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第11話:逆尾行
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リリアーナ・フォン・エルドラドが、一連の誘拐事件の首謀者であるという仮説。状況証拠は、ほぼ黒に近い灰色を示している。俺は、彼女の本格的な尾行を開始した。学園を出た彼女が、王都のどこかで結社の仲間と接触する、その決定的な瞬間を抑える。今日の任務は、それだけだ。単純明快、俺がこれまで幾度となくこなしてきた類の仕事に過ぎない。
俺は、騎士の気配を完全に殺し、街の影と化した。足音は石畳に吸われ、呼吸は風に紛れる。通行人の視線は俺の体を滑り落ち、誰の記憶にも残らない。それが、俺たち暗部の騎士が叩き込まれる、基本的な技術だ。群衆の中にいても、誰にも認識されない幽霊となる。対象に気づかれず、その全てを監視する。簡単な任務のはずだった。…対象が、常識の範疇にある人間であれば。
だが、対象…リリアーナ嬢の行動は、どうにも不可解だった。
彼女は、学園を出ると、まるで目的があるかのように大通りをまっすぐ歩いていた。その背筋の伸びた優雅な歩き方は、紛れもなく高位貴族のものだ。だが、突然、何の前触れもなく、広場の大きな噴水の裏にさっと身を隠したのだ。その動きは、訓練された斥候のように滑らかでありながら、豪奢なドレスの裾が隠しきれずにはみ出しているという、致命的な詰めの甘さがあった。…誰かをやり過ごしたのか? いや、周囲に怪しい人影はない。彼女が隠れたことで、逆に鳩の群れが驚いて飛び立ち、周囲の注目を集めている始末だ。
しばらくすると、彼女は再び歩き始めた。今度は、店のショーウィンドウに自分の姿を映しては、しきりに後方を確認している。その動きは、明らかに尾行を警戒する者のそれだ。だが、そのやり方がまたおかしい。本物の工作員なら、一瞬の、誰にも気づかれぬ視線の動きで後方を確認する。だが彼女は、まるで恋する乙女が鏡の前で髪を直すかのように、うっとりとした表情でショーウィンドウを覗き込み、その瞳だけが必死に背後を窺っている。不自然極まりない。
…おかしい。彼女が尾行している相手は誰だ? 俺の監視に気づいているのか? いや、それにしては、俺のいる方向とは全く違う場所を気にしている。まるで、存在しない幽霊でも追っているかのようだ。
彼女の行動は、諜報のセオリーに則っているようで、その実、全くのでたらめだった。プロの動きと、素人の奇行が、奇妙に混ざり合っている。俺の長年の経験則が、目の前の現象を分析できずに悲鳴を上げていた。これは何かの陽動か? それとも、俺を混乱させるための高等戦術なのか?
一度、状況を整理する必要がある。
俺は、彼女の視線から完全に逃れるため、狭い路地裏へと身を滑り込ませた。石壁の冷たさが、火照った思考をわずかに冷ましてくれる。この奇妙な行動の意図は何か。彼女の最終的な目的はどこにあるのか。
俺が、壁の角からそっと顔を出し、彼女の様子を窺った、その時だ。
信じられない光景が、目に飛び込んできた。
道の向こう側、別の建物の陰から、あの公爵令嬢が、こちらを…俺がいる路地裏を、じっと窺っていたのだ。
そして、俺と目が合った瞬間、彼女はなぜか、全てが計画通りだとでも言いたげな、満足げな微笑みを浮かべた。その笑みは、勝利を確信した将軍のようでもあり、探し物を見つけた子供のようでもあった。
…まさか。
この女が尾行している相手は…俺か?
理解が、追いつかない。俺の思考が、完全に停止した。
俺が彼女を尾行し、彼女が俺を尾行している。これは一体、何の茶番だ? メビウスの輪のように、終わりのない追いかけっこ。
俺の監視に気づき、逆にこちらを監視することで、揺さぶりをかけるための高等戦術か? だとしたら、彼女は俺が想像する以上に手練れの工作員だ。俺の完璧な隠密行動を、いとも簡単に見破ったことになる。
それとも、ただの偶然か? いや、それにしては、あまりにもタイミングが良すぎる。俺が身を隠したこの場所を、なぜ彼女が正確に把握できた?
俺は、ずきりと痛むこめかみを押さえた。
国家の存亡をかけた、プロフェッショナルであるはずの諜報任務が、いつの間にか、滑稽な追いかけっこに成り下がっている。俺の積み上げてきた経験も、技術も、この女の前では何の意味もなさない。
「この女、本当に何者だ…?」
俺の口から、呆れと、そして疲労に満ちた呟きが漏れた。
もはや、彼女の行動を分析すること自体が無意味に思えてきた。彼女は、俺の常識の外側にいる。俺は、ただ、頭を抱えるしかなかった。
俺は、騎士の気配を完全に殺し、街の影と化した。足音は石畳に吸われ、呼吸は風に紛れる。通行人の視線は俺の体を滑り落ち、誰の記憶にも残らない。それが、俺たち暗部の騎士が叩き込まれる、基本的な技術だ。群衆の中にいても、誰にも認識されない幽霊となる。対象に気づかれず、その全てを監視する。簡単な任務のはずだった。…対象が、常識の範疇にある人間であれば。
だが、対象…リリアーナ嬢の行動は、どうにも不可解だった。
彼女は、学園を出ると、まるで目的があるかのように大通りをまっすぐ歩いていた。その背筋の伸びた優雅な歩き方は、紛れもなく高位貴族のものだ。だが、突然、何の前触れもなく、広場の大きな噴水の裏にさっと身を隠したのだ。その動きは、訓練された斥候のように滑らかでありながら、豪奢なドレスの裾が隠しきれずにはみ出しているという、致命的な詰めの甘さがあった。…誰かをやり過ごしたのか? いや、周囲に怪しい人影はない。彼女が隠れたことで、逆に鳩の群れが驚いて飛び立ち、周囲の注目を集めている始末だ。
しばらくすると、彼女は再び歩き始めた。今度は、店のショーウィンドウに自分の姿を映しては、しきりに後方を確認している。その動きは、明らかに尾行を警戒する者のそれだ。だが、そのやり方がまたおかしい。本物の工作員なら、一瞬の、誰にも気づかれぬ視線の動きで後方を確認する。だが彼女は、まるで恋する乙女が鏡の前で髪を直すかのように、うっとりとした表情でショーウィンドウを覗き込み、その瞳だけが必死に背後を窺っている。不自然極まりない。
…おかしい。彼女が尾行している相手は誰だ? 俺の監視に気づいているのか? いや、それにしては、俺のいる方向とは全く違う場所を気にしている。まるで、存在しない幽霊でも追っているかのようだ。
彼女の行動は、諜報のセオリーに則っているようで、その実、全くのでたらめだった。プロの動きと、素人の奇行が、奇妙に混ざり合っている。俺の長年の経験則が、目の前の現象を分析できずに悲鳴を上げていた。これは何かの陽動か? それとも、俺を混乱させるための高等戦術なのか?
一度、状況を整理する必要がある。
俺は、彼女の視線から完全に逃れるため、狭い路地裏へと身を滑り込ませた。石壁の冷たさが、火照った思考をわずかに冷ましてくれる。この奇妙な行動の意図は何か。彼女の最終的な目的はどこにあるのか。
俺が、壁の角からそっと顔を出し、彼女の様子を窺った、その時だ。
信じられない光景が、目に飛び込んできた。
道の向こう側、別の建物の陰から、あの公爵令嬢が、こちらを…俺がいる路地裏を、じっと窺っていたのだ。
そして、俺と目が合った瞬間、彼女はなぜか、全てが計画通りだとでも言いたげな、満足げな微笑みを浮かべた。その笑みは、勝利を確信した将軍のようでもあり、探し物を見つけた子供のようでもあった。
…まさか。
この女が尾行している相手は…俺か?
理解が、追いつかない。俺の思考が、完全に停止した。
俺が彼女を尾行し、彼女が俺を尾行している。これは一体、何の茶番だ? メビウスの輪のように、終わりのない追いかけっこ。
俺の監視に気づき、逆にこちらを監視することで、揺さぶりをかけるための高等戦術か? だとしたら、彼女は俺が想像する以上に手練れの工作員だ。俺の完璧な隠密行動を、いとも簡単に見破ったことになる。
それとも、ただの偶然か? いや、それにしては、あまりにもタイミングが良すぎる。俺が身を隠したこの場所を、なぜ彼女が正確に把握できた?
俺は、ずきりと痛むこめかみを押さえた。
国家の存亡をかけた、プロフェッショナルであるはずの諜報任務が、いつの間にか、滑稽な追いかけっこに成り下がっている。俺の積み上げてきた経験も、技術も、この女の前では何の意味もなさない。
「この女、本当に何者だ…?」
俺の口から、呆れと、そして疲労に満ちた呟きが漏れた。
もはや、彼女の行動を分析すること自体が無意味に思えてきた。彼女は、俺の常識の外側にいる。俺は、ただ、頭を抱えるしかなかった。
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