捨てられ聖女は、隣国で”香りの魔術師”として覚醒しました~冷徹公爵様の心を癒すのは、私だけの調香術です~

YY

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第32話(最終話):あなたの隣が私の居場所

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あの祝福に満ちた結婚式から、まるで嵐が過ぎ去った後の静けさのように、穏やかで幸福な一年が流れていた。私とユリウスが手を取り合って歩み始めたアステル王国は、今、かつてないほどの平和と繁栄を謳歌している。王都の石畳を歩けば、人々が交わす心からの笑顔や、活気あふれる市場の喧騒が、この国の確かな変革を雄弁に物語っていた。
摂政となったユリウスは、その類まれな知略と、誰にも揺るがぬ公正さをもって国を導いた。長年民を苦しめてきた腐敗した貴族は徹底的に一掃され、身分や家柄に関係なく、能力のある者が国を支える要職に就く新しい制度が築かれた。彼の改革は、停滞していたこの国に新しい風を吹き込み、力強く健全な国へと生まれ変わらせていった。その傍らには常に、王妃として、そして何より彼の最も信頼するパートナーとして、私の姿があった。私は、彼が一人で背負うにはあまりに重い国政の重圧を、少しでも分かち合えるよう、できる限りのことを尽くしてきた。
私が設立を夢見た「国立薬草研究所」は、今やこの国の医療と公衆衛生を支える新しい心臓部だ。研究所の周囲には、王都の景観を彩る広大な薬草園が広がり、季節ごとに様々な薬草が咲き誇る。そこでは、この土地の気候に適した新しい品種の薬草が、青々と生命力に満ちて育っていた。白亜の建物の中では、私が直接育成した多くの若い学者たちが、夜通しランプを灯し、新しい薬の開発に情熱を燃やしている。彼らの瞳は、未来への希望に満ちて輝いていた。
「リーナ様!ご覧ください!この新種のミントから抽出した成分で、小児用の解熱剤が、これまでの半分のコストで作れるようになりました!」
ある日、一人の若手研究員が、研究ノートを手に興奮した面持ちで私に報告した。その声は、震えるほどに喜びに満ちている。
「素晴らしいわ!すぐに量産体制を整えましょう。これで、冬の熱病に苦しむ多くの子どもたちを、もっと救うことができるわね」
私の言葉に、研究員は深く頭を下げた。彼らの努力が確かな形で実を結んでいくのを目の当たりにするたび、私はこの場所を作って本当に良かったと心から思えた。私が開発した、衛生改善のための浄化香は、貧しい地区にも安価で供給され、その結果、これまで多くの幼い命を奪ってきた乳幼児の死亡率は劇的に低下した。研究所のロビーには、赤ん坊を抱いた母親たちからの、感謝と喜びを綴った手紙が毎日山のように届けられる。その一通一通を読むたびに、私は胸が熱くなった。これが、この世界で得た、何よりも尊い私の宝物だった。
ある日の夕暮れ。
私は研究所の温室で、若い研究員たちに薬草の栽培方法を指導していた。日が沈みかけ、温室の中に柔らかな夕陽が差し込む、そんな穏やかな時間だった。その時、温室の入り口に、見慣れた長身の影が立っているのに気づいた。
「公爵様…!」
それはユリウスだった。摂政としての激務を終え、私を迎えに来てくれたのだ。その手には護衛の騎士はおらず、堅苦しい公務服ではなく、動きやすい普段着姿だった。まるで日々の仕事を終えた妻を迎えに来たかのような、柔らかな笑みを浮かべている。
「ごめん、待たせてしまったか?」
「いいえ、ちょうど今、作業が終わったところです」
私たちは二人並んで、夕日に染まる王都の道をゆっくりと歩いて帰った。その道は、もはやかつてのような、暗く重い瘴気と絶望の匂いに満ちてはいない。家々の窓からは温かい夕食の匂いが漂い、道端では子どもたちが元気に笑いながら走り回っている。すれ違う人々は皆、私たちの姿を認めると、親しみを込めた温かい笑顔で頭を下げてくれた。その笑顔一つ一つが、この国の確かな変化を、そして私たちが築き上げた平和を物語っていた。
「研究所の新しいカモミールの交配種が、素晴らしい成果を上げているわ。来月には、西部の農家の方々に苗を配布できそうよ」
「そうか。それは良い報せだ。私も、ちょうど貿易に関する新しい報告書が上がってきたところだ。今期の輸出量が、過去最高を記録しそうだ。後でまたお前の意見を聞かせてくれ」
国のこと、仕事のこと、そして今夜の夕食のこと。私たちはごく普通の夫婦のように、今日の出来事を語り合う。その何気ない、穏やかな時間こそが、私たちが絶望の中から共に戦い、ようやく手に入れたかけがえのない宝物だった。
やがて私たちは、宮殿のあの思い出の庭園へとたどり着いた。夕日に照らされた純白の薔薇が、最後の輝きを放ちながら甘い香りをあたり一面に漂わせる。あの日、彼が私に永遠を誓ってくれた場所に、私たちは並んで立った。
私はユリウスのたくましい肩にそっと頭を預けた。彼の温かさと、隣にいるという安心感が、私の心を静かに満たしていく。
「…不思議ですね」
「何がだ?」
「この世界に初めて来たときは、本当に一人ぼっちで…。自分の価値なんて、全く信じることができませんでした」
あの屈辱に満ちた玉座の間、暗く怖かった絶望の森。その時のことを思うと、今こうして彼の隣で穏やかに夕日を眺めていることが、まるで奇跡のように思えた。
「でも、今はわかります」
私は彼を見上げ、心の底からの微笑みを向けた。
「私の居場所は、あなたの隣なんですね」
その言葉に、ユリウスは何も言わなかった。ただ、愛おしげに私をその腕の中に強く、そして優しく抱きしめた。彼の温かい腕に包まれ、私は目を閉じる。彼の心臓の鼓動が、私に確かな安心を与えてくれた。
そして、私の耳元で囁く。
「私の居場所も、ずっと昔から、お前の隣だけだ」
彼はその大きな手を私の肩からゆっくりと下へと滑らせ、私のお腹にそっと優しく触れた。春物の柔らかなドレスの上からでもわかるほどに、そのお腹はわずかに、しかし確かに丸みを帯びていた。彼の温かい手のひらから、新しい命への深く、深い愛情がじんわりと伝わってくる。
私たちは言葉を交わすことなく、ただ二人で、そしてお腹の中にいる小さな新しい命と共に、沈みゆく美しい夕日をじっと見つめていた。その景色は、私たちが歩んできた苦難の道と、これから始まる輝かしい未来を象徴しているようだった。
捨てられた聖女の物語は、ここで終わりを告げる。
しかし、国を愛し、民に愛された賢妃と、彼女を生涯支え続けた偉大なる王の本当の伝説は、まだ始まったばかりであった。
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