月の雫と地の底の誓い

YY

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第23話:愚者の見過ごしたもの

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視察の翌日、視察団が滞在する館の一室は奇妙な熱気に包まれていた。
ロウソクの灯りが揺れる中、王都の商人と財務官僚が羊皮紙を広げて額を突き合わせている。
「素晴らしい、実に素晴らしい! この『月雫の干し実』は王都の貴族社会に新たな流行をもたらすでしょう! 独占契約を結べれば莫大な利益が……!」
「利益だけではない。この町の復興速度も驚異的だ。労働力の確保、土壌改良の効率、共同倉庫の管理体制……あの追放された令嬢、いや、セレスティア殿は恐るべき経営手腕をお持ちだ。自給自足可能な辺境拠点の確立は国防上も計り知れない価値を持つ。これは王国にとって無視できぬ資産となるぞ」

彼らがまとめる報告書は私の功績を最大級の賛辞で綴るものになっていた。その草稿に、部屋の隅の肘掛け椅子に深く身を沈めたエドワードが不満げに目を通している。報告書の一文一文が彼自身の判断がいかに愚かであったかを証明する屈辱的な証拠に他ならなかったからだ。
「これも全て、王太子殿下の深きご慧眼の賜物ですな。このような未開の地に、これほどの逸材を見出し、配置されたのですから」
財務官僚が、追従するように、しかしその目の奥に冷たい光を宿して言う。その言葉が巧妙な皮肉であることに、プライドが邪魔をしてエドワードは気づかない。あるいは、気づかないふりをしている。彼はただ忌々しげに舌打ちをするだけだった。
やがて官僚が差し出した報告書の末尾に、彼は震える手で、しかし尊大な仕草を崩さずに署名をした。ペン先が羊皮紙を掻く、か細くも鋭い音が静かな部屋に響く。彼自身の愚かさを王家に報告する文書に、彼自身が承認を与える。これ以上の皮肉はなかった。

やがて出発の時が来た。
豪華な馬車が町の広場に再び列をなす。住民たちは昨日と同じように静かに、しかし鋭い視線でその様子を見守っていた。それはもはや領主を守るための壁というより、異物である彼らを早く追い出したいという町全体の無言の意志のようだった。

その去り際、エラーラが最後の嫌がらせとばかりに、私の隣に控えるカインに甘ったるい声をかけた。
「あなたのような腕の立つ見目麗しい兵士が、このような辺境で朽ちていくのは惜しいですわね。王都へいらっしゃれば、我がヴァリエール公爵家が相応の地位を用意してさしあげますわよ?」
それは私から信頼する部下を引き抜こうというあからさまな侮辱だった。
しかしカインは表情一つ変えなかった。彼はエラーラに視線を合わせることさえせず、ただ私の方を向いたまま静かに、しかしはっきりと答えた。
「お心遣い痛み入ります。ですが、私は月の雫の乙女に我が剣と生涯を捧げると誓った身。王都に戻るつもりはございません」
その揺るぎない忠誠の言葉。エラーラの顔がみるみるうちに怒りで赤く染まっていく。彼女は扇を乱暴に閉じるとヒステリックに踵を返し、馬車の中へと消えていった。

そして最後にエドワードが私の前に立った。
彼はもうあの完璧な王子の笑みを浮かべてはいなかった。その瞳には焦りと苛立ちと、そして自分の過ちを認められない子供のような頑なさが醜く浮かんでいた。
彼は周囲の者に聞こえないように、しかし毒をたっぷりと含んだ声で、私にだけ聞こえるように吐き捨てた。

「まぐれ当たりに浮かれるなよ、追放された女が」
その言葉はまるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。
「所詮は辺境の慰みごとだ。お前のような者に、これ以上の価値などないのだからな!」

その侮辱の言葉を聞いても、私の心は凪いだ水面のように静かだった。
一瞬だけ、大神殿で泣き崩れていたかつての自分の幻影が脳裏をよぎる。(聞こえる…あの日の私の泣き声が。でも、それはもう、私の声ではない)
あの頃の私ならこの一言で再び地の底に突き落とされていただろう。
けれど、今の私は違う。
私の価値はあなたが決めるものではない。私の価値は私がこの町の人々と共にこの手で築き上げてきたものだ。あなたにはもう私を傷つけることはできない。
可哀想な人。あなたは本当に価値あるものをその手で捨ててしまったことに、永遠に気づかないのでしょうね。
赦しではない。ましてや憎しみでもない。
ただ深い深い無関心。それが私の彼に対する最後の答えだった。

私は表情一つ変えず、ただ静かに彼を見つめた。その侮辱の言葉が、まるで遠い場所で誰かが発した他愛ない言葉のように聞こえた。そして彼が言い終えるのを待ってから、ゆっくりと完璧な淑女の礼を返した。その声はどこまでも穏やかだった。

「ええ、殿下。ごきげんよう」

その予期せぬ反応にエドワードの目が驚きに見開かれる。彼は私が泣き叫ぶか怒りに震えるか、何かしらの反応を示すことを期待していたのだ。しかし私の心からの無関心は彼の最後の悪あがきを最も効果的に無力化した。
彼は何かを言い返そうとしてしかし言葉を見つけられず、屈辱に顔を歪めながら自分の馬車へと乗り込んだ。

やがて豪華な馬車の一行が重い車輪の音を立てて去っていく。
王都へと続く道に土煙を上げながら。
私はその背中を見送らなかった。
馬車が動き出したまさにその瞬間に、私は過去に背を向けた。そして私を心配そうに見守っていた町の住民たちの方へ向き直った。
カインが、ジム爺さんが、ティムとリナがそこにいた。私の本当の家族が。
私の顔に心からの柔らかな笑みが浮かぶ。
「待たせたわね」
私は言った。
「さあ、仕事に戻りましょう!」
その声に、張り詰めていた町の空気が一気に和らぎ、住民たちから「おう!」「待ってました、領主様!」と力強い歓声が上がった。

カインがそんな私の姿を、深い深い尊敬の念を込めた温かい眼差しで見守っていた。彼は、彼女がただ過去の男を退けただけでなく、過去の自分自身という最も手強い敵に、完全な勝利を収めたことを見て取っていた。

遠ざかる馬車の中、財務官僚は窓の外に目をやっていた。住民たちに囲まれ、未来の計画について語り合いながら、心からの笑顔を見せるセレスティアの姿が小さく見えた。
彼は、不機嫌な顔でふんぞり返る王子を一瞥し、誰に言うでもなく、静かに呟いた。
「……殿下は、磨かれる前の宝石を自ら泥の中に捨て、ただ光るだけの硝子屑を拾われたのだな。しかも、その宝石が、自らの手で光を放ち始めたことに、最後まで気づかれぬまま……」

嵐は過ぎ去った。
そして私の心には、これ以上ないほどの静かな安らぎが満ちていた。
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