春を迎える季節だというのに未だ気温は一向に上がらず、重苦しい灰色の雲と刺すような冷たい空気が、健吾の気分をますます滅入らせる。
 事務所ビルのエントランスに着くと、同じ様にどんよりとさえない顔の青年マネージャーの小寺が迎えにやってきて、普段は滅多に入ることのない応接へと案内してくれた。
 ノックもそこそこに室内に入ると、上座のゆったりした3人掛けの高級ソファーに社長の須崎が座り、そのソファーの横に黒いスーツ姿の二人の男が立っていた。

 一人は社長の須崎と同年代の50歳前後に見えるが、がっしりとした体躯の持ち主で、白髪交じりの短く刈り込んだ髪が無骨な印象を与える人物だ。
 ぱっと見、警察官や警備員などの職業についてる人物に見える。
 もう一人は、やけに長身の男だった。
 初対面の人間の姿に健吾は一瞬戸惑いを覚えたが、それを笑顔の下に抑え込んで挨拶を交わす。
「朝早くからの呼び出しなんて、社長にしてはめずらしいですよね」
 カメラの向こう側を意識したようなタレント顔を意識的に作ると、健吾はすすめられるまま、社長の前のソファに腰を下ろした。
 同席している彼らの目的がわからない以上、素の自分を晒すわけにもいかない。
 作り込んだ芸能人スタイルで挨拶すると、長身の男が健吾にちらりと視線を向けた。
 不意に目が合ってしまい、健吾はぎくりと身構える。

 「嫌味な程、顔の良すぎる男」というのが、健吾が彼に抱いた第一印象だった。

 長すぎず、短すぎもしない、硬そうな印象の漆黒の髪。
 男らしいラインを描く額と、鋭くシャープな眉。
 高い鼻梁に、少し皮肉げに口角の上がった口元。
 男に生まれたならこういう顔でありたかったと、世の中のモテたい男子たちが切望するような理想的に整った顔立ち。
 そして何より印象的だったが、おそらく日本人では見られないだろう、あざやかな碧色の瞳だった。
 彼の東洋系の顔立ちの中で、唯一西洋を思わせるその色が異彩を放ち、それが整った容貌を一層際立たせているように見えた。

「須崎社長、こちらは……?」
 この場に同席している以上、健吾に用があるのだと思って間違いないだろう。
 二人に視線を向けながら尋ねると、須崎が重々しく頷きながら口を開く。
「こっちは俺の古い友人の柴田だ。民間警備会社の社長をしてる」
 須崎の紹介と共に、「柴田です、はじめまして」と白髪交じりのいかつい男が軽く頭を下げた。
「柴田には、お前の件で相談にのってもらっている所だった。今の状況からいって、お前には身辺警護……つまりボディガードをつけた方がいいだろう、という話になったんだが、おまえはどう思う?」

 やはりそういう話になったのか、と、健吾は須崎に気づかれぬようこっそりため息をついた。
 芸能界という特殊な場所に身を置いている為、警護の人間に守られるという状況が今までに全くなかったというわけではない。
 事故を避けるためにも、プロに身をゆだねることは必要だという認識はある。
 須崎の配慮はありがたく思うがしかし、余計な事を、という気持ちになってしまうのも仕方のない事だと思う。
 健吾はあまり、人好きする方ではない。
 どちらかというと人見知りで、打ち解けるにはかなりの時間がかかる。
 たたでさえストレスを抱えて生活している上に、身辺警護されてさらに神経をすり減らすなど、想像しただけでも気が滅入る。
 それでもおそらく、健吾にこの話を断る権利などないことは、嫌という程承知していた。

 他人に生命を脅かされることが自分の身に生じるなんて、健吾は露ほども思っていなかった。
 恨まれた覚えもなければ、犯罪を犯した覚えもない。
 殺伐とした世界に身を置き、身を削る様に生きてきたが、その中で他の誰かを陥れようとしたことなんて一度もなかった。
 ただひたすら頑張り続けてきた芸能生活だったのに、何故今になってこんな目に合わされているのか、毎夜眠れぬ程考えても、答えは出ない。

 健吾の沈黙を肯定と捉えたのか、はたまた健吾が拒否するとは全く考えていなかったのか、須崎は嬉しそうに、傍らに立つ長身の男を見上げて、「こちらは、北条さんだ」と男の紹介をした。
「北条さんが、おまえの警護を引き受けて下さるそうなんだ。アメリカで警護の仕事をされていて、プロ中のプロといっても過言じゃない方だぞ」
 余程柴田と北条という男を信頼しているのか、須崎は健吾に向けて、「安心しろ」と満面の笑み浮かべる。
 嬉しそうに男の経歴を自慢する須崎に苦笑しながら、健吾は改めて北条に視線を向けた。
 アメリカで警護の仕事をしてるのであれば、当然彼の本拠地は日本ではないのだろう。
 髪は黒いけれど、碧眼なのでもしかしたら日本人ではないのかもしれない。
 健吾は英語が話せないわけではないが、それでも細かいコミュニケーションは日本語でないととりづらい。
 その理由で断ることはできないだろうか、と考えていると、健吾の乗り気でない様子に気づいたのか、北条が健吾に視線を合わせて軽く会釈をした。

「北条蒼馬です。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる男の発音は、完璧と言えるものだった。
 なんだ日本人なのか、とほっと胸を撫で下ろすと共に、断る理由のひとつが消えて落胆を覚える。
 それにしてもこの男、顔が恐ろしいほど整っているだけでなく、ざっと眺めた所プロポーションも抜群だ。
 さらに、声までもがぞくっとくるほど低音イケメンボイスだった。
 男として完璧に負けてるな、と思うとなんだか悔しくて、こんな男に守られるのかと思うと、どうにも素直にお願いしますと言う気が起きない。
 結局何を言うでもなく、ぺこりと頭をひとつ下げるだけにして視線をそらしたが、それでも須崎は満足そうにうんうんと頷いて笑顔を見せていた。

 そのうちあれこれ理由をつけてクビにしてやろうと考えていると、それに気づいたわけでもないだろうが、須崎の隣で健吾の様子を窺っていたらしい柴田が、こちらを見て苦笑した。
「森本さん、どうかそんなに緊張なさらずに」
 別に緊張していたわけではなく気乗りしなかっただけだが、柴田の優しい口調に、健吾はついこくりと頷く。
「実を言えば、警護するこちらも初めましての際は緊張します。特に、対人警護の場合は要警護者との相性も重要です。ウマが合わなければ、お互いの身を危険にさらすことになりかねませんから」
 かみ砕くように丁寧に説明する柴田は、笑うと目尻に複数の皺がより、無骨な印象が親しみやすい雰囲気に変化する。
 健吾が少しだけ気を緩めると、柴田はそれを見逃さず、須崎の側を離れて健吾のソファへと歩み寄った。
 柴田は、正面に片膝をついて距離を縮め、いたわるような温かい目で健吾を見つめた。
 目線を同じにするのは相手を怯えさせない為だと、どこかで聞いた知識が健吾の頭の中を駆け巡る。

「森本さん、先ほど須崎とも少し話しましたが、いきなり身辺警護と言われても実感がもてないと思います。そこで、まずは北条があなたを守ることができるかどうか、一度お試しになられませんか?」
「お試し?」と健吾が首を傾げると、柴田が「そうです」と頷き話を続ける。
 柴田の口調と声の響きには、不思議な包容力と、健吾を落ち着かせるなにかがあった。

「一度一緒に行動して頂ければ、北条があなたの信頼に応えられる人間だとわかって頂けると思います。なにぶんまだ若いので、色々足らない部分もあるとは思います。ですが身辺警護という点においては、彼以上にあなたを守れる者はいないと断言できます」
 柴田は随分と、北条という男に信頼を置いているようだった。
 健吾があいまいに頷くと、柴田はいたずらっ子のような表情を浮かべて「それに……」と笑う。
「身元の怪しい人間でないことも、私が保証します。目の色と名字が違いますが、実は彼は正真正銘、血のつながった私の甥っ子なんですよ」
 目の色以外は、私にそっくりでしょう?と、北条とは似ても似つかぬいかつい顔で茶目っ気たっぷりに笑う柴田に、健吾は思わず、くすっと笑いを溢す。
 ちらりと北条に目線を向けると、彼は整った顔に穏やかな表情を浮かべてこちらを見ていた。
 親戚のおじさんの笑えない話に相槌を打つ甥っ子、という構図が見えたような気がして、健吾はその日初めての心からの笑顔を、にっこりと柴田に向けた。
「ああ、信じてませんね?北条が男前なのは見ていただければわかると思いますが、私だって昔は捨てたもんじゃなかったんですよ」
 健吾をリラックスさせようという柴田の心遣いが嬉しく、この人が太鼓判を押す男なら大丈夫かな、という気持ちが、いつの間にか生まれていた。
 
 ボディガードをつけられるなんて、そうそう経験できることではない。
 柴田と北条の顔を見比べ、とにかくやってみるしかない、と健吾は腹をくくることにした。



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