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第3章:偽りの繁栄と経済戦争
第71話:死にゆく森と淀んだ川
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死の気配が満ちる森と川を抜け、一行が次なる宿場町へとたどり着いたのは、陽が西の空を血のように赤く染め上げる頃だった。その町は「西の宿」と呼ばれ、かつてはミレット村へ向かう多くの商人や旅人で賑わっていたはずの場所。だが、今この町を支配するのは、活気ではなく、ひっそりとした不気味なまでの静寂だった。
大通りは埃をかぶり、店の戸板は固く閉ざされている。道端には荷馬車が放置され、その荷台の木箱からは腐った果物の匂いが漂っていた。子供たちの甲高い笑い声や、母親を呼ぶ声はどこにもなかった。すれ違う町の人々は、誰もが顔を伏せ、まるで何かから逃げるかのように足早に去っていく。彼らの顔には例外なく深い疲労と、見えない何かへの恐怖が浮かんでいる。
「なんだか、この町も元気がありませんわね…」
ルリエルが不安げに呟いたが、答える者はいなかった。一行は町に一軒だけある宿屋の扉を開ける。
カラン、と乾いた鐘の音が鳴った。宿屋の中は薄暗く埃っぽい匂いがする。客の姿はほとんどなく、暖炉の火だけが弱々しく燃えていた。
「…いらっしゃい」
カウンターの奥から現れた宿の主人は、まるで幽霊でも見るかのように驚いた目で一行を見つめる。
「あんたたち…どこから来たんだい? まさか、この先へ行こうってんじゃ、ないだろうね…?」
その声はひどくかすれていた。
「ああ。ミレット村へ向かっている」
ゴードンが代表して答える。
その「ミレット村」という言葉を聞いた瞬間、宿屋にいた数少ない客たちの動きがピタリと止まった。彼らはまるで禁忌の言葉でも聞いたかのように、恐れと哀れみが入り混じった目で一行を見つめてくる。
そのあまりに異常な視線の中心にいることに気づいたシーナの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
(何かがおかしい)
彼女は宿屋の一番奥、薄暗いテーブル席に身を寄せ合うように座る、一つの家族の姿に気づいた。父親と母親、そしてその腕に抱かれた小さな子供。彼らの服装はひどくみすぼらしく、その顔色は土気色をしていた。だが、シーナの背筋を凍りつかせたのはそんなことではない。彼らの瞳だ。三人の瞳には光が一切なく、まるで魂を抜き取られた人形のようにうつろで、何も映してはいなかった。
シーナは、何かに引き寄せられるかのようにその家族の元へと歩み寄る。彼女のただならぬ気配に、父親らしき男がゆっくりと顔を上げた。
「…あんた…」
その唇から漏れた声はひどく乾いている。
「…どこへ行くんだ…?」
「…ミレット村へ」
シーナはかろうじてそう答えた。
その言葉を聞いた男のうつろな瞳がわずかに見開かれる。そして、その瞳に初めて感情らしきものが浮かんだ。それは恐怖だった。
「…やめろ…」
男は絞り出すように呟く。
「…行くんじゃない…。あそこへは…もう、誰も…」
「村で何があったんですか!?」
シーナは思わず声を荒らげた。
「教えてくれ! 俺の故郷で一体何が…!」
シーナの必死の問いかけに答えたのは、男の隣に座っていた母親だった。彼女は腕の中のぐったりとした子供を抱きしめながら、ただ虚空を見つめて呟く。
「…あの村は呪われている…」
その声には一切の抑揚がなかった。まるで世界の終わりを告げる預言者のように。
「…いるだけでいいんだ…。ただそこにいるだけで…魂を吸い取られるようだ…」
父親が力なくその言葉に続いた。
「最初は、夜泣きがひどかった隣の家の赤ん坊が、ある朝からピタリと泣き止んだんだ…。その次には、村で一番の働き者だった俺たちの親父が、飯も食わずに縁側で一日中空を見上げるようになった…。そして、家畜が死んだ。森が枯れた。川の魚がいなくなった…。今ではもう、村の誰も笑わない。子供たちでさえも…ただ静かに弱っていくのを待つだけだ…」
悲劇的な結末
呪い。魂を吸い取られる。そのあまりにも非科学的で、そして絶望的な言葉。シーナの脳裏は激しくそれを否定しようとした。嘘だ。そんなはずはない。私の故郷がそんなことになるわけがない。 彼女の瞳から光が消え、王都を出発する時に唇に浮かべていた希望に満ちた笑顔が、まるで幻だったかのように完全に消え失せていく。
宿屋の薄暗い静寂の中、避難してきた家族の力ない呟きだけが、まるで世界の終わりの宣告のように響いていた。宿の客たちは息を呑み、何人かはテーブルに顔を伏せてしまった。宿の主人はカウンターの下で震える手を隠すように、硬く顔を覆った。
シーナはもう何も聞けなかった。彼女の心が、絶望のあまりに現実を拒絶していた。 彼女が守ろうとしていた故郷。その穏やかだったはずの思い出の風景。そのすべてが、今この瞬間に死んだのだ。呆然と立ち尽くす彼女の背中に、冷たい冬の風が吹き抜けていくような感覚が走った。
ケンジの決意
ルリエルはそっとその家族の腕に抱かれた子供へと手を伸ばした。癒しの魔法をかけようとしたのだ。だが、その指先が子供の土気色の肌に触れた瞬間、彼女はびくりとその手を引いた。
「…ッ!?」
彼女の翡翠の瞳が驚愕に見開かれる。
「…魔力が…。私の癒しの魔力が、この子に吸い込まれて…消えていく…!?」
それは彼女がこれまでの人生で一度も経験したことのない、あまりにも異常な現象だった。傷を癒すのではない。病を治すのでもない。まるで彼女の生命力そのものが、底なしの沼へと吸い取られていくかのような、ぞっとする感覚。
ゴードンは、その一部始終を黙って見ていた。そしてゆっくりと立ち上がると、自らの腰に下げていた水筒を外し、その家族のテーブルへと静かに置いた。中には高純度の聖水が入っている。だが、彼もまた分かっていた。こんなものは気休めにさえならないということを。彼の兜の奥の瞳には、理不尽な死をもたらす見えざる敵への、深い怒りの色が燃え盛っていた。
そして、ケンジ。彼はそのすべての光景と、仲間の絶望の表情をプロジェクトマネージャーとして冷静に分析していた。彼の瞳の奥で、ほんの一瞬だけ、人としての震えが走った。しかし、彼はそれを即座に押し殺す。自分はシーナを救うと決めた。彼女の故郷の、穏やかな思い出を守ると。そのために、俺は、今、ただの人間であるわけにはいかない。
彼の脳裏に、女神のあのパニックに満ちた警告の声が蘇る。
『コードネーム、「リソース枯渇アノマリー」』
『指定領域内の生命エネルギー(リソース)を強制的に吸い上げるシステムエラー』
ケンジは今、改めて痛感していた。自分たちがこれから戦おうとしている相手の本当の恐ろしさを。彼らがこれから対峙するのは、剣や魔法が通用する魔物ではない。それは、悪意もなければ意志もない。ただそこに存在し、設定された通りの処理を淡々と実行するだけの、世界の理そのものを歪める、静かで抗いようのない「システムエラー」なのだ。
ケンジは立ち上がると、宿の主人に銀貨を数枚渡した。
「この家族に温かい食事を」
彼はそれだけを告げると、仲間たちへと向き直る。その表情にもはや迷いはなかった。
「システムの異常は、俺がなんとかする」
その静かで揺るぎない一言に、仲間たちが応えないはずがなかった。
一行は宿屋を後にした。彼らはもう振り返らない。あの家族のうつろな瞳が自分たちの未来の姿になるかもしれないという恐怖を振り払うかのように。
町の外れへと続く道。その先にはさらに色を失った灰色の世界が広がっている。ミレット村へと続くその道は、まるで地獄の入り口のようだった。
彼らの間に言葉はない。ただ重い沈黙だけが支配していた。希望に満ちていたはずの旅は、今や死地へ向かう覚悟の行軍へとその姿を変えていた。彼らはただ黙々とその絶望の大地を踏みしめながら、目的地へと歩みを進める。その先にどんな結末が待ち受けていようとも、もはや彼らには進む以外の選択肢は残されていなかったのだから。
大通りは埃をかぶり、店の戸板は固く閉ざされている。道端には荷馬車が放置され、その荷台の木箱からは腐った果物の匂いが漂っていた。子供たちの甲高い笑い声や、母親を呼ぶ声はどこにもなかった。すれ違う町の人々は、誰もが顔を伏せ、まるで何かから逃げるかのように足早に去っていく。彼らの顔には例外なく深い疲労と、見えない何かへの恐怖が浮かんでいる。
「なんだか、この町も元気がありませんわね…」
ルリエルが不安げに呟いたが、答える者はいなかった。一行は町に一軒だけある宿屋の扉を開ける。
カラン、と乾いた鐘の音が鳴った。宿屋の中は薄暗く埃っぽい匂いがする。客の姿はほとんどなく、暖炉の火だけが弱々しく燃えていた。
「…いらっしゃい」
カウンターの奥から現れた宿の主人は、まるで幽霊でも見るかのように驚いた目で一行を見つめる。
「あんたたち…どこから来たんだい? まさか、この先へ行こうってんじゃ、ないだろうね…?」
その声はひどくかすれていた。
「ああ。ミレット村へ向かっている」
ゴードンが代表して答える。
その「ミレット村」という言葉を聞いた瞬間、宿屋にいた数少ない客たちの動きがピタリと止まった。彼らはまるで禁忌の言葉でも聞いたかのように、恐れと哀れみが入り混じった目で一行を見つめてくる。
そのあまりに異常な視線の中心にいることに気づいたシーナの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
(何かがおかしい)
彼女は宿屋の一番奥、薄暗いテーブル席に身を寄せ合うように座る、一つの家族の姿に気づいた。父親と母親、そしてその腕に抱かれた小さな子供。彼らの服装はひどくみすぼらしく、その顔色は土気色をしていた。だが、シーナの背筋を凍りつかせたのはそんなことではない。彼らの瞳だ。三人の瞳には光が一切なく、まるで魂を抜き取られた人形のようにうつろで、何も映してはいなかった。
シーナは、何かに引き寄せられるかのようにその家族の元へと歩み寄る。彼女のただならぬ気配に、父親らしき男がゆっくりと顔を上げた。
「…あんた…」
その唇から漏れた声はひどく乾いている。
「…どこへ行くんだ…?」
「…ミレット村へ」
シーナはかろうじてそう答えた。
その言葉を聞いた男のうつろな瞳がわずかに見開かれる。そして、その瞳に初めて感情らしきものが浮かんだ。それは恐怖だった。
「…やめろ…」
男は絞り出すように呟く。
「…行くんじゃない…。あそこへは…もう、誰も…」
「村で何があったんですか!?」
シーナは思わず声を荒らげた。
「教えてくれ! 俺の故郷で一体何が…!」
シーナの必死の問いかけに答えたのは、男の隣に座っていた母親だった。彼女は腕の中のぐったりとした子供を抱きしめながら、ただ虚空を見つめて呟く。
「…あの村は呪われている…」
その声には一切の抑揚がなかった。まるで世界の終わりを告げる預言者のように。
「…いるだけでいいんだ…。ただそこにいるだけで…魂を吸い取られるようだ…」
父親が力なくその言葉に続いた。
「最初は、夜泣きがひどかった隣の家の赤ん坊が、ある朝からピタリと泣き止んだんだ…。その次には、村で一番の働き者だった俺たちの親父が、飯も食わずに縁側で一日中空を見上げるようになった…。そして、家畜が死んだ。森が枯れた。川の魚がいなくなった…。今ではもう、村の誰も笑わない。子供たちでさえも…ただ静かに弱っていくのを待つだけだ…」
悲劇的な結末
呪い。魂を吸い取られる。そのあまりにも非科学的で、そして絶望的な言葉。シーナの脳裏は激しくそれを否定しようとした。嘘だ。そんなはずはない。私の故郷がそんなことになるわけがない。 彼女の瞳から光が消え、王都を出発する時に唇に浮かべていた希望に満ちた笑顔が、まるで幻だったかのように完全に消え失せていく。
宿屋の薄暗い静寂の中、避難してきた家族の力ない呟きだけが、まるで世界の終わりの宣告のように響いていた。宿の客たちは息を呑み、何人かはテーブルに顔を伏せてしまった。宿の主人はカウンターの下で震える手を隠すように、硬く顔を覆った。
シーナはもう何も聞けなかった。彼女の心が、絶望のあまりに現実を拒絶していた。 彼女が守ろうとしていた故郷。その穏やかだったはずの思い出の風景。そのすべてが、今この瞬間に死んだのだ。呆然と立ち尽くす彼女の背中に、冷たい冬の風が吹き抜けていくような感覚が走った。
ケンジの決意
ルリエルはそっとその家族の腕に抱かれた子供へと手を伸ばした。癒しの魔法をかけようとしたのだ。だが、その指先が子供の土気色の肌に触れた瞬間、彼女はびくりとその手を引いた。
「…ッ!?」
彼女の翡翠の瞳が驚愕に見開かれる。
「…魔力が…。私の癒しの魔力が、この子に吸い込まれて…消えていく…!?」
それは彼女がこれまでの人生で一度も経験したことのない、あまりにも異常な現象だった。傷を癒すのではない。病を治すのでもない。まるで彼女の生命力そのものが、底なしの沼へと吸い取られていくかのような、ぞっとする感覚。
ゴードンは、その一部始終を黙って見ていた。そしてゆっくりと立ち上がると、自らの腰に下げていた水筒を外し、その家族のテーブルへと静かに置いた。中には高純度の聖水が入っている。だが、彼もまた分かっていた。こんなものは気休めにさえならないということを。彼の兜の奥の瞳には、理不尽な死をもたらす見えざる敵への、深い怒りの色が燃え盛っていた。
そして、ケンジ。彼はそのすべての光景と、仲間の絶望の表情をプロジェクトマネージャーとして冷静に分析していた。彼の瞳の奥で、ほんの一瞬だけ、人としての震えが走った。しかし、彼はそれを即座に押し殺す。自分はシーナを救うと決めた。彼女の故郷の、穏やかな思い出を守ると。そのために、俺は、今、ただの人間であるわけにはいかない。
彼の脳裏に、女神のあのパニックに満ちた警告の声が蘇る。
『コードネーム、「リソース枯渇アノマリー」』
『指定領域内の生命エネルギー(リソース)を強制的に吸い上げるシステムエラー』
ケンジは今、改めて痛感していた。自分たちがこれから戦おうとしている相手の本当の恐ろしさを。彼らがこれから対峙するのは、剣や魔法が通用する魔物ではない。それは、悪意もなければ意志もない。ただそこに存在し、設定された通りの処理を淡々と実行するだけの、世界の理そのものを歪める、静かで抗いようのない「システムエラー」なのだ。
ケンジは立ち上がると、宿の主人に銀貨を数枚渡した。
「この家族に温かい食事を」
彼はそれだけを告げると、仲間たちへと向き直る。その表情にもはや迷いはなかった。
「システムの異常は、俺がなんとかする」
その静かで揺るぎない一言に、仲間たちが応えないはずがなかった。
一行は宿屋を後にした。彼らはもう振り返らない。あの家族のうつろな瞳が自分たちの未来の姿になるかもしれないという恐怖を振り払うかのように。
町の外れへと続く道。その先にはさらに色を失った灰色の世界が広がっている。ミレット村へと続くその道は、まるで地獄の入り口のようだった。
彼らの間に言葉はない。ただ重い沈黙だけが支配していた。希望に満ちていたはずの旅は、今や死地へ向かう覚悟の行軍へとその姿を変えていた。彼らはただ黙々とその絶望の大地を踏みしめながら、目的地へと歩みを進める。その先にどんな結末が待ち受けていようとも、もはや彼らには進む以外の選択肢は残されていなかったのだから。
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