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北条が戻らないまま、一週間が過ぎようとしていた。
ノン子が怪我で入院してから二日が過ぎていたが、健吾はその間、一睡もできていない。
そんな状況の中、睡眠不足によるひどい頭痛を抱え、健吾はあるイベントに出席していた。
今夜開催される、「レッドカーペット」の名で有名な東京国際映画祭。健吾はそこに出演映画の俳優の一人として招待されており、主演女優らと出席することが決まっている。
観客らが一番盛り上がるとされているオープニングセレモニーで、健吾たちはリムジンで大階段の下に乗り付けて登場することになっていた。
セレモニーにはドレスコードがあり、今夜健吾は、この映画祭の為に新調したミッドナイトブルーのタキシードを着ている。
ショート丈で、細身のラインがしっくりと体に馴染むデザインは、我ながらよく似合ってると思う。
これを見立ててくれた清文のセンスの良さを面と向かって褒めることはしなかったが、心の中ではこっそりと感謝していた。
スタッフに促され、メインキャストの俳優と共にリムジンに乗り込むと、車特有のこもった臭いに吐き気がこみあげてきた。
社内で吐くわけにはいかないので、気分の悪さでにじむ冷や汗をごまかしながら、笑顔を顔面に張り付け続けていると、健吾の願いがかなったかのように、わずか数分で車が停車する。
リムジンのドアが開き、すべるようになめらかに主演女優が降りていくと、おびただしい数のフラッシュがたかれて、報道カメラが一斉にこちらに集中するのを感じることが出来た。
主演俳優に続いて健吾が降りると、まぶしくて目が明けていられないほどのフラッシュを浴びせられ、ひどい眩暈に襲われた。
頭痛と吐き気をこらえながら、カメラに向けて微笑み軽くポーズをとっていると不思議と気分がしゃんとしてきて、自分は芸能人なんだな、と奇妙な実感がわいてくるのがおかしかった。
映画祭のスタッフの先導でレッドカーペットを歩き、決められた場所で立ち止まってインタビューを受ける監督や女優たちと一緒に足を止めながら、時折自分に向けられるカメラやマイクに対応する。
報道陣が構えているのとは反対側の沿道では、一般客たちスマホやカメラをこちらに向けながらが、きらびやかな女優たちの姿に黄色い歓声を上げていた。
時折健吾の名を呼ぶ声も聞こえるので視線を向けて手を振ると、わっと歓声が上がる。
ファンが見てくれているのだと思うと、酷かった頭痛が少し和らぐ気がした。
レッドカーペットを歩くのはファンサービスの一環でもあるので、監督が取材を終えて歩き出したのに続き、健吾たち出演俳優も一般観客席がある沿道側に寄り、それぞれサインや写真撮影の要望に応えていった。
時間の許す限り観覧客の要望に応え続けていたが、引き上げ時のタイミングを見計らってきびすを返しかけた時に、引き止めようとした数人の観覧客に強く腕を引かれて、体がぐらりと後ろに傾いだ。
倒れる。
そう思った瞬間、「きゃあ」という悲鳴が観覧席からあがり、同時に、レッドカーペットに背中から叩きつけられる自分の姿が頭に浮かんだ。
このまま頭を打ったら何も考えずに眠れるかな、とスローに移り変わる景色に別れを告げるように目を閉じると、奇妙な安堵感に襲われた。
後頭部にたんこぶができたら、しばらく痛いだろうな、などとののん気な事を考えていると、突如、強い力で体をひっぱられて、天地がひっくり返ったかのように体がくるりと回転した。
直後、ドン、という衝撃を感じたものの、予想した程の痛みは感じない。
どうやら自分は、何か大きなもの抱え込まれて、それをクッションにして床に倒れているらしい。
それがわかったのは、倒れてしばらくしてからだった。
「大丈夫ですか?!」
慌てふためくスタッフや俳優たちの声、ざわめく観客の声や報道陣のまばゆいフラッシュを瞼の裏に感じてゆっくり目を開けてみると、目の前にあったのは仕立ての良いスーツの生地だった。
どうやら誰かが、床に転がる前の健吾の体を抱え込み、身代わりとなって背中からカーペットにダイブしてくれたらしい。
健吾には優秀なボディガードがついている。
さすがは鈴置だ、と思い、礼を言おうと体を起こそうとした瞬間、慣れ親しんだオードトワレの香りが鼻先をかすめた。
「蒼馬?」
そんなはずはないと思いながら顔を上げると、健吾の体を抱きとめて床に横たわっていたのは、間違いなく北条だった。
「おまえは……本当に危なっかしいな」
健吾の体を下から支え上げて起きるのを手伝いながら、北条は自分もゆっくりと立ち上がる。
「怪我はないか?」
床へダイブした自分の体より先に健吾を心配しながら、体の埃を払うように軽く叩き、健吾に怪我や汚れがないか確認する。
「大丈夫だけど……いつ帰ってきたの?」
嬉しさ半分、驚き半分で尋ねると、北条がニヤリといつもの笑みを向ける。
スタッフIDを胸に下げているが、スタッフにもドレスコードがあるためか、今日の北条はブラックストライプのフロックコート姿だ。
長身に裾の長い上着が映え、まわりの俳優たちにも全く見劣りしていないその姿をついついうっとりと眺めてしまいそうになり、健吾は慌てて目を反らす。
「オープニングイベントが始まる直前にこっちに着いたんだ。驚かせようと思って近づいたらいきなりすっ転ぶから、ヒヤっとしたぞ」
行くぞ、と目で合図しながら、北条が健吾の腰に手を添える。
沿道の観覧席から熱い視線を感じるのは、決して健吾の気のせいではないだろう。
レッドカーペット上にいて物怖じするどころか、北条は周りの芸能人をかすませる勢いで目立っていた。
胸に下げたIDがなければ、モデルや俳優と間違えられるかもしれない。
「ひどい隈だな。また寝てないだろう」
健吾の顎に指をかけた北条が、顔色を吟味するように覗き込む。
一般観覧席側から悲鳴があがったり、報道陣側からこちらに向けて一斉にフラッシュがたかれたように見えたのは、健吾の思い過ごしではないだろう。
ただでさえ転んだ事で注目されているのに、これ以上目立って変な記事を載せられてはたまらない、と、健吾はこの場を離れようと慌てて北条を促した。
「あっ……」
一歩踏み出した足にズキリと痛みが走り体が傾いたのを、北条が素早く支えてくれる。
「どうした?足か?」
「あー、うん。転ぶ時に捻ったのかも……」
北条が足元に膝をつき、健吾を自分の肩につかまらせてそっと靴を脱がす。
ゆっくりと足首を回すように動かされると、ズキリとするどい痛みが走った。
「ああ、痛めてるな。歩けるか?」
「……歩くから、お姫様抱っこだけはやめてよ」
いつものパターンからするとこのまま抱き上げて連れていかれそうだったので、先手を打って封じると、北条がくっくと笑う。
どうしましたか?と進行を務めるスタッフが近づいてくるのに、北条が「足を捻ったようだ」と伝え、このままカーペット上を歩くのは無理なので、バックヤードに下がりたいと健吾が言うと、即座に本部へ確認を取ってくれた。
「ご案内します、こちらへ」
IDをつけたスタッフに先導されながら、カーペットのメインロードを外れると、それを惜しむような声が観覧席から上がった。
北条に支えられながら観覧席側へ手を振ると、わっという歓声と、何故か大きな拍手を送られた。
「人気者だな、健吾」
「蒼馬が目立つたからだよ。相乗効果ってやつ」
自分のイケメン度合いは知ってはいるものの、そのことについてあまり頓着のない北条が、そうか?と不思議そうに首を傾げる。
建物の中に入り人目がなくなると、北条が膝をついて背中を向けた。おぶされ、ということらしい。
身長差が大きい北条に支えられながら歩くと、どうにも引きずられているようにしか見えないので、お姫様抱っこよりマシだと思うことにしてありがたく北条の背に乗せてもらうことにする。
広い背中は暖かくて、ついつい頬をすり寄せてしまいそうだ。
体の力を抜いて全てを北条に預けてしまうと、安心感から急激な眠気を覚えた。
「こちらの応接室をお使い下さい。救護ルームとして使用しておりますので、のちほど他の方もいらっしゃるかもしれませんが……」
移動はほんの数分だったにも関わらず、ゆらゆらと揺れる北条の背中で眠っていた健吾は、案内してくれたスタッフの声ではっと目を覚ました。
北欧スタイルを基調とした応接ルームに通され、ソファの上に下ろされる。
北条は案内してくれたスタッフにアイシングバッグと毛布を持ってきてくれるように頼むと、そっと健吾の靴を脱がせた。
「腫れてきてるな。しっかり冷やさないと後がつらいぞ」
上着と靴下も脱がされ、ひじ掛けに足を乗せて横たわるように健吾に指示すると、北条はフロックコートを脱いで、それを健吾にかぶせた。
「式典まではまだ時間がある。足、冷やしておくから少し寝ろ」
北条の長い指が、健吾の前髪を優しくすきながら撫でていく。
一目で寝ていないことを見抜いた北条に、眠くないなんていう嘘は通用しないのはわかっているのだが、せっかく久しぶりに会えたのに眠ってしまうのはなんだかもったいない気がした。
「ねえ、木山さんか鈴置さんから、話聞いてる?」
あまり愉快な話題ではなかったが、報告しておかなければという思いで、ノン子の話題を口にした。
「ああ」
「なんか、俺って完全に誰かの恨みかってるみたいだね。友達にまで怪我させちゃって……」
眠れなかったのは、もちろん不安や恐怖感のせいではあったが、自分のせいで大切な友人に怪我をさせてしまったという自責の念に苛まれていたせいでもある。
そのことをわかっているのだろう北条は、髪を撫でていた手を滑らせ、大丈夫だというように大きな手で健吾の頬を包み込んだ。
「ノン子さん、明日退院だそうだ。自宅に戻ってもらうつもりだが、一度こちらにも荷物を取りに寄るそうだから、食事でもどうかと誘っておいた」
「……うん」
「ノン子さんは、怪我したことをおまえのせいだなんて思ってはいないと思うが?」
北条の言葉が、気弱になった健吾の心に染み渡る。
ここのところ緩みまくっている涙腺がまたもや崩壊しそうだったので、フロックコートを引き上げて顔を隠すと、ふわりと北条の匂いに包まれた。
安心する匂いにほっと息をつくと、途端に強い眠気に襲われる。
「ほら、少し寝ろ」
フロックコートの上から軽くトントンと叩いて促され、目を閉じる。
ぐらりと世界が回るような眩暈に襲われたと思ったら、意識が墜落するように、あっという間に眠りの世界に落ちていった。
ノン子が怪我で入院してから二日が過ぎていたが、健吾はその間、一睡もできていない。
そんな状況の中、睡眠不足によるひどい頭痛を抱え、健吾はあるイベントに出席していた。
今夜開催される、「レッドカーペット」の名で有名な東京国際映画祭。健吾はそこに出演映画の俳優の一人として招待されており、主演女優らと出席することが決まっている。
観客らが一番盛り上がるとされているオープニングセレモニーで、健吾たちはリムジンで大階段の下に乗り付けて登場することになっていた。
セレモニーにはドレスコードがあり、今夜健吾は、この映画祭の為に新調したミッドナイトブルーのタキシードを着ている。
ショート丈で、細身のラインがしっくりと体に馴染むデザインは、我ながらよく似合ってると思う。
これを見立ててくれた清文のセンスの良さを面と向かって褒めることはしなかったが、心の中ではこっそりと感謝していた。
スタッフに促され、メインキャストの俳優と共にリムジンに乗り込むと、車特有のこもった臭いに吐き気がこみあげてきた。
社内で吐くわけにはいかないので、気分の悪さでにじむ冷や汗をごまかしながら、笑顔を顔面に張り付け続けていると、健吾の願いがかなったかのように、わずか数分で車が停車する。
リムジンのドアが開き、すべるようになめらかに主演女優が降りていくと、おびただしい数のフラッシュがたかれて、報道カメラが一斉にこちらに集中するのを感じることが出来た。
主演俳優に続いて健吾が降りると、まぶしくて目が明けていられないほどのフラッシュを浴びせられ、ひどい眩暈に襲われた。
頭痛と吐き気をこらえながら、カメラに向けて微笑み軽くポーズをとっていると不思議と気分がしゃんとしてきて、自分は芸能人なんだな、と奇妙な実感がわいてくるのがおかしかった。
映画祭のスタッフの先導でレッドカーペットを歩き、決められた場所で立ち止まってインタビューを受ける監督や女優たちと一緒に足を止めながら、時折自分に向けられるカメラやマイクに対応する。
報道陣が構えているのとは反対側の沿道では、一般客たちスマホやカメラをこちらに向けながらが、きらびやかな女優たちの姿に黄色い歓声を上げていた。
時折健吾の名を呼ぶ声も聞こえるので視線を向けて手を振ると、わっと歓声が上がる。
ファンが見てくれているのだと思うと、酷かった頭痛が少し和らぐ気がした。
レッドカーペットを歩くのはファンサービスの一環でもあるので、監督が取材を終えて歩き出したのに続き、健吾たち出演俳優も一般観客席がある沿道側に寄り、それぞれサインや写真撮影の要望に応えていった。
時間の許す限り観覧客の要望に応え続けていたが、引き上げ時のタイミングを見計らってきびすを返しかけた時に、引き止めようとした数人の観覧客に強く腕を引かれて、体がぐらりと後ろに傾いだ。
倒れる。
そう思った瞬間、「きゃあ」という悲鳴が観覧席からあがり、同時に、レッドカーペットに背中から叩きつけられる自分の姿が頭に浮かんだ。
このまま頭を打ったら何も考えずに眠れるかな、とスローに移り変わる景色に別れを告げるように目を閉じると、奇妙な安堵感に襲われた。
後頭部にたんこぶができたら、しばらく痛いだろうな、などとののん気な事を考えていると、突如、強い力で体をひっぱられて、天地がひっくり返ったかのように体がくるりと回転した。
直後、ドン、という衝撃を感じたものの、予想した程の痛みは感じない。
どうやら自分は、何か大きなもの抱え込まれて、それをクッションにして床に倒れているらしい。
それがわかったのは、倒れてしばらくしてからだった。
「大丈夫ですか?!」
慌てふためくスタッフや俳優たちの声、ざわめく観客の声や報道陣のまばゆいフラッシュを瞼の裏に感じてゆっくり目を開けてみると、目の前にあったのは仕立ての良いスーツの生地だった。
どうやら誰かが、床に転がる前の健吾の体を抱え込み、身代わりとなって背中からカーペットにダイブしてくれたらしい。
健吾には優秀なボディガードがついている。
さすがは鈴置だ、と思い、礼を言おうと体を起こそうとした瞬間、慣れ親しんだオードトワレの香りが鼻先をかすめた。
「蒼馬?」
そんなはずはないと思いながら顔を上げると、健吾の体を抱きとめて床に横たわっていたのは、間違いなく北条だった。
「おまえは……本当に危なっかしいな」
健吾の体を下から支え上げて起きるのを手伝いながら、北条は自分もゆっくりと立ち上がる。
「怪我はないか?」
床へダイブした自分の体より先に健吾を心配しながら、体の埃を払うように軽く叩き、健吾に怪我や汚れがないか確認する。
「大丈夫だけど……いつ帰ってきたの?」
嬉しさ半分、驚き半分で尋ねると、北条がニヤリといつもの笑みを向ける。
スタッフIDを胸に下げているが、スタッフにもドレスコードがあるためか、今日の北条はブラックストライプのフロックコート姿だ。
長身に裾の長い上着が映え、まわりの俳優たちにも全く見劣りしていないその姿をついついうっとりと眺めてしまいそうになり、健吾は慌てて目を反らす。
「オープニングイベントが始まる直前にこっちに着いたんだ。驚かせようと思って近づいたらいきなりすっ転ぶから、ヒヤっとしたぞ」
行くぞ、と目で合図しながら、北条が健吾の腰に手を添える。
沿道の観覧席から熱い視線を感じるのは、決して健吾の気のせいではないだろう。
レッドカーペット上にいて物怖じするどころか、北条は周りの芸能人をかすませる勢いで目立っていた。
胸に下げたIDがなければ、モデルや俳優と間違えられるかもしれない。
「ひどい隈だな。また寝てないだろう」
健吾の顎に指をかけた北条が、顔色を吟味するように覗き込む。
一般観覧席側から悲鳴があがったり、報道陣側からこちらに向けて一斉にフラッシュがたかれたように見えたのは、健吾の思い過ごしではないだろう。
ただでさえ転んだ事で注目されているのに、これ以上目立って変な記事を載せられてはたまらない、と、健吾はこの場を離れようと慌てて北条を促した。
「あっ……」
一歩踏み出した足にズキリと痛みが走り体が傾いたのを、北条が素早く支えてくれる。
「どうした?足か?」
「あー、うん。転ぶ時に捻ったのかも……」
北条が足元に膝をつき、健吾を自分の肩につかまらせてそっと靴を脱がす。
ゆっくりと足首を回すように動かされると、ズキリとするどい痛みが走った。
「ああ、痛めてるな。歩けるか?」
「……歩くから、お姫様抱っこだけはやめてよ」
いつものパターンからするとこのまま抱き上げて連れていかれそうだったので、先手を打って封じると、北条がくっくと笑う。
どうしましたか?と進行を務めるスタッフが近づいてくるのに、北条が「足を捻ったようだ」と伝え、このままカーペット上を歩くのは無理なので、バックヤードに下がりたいと健吾が言うと、即座に本部へ確認を取ってくれた。
「ご案内します、こちらへ」
IDをつけたスタッフに先導されながら、カーペットのメインロードを外れると、それを惜しむような声が観覧席から上がった。
北条に支えられながら観覧席側へ手を振ると、わっという歓声と、何故か大きな拍手を送られた。
「人気者だな、健吾」
「蒼馬が目立つたからだよ。相乗効果ってやつ」
自分のイケメン度合いは知ってはいるものの、そのことについてあまり頓着のない北条が、そうか?と不思議そうに首を傾げる。
建物の中に入り人目がなくなると、北条が膝をついて背中を向けた。おぶされ、ということらしい。
身長差が大きい北条に支えられながら歩くと、どうにも引きずられているようにしか見えないので、お姫様抱っこよりマシだと思うことにしてありがたく北条の背に乗せてもらうことにする。
広い背中は暖かくて、ついつい頬をすり寄せてしまいそうだ。
体の力を抜いて全てを北条に預けてしまうと、安心感から急激な眠気を覚えた。
「こちらの応接室をお使い下さい。救護ルームとして使用しておりますので、のちほど他の方もいらっしゃるかもしれませんが……」
移動はほんの数分だったにも関わらず、ゆらゆらと揺れる北条の背中で眠っていた健吾は、案内してくれたスタッフの声ではっと目を覚ました。
北欧スタイルを基調とした応接ルームに通され、ソファの上に下ろされる。
北条は案内してくれたスタッフにアイシングバッグと毛布を持ってきてくれるように頼むと、そっと健吾の靴を脱がせた。
「腫れてきてるな。しっかり冷やさないと後がつらいぞ」
上着と靴下も脱がされ、ひじ掛けに足を乗せて横たわるように健吾に指示すると、北条はフロックコートを脱いで、それを健吾にかぶせた。
「式典まではまだ時間がある。足、冷やしておくから少し寝ろ」
北条の長い指が、健吾の前髪を優しくすきながら撫でていく。
一目で寝ていないことを見抜いた北条に、眠くないなんていう嘘は通用しないのはわかっているのだが、せっかく久しぶりに会えたのに眠ってしまうのはなんだかもったいない気がした。
「ねえ、木山さんか鈴置さんから、話聞いてる?」
あまり愉快な話題ではなかったが、報告しておかなければという思いで、ノン子の話題を口にした。
「ああ」
「なんか、俺って完全に誰かの恨みかってるみたいだね。友達にまで怪我させちゃって……」
眠れなかったのは、もちろん不安や恐怖感のせいではあったが、自分のせいで大切な友人に怪我をさせてしまったという自責の念に苛まれていたせいでもある。
そのことをわかっているのだろう北条は、髪を撫でていた手を滑らせ、大丈夫だというように大きな手で健吾の頬を包み込んだ。
「ノン子さん、明日退院だそうだ。自宅に戻ってもらうつもりだが、一度こちらにも荷物を取りに寄るそうだから、食事でもどうかと誘っておいた」
「……うん」
「ノン子さんは、怪我したことをおまえのせいだなんて思ってはいないと思うが?」
北条の言葉が、気弱になった健吾の心に染み渡る。
ここのところ緩みまくっている涙腺がまたもや崩壊しそうだったので、フロックコートを引き上げて顔を隠すと、ふわりと北条の匂いに包まれた。
安心する匂いにほっと息をつくと、途端に強い眠気に襲われる。
「ほら、少し寝ろ」
フロックコートの上から軽くトントンと叩いて促され、目を閉じる。
ぐらりと世界が回るような眩暈に襲われたと思ったら、意識が墜落するように、あっという間に眠りの世界に落ちていった。
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