捨てられ聖女は、隣国で”香りの魔術師”として覚醒しました~冷徹公爵様の心を癒すのは、私だけの調香術です~

YY

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第14話:瘴気の鉱山と騎士たちの壁

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北への旅路の果てに、私たちがたどり着いた光景は、まさしく絶望そのものだった。
鉱山町は、まるで薄紫色の紗をかけたかのように淀んだ瘴気に沈んでいる。家々の屋根も、石畳の道も、全てがくすんだ灰色だ。道行く人々の顔色は土気色で、誰もが背を丸め、乾いた咳を漏らしている。町全体が、活気という生命力を失い、ただ緩やかな死を待っているかのようだ。
そして、その元凶である鉱山は、町の奥に、巨大な獣の口のようにぽっかりと開いていた。そこから、目に見えるほどの濃密な紫色の瘴気が、まるで悪意ある吐息のようにゆっくりと流れ出している。その場にいるだけで呼吸が浅くなり、胸が圧迫される。西部の農村で感じたものとは、比較にすらならない濃密な死の気配だった。
私たちが馬から降りると、町の警備隊の詰め所から、一人の大柄な騎士が姿を現した。歳は五十絡みだろうか。日に焼け、深い皺が刻まれた顔には、いくつもの古い傷跡がある。その歴戦の風格は、彼が叩き上げの、経験豊富な軍人であることを物語っていた。
「ユリウス公爵様!ようこそお越しくださいました!」
騎士、グレゴール隊長は、ユリウスの前に進み出ると力強く敬礼した。その瞳に宿る主君への揺るぎない忠誠。だが、視線がユリウスの隣に立つ私へと移った瞬間、忠誠の色は、あからさまな不信感へと変わった。
「公爵様、失礼ながら申し上げます。このようなお嬢様を、これほど危険な場所へお連れになるとは…?」
彼の声には、隠そうともしない率直な戸惑いが滲んでいた。
「神官殿も、魔術師殿も、皆匙を投げた。祈祷も結界も、何一つこの瘴気には通用しなかった。このお嬢さんに、一体何ができると?」
グレゴール隊長の言葉は、この場にいる全ての者たちの心の声を代弁していた。彼の後ろに控える騎士たちも、遠巻きに私たちを見つめる鉱夫たちも、その目に宿しているのは、同じ種類の諦めと、値踏みするような疑いの眼差しだった。
彼らは、あまりにも多くの希望と、それ以上の絶望を見てきたのだ。私の存在は、また一つ増えるだけの、儚い気休めにしか見えていないのだろう。
その無言の「壁」が、私に重くのしかかる。だが、その重圧を、ユリウスの一言がいとも容易く切り裂いた。
「隊長」
彼の声は静かだったが、絶対的な覇気が宿っていた。
「これまでの方法で結果が出なかったからこそ、私は彼女を連れてきたのだ」
その論理的で反論の余地のない言葉に、グレゴール隊長はぐっと息をのむ。
ユリウスは、その視線をグレゴールから外し、集まった騎士や、遠巻きに見ている鉱夫たち、その場にいる全ての者に聞こえるように声を張り上げた。それは、公爵としての公式な布告だった。
「これより、この鉱山の瘴気対策に関する一切の指揮権を、技術官リーナに委ねる。彼女の言葉は、私の言葉だと思え。異論は、許さん」
広場に、どよめきが走った。誰もが、自分の耳を疑っている。だが、彼らが命を懸けて忠誠を誓う主君の言葉は、絶対的な決定事項として、町の淀んだ空気に響き渡る。
グレゴール隊長は、その顔に複雑な葛藤の色を浮かべながらも、やがて軍人らしく、私に向かって深く一礼した。
「…御意に」
私は、ユリウスの横顔をただ見つめていた。背筋がぞくぞくと震える。それは、寒さからではない。彼が私の両肩に託してくれた、重い信頼。その重さに、私の心は引き締まる思いがした。
もう、後戻りはできない。私に残された道は、結果を出すこと、ただ一つだけだ。
その日の午後。私は、鉱山の入り口に一人で立っていた。ユリウスは、少し離れた場所で、騎士たちと共に私の様子を見守っている。
旅装束の包みから、この日のために開発した装備を取り出した。まず、緑色の軟膏(バーム)を指先で掬い取り、顔や首筋、手に丁寧に塗り込んでいく。次に、私の知識の結晶である高機能マスクを装着する。何重にも重ねられた亜麻布と、浄化作用のあるフィルターが、私の口と鼻を外界の脅威から守ってくれるはずだ。
準備は整った。私はフィルター越しに深く息を吸った。そして、意を決し、鉱山の闇へと最初の一歩を踏み出す。
その瞬間だった。まるで、見えない壁に叩きつけられたかのような、強烈な圧力が私の全身を襲った。物理的な圧力ではない。それは、もっと精神の根幹を揺さぶるような、悪意そのものだった。負の感情が凝縮されたような気配が、私の意識に侵入し、「お前には無理だ」「ここでおしまいだ」と絶望を囁きかけてくる。
西部の畑で感じた、あの金属臭など、まるで子供の遊びのようだ。
「――っ!」
思わず足がすくむ。一歩、後ずさりそうになるのを、必死にこらえた。私は、マスクの下で唇を強く噛みしめる。
(…これは、西部の畑の比じゃない…)
予想を遥かに超える脅威。だが、私の心に宿る、あの城門の前で灯した小さな炎は、まだ消えてはいなかった。
私の本当の戦いは、今、この瞬間から始まるのだ。
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