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第2章:赤いタスクと二つの正義
第38話:ゴードンの“痛み”と現地調査
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シーナが持ち帰った「魔力乱流」の報告書を元に、ケンジはワイバーン討伐の作戦を練り上げていた。報告書にはワイバーンの生態だけでなく、巣である「風鳴りの山」の地形、魔力の流れに関する詳細なデータが記されていた。それは、かつて騎士団が提出した当たり障りのない報告書とは比べ物にならない、命懸けで得た情報だと、ケンジは直感的に理解していた。
「皆さん、これが今回の作戦の骨子です」
ケンジが投影したホログラムには、風鳴りの山の三次元モデルが浮かび上がる。山の稜線、谷筋、そしてワイバーンの巣がある頂上の洞窟まで、精巧に再現されていた。
「ワイバーンの巣は、山の頂上にある洞窟だ。そこへ至る道は、魔力乱流の影響で非常に不安定になっている。空間が歪み、最悪の場合、ワイバーンが予期せぬ場所に出現することも考えられる」
要点を絞ったケンジの言葉に、ルリエルとシーナは顔を見合わせ、その表情を険しくした。グリッチハウンドとの戦いが、彼らの脳裏に鮮明に蘇ったのだ。予測不能な魔物の出現。それが、今回も起こりうると知って、二人の心臓は警鐘を鳴らしていた。
「しかし、この情報は大きなアドバンテージだ。私たちはこの魔力乱流を、敵の武器ではなく、作戦に組み込むことができる」
ケンジは、そう言って作戦の概要を説明していく。
「まず、ワイバーンの行動パターンを正確に把握するための現地調査を行う。この調査で魔力乱流の発生位置とタイミングを特定する。次に、その情報を元に、ワイバーンを誘導するための罠を仕掛ける。そして最後に、ワイバーンが罠にかかったところで、一斉攻撃を仕掛ける。これが、今回のP-D-C-Aだ」
皆は静かに頷いた。もはやケンジの指示に疑念を抱く者はいなかった。彼の作戦は常に論理的で、成功への道筋を明確に示してくれる。それは、決して感情的な判断に頼らない、冷徹なまでの合理性だった。
そして、作戦開始の日。
一行はワイバーンの生息する山岳地帯に到着した。王都から馬で三日。彼らの目の前には、空を突き刺すようにそびえる風鳴りの山があった。その名の通り、常に不気味な風の音が鳴り響いている。風は岩肌を削り、奇妙な唸り声を上げる。まるで山全体が、彼らの侵入を拒むかのように嘆いているかのようだった。
山の麓に一歩足を踏み入れた途端、一行は報告書に記されていた「魔力乱流」の存在を肌で感じた。
「空気が……重いわね」
ルリエルの言葉通り、空気はまるで水の中を歩いているかのように重く、彼らの動きを鈍らせる。周囲の植物は不自然にねじ曲がり、奇妙な形をしていた。幹が螺旋を描くように絡み合い、葉は鋭い刃物のように硬質化している。それは、目に見えない力がこの世界の物理法則を歪めているかのようだった。
「……これが、世界の『バグ』の物理的影響なのか」
ルリエルは驚きと畏怖の念を込めて呟く。王立魔術院で魔力の流れを学んできた彼女だが、このような不規則で淀んだ魔力の流れは、初めて見るものだった。魔力の定説を覆すような現象が、目の前で起きている。
「ああ。ここじゃ、いつグリッチハウンドみたいな、変な魔物が出てきてもおかしくねぇな」
シーナは警戒するように周囲を見回す。腰の二本の短剣は、いつでも抜けるように準備されていた。彼女の鋭い視線は、空間の僅かな揺らぎも見逃すまいと、周囲をなめるように動いていた。
ゴードンは何も言わない。ただ、その巨大な身体はすでに臨戦態勢に入っている。彼は誰よりも前を歩き、仲間を守る盾となっていた。その威圧感は、この異常な空間にも負けない存在感を放っていた。
ケンジは、手に持った端末(タブレット)にホログラムの地図を投影しながら指示を出す。
「ここから先は報告書にない未知の領域だ。慎重に行動しよう。ゴードンさんを先頭に、ルリエルさん、シーナさんの順で進んでくれ。俺は皆さんの背後から、魔力乱流の観測を行う」
皆は静かに頷く。一言も言葉を交わさずとも、それぞれの役割を完璧に理解していた。彼らは、もはや単なるパーティではなく、一つの有機的なチームとして機能していた。
一行は慎重に山の中へと入っていく。
魔力乱流の影響か、周囲の景色はまるで幻覚のようだ。遠くに見えるはずの岩山が、次の瞬間には別の場所に移動している。その異常な光景に、ルリエルが思わず息をのんだ。
「空気が、乱れてるわ……!」
ルリエルがバランスを崩しそうになった瞬間、ゴードンが彼女の肩にそっと手を添えた。彼の体からは、大地のように安定した魔力が感じられる。それは、この不安定な空間にあって、唯一の頼りになる存在だった。
足元の石が突然浮き上がり、空中を漂う。シーナは背筋に寒気を感じ、無言のまま腰の短剣を強く握り直した。彼女の野生の勘が、この異常な空間が持つ危険性を警告していた。
ケンジはそんな異常な状況を冷静に観察し、端末に記録していく。
(この魔力乱流の発生は、不規則に見えて、ある種のアルゴリズムに基づいているはずだ。ワイバーンの行動パターンと、この魔力乱流の発生パターンに、何らかの相関関係があるに違いない……)
ケンジの頭の中は、すでにワイバーン討伐というプロジェクトの核心へと向かっていた。彼にとって、この異常な現象は、解くべき謎であり、乗り越えるべき課題だった。
しかし、その道は険しいものだった。彼らは何時間も彷徨い、ようやく一つの開けた場所にたどり着く。そこは、誰かが意図的に作ったかのような小さな平地だった。周囲には風化した岩が転がり、その真ん中に、一本の墓標が立っていた。
それは、剣が一本、地面に突き立てられただけの簡素なものだった。剣の柄には、風雨に晒されほとんど判読できなくなった文字の跡がわずかに残る。刃は錆びつき、柄には苔が生え、その全体が、この場所で長い年月が流れたことを物語っていた。
「……墓標か」
シーナが静かに呟く。いつもとは違い、どこか神妙な表情だ。彼女は盗賊として、人の死を間近で見てきた。だからこそ、こんなにも人知れず消えていった命の証が、心に深く突き刺さった。
「ワイバーン討伐に挑んだ、先人たちのものかもしれませんわね」
ルリエルが静かに付け加えた。彼女は剣の錆びついた刃を見つめる。かつて、この刃が誰かの希望を映し出していたのだと想像すると、胸は言いようのない切なさに満たされた。
ケンジは、その墓標を前に静かに頭を垂れた。
(情報不足のまま、感情的な判断で、この山に挑んだのだろうか……)
その時だった。
墓標をじっと見つめていたゴードンが、おもむろにその巨大な身体を動かす。彼は膝を突き、分厚い掌で、墓標に突き立てられた剣の柄にそっと触れた。その指先が、わずかに震えているように見えた。
「ゴードン?」
シーナが、不思議そうな顔で声をかける。ゴードンは決して感情を表に出す男ではない。そんな彼が墓標を前にして、これほどまでに感傷的な態度を見せるのは初めてのことだった。
ゴードンはシーナの言葉に答えず、ただその分厚い掌で剣の柄を、まるで大切なものを触るかのように優しく撫でている。瞳の奥には、悲しみと、そして怒りにも似た、複雑な感情が渦巻いているように見えた。
「……あの時も、同じだった。罠にかかって、俺は……」
ゴードンの言葉に、一行は息をのんだ。彼の過去の一端が、不意に明かされたのだ。
ゴードンはゆっくりと立ち上がると、剣から手を離した。彼の表情は、硬い岩のように動かない。
「この場所は、ワイバーンの巣からは、まだ遠い」
ゴードンが、ぽつりと呟く。
「こんな場所で命を落とすなんて、よほどのことがあったのでしょうね」
ルリエルが悲しげな声で付け加えた。
「……ああ。この場所は、ワイバーンに襲われた場所じゃない。おそらく……罠に、かかったんだ」
ゴードンの言葉は、一行の脳裏にグリッチハウンドとの戦いを蘇らせる。予測不能な動きをする魔物、そして歪んだ空間。この場所は魔力乱流が特に強い場所だ。そこに仕掛けられた、目に見えない罠に、彼らはかかってしまったのかもしれない。
「感情的な判断は、命取りだ。計画と規律こそが、仲間を生かす唯一の道だ」
ゴードンはそう言って、改めて仲間たちを見据えた。彼の背中は、いつもよりもどこか重く、そして孤独に見えた。彼の言葉は、自分自身に言い聞かせているかのようでもあった。
その夜の野営で、ゴードンが自らの過去を語り始めるまでは、まだ時間があった。しかし、この墓標を前にした彼の態度は、彼の心の中に消えることのない「痛み」があることを、一行に無言のうちに伝えていた。それは、単なる冒険者としての経験から来るものではない。もっと個人的で、もっと深い、彼の人生そのものを形作ってきた、ある種の「悲劇」だった。
彼らは静かにその場所を後にした。ゴードンは振り返ることはなかった。ただ、その分厚い掌は、まるでまだあの剣の柄の感触を忘れられないかのように、固く握りしめられていた。
「皆さん、これが今回の作戦の骨子です」
ケンジが投影したホログラムには、風鳴りの山の三次元モデルが浮かび上がる。山の稜線、谷筋、そしてワイバーンの巣がある頂上の洞窟まで、精巧に再現されていた。
「ワイバーンの巣は、山の頂上にある洞窟だ。そこへ至る道は、魔力乱流の影響で非常に不安定になっている。空間が歪み、最悪の場合、ワイバーンが予期せぬ場所に出現することも考えられる」
要点を絞ったケンジの言葉に、ルリエルとシーナは顔を見合わせ、その表情を険しくした。グリッチハウンドとの戦いが、彼らの脳裏に鮮明に蘇ったのだ。予測不能な魔物の出現。それが、今回も起こりうると知って、二人の心臓は警鐘を鳴らしていた。
「しかし、この情報は大きなアドバンテージだ。私たちはこの魔力乱流を、敵の武器ではなく、作戦に組み込むことができる」
ケンジは、そう言って作戦の概要を説明していく。
「まず、ワイバーンの行動パターンを正確に把握するための現地調査を行う。この調査で魔力乱流の発生位置とタイミングを特定する。次に、その情報を元に、ワイバーンを誘導するための罠を仕掛ける。そして最後に、ワイバーンが罠にかかったところで、一斉攻撃を仕掛ける。これが、今回のP-D-C-Aだ」
皆は静かに頷いた。もはやケンジの指示に疑念を抱く者はいなかった。彼の作戦は常に論理的で、成功への道筋を明確に示してくれる。それは、決して感情的な判断に頼らない、冷徹なまでの合理性だった。
そして、作戦開始の日。
一行はワイバーンの生息する山岳地帯に到着した。王都から馬で三日。彼らの目の前には、空を突き刺すようにそびえる風鳴りの山があった。その名の通り、常に不気味な風の音が鳴り響いている。風は岩肌を削り、奇妙な唸り声を上げる。まるで山全体が、彼らの侵入を拒むかのように嘆いているかのようだった。
山の麓に一歩足を踏み入れた途端、一行は報告書に記されていた「魔力乱流」の存在を肌で感じた。
「空気が……重いわね」
ルリエルの言葉通り、空気はまるで水の中を歩いているかのように重く、彼らの動きを鈍らせる。周囲の植物は不自然にねじ曲がり、奇妙な形をしていた。幹が螺旋を描くように絡み合い、葉は鋭い刃物のように硬質化している。それは、目に見えない力がこの世界の物理法則を歪めているかのようだった。
「……これが、世界の『バグ』の物理的影響なのか」
ルリエルは驚きと畏怖の念を込めて呟く。王立魔術院で魔力の流れを学んできた彼女だが、このような不規則で淀んだ魔力の流れは、初めて見るものだった。魔力の定説を覆すような現象が、目の前で起きている。
「ああ。ここじゃ、いつグリッチハウンドみたいな、変な魔物が出てきてもおかしくねぇな」
シーナは警戒するように周囲を見回す。腰の二本の短剣は、いつでも抜けるように準備されていた。彼女の鋭い視線は、空間の僅かな揺らぎも見逃すまいと、周囲をなめるように動いていた。
ゴードンは何も言わない。ただ、その巨大な身体はすでに臨戦態勢に入っている。彼は誰よりも前を歩き、仲間を守る盾となっていた。その威圧感は、この異常な空間にも負けない存在感を放っていた。
ケンジは、手に持った端末(タブレット)にホログラムの地図を投影しながら指示を出す。
「ここから先は報告書にない未知の領域だ。慎重に行動しよう。ゴードンさんを先頭に、ルリエルさん、シーナさんの順で進んでくれ。俺は皆さんの背後から、魔力乱流の観測を行う」
皆は静かに頷く。一言も言葉を交わさずとも、それぞれの役割を完璧に理解していた。彼らは、もはや単なるパーティではなく、一つの有機的なチームとして機能していた。
一行は慎重に山の中へと入っていく。
魔力乱流の影響か、周囲の景色はまるで幻覚のようだ。遠くに見えるはずの岩山が、次の瞬間には別の場所に移動している。その異常な光景に、ルリエルが思わず息をのんだ。
「空気が、乱れてるわ……!」
ルリエルがバランスを崩しそうになった瞬間、ゴードンが彼女の肩にそっと手を添えた。彼の体からは、大地のように安定した魔力が感じられる。それは、この不安定な空間にあって、唯一の頼りになる存在だった。
足元の石が突然浮き上がり、空中を漂う。シーナは背筋に寒気を感じ、無言のまま腰の短剣を強く握り直した。彼女の野生の勘が、この異常な空間が持つ危険性を警告していた。
ケンジはそんな異常な状況を冷静に観察し、端末に記録していく。
(この魔力乱流の発生は、不規則に見えて、ある種のアルゴリズムに基づいているはずだ。ワイバーンの行動パターンと、この魔力乱流の発生パターンに、何らかの相関関係があるに違いない……)
ケンジの頭の中は、すでにワイバーン討伐というプロジェクトの核心へと向かっていた。彼にとって、この異常な現象は、解くべき謎であり、乗り越えるべき課題だった。
しかし、その道は険しいものだった。彼らは何時間も彷徨い、ようやく一つの開けた場所にたどり着く。そこは、誰かが意図的に作ったかのような小さな平地だった。周囲には風化した岩が転がり、その真ん中に、一本の墓標が立っていた。
それは、剣が一本、地面に突き立てられただけの簡素なものだった。剣の柄には、風雨に晒されほとんど判読できなくなった文字の跡がわずかに残る。刃は錆びつき、柄には苔が生え、その全体が、この場所で長い年月が流れたことを物語っていた。
「……墓標か」
シーナが静かに呟く。いつもとは違い、どこか神妙な表情だ。彼女は盗賊として、人の死を間近で見てきた。だからこそ、こんなにも人知れず消えていった命の証が、心に深く突き刺さった。
「ワイバーン討伐に挑んだ、先人たちのものかもしれませんわね」
ルリエルが静かに付け加えた。彼女は剣の錆びついた刃を見つめる。かつて、この刃が誰かの希望を映し出していたのだと想像すると、胸は言いようのない切なさに満たされた。
ケンジは、その墓標を前に静かに頭を垂れた。
(情報不足のまま、感情的な判断で、この山に挑んだのだろうか……)
その時だった。
墓標をじっと見つめていたゴードンが、おもむろにその巨大な身体を動かす。彼は膝を突き、分厚い掌で、墓標に突き立てられた剣の柄にそっと触れた。その指先が、わずかに震えているように見えた。
「ゴードン?」
シーナが、不思議そうな顔で声をかける。ゴードンは決して感情を表に出す男ではない。そんな彼が墓標を前にして、これほどまでに感傷的な態度を見せるのは初めてのことだった。
ゴードンはシーナの言葉に答えず、ただその分厚い掌で剣の柄を、まるで大切なものを触るかのように優しく撫でている。瞳の奥には、悲しみと、そして怒りにも似た、複雑な感情が渦巻いているように見えた。
「……あの時も、同じだった。罠にかかって、俺は……」
ゴードンの言葉に、一行は息をのんだ。彼の過去の一端が、不意に明かされたのだ。
ゴードンはゆっくりと立ち上がると、剣から手を離した。彼の表情は、硬い岩のように動かない。
「この場所は、ワイバーンの巣からは、まだ遠い」
ゴードンが、ぽつりと呟く。
「こんな場所で命を落とすなんて、よほどのことがあったのでしょうね」
ルリエルが悲しげな声で付け加えた。
「……ああ。この場所は、ワイバーンに襲われた場所じゃない。おそらく……罠に、かかったんだ」
ゴードンの言葉は、一行の脳裏にグリッチハウンドとの戦いを蘇らせる。予測不能な動きをする魔物、そして歪んだ空間。この場所は魔力乱流が特に強い場所だ。そこに仕掛けられた、目に見えない罠に、彼らはかかってしまったのかもしれない。
「感情的な判断は、命取りだ。計画と規律こそが、仲間を生かす唯一の道だ」
ゴードンはそう言って、改めて仲間たちを見据えた。彼の背中は、いつもよりもどこか重く、そして孤独に見えた。彼の言葉は、自分自身に言い聞かせているかのようでもあった。
その夜の野営で、ゴードンが自らの過去を語り始めるまでは、まだ時間があった。しかし、この墓標を前にした彼の態度は、彼の心の中に消えることのない「痛み」があることを、一行に無言のうちに伝えていた。それは、単なる冒険者としての経験から来るものではない。もっと個人的で、もっと深い、彼の人生そのものを形作ってきた、ある種の「悲劇」だった。
彼らは静かにその場所を後にした。ゴードンは振り返ることはなかった。ただ、その分厚い掌は、まるでまだあの剣の柄の感触を忘れられないかのように、固く握りしめられていた。
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