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第22話:二つの国の現状
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王都へ向かうユリウスの重い決意は、すぐに公国全土へと伝えられた。
北の鉱山町を出発する私たちを、人々は不安と、そして熱狂的な祈りを込めた目で見送った。
「公爵様、どうかご無事で!」
「香りの魔術師様、我らが聖女様!
あなた様のお力があれば、きっと!」
その声援に、私はこれから挑む戦いの大きさを改めて実感していた。
私たちの旅路は、北から南へ、公爵領を縦断する形となった。その道中で目にする光景は、私とユリウスに、守るべきものの価値を雄弁に物語ってくれた。
荒涼とした北部から中央の平原へ。馬の蹄の下の土は、黒く、生命力に満ちている。やがて、見覚えのある西部の農村地帯が広がった。だが、その光景は私が最初に訪れた時とはまるで様変わりしていた。
かつて畑を不気味な銀色に染めていた『銀葉病』の痕跡はどこにもない。そこにあったのは、地平線の彼方まで続く黄金色の絨毯。収穫の時期を迎えた小麦の穂が、風に吹かれて豊かに揺れている。その中を、村人たちの喜びに満ちた歌声が駆け抜けていく。
私たちが村に到着すると、歌声は驚きと、熱烈な歓迎の歓声へと変わった。
「公爵様だ!」
「リーナ様も、ご一緒だぞ!」
村人たちは農作業の手を止め、次々と駆け寄ってくる。その誰もが血色が良く、瞳は未来への希望に輝いていた。
村長の老人が深々と頭を下げ、焼きたてのパンが盛られた籠を私に差し出した。
「リーナ様。これは、今年この土地で収穫された最初の小麦で焼いたパンでございます。どうか、お受け取りください。これも全て、あなた様のおかげでございます」
ずっしりと重いパンの温かさが、私の胸にじんとしみ渡った。
善政と正しい知識。その二つが合わされば、これほどまでに人の暮らしは豊かになる。目の前に広がる光景は、国と人々が本来あるべき、希望に満ちた姿そのものだった。
しかし、その希望に満ちた光景を、国境の向こう側から絶望に満ちた目で見つめる者がいた。
アステル王国からヴァルテンベルク公国へ潜入していた一人の密偵。彼は国境となっている小川のアステル側の、枯れた茂みに身を潜めていた。
彼の目に見える、川の向こう側の光景は信じがたいものだった。青々と茂る牧草地で丸々と太った牛が草を食み、子供たちの屈託のない笑い声が聞こえる。
そして、彼が故郷である川のこちら側へと視線を転じた時。
そこにあるのは、地獄だった。
畑は枯れた雑草すら生えない、ひび割れた茶色い大地と化している。痩せこけた農夫が力なく、死んだ土を耕す。遠くに見える村はまるで骸骨のように静まり返り、時折聞こえるのは病に苦しむ者の弱々しい咳の音だけ。
ほんの数メートルしかない川を挟んだだけで、これほどの違いがあるというのか。まるで天国と地獄だ。
密偵の胸に、自国への深い絶望と、川の向こうの公国へのどす黒い嫉妬が同時に込み上げてきた。
この、あまりにも対照的な二つの国の報告は、数日後、アステル王国の玉座の間でエドウィン王子の元へと届けられた。
密偵は震える声で、ありのままを報告した。ヴァルテンベルク公国の信じがたいほどの豊かさと、そこに住まう民の幸福そうな様子を。
エドウィンは黙って報告を聞いていた。玉座に深く身を沈め、その表情は影になって窺い知れない。
だが、報告が終わった時、彼の口から漏れたのは自らの非を認める言葉ではなかった。
「…やはり、そうか」
その呟きは確信に満ちていた。
彼はゆっくりと立ち上がると、狂信者のようにその目を爛々と輝かせた。彼の歪んだ精神の中では、密偵の報告は全く別の真実へと捻じ曲げられていたのだ。
(豊作?疫病もない、だと?ありえん。我が国がこれほどまでに神に見放されているというのに、辺境の公国だけが栄えるなど断じてありえん!)
(これは善政の結果などではない。紛れもない、簒奪だ!)
(あの魔女…リーナとか言ったか。あの女がその妖術で、我がアステル王国から幸運を、国運そのものを根こそぎ奪い、ヴァルテンベルクへと横流ししているのだ!)
(そうだ、そうでなければ辻褄が合わないではないか!
ユリウスは、その魔女を使い、我が国の富を盗んでいる、卑劣な盗人なのだ!)
彼の判断の誤りは、もはや誰にも修正不可能な域にまで達していた。自らが犯した取り返しのつかない過ちを認めることから逃れるために、彼の心はさらに深く、暗い妄想の迷宮へと自ら進んで堕ちていく。
そして、その妄想はついに、破滅的な行動へと彼を駆り立てる。
彼の内なる絶叫が、玉座の間に実際に響き渡った。
「あの女の力は、本来、私が使うべきものだったのだ!」
エドウィンは玉座のそばにあった高価な杯を床に叩きつけた。耳障りな音が響く。
「奪われたものは、力で奪い返すまで!全軍に通達!」
彼は部屋の隅に控えていた軍の最高司令官へと、狂気に満ちた、しかし明瞭な命令を下した。
「ヴァルテンベルク公爵領へ進軍せよ!
そして、国を蝕む元凶、魔女リーナを捕らえ、我が元へと連れてくるのだ!」
それは、自らの破滅へと繋がる最後の一線を、彼が完全に踏み越えた瞬間だった。
部屋にいた全ての廷臣たちが、その狂気に満ちた命令に顔を青くする。だが、暴君と化した王子の言葉を止められる者は、もはや誰一人としていなかった。
北の鉱山町を出発する私たちを、人々は不安と、そして熱狂的な祈りを込めた目で見送った。
「公爵様、どうかご無事で!」
「香りの魔術師様、我らが聖女様!
あなた様のお力があれば、きっと!」
その声援に、私はこれから挑む戦いの大きさを改めて実感していた。
私たちの旅路は、北から南へ、公爵領を縦断する形となった。その道中で目にする光景は、私とユリウスに、守るべきものの価値を雄弁に物語ってくれた。
荒涼とした北部から中央の平原へ。馬の蹄の下の土は、黒く、生命力に満ちている。やがて、見覚えのある西部の農村地帯が広がった。だが、その光景は私が最初に訪れた時とはまるで様変わりしていた。
かつて畑を不気味な銀色に染めていた『銀葉病』の痕跡はどこにもない。そこにあったのは、地平線の彼方まで続く黄金色の絨毯。収穫の時期を迎えた小麦の穂が、風に吹かれて豊かに揺れている。その中を、村人たちの喜びに満ちた歌声が駆け抜けていく。
私たちが村に到着すると、歌声は驚きと、熱烈な歓迎の歓声へと変わった。
「公爵様だ!」
「リーナ様も、ご一緒だぞ!」
村人たちは農作業の手を止め、次々と駆け寄ってくる。その誰もが血色が良く、瞳は未来への希望に輝いていた。
村長の老人が深々と頭を下げ、焼きたてのパンが盛られた籠を私に差し出した。
「リーナ様。これは、今年この土地で収穫された最初の小麦で焼いたパンでございます。どうか、お受け取りください。これも全て、あなた様のおかげでございます」
ずっしりと重いパンの温かさが、私の胸にじんとしみ渡った。
善政と正しい知識。その二つが合わされば、これほどまでに人の暮らしは豊かになる。目の前に広がる光景は、国と人々が本来あるべき、希望に満ちた姿そのものだった。
しかし、その希望に満ちた光景を、国境の向こう側から絶望に満ちた目で見つめる者がいた。
アステル王国からヴァルテンベルク公国へ潜入していた一人の密偵。彼は国境となっている小川のアステル側の、枯れた茂みに身を潜めていた。
彼の目に見える、川の向こう側の光景は信じがたいものだった。青々と茂る牧草地で丸々と太った牛が草を食み、子供たちの屈託のない笑い声が聞こえる。
そして、彼が故郷である川のこちら側へと視線を転じた時。
そこにあるのは、地獄だった。
畑は枯れた雑草すら生えない、ひび割れた茶色い大地と化している。痩せこけた農夫が力なく、死んだ土を耕す。遠くに見える村はまるで骸骨のように静まり返り、時折聞こえるのは病に苦しむ者の弱々しい咳の音だけ。
ほんの数メートルしかない川を挟んだだけで、これほどの違いがあるというのか。まるで天国と地獄だ。
密偵の胸に、自国への深い絶望と、川の向こうの公国へのどす黒い嫉妬が同時に込み上げてきた。
この、あまりにも対照的な二つの国の報告は、数日後、アステル王国の玉座の間でエドウィン王子の元へと届けられた。
密偵は震える声で、ありのままを報告した。ヴァルテンベルク公国の信じがたいほどの豊かさと、そこに住まう民の幸福そうな様子を。
エドウィンは黙って報告を聞いていた。玉座に深く身を沈め、その表情は影になって窺い知れない。
だが、報告が終わった時、彼の口から漏れたのは自らの非を認める言葉ではなかった。
「…やはり、そうか」
その呟きは確信に満ちていた。
彼はゆっくりと立ち上がると、狂信者のようにその目を爛々と輝かせた。彼の歪んだ精神の中では、密偵の報告は全く別の真実へと捻じ曲げられていたのだ。
(豊作?疫病もない、だと?ありえん。我が国がこれほどまでに神に見放されているというのに、辺境の公国だけが栄えるなど断じてありえん!)
(これは善政の結果などではない。紛れもない、簒奪だ!)
(あの魔女…リーナとか言ったか。あの女がその妖術で、我がアステル王国から幸運を、国運そのものを根こそぎ奪い、ヴァルテンベルクへと横流ししているのだ!)
(そうだ、そうでなければ辻褄が合わないではないか!
ユリウスは、その魔女を使い、我が国の富を盗んでいる、卑劣な盗人なのだ!)
彼の判断の誤りは、もはや誰にも修正不可能な域にまで達していた。自らが犯した取り返しのつかない過ちを認めることから逃れるために、彼の心はさらに深く、暗い妄想の迷宮へと自ら進んで堕ちていく。
そして、その妄想はついに、破滅的な行動へと彼を駆り立てる。
彼の内なる絶叫が、玉座の間に実際に響き渡った。
「あの女の力は、本来、私が使うべきものだったのだ!」
エドウィンは玉座のそばにあった高価な杯を床に叩きつけた。耳障りな音が響く。
「奪われたものは、力で奪い返すまで!全軍に通達!」
彼は部屋の隅に控えていた軍の最高司令官へと、狂気に満ちた、しかし明瞭な命令を下した。
「ヴァルテンベルク公爵領へ進軍せよ!
そして、国を蝕む元凶、魔女リーナを捕らえ、我が元へと連れてくるのだ!」
それは、自らの破滅へと繋がる最後の一線を、彼が完全に踏み越えた瞬間だった。
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