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第3章:偽りの繁栄と経済戦争
第68話:ロードマップと意外な協力者
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王城の一室は、今や彼らの作戦司令室と化していた。ミレット村を蝕む原因不明の「熱病」が、世界のシステムそのものが引き起こす悪質なバグ――「リソース枯渇アノマリー」であると判明してから、すでに丸一日が経過している。部屋の空気は張り詰め、濃密な緊張感に満ちていたが、そこに絶望の色はなかった。彼らの心に宿るのは、仲間と故郷を必ず救い出すという、静かで、しかし燃えるような決意だけだった。
テーブルの中央には、王都からミレット村へと至る広大な地図が広げられている。ケンジの指先が、その地図をゆっくりとなぞっていた。
「ミレット村は、王都から西へ約200キロ。馬車を使っても、最低五日はかかる距離です」
彼の声はどこまでも冷静だった。だがその瞳の奥には、これから足を踏み入れようとしている未知の領域への、最大限の警戒心が宿っている。
「問題は道中の安全性です。アノマリーが発生している領域では、我々の生命エネルギーそのものが徐々に削られていく。可能な限り、滞在時間を短縮しなければならない」
ケンジはそう言うと、羽ペンを地図上の一点に置いた。「最短ルートはこの南の街道です。ですが…」
「そこはダメだ、ボス」
ケンジの言葉を遮ったのはシーナだった。彼女は地図の南街道を指でなぞる。
「そこは『黒い森』を通る。昼間でも陽の差さない魔物の巣窟だ。今の俺たちの戦力でまともに突っ切るのは無謀すぎる」
「では、北の山越えの道は?」
ルリエルが不安げに問う。
「それも危険だ」
今度はゴードンが重々しく答えた。
「あの山脈にはグリフォンの縄張りがある。空からの奇襲を受ければひとたまりもない」
南は魔物の巣窟。北は空の王者。そしてどちらのルートを選んでも、彼らは「リソース枯渇アノマリー」という目に見えない死の脅威に身を晒し続けなければならない。まさに八方塞がりだ。
だがケンジは動じなかった。彼のプロジェクトマネージャーとしての真価が問われるのは、いつだってこういう絶望的な状況下だった。
「分かりました」
彼は静かに頷くと、一枚の真新しい羊皮紙を取り出した。そしてそこに、流れるような、しかし一切の迷いのない筆致で、複雑な図を描き始める。それは彼がこの不可能とも思える旅を成功させるために作り上げた、完璧な「ロードマップ」だった。
【プロジェクト・ロードマップ:ミレット村救済計画】
【フェーズ1:リソース調達(期間:2日)】
・タスク1-1:高位神官への協力要請(担当:ケンジ)
・タスク1-2:特殊薬草「月影草」の確保(担当:シーナ)
・タスク1-3:対アノマリー用・魔力障壁の理論構築(担当:ルリエル)
・タスク1-4:長期行軍用・装備の最終点検(担当:ゴードン)
【フェーズ2:行軍(期間:4日)】
・ルート:北の山脈を迂回する、第三の隠しルートを選択。
・リスク管理:一日に行軍できる最大時間を8時間と設定。それ以上は、アノマリーによる生命力低下のリスクが許容範囲を超える。
【フェーズ3:現地調査および、原因特定…】
そのあまりにも緻密で、あらゆるリスクを想定した完璧な計画に、仲間たちは息をのんだ。絶望的な状況の中に、確かに存在する一本の細い、しかし確かな活路。ケンジはそれを、論理の力だけでこじ開けてみせたのだ。
だが、ケンジ自身はまだ表情を崩していなかった。彼の視線はロードマップのある一点に注がれている。
【タスク1-1:高位神官への協力要請】
その項目の横に、彼が自ら書き加えた小さな注釈。
『…承認確率:10%以下。王宮内の政治的障壁、多し』
そうだ。この計画は完璧だ。だがそれを実行するための「リソース」があまりにも不足している。王宮に正式な協力を要請しても、得体の知れない「熱病」のために貴重な高位神官を辺境の村へ派遣するなど、貴族たちが認めるはずもなかった。
(どうする。このままでは、計画が初動で頓挫する…)
ケンジがそのあまりにも重い課題を前に思考を巡らせていた、まさにその時だった。
コン、コン。
部屋の重厚な扉が控えめにノックされた。そして返事を待たずに、ゆっくりと内側へと開かれる。そこに立っていたのは、彼らが今、最も会うことを予想していなかった人物だった。
部屋の扉を開け、そこに立っていた人物。そのあまりにもありえない来訪者の姿に、ケンジのパーティは一瞬、完全にその動きを止めた。
金色の髪。彫刻のように整った顔立ち。そしてその圧倒的な存在感。
勇者、ガイ。その人本人だった。
「…てめえ、何の用だい?」
最初に凍り付いた空気を破ったのは、シーナの低く敵意に満ちた声だった。彼女は椅子から音もなく立ち上がると、その手はすでに腰に下げた短剣の柄に伸びている。彼女の瞳には、この男が引き起こした先の惨劇の記憶がまだ生々しく焼き付いていた。
ルリエルもまた杖を固く握りしめていた。その翡翠の瞳は警戒の色を隠そうともしない。彼女にとってガイは、自らの、そして仲間たちのすべてを台無しにした、傲慢で独善的な破壊者でしかなかった。
ゴードンは無言でケンジの前に立ちはだかる。その鋼鉄の巨体は、いかなる攻撃からもリーダーを守り抜かんとする揺るぎない意志の壁だった。
だが、彼らが身構えたその相手。勇者ガイの佇まいは、彼らの記憶にある傲慢で自信に満ち溢れた英雄のそれとは似ても似つかないものだった。
彼は一人だった。背後に仲間を一人も従えてはいない。その身にまとうのは、光り輝く白銀の鎧ではなく、旅人としての実用性を重視した地味な革の軽装。そして何よりも違っていたのは、その表情だった。
以前の、民衆を熱狂させる輝くような笑顔はそこにはない。自らの正義を疑わない傲岸不遜な光もない。ただ、深い自省と、そして重い覚悟をその身に刻み込んだ者だけが浮かべることのできる、静かで、どこか憂いを帯びた落ち着きが、その琥珀色の瞳には宿っていた。
ガイは仲間たちの剥き出しの敵意を甘んじて受け入れるかのように、静かにその場に立ち尽くしていた。
「邪魔をするつもりはない」
やがて彼が紡ぎ出したその声は、謁見の間で響き渡った英雄の朗々とした声ではなかった。ひどく落ち着いた、そしてどこか疲労の色を感じさせる低い声だった。
「ただ、一つ確かめたいことがあって来た」
彼はそう言うと、その視線をテーブルに広げられた広大な地図へと向けた。そして彼が指し示したのは、王都から遥か西。誰もその名を知らないはずの辺境の一点。
「ミレット村」
ガイの唇からその名が紡ぎ出された瞬間、シーナの身体がびくりと震えた。
「なぜあんたがその村の名を…?」
「王城の古文書を調べさせてもらった」
ガイは静かに答える。
「原因不明の疫病。ここ数ヶ月で急激に悪化している、と。そして、その調査依頼を君たちのパーティが非公式に受託した、ということも」
その言葉にケンジは息をのんだ。この情報は、まだ国王と宰相にしか報告していないはず。この男は一体どこからそれを…?
ガイはまるでケンジの疑問に答えるかのように続けた。「俺にも俺なりの情報網がある。君たちほど緻密ではないがな」彼はそこで自嘲するように、ふ、と笑った。
そして、その静かな瞳でケンジをまっすぐに見つめる。
「君たちがこれから挑もうとしているその『熱病』。それがただの病などではないことも、俺は知っている」
彼はその声のトーンをさらに落とした。その響きには、ワイバーンとの戦いを生き延びた者だけが理解できる、共通の危機感が込められていた。
「『アノマリー』。世界の理から外れた、存在。そうだろう?」
ガイはすべてを知っていた。ケンジたちが今直面している問題の本質を。そしてそのあまりの困難さを。
部屋は再び重い沈黙に包まれた。ケンジの仲間たちは、ただ呆然と目の前の変わり果てた勇者の姿を見つめることしかできなかった。彼らが知る勇者ガイは、もはやどこにもいなかった。そこにいたのは、自らの敗北と真正面から向き合い、そして新たな覚悟を決めた、一人の男の姿だけだった。
テーブルの中央には、王都からミレット村へと至る広大な地図が広げられている。ケンジの指先が、その地図をゆっくりとなぞっていた。
「ミレット村は、王都から西へ約200キロ。馬車を使っても、最低五日はかかる距離です」
彼の声はどこまでも冷静だった。だがその瞳の奥には、これから足を踏み入れようとしている未知の領域への、最大限の警戒心が宿っている。
「問題は道中の安全性です。アノマリーが発生している領域では、我々の生命エネルギーそのものが徐々に削られていく。可能な限り、滞在時間を短縮しなければならない」
ケンジはそう言うと、羽ペンを地図上の一点に置いた。「最短ルートはこの南の街道です。ですが…」
「そこはダメだ、ボス」
ケンジの言葉を遮ったのはシーナだった。彼女は地図の南街道を指でなぞる。
「そこは『黒い森』を通る。昼間でも陽の差さない魔物の巣窟だ。今の俺たちの戦力でまともに突っ切るのは無謀すぎる」
「では、北の山越えの道は?」
ルリエルが不安げに問う。
「それも危険だ」
今度はゴードンが重々しく答えた。
「あの山脈にはグリフォンの縄張りがある。空からの奇襲を受ければひとたまりもない」
南は魔物の巣窟。北は空の王者。そしてどちらのルートを選んでも、彼らは「リソース枯渇アノマリー」という目に見えない死の脅威に身を晒し続けなければならない。まさに八方塞がりだ。
だがケンジは動じなかった。彼のプロジェクトマネージャーとしての真価が問われるのは、いつだってこういう絶望的な状況下だった。
「分かりました」
彼は静かに頷くと、一枚の真新しい羊皮紙を取り出した。そしてそこに、流れるような、しかし一切の迷いのない筆致で、複雑な図を描き始める。それは彼がこの不可能とも思える旅を成功させるために作り上げた、完璧な「ロードマップ」だった。
【プロジェクト・ロードマップ:ミレット村救済計画】
【フェーズ1:リソース調達(期間:2日)】
・タスク1-1:高位神官への協力要請(担当:ケンジ)
・タスク1-2:特殊薬草「月影草」の確保(担当:シーナ)
・タスク1-3:対アノマリー用・魔力障壁の理論構築(担当:ルリエル)
・タスク1-4:長期行軍用・装備の最終点検(担当:ゴードン)
【フェーズ2:行軍(期間:4日)】
・ルート:北の山脈を迂回する、第三の隠しルートを選択。
・リスク管理:一日に行軍できる最大時間を8時間と設定。それ以上は、アノマリーによる生命力低下のリスクが許容範囲を超える。
【フェーズ3:現地調査および、原因特定…】
そのあまりにも緻密で、あらゆるリスクを想定した完璧な計画に、仲間たちは息をのんだ。絶望的な状況の中に、確かに存在する一本の細い、しかし確かな活路。ケンジはそれを、論理の力だけでこじ開けてみせたのだ。
だが、ケンジ自身はまだ表情を崩していなかった。彼の視線はロードマップのある一点に注がれている。
【タスク1-1:高位神官への協力要請】
その項目の横に、彼が自ら書き加えた小さな注釈。
『…承認確率:10%以下。王宮内の政治的障壁、多し』
そうだ。この計画は完璧だ。だがそれを実行するための「リソース」があまりにも不足している。王宮に正式な協力を要請しても、得体の知れない「熱病」のために貴重な高位神官を辺境の村へ派遣するなど、貴族たちが認めるはずもなかった。
(どうする。このままでは、計画が初動で頓挫する…)
ケンジがそのあまりにも重い課題を前に思考を巡らせていた、まさにその時だった。
コン、コン。
部屋の重厚な扉が控えめにノックされた。そして返事を待たずに、ゆっくりと内側へと開かれる。そこに立っていたのは、彼らが今、最も会うことを予想していなかった人物だった。
部屋の扉を開け、そこに立っていた人物。そのあまりにもありえない来訪者の姿に、ケンジのパーティは一瞬、完全にその動きを止めた。
金色の髪。彫刻のように整った顔立ち。そしてその圧倒的な存在感。
勇者、ガイ。その人本人だった。
「…てめえ、何の用だい?」
最初に凍り付いた空気を破ったのは、シーナの低く敵意に満ちた声だった。彼女は椅子から音もなく立ち上がると、その手はすでに腰に下げた短剣の柄に伸びている。彼女の瞳には、この男が引き起こした先の惨劇の記憶がまだ生々しく焼き付いていた。
ルリエルもまた杖を固く握りしめていた。その翡翠の瞳は警戒の色を隠そうともしない。彼女にとってガイは、自らの、そして仲間たちのすべてを台無しにした、傲慢で独善的な破壊者でしかなかった。
ゴードンは無言でケンジの前に立ちはだかる。その鋼鉄の巨体は、いかなる攻撃からもリーダーを守り抜かんとする揺るぎない意志の壁だった。
だが、彼らが身構えたその相手。勇者ガイの佇まいは、彼らの記憶にある傲慢で自信に満ち溢れた英雄のそれとは似ても似つかないものだった。
彼は一人だった。背後に仲間を一人も従えてはいない。その身にまとうのは、光り輝く白銀の鎧ではなく、旅人としての実用性を重視した地味な革の軽装。そして何よりも違っていたのは、その表情だった。
以前の、民衆を熱狂させる輝くような笑顔はそこにはない。自らの正義を疑わない傲岸不遜な光もない。ただ、深い自省と、そして重い覚悟をその身に刻み込んだ者だけが浮かべることのできる、静かで、どこか憂いを帯びた落ち着きが、その琥珀色の瞳には宿っていた。
ガイは仲間たちの剥き出しの敵意を甘んじて受け入れるかのように、静かにその場に立ち尽くしていた。
「邪魔をするつもりはない」
やがて彼が紡ぎ出したその声は、謁見の間で響き渡った英雄の朗々とした声ではなかった。ひどく落ち着いた、そしてどこか疲労の色を感じさせる低い声だった。
「ただ、一つ確かめたいことがあって来た」
彼はそう言うと、その視線をテーブルに広げられた広大な地図へと向けた。そして彼が指し示したのは、王都から遥か西。誰もその名を知らないはずの辺境の一点。
「ミレット村」
ガイの唇からその名が紡ぎ出された瞬間、シーナの身体がびくりと震えた。
「なぜあんたがその村の名を…?」
「王城の古文書を調べさせてもらった」
ガイは静かに答える。
「原因不明の疫病。ここ数ヶ月で急激に悪化している、と。そして、その調査依頼を君たちのパーティが非公式に受託した、ということも」
その言葉にケンジは息をのんだ。この情報は、まだ国王と宰相にしか報告していないはず。この男は一体どこからそれを…?
ガイはまるでケンジの疑問に答えるかのように続けた。「俺にも俺なりの情報網がある。君たちほど緻密ではないがな」彼はそこで自嘲するように、ふ、と笑った。
そして、その静かな瞳でケンジをまっすぐに見つめる。
「君たちがこれから挑もうとしているその『熱病』。それがただの病などではないことも、俺は知っている」
彼はその声のトーンをさらに落とした。その響きには、ワイバーンとの戦いを生き延びた者だけが理解できる、共通の危機感が込められていた。
「『アノマリー』。世界の理から外れた、存在。そうだろう?」
ガイはすべてを知っていた。ケンジたちが今直面している問題の本質を。そしてそのあまりの困難さを。
部屋は再び重い沈黙に包まれた。ケンジの仲間たちは、ただ呆然と目の前の変わり果てた勇者の姿を見つめることしかできなかった。彼らが知る勇者ガイは、もはやどこにもいなかった。そこにいたのは、自らの敗北と真正面から向き合い、そして新たな覚悟を決めた、一人の男の姿だけだった。
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