捨てられ聖女は、隣国で”香りの魔術師”として覚醒しました~冷徹公爵様の心を癒すのは、私だけの調香術です~

YY

文字の大きさ
13 / 32

第13話:北への旅路と不穏な影

しおりを挟む
私の工房は、もはや甘く華やかな香りに満ちたアトリエではなかった。樟脳の清涼な香りが神経を研ぎ澄まし、煮詰めた樹脂のわずかに焦げ付いた匂いが、試行錯誤の跡を物語る。ここは美を追求する調香師の仕事場ではなく、未知の脅威に立ち向かう化学研究者の実験室と化していた。
「これで、よし…」
私は完成したばかりのマスクを手に、満足げに頷いた。それは何重もの亜麻布と炭粉、浄化作用を持つユーカリの香りを忍ばせた絹袋を重ねた、私の知識の結晶だ。
開発に没頭していると、静かに扉が開き、ユリウス公爵が入ってきた。彼は作業台に並べられた実戦的で無骨な発明品たちを、興味深そうに一瞥する。
「準備はできたようだな」
「はい。これがあれば、きっと…」
「…無理はするな。お前の知識は、この領地にとって、もはや代えのきかぬ財産だ」
彼はそう言うと、従者に運ばせていた包みを私に手渡した。その視線が、一瞬だけ私の手元から逸らされたことに気づく。中から現れたのは、上質で動きやすさを重視した濃紺の旅装束一式。飾り気はないが、生地は丈夫で、寒さを防ぐマントもついている。私は無意識にその布を指先で撫でた。湯気のような温もりが胸に広がる一方で、かすかな痛みも滲んだ。
数日後、私たちは北へ出発した。私とユリウス、そして護衛に選抜された十数名の屈強な騎士たち。少数精鋭の、静かな旅路だった。
馬に揺られながら見る景色は、北へ向かうにつれて厳しさを増していく。豊かな緑に覆われた丘陵地帯は姿を消し、ごつごつとした岩肌が目立つ荒涼とした大地が広がる。吹き抜ける風が、針のように肌を刺した。時折、風とは違うざわめきが背後から聞こえるような気がしたが、振り返っても何も見えなかった。
旅が五日目に入った頃、並んで馬を歩ませていたユリウスが、ぽつりと口を開いた。
「なぜ、あの山の鉱山が、兵士たちが命を賭してまで守らねばならない場所か、知っているか」
私は首を横に振った。
馬蹄が小石を弾き、カランと音を立てる。
「あの鉱山では、『黒鋼石(こっこうせき)』が採れる」
「黒鋼石…?」
「硬くて軽い。しかも魔力による攻撃を弾く性質を持つ。我が国の騎士たちの鎧や剣は、全てあの鉱石なくしては作れない」
ユリウスの視線の先、黒く霞む山脈が風に揺らいでいた。その声には、統治者としての重い響きがあった。
「もしあの鉱山を失えば、我が公国は、そしてアステル王国は、国境を接する帝国からの侵略にひとたまりもなく蹂躙されるだろう。あの鉱山は、この国の防衛の要。まさしく、生命線なのだ」
今回の任務は、ただ瘴気に苦しむ人々を救うだけのものではなかった。それは、この国の運命そのものに深く関わる、あまりに重大な使命。その責任の重さに、私の体は武者震いにも似た、不思議な緊張感に包まれた。
その風は雪を孕み、遠く王都の高い塔にもぶつかった。凍えるような風が、玉座の間の空気をさらに冷たくしていく。
「どうなっているのだ、ユナ!西方の州都で、また疫病が広がっているという報告が来たぞ!」
玉座の間で、王子エドウィンが苛立ちを隠さずに叫ぶ。彼の前には、顔を青くした偽聖女ユナが震えながら立っていた。
「わ、わたくしの聖なる光で、毎日お祈りはしております…!きっと、民の信仰心が足りないのですわ!」
エドウィンの声は、次に吐き出された時には氷のように冷たかった。
「言い訳は聞き飽きた!お前のそのピカピカ光るだけの魔法が何の役にも立たないことは、もう分かっている!」
エドウィンの罵声に、ユナの瞳に屈辱と恐怖の涙が浮かぶ。民衆の不満は、もはや王子の耳にも届くほどに高まっていた。
彼らが「無能」と断じ、ゴミのように捨てた一人の女性が、隣国のヴァルテンベルク公爵領を、奇跡的な豊作と新たな技術で発展させていることを、彼らはまだ知らない。彼らの没落は、全て、自らが犯した愚かな過ちの当然の報いなのだと。
北への旅路は、あと数日で鉱山町に到着するというところまで来ていた。
その夜、私たちは風を避けられる岩陰で、野営の準備を進めていた。パチパチと音を立てて燃える焚き火の光が、私たちの顔を暖かく照らす。
私が携帯用の薬研(やげん)で疲労回復効果のあるハーブをすり潰していると、見張りをしていた騎士の一人が、静かにユリウスのそばへと近づき、低い声で報告を始めた。
「公爵様。ご報告いたします」
騎士の声には、鋭い緊張がこもっていた。
「我々の後方、数キロの地点に、所属不明の一団がいるようです」
ユリウスの表情が一瞬で統治者の顔つきに変わる。
「山賊か?」
「いえ…動きが違います。獣を狩る様子も、こちらに近づく様子もありません。まるで、我々の動きを探るかのように、ただ、一定の距離を保ち続けているのです」
言葉が空気に溶けるまで、焚き火の音だけが響いた。私は手を止め、闇の向こうを見つめた。見えない視線がこちらを舐めるように這っている気がした。過去の無力だった自分を思い出させる、得体の知れない恐怖が、私の背筋を凍らせる。
焚き火の光の届かない闇の中で、何かが空気をわずかに揺らした。それが風なのか視線なのか、私には判別できなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります

cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。 聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。 そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。 村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。 かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。 そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。 やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき—— リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。 理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、 「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、 自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。

竜王に嫁いだら、推しの半竜皇子の継母になりました〜冷酷な夫には興味ありませんが、闇落ち予定の皇子は私が全力で幸せにします!〜

せりもも
恋愛
転生したのは、web小説の世界だった。物語が始まる前の時間、隣国の竜王へ嫁ぐ薄幸の王女、デジレに。 結婚相手である竜王ワッツァは、冷酷非道で人間を蔑む恐ろしい竜人だ。彼はデジレを、半竜(半分竜で半分人間)である息子の養育係としかみていない。けれどその息子バートラフこそ、前世の「わたし」の最オシだった。 この世界のバートラフはまだ5歳。懸命に悪ガキぶっているけど、なんてかわいいの!? 小説のバートラフは、闇落ちして仲間の騎士たちに殺されてしまうけど、そんな未来は、絶対に許さないんだから!  幼いバートラフに対する、愛情いっぱいの子育ての日々が始まる。やがて彼の成竜への通過儀礼を経て、父の竜王は、デジレに対して執着を見せ始める。 ところが、竜と人間の戦争が始まってしまう。おとなになったバートラフは人間側につき、聖女の騎士団に入った。彼は、父の竜王に刃を向けられるのか? そして、転生者デジレに与えられたスキル「プロットを破断する者」を、彼女はどう発動させるのか。

【完結】人々に魔女と呼ばれていた私が実は聖女でした。聖女様治療して下さい?誰がんな事すっかバーカ!

隣のカキ
ファンタジー
私は魔法が使える。そのせいで故郷の村では魔女と迫害され、悲しい思いをたくさんした。でも、村を出てからは聖女となり活躍しています。私の唯一の味方であったお母さん。またすぐに会いに行きますからね。あと村人、テメぇらはブッ叩く。 ※三章からバトル多めです。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

追放聖女の薬草店~光らない無能と言われた私の治癒力は、最強騎士団長の呪いにだけ効くようです。辺境で始める溺愛スローライフ~

黒崎隼人
恋愛
「君の力だけが、俺を救ってくれる」 派手な光を放つ魔法が使えず、「光らない無能」として国を追放された聖女エリナ。 彼女は辺境の村で廃屋を買い取り、念願だった薬草店をオープンする。 相棒の精霊獣ポポと共にスローライフを始めたある嵐の夜、店の前に倒れていたのは、国の最強騎士団長ゼフィルだった。 「黒竜の呪い」に侵され、あらゆる魔法を受け付けない彼の体。 しかし、エリナの持つ「細胞そのものを活性化させる」地味な治癒力だけが、彼の呪いを解く唯一の鍵で……!? 無能扱いされた聖女と、余命わずかの最強騎士。 二人が辺境で紡ぐ、温かくて幸せな再生と溺愛の物語。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

「女のくせに強すぎて可愛げがない」と言われ婚約破棄された追放聖女は薬師にジョブチェンジします

紅城えりす☆VTuber
恋愛
*毎日投稿・完結保証・ハッピーエンド  どこにでも居る普通の令嬢レージュ。  冷気を放つ魔法を使えば、部屋一帯がや雪山に。  風魔法を使えば、山が吹っ飛び。  水魔法を使えば大洪水。  レージュの正体は無尽蔵の魔力を持つ、チート令嬢であり、力の強さゆえに聖女となったのだ。  聖女として国のために魔力を捧げてきたレージュ。しかし、義妹イゼルマの策略により、国からは追放され、婚約者からは「お前みたいな可愛げがないやつと結婚するつもりはない」と婚約者破棄されてしまう。  一人で泥道を歩くレージュの前に一人の男が現れた。 「その命。要らないなら俺にくれないか?」  彼はダーレン。理不尽な理由で魔界から追放された皇子であった。  もうこれ以上、どんな苦難が訪れようとも私はめげない!  ダーレンの助けもあって、自信を取り戻したレージュは、聖女としての最強魔力を駆使しながら薬師としてのセカンドライフを始める。  レージュの噂は隣国までも伝わり、評判はうなぎ登り。  一方、レージュを追放した帝国は……。

騎士団長を追放した平和ボケ王国は、七日で滅びました

藤原遊
ファンタジー
長らく戦のなかった王国で、 騎士団長の父を病で失った令嬢は、その座を引き継いだ。 だが王城に呼び出された彼女に告げられたのは、 騎士団の解体と婚約破棄。 理由はただ一つ―― 「武力を持つ者は危険だから」。 平和ボケした王子は、 非力で可愛い令嬢を侍らせ、 彼女を“国の火種”として国外追放する。 しかし王国が攻められなかった本当の理由は、 騎士団長家が持つ“戦況を覆す力”への恐れだった。 追放された令嬢は、即座に隣国帝国へ迎えられ、 軍人として正当に評価され、安泰な地位を得る。 ――そして一週間後。 守りを捨てた王国は、あっけなく陥落した。 これは、 「守る力」を理解しなかった国の末路と、 追放された騎士団長令嬢のその後の物語。

処理中です...