捨てられ聖女は、隣国で”香りの魔術師”として覚醒しました~冷徹公爵様の心を癒すのは、私だけの調香術です~

YY

文字の大きさ
17 / 32

第17話:鉱山の夜と紡がれる過去

しおりを挟む
私の頬に触れた、彼の指先の熱。
あの瞬間から、私とユリウス公爵の間の空気は、まるで魔法にかけられたかのように、ぎこちなく、そして甘く変質してしまっていた。
彼は、私の頬からゆっくりと指を離すと、何かをごまかすように、一つ咳払いをした。
「…疲れているだろう。もう休め」
そう言って、私の部屋から足早に立ち去ろうとする。その背中からは、今まで感じたことのない、明らかな動揺が伝わってきた。
その夜。
鉱山町は祝宴に沸いていた。遠くから、木樽を叩く乾いた音と、焼いた肉の香ばしい匂いが微かに届く。それが、私たち二人だけの静かな空間をいっそう際立たせていた。領主の館の小さなバルコニーで、ユリウスは昼間と同じように私のために温かいハーブティーを淹れてくれた。眼下には、祝宴の灯りが、まるで地上に生まれた星々のようにきらめいている。
私は、湯気の立つカップを両手で包み込みながら、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「旦那様は、ハーブティーにお詳しいのですね。その手つき、とても慣れていらっしゃるから…」
私の何気ない問いに、ユリウスはすぐには答えなかった。彼はカップの縁を指でなぞり、視線を夜空に向けた。
「…父が、よく飲んでいた」
その声は、夜の闇に溶けてしまいそうなほど静かだった。
「先代の公爵だった父は、聡明で、誰よりも領民を愛する、偉大な統治者だった。そして…誰よりも、人を信じる、情の厚い男だった」
その言葉の端々から、亡き父への愛情と尊敬がにじみ出る。
「私にも、厳しく、そして優しかった。だが、数年前…父は、命を落とした。信頼していた、腹心の部下に、裏切られたのだ」
私は息をのんだ。彼の口から語られたのは、私が想像していたよりも、ずっと重く、そして痛ましい過去だった。
「その男は、父の幼馴染で、誰よりも信頼されていた側近だった。だが、彼は、領地の機密情報を、国境を接する敵国、ガルニア帝国に売り渡した」
ユリウスの脳裏に、赤く染まった雪原と、崩れ落ちる父の背がよぎった。
「帝国は、その情報を元に完璧な奇襲を仕掛けてきた。多くの兵が死に、そして父もまた、その戦いの中で…」
彼の拳が、手すりの上で、白くなるほど強く握りしめられる。
「全ては…」ユリウスは言葉を切り、手すりを見下ろした。「父の『情』が招いた悲劇だった。人を信じすぎる、その甘さが…」
彼の声は淡々としていた。だが、その奥底には、今もなお癒えることのない、深い傷跡が生々しく横たわっている。
「私は、父の亡骸の前で誓った。二度と、同じ過ちは繰り返さない、と」
ユリウスはゆっくりと私の方へと向き直った。その瞳は、凍てつく冬の湖のように静かで、そして底なしに冷たい。
「感情は、決断を鈍らせる、ただの弱さでしかない。この頭痛も、眠れぬ夜も、全ては、その誓いを忘れないための、私自身への戒めだ」
そうだったのか。彼の、あの氷のような態度の理由。人々を寄せ付けない冷徹な仮面。そして、長年彼を苛んできた、原因不明の痛み。その全ての根源が、このあまりにも悲しい過去の出来事にあったのだ。
私は、彼の魂の叫びを聞き、胸が張り裂けそうになった。しかし、同情の言葉を口にすることはできなかった。なぜなら、彼の言葉は間違っていると、私の魂が叫んでいたからだ。
私は静かに首を横に振った。
「情が深いことは…」
私は息を吸い、胸の奥の熱を押し出すように続けた。
「弱さではありません。それは、人を、そして国を、より強く繋ぎとめるための、何よりも尊い力です」
私は、彼の揺るぎないアイスブルーの瞳を、まっすぐに見つめ返した。夜風が、湯気に混じるハーブの香りを遠くへ運んでいった。
「旦那様が、危険を顧みず、民のために自ら鉱山へ赴く心も。部下の命を救うために、私の突飛な提案を受け入れてくださった心も。そして、今、こうして私のような者に、過去の痛みを打ち明けてくださった心も。それは全て、あなたの『情』の深さから来るものではないのですか?」
私の言葉は、彼が長年、自分自身に課してきた冷たい戒めの鎖を、優しく、しかし確実に揺さぶっていた。彼は何も言い返せない。ただ、私の真っ直ぐな瞳を見つめている。
彼は気づき始めていたのかもしれない。父は、「情」によって裏切られ、命を落とした。だが、自分は、「情」によってこのリーナという女を信じ、そして長年の苦しみから救われようとしている。その、皮肉な事実に、彼は否定しようがなかった。
長い、長い沈黙が、私たちの間に流れた。
やがて、彼が何かを決意したかのように、ゆっくりと口を開いた。
「リーナ」
彼が、私の名前を呼んだ。私は、その声に、思わず息をのんだ。いつもの命令的な響きはなかった。そこにあったのは、氷が解け、せせらぎとなって流れ出すような、確かな温かみだった。彼が、何かとても大切なことを私に伝えようとしている。
そう直感した、その時だった。
遠くの廊下から、急ぎ足の音がこちらに迫ってきた。
「――公爵様!大変です!」
バルコニーへと続く部屋の扉が、乱暴に開け放たれた。息を切らした護衛の騎士が、血相を変えて駆け込んでくる。肩で荒く息をつきながら、短く、鋭く告げた。
「所属不明の一団が、この鉱山町に向かってきています!数は、およそ五十以上!」
その一言で、私たちの間に流れていた、穏やかで特別な時間は、ガラスのように粉々に砕け散った。ユリウスの顔から、人間的な温かみは一瞬で消え去り、再び冷徹な統治者の仮面がその顔を覆い尽くす。
「…状況を詳しく話せ」
厳しい現実が、私たちを否応なく、引き戻しに来たのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります

cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。 聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。 そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。 村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。 かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。 そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。 やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき—— リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。 理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、 「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、 自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。

竜王に嫁いだら、推しの半竜皇子の継母になりました〜冷酷な夫には興味ありませんが、闇落ち予定の皇子は私が全力で幸せにします!〜

せりもも
恋愛
転生したのは、web小説の世界だった。物語が始まる前の時間、隣国の竜王へ嫁ぐ薄幸の王女、デジレに。 結婚相手である竜王ワッツァは、冷酷非道で人間を蔑む恐ろしい竜人だ。彼はデジレを、半竜(半分竜で半分人間)である息子の養育係としかみていない。けれどその息子バートラフこそ、前世の「わたし」の最オシだった。 この世界のバートラフはまだ5歳。懸命に悪ガキぶっているけど、なんてかわいいの!? 小説のバートラフは、闇落ちして仲間の騎士たちに殺されてしまうけど、そんな未来は、絶対に許さないんだから!  幼いバートラフに対する、愛情いっぱいの子育ての日々が始まる。やがて彼の成竜への通過儀礼を経て、父の竜王は、デジレに対して執着を見せ始める。 ところが、竜と人間の戦争が始まってしまう。おとなになったバートラフは人間側につき、聖女の騎士団に入った。彼は、父の竜王に刃を向けられるのか? そして、転生者デジレに与えられたスキル「プロットを破断する者」を、彼女はどう発動させるのか。

【完結】人々に魔女と呼ばれていた私が実は聖女でした。聖女様治療して下さい?誰がんな事すっかバーカ!

隣のカキ
ファンタジー
私は魔法が使える。そのせいで故郷の村では魔女と迫害され、悲しい思いをたくさんした。でも、村を出てからは聖女となり活躍しています。私の唯一の味方であったお母さん。またすぐに会いに行きますからね。あと村人、テメぇらはブッ叩く。 ※三章からバトル多めです。

追放聖女の薬草店~光らない無能と言われた私の治癒力は、最強騎士団長の呪いにだけ効くようです。辺境で始める溺愛スローライフ~

黒崎隼人
恋愛
「君の力だけが、俺を救ってくれる」 派手な光を放つ魔法が使えず、「光らない無能」として国を追放された聖女エリナ。 彼女は辺境の村で廃屋を買い取り、念願だった薬草店をオープンする。 相棒の精霊獣ポポと共にスローライフを始めたある嵐の夜、店の前に倒れていたのは、国の最強騎士団長ゼフィルだった。 「黒竜の呪い」に侵され、あらゆる魔法を受け付けない彼の体。 しかし、エリナの持つ「細胞そのものを活性化させる」地味な治癒力だけが、彼の呪いを解く唯一の鍵で……!? 無能扱いされた聖女と、余命わずかの最強騎士。 二人が辺境で紡ぐ、温かくて幸せな再生と溺愛の物語。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

「女のくせに強すぎて可愛げがない」と言われ婚約破棄された追放聖女は薬師にジョブチェンジします

紅城えりす☆VTuber
恋愛
*毎日投稿・完結保証・ハッピーエンド  どこにでも居る普通の令嬢レージュ。  冷気を放つ魔法を使えば、部屋一帯がや雪山に。  風魔法を使えば、山が吹っ飛び。  水魔法を使えば大洪水。  レージュの正体は無尽蔵の魔力を持つ、チート令嬢であり、力の強さゆえに聖女となったのだ。  聖女として国のために魔力を捧げてきたレージュ。しかし、義妹イゼルマの策略により、国からは追放され、婚約者からは「お前みたいな可愛げがないやつと結婚するつもりはない」と婚約者破棄されてしまう。  一人で泥道を歩くレージュの前に一人の男が現れた。 「その命。要らないなら俺にくれないか?」  彼はダーレン。理不尽な理由で魔界から追放された皇子であった。  もうこれ以上、どんな苦難が訪れようとも私はめげない!  ダーレンの助けもあって、自信を取り戻したレージュは、聖女としての最強魔力を駆使しながら薬師としてのセカンドライフを始める。  レージュの噂は隣国までも伝わり、評判はうなぎ登り。  一方、レージュを追放した帝国は……。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

処理中です...