シークレット・ミッション

一二三

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 せっかく深い眠りの中にいたのに、いきなり掬いあげられるようにして現実世界に引き戻されることになった原因は、しつこく頬をつつきまわす誰かの存在を感じたからだった。
 このしつこさ、清文だろうか。
 うるさい、あっちいけよ!と言いたいが声にならず、「ううん」と抗議するようにひとつ唸ると、クスクスという笑い声が聞こえた。

「かわいい、眉間にシワよせてる」
 くいくいと眉間を押される感じがして軽く頭を振ると、「見て見て、イヤイヤしてるよ。小さい子みたいだね」と笑う女性の声がした。
「健吾はいつもそうですよ。寝起きが悪くて」
 北条の声と、「そうなんだー」という甘ったるい返事。
「ねえ健吾くん、式典始まっちゃうよー。起きて起きてー」
 ふわんとした女性の声がして、体を優しく揺すられる。
 ……誰だろう。
 パチリと目を開けると、ゆるふわ系の女性が健吾を覗き込んで「あ、起きた」と嬉しそうに笑っていた。

「も……えなさん?」
「よぉく寝てたねえ」
 寝起きの顔を人気女優に覗き込まれていることにパニックになりかけた頭が、「ねぐせ、ひどいよー」と髪をちょいちょいひっぱられることでさらに混乱に陥る。

「もえなさん、健吾が困ってますよ」
 笑いながら北条が顔を見せたことで、健吾はようやく状況を把握することができた。
 救護ルームで仮眠していたことを思い出し、怠い体をなんとか起こすと、胸元でチャリ、という聞きなれない音がした。
「あ……」
 胸元に、つけた覚えのないアクセサリーが光っている。
 ホワイトゴールドのセパレートクロス。
 ハイブランドの人気ネックレスで、健吾の思っているものであれば15万は下らないはずだ。
 手にとって見てみると、やはり思っていたブランドのロゴが側面に刻まれていて、どうしてこれが自分の首に下げられているのか不思議に思う。
「あー、健吾くんいいのつけてるね。似合ってる」
 クロスを手にとったままぼんやり眺めていると、もえなが首を傾げるようにして覗き込んできて、おしゃれだと褒めてくれた。
 誰かからのプレゼント?と聞かれ、何気なく北条を見上げると、もえなの後ろに立つ彼は、「シィー」と長い人差し指を唇に当てるジェスチャーで微笑んでいた。
 どうやら、セパレートクロスは北条からのサプライズプレゼントらしい。
 健吾は嬉しさのあまり、二つに分かれたクロスを手の中にぎゅっと握り込んだ。

「健吾、そろそろ支度しないと式典が始まるぞ」
 北条は、一体どこで用意したのか魔法のように蒸しタオルを取り出し、健吾の頭に被せて寝ぐせを落とす。
 仕上げとばかりに、手ぐしとワックスで猫毛な健吾の髪を完璧に整え、アスコットタイをつけ直し、ベストと上着を身に着けさせると、自分もフロックコートをこれ以上はないというぐらいにスマートな所作で羽織った。

「すごいー北条さん!お世話が手慣れてるー」
 もえながその流れるような動きにぱちぱちと拍手をおくると、毎日やってますから、と自慢げに北条がうそぶく。

「もえなさんは気分は?行けそうですか?」
 そういえば、救護ルームに何故もえながいるのか。
 今さらながら疑問に思い、どうしたのかと見つめていると、もえなは「うふふ」と肩をすくめてかわいらしい笑顔を見せた。
「北条さんのおかげで気持ち悪いのおさまってきたよ。ありがとう」
 どういうことだろう?と首を傾げて北条を見上げると、「健吾くん、そのしぐさ子猫みたいで猛烈にかわいいわよ。キュンとくる」ともえなにまでかわいい発言をされてしまった。

「あのね、まだ内緒なんだけど、赤ちゃんができたの」
 まさに幸せいっぱいという感じの笑顔を見せながら、ほんわりもえなが告白する。
 そういえば、もえなは数か月前に新鋭の映画監督と入籍したばかりだ。
 健吾も思わず笑顔になりながら、おめでとうございます、とお祝いを言う。

「つわりで気分が悪くなっちゃって、このお部屋に案内されたの。そしたら健吾くんがそこで寝てて……」
 丁寧に手入れされている指先で健吾の座るソファーを指さすもえなに、眠りこけていた自分が急に恥ずかしくなった。
「すみません!起こしてくれれば交代したのに」
 あわてて頭を下げると、「いいのいいの」ともえながゆったりと手を振る。
「足、痛めてたんでしょう?アイシングしてもらってたし。ぐっすり寝てたから、起こすのも悪いなーって。そしたら北条さんが声をかけてくれて」

 北条はすぐに不調が悪阻によるものだと気付き、もえなのマネージャーに炭酸水と氷を用意させた後、もえなの体を毛布でくるんで温めながらつわりに効くツボをマッサージしたらしい。
「つわりなんてもちろん初めてだし、どうしたらいいのか全然わからなくて。そしたら北条さんが色々教えてくれて。誰にも相談できなかったから、すごく助かっちゃった」
 ありがとう、と北条を見上げるもえなはとても幸せそうだ。
 30はとっくに過ぎてるはずだが、癒し系女優としての名を轟かせているだけあって、年齢を感じさせないかわいさがある。
 北条が親切にしたくなるのも頷ける。
 
「蒼馬、つわりの対処法なんてよく知ってるね」
 本当に色んな事がこなせる完璧イケメンなのだが、それにしても悪阻の対処法まで心得ているとなると、色々勘ぐらずにはいられない。
「……まさかと思うけど、奥さんと子供を残してここにきてるとか?」
 多少の嫌味と大きな不安を込めた健吾のセリフに、北条が素早くげんこつを落とす。
「いってー!なんで殴るんだよ!」
「どこの悪い口からそういうセリフが出てくるんだろうな?」
 唇をつまみ上げられて涙目で暴れる健吾を見て、もえながくすくすと笑う。
「お姉さんがつわりの時に、色々お手伝いしたんですって。赤ちゃんのお世話も得意らしいよ?」
 もえなのフォローで北条にあらぬ疑いをかけていたと分かり、上目遣いでごめんなさいと謝る。
 北条は「わかったか?」と言わんばかりの様子で乱暴に健吾の頭を撫でると、「足はどうだ?」とソファーから立つように促した。
 痛めた足にはいつの間にかテーピングがほどこされていて、力を入れても問題なさそうだ。
 そっと床に足をつき体重をかけてみると、痛みはあるが歩けないほどではなかった。
「大丈夫みたい」
「そうか。無理だったらすぐに言え」
 健吾に靴下と靴を履かせる北条を見て、もえながにこにこ微笑んでいる。
「北条さんって、お母さんみたいだね」
 もえなの天然な誉め言葉に、さすがの北条もがっくりきたのか苦笑する。
「そこはせめて、お兄さん、でお願いします」と歯切れ悪く言いながらも、「健吾は手がかかりますから」と余計な一言を付け加えることを忘れなかった。

 やがて室内にドアノックの音が響き、もえなのマネージャーと小寺がそろって顔を出した。
 気分の悪さから回復したらしいもえなは、マネージャーの顔をちっりと見ると、北条の腕にがっしりとしがみつき、「会場まで北条さんにエスコートされたーい!」と言い出した。

 女優がわがままなのは今に始まったことではないし、マネージャーがそれで困り果てる、という光景は健吾もたまに目にするので「またか」と思う程度なのだが、それに北条が絡んでいるとなると話は別だった。
 独占欲が強い事を自覚している健吾は、あからさまにムッとした態度こそとらないものの、北条が上手に断ってくれることを期待してなりゆきを見守る。
「もえなちゃん、北条さんが困るからわがまま言わないで」
 いい大人なんだから、とマネージャーに諭されても、わがままを通すことに慣れているもえなは、絶対にあきらめないという態度を貫いている。
 
 ゆるふわに見せかけているが、実はこういう強い所がないと主演女優なんてやっていられないんだよな、と半ば関心しながら見守っていると、揉め事の中心にいた北条がさらりと「いいですよ」とOKしてしまった。
「もえなさん、ヒールの高い靴を履かれてますし、支えがあった方がマネージャーさんも安心でしょう。俺で良ければ、会場までサポートします」
 健吾には絶対に見せないだろう、余所行きのさわやかな笑顔を見せて、北条はもえなの腰に手を添える。
 もえなは「やったぁ」とかわいらしく北条の背中をきゅっとつまみ、笑顔を見せた。
 可憐なもえなが隣に立っても見劣りしない北条と、北条が隣に立つことで華奢な体とかわいさがひきたつもえなの姿に、健吾の胸がズキンと痛む。
 なんとかやりすごそうと、胸元のクロスに手を伸ばした瞬間、北条がくるりとこちらを振り返った。

「何してる。行くぞ」
 健吾へと差し伸べられた北条の手をとまどいながら握ると、強く握り返されてそのまま引き寄せられる。
 北条は、片方の腕でもえなをエスコートしたまま、もう片方の腕で健吾を抱き寄せて、こめかみに音を立ててキスをした。
「あ!今キスした!」
 もえなが乗り出すようにして、北条と健吾の顔を代わる代わる見つめる。
「なに?二人ってそういう関係だったの?ひょっとして私、お邪魔しちゃってる?」
 きゃあきゃあと興奮するもえなに、北条は「ご想像におまかせします」と笑いながら答え、両サイドの二人をサポートしながら歩き出した。
「なによー。北条さん、私の秘密知ってるじゃない!ケチケチしないで教えてよー!」

 北条にぶら下がるようにして向こう側から健吾を覗き込みむもえなの姿は、はたから見ればすごくかわいいのだろうが、この状況をごまかそうと必死に頭を働かせている健吾には悪魔の様に見えた。
 何故北条はフォローをしないのか。
 バレて困るのは自分だって同じだろうに、と、ちらりと北条を見上げたが、不敵な表情はいつもと変りないように思えた。
 「もえなさんの秘密は、もうすぐ秘密じゃなくなるでしょう?ほら、ちゃんと前を見て歩かないと危ないですよ」
 うまい誤魔化し文句が思い浮かばず、金魚のようにぱくぱくするだけで口がきけないままの健吾の代わりに、北条がさらりともえなをあしらう。
「ええー。ずるいよー。でも、こんなとこで堂々とキスしちゃうってことは、これは秘密にしなくてもいいってことだよね?」
 もえなが悪戯っ子のようにうふふ、と笑うと、「それもおまかせします」と北条が笑って受け流す。
 健吾はもえなの言葉に心を射抜かれ、その言葉をなんども頭の中でリピートさせた。

 北条は健吾とのことを「秘密にする必要はない」と思っているのかもしれない。
 北条には、隠すつもりがないのだ。
 いつでも健吾の事を他の何よりも優先させるし、大切にしていることを誰に対しても隠したりしない。
 そういう北条のスタンスは、最初から変わってはいないということに、今更ながら気づかされる。

「いいなー健吾くん。こんないいダンナさんゲットしちゃってさー」
 もえなにすっかり健吾のダンナ扱いされてしまった北条のことがおかしくなり、思わず笑いをこぼす。
「いや、ダンナじゃないですし。もえなさん結婚したばかりでしょ?他の男にくっついたりして怒られませんか?この男、実は結構タラシだから、気を付けた方がいいですよ」
 ようやく出た軽口に、北条が眉間に皺を寄せながら「タラシとはなんだ。俺がいつそんなことをした」と文句を言い、もえながそれに便乗して「あー、天然でタラシっぽい!」と笑う。

「ダンナさんにする相手は、イケメンすぎない方がいいのよねー。浮気の心配しなくてすむじゃない?うちはその点安心だけど、健吾くんは気を抜けないわね」
 
 北条をからかいながら楽しく会場に向かう後姿を、マネージャー二人がそれぞれ複雑な思いを抱えて顔を見合わせながらついてきていたことに、北条以外の二人は全く気づいていなかった。

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