傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

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第59章 ブルースの負傷

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ちょうどその時だった。
敵の豚頭人(オーク)騎兵も、マイクたちに向かって手斧を投げつけてきた。だが距離が遠すぎたのか、その刃は空しく地面に突き刺さり、誰一人として命中しなかった。
「よし、このまま抜けろ!」
マイクは号令をかけ、馬隊を率いて一気に通り過ぎていく。
大きく旋回した後、彼らは再び戻ってきて、今度は準備していた投槍を一斉に放った。鋭い金属音とともに、数本の槍が敵陣に突き刺さり、豚頭人の騎兵を二名、馬ごと地面に叩き落とす。
残った十一名の豚頭人騎兵は一瞬で意気を失い、もはや攻勢を仕掛ける気配をなくした。彼らの士気は瞬時に反転し、攻守は完全に逆転する。
丘の上でも同様だった。人間側の隊列に押され、豚頭人の兵は次々と後退させられていく。
豚頭人の首領はその光景を見つめ、眉間に皺を刻んだ。
(……勝ち目がない。このままでは全滅だ)
しかし、彼は即座に撤退を命じることはできなかった。すでに両軍は入り乱れ、戦場は混沌の只中。ここで背を向ければ、待っているのは秩序なき大敗北だった。
「……ならば、後方を叩くしかない!」
首領は護衛の豚頭人に命令を飛ばした。敵軍の両翼をすり抜け、後方の混乱している兵を襲撃せよ、と。
その命令を受けて突撃したのは、この部族の中でも選りすぐりの精鋭たち。
彼らは巨躯を誇り、全員が蛮牛の革鎧を身につけていた。前線の古参兵たちが必死に進撃を止めようとしたが、厚い鎧に阻まれ、突破を許してしまう。
「くっ、止めきれない……!」
数十名の豚頭人兵が突破に成功し、後方の軍陣に乱入した。
その光景は、まるで羊の群れに狼が紛れ込んだかのようだった。
「うわあああっ!」
「た、助けてくれ!」
新兵たちは悲鳴を上げ、次々と石斧に斬り伏せられていく。
鋭い刃はまるで死神の鎌。訓練の浅い彼らでは抵抗もままならず、戦場は瞬く間に大混乱へと変わった。
「……やばい、崩れる!」
その惨状を見たフィルードは、即座に決断した。
「ブルース! お前が部下を率いて新兵を支援しろ! 弓兵は全員、両手武器に持ち替えて同じく援護だ! ――絶対に後方を立て直せ!」
叫びながらも、彼自身は弓を手に、迫り来る豚頭人兵を射抜いていく。次々と矢が放たれ、敵兵が地面に崩れ落ちた。
「了解!」
命令を受けたブルースは、大剣を構えた数十名の古参兵を率いて後方へと走る。弓兵たちも武器を大剣へと持ち替え、戦列に加わっていった。
フィルードはその隙を突き、再び豚頭人の首領に狙いを定める。
「今度こそ仕留める……!」
弦を放つ音が戦場に響き、矢は一直線に首領の首筋を目がけて飛んでいった。
だが――。
「……ッ!」
魔力を失ったとはいえ、超凡者の感覚は常人とは桁違い。首領は本能で危険を察知し、頭を横にそらす。矢は急所を逸れたが、それでも肩甲骨に深々と突き刺さった。
「やっと命中したか、このクソ野郎!」
フィルードは思わず罵声を吐き出した。無理もない。戦いの最中、彼は少なくとも八本の矢を放っていたが、そのすべてをかわされてきたのだから。
矢を受けた首領もまた尋常ならざる胆力の持ち主だった。苦悶の声ひとつ上げず、無造作に矢を引き抜き、肉片ごと投げ捨てる。
「来い!」
ブルースが大剣を振りかざし、首領に切りかかる。
だが相手は左手に矢を握り、右手の斧を振り下ろして応じてきた。
「ドカッ!」
衝撃音が響き、ブルースはたまらず後退を余儀なくされる。
次の瞬間、首領は素早く踏み込み、手にした矢を突き出した。
「しまった――!」
体勢を立て直したばかりのブルースには、完全に避ける余裕はなかった。
辛うじて身をひねったものの――
「ブスッ!」
鋭い音と共に矢が腕に突き刺さった。
「ぐっ……!」
「ブルースッ!」
それを見たフィルードは、歯を食いしばる。弓を投げ捨て、盾を掴むと全力で駆け出した。
首領が斧を振りかざし、ブルースに止めを刺そうとした瞬間――
「うおおおっ!」
フィルードは全身の力で体当たりを放ち、首領の巨体を地面に突き倒す。
「今だ!」
傍らの古参兵が即座に反応し、槍を突き込む。
「ブスッ!」
鋭い穂先は首領の太腿を貫通し、そのまま地面に縫いつけた。
「ぐ、うああああああっ!」
さすがの首領もついに悲鳴を上げる。
さらに弓兵あがりの古参兵が駆け寄り、大剣を振り下ろした。首筋を狙った一撃を、首領は必死に斧で受け止める。火花が散り、両者は力比べに入った。肩の負傷がなければ、兵士など瞬時に叩き伏せられていたはずだ。それほどまでに、この首領は怪物だった。
「ぐっ……ここで終わらせる!」
フィルードも駆け寄り、片手剣を振り下ろす。刃が肉を裂き、骨を断つ感触が手に伝わる。
「はああああっ!」
ためらうことなく強引に切り裂き、首領の首筋から鮮血が噴水のように吹き出した。
「ゴボッ……ゴボ……!」
壊れたふいごのような音を漏らしながら、首領の瞳孔がゆっくりと収縮していく。そして、ついに力尽きた。
「……終わった」
フィルードは剣を数度振り、最後に首領の首を切り落とすと、それを呆然と見ていた通訳に押し付けた。
「叫べ! お前たちの首領は死んだとな! 無駄な抵抗はやめろ、降伏しろ! さもなくば一人残らず殺す!」
通訳の声と同時に、高く掲げられた首領の首。
それを見た豚頭人の兵士たちは、戦意を一気に喪失した。
「そ、そんな……」
「首領が……!」
中には狂気に駆られ、最後の抵抗とばかりに人間の兵を切り伏せる者もいた。だが、大半は武器を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
残ってなお戦おうとした者は、瞬く間に兵士たちに囲まれ、ハリネズミのように槍で突き殺された。
「追撃せよ! 一人残らず仕留めろ!」
フィルードの声に応じ、兵たちは一斉に敗走する敵を追いかけた。
「はぁ……はぁ……」
走りながら、フィルードは息を切らしていた。心の中で、馬に乗れるマイクたちを羨ましく思う。
三十分に及ぶ追撃の末、生き残って逃げ続ける豚頭人は五十名にも満たなかった。
やがて、馬を駆るマイクたちが戻ってきた。
「隊長! 我々は豚頭人騎兵を八名討ち取りました! 残りの七名は森に逃げ込みましたが……木々に阻まれて追撃できませんでした!」
「よくやった!」
フィルードは満面の笑みでうなずいた。
「今すぐ騎兵を率い、逃げ残った敵を追え! 一人でも多く討ち取れば、我々が奴らの本拠地を攻める時の負担が減る!」
「承知!」
マイクは力強く返事し、再び騎兵を率いて敗残兵を狩りに走った。
その連携は見事で、秋の風が枯れ葉を掃くように、逃げ惑う豚頭人は次々と斬り伏せられ、森へ逃げ込んだごく一部を残して殲滅された。
戦いの後、フィルードは新たな指示を飛ばす。
「マイク! 騎兵を率いて先にあの部族を封鎖しろ! 年寄りや子供どもが家畜を連れて逃げ出すのを防ぐんだ。
ユリアン! お前は五十名の新兵を連れて負傷者の手当てをしろ。戦場整理もだ。投槍や矢を一本でも多く回収しろ。……ブルースも負傷している、連れて行ってやれ。
俺は先に部族を包囲しておく。投槍を運んできたら、総攻撃だ!」
部下たちはそれぞれうなずき、行動を開始した。
二時間後。
フィルード率いる兵士は、ついにその中規模の豚頭人部族の拠点に到達した。
中はすでに大混乱。フィルードは通訳に命じ、大声で叫ばせる。
「豚頭人どもよ、聞け! お前たちの首領は討ち取られた! 武器を捨て、すぐに降伏せよ! さもなくば、老いも若きも一人残らず殺し尽くす!」
動揺に包まれた部族の中では、叫びが混乱をさらに広げていく。
やがて数人の年長者が必死に叱咤し、かろうじて秩序を取り戻し始めた。
白い毛を生やした一人の豚頭人が、震える声で部族から現れる。
「に、人間よ……我ら『赤い牙(レッドファング)』部族は、何を差し出せば見逃してくれるのだ?」
「交渉の余地などない!」
フィルードは即座に切り捨てる。
「今すぐ降伏しろ! さもなくば皆殺しだ! 俺のそばにいる鉄甲兵の力を疑うな。お前たち老いも若きも……鶏を屠るより容易く殺してみせる!」
その言葉に、場の空気は凍りついた。
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