傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

文字の大きさ
96 / 345

第96章 傲慢の代償─燃え尽きる貴族の矜持

しおりを挟む
チェリルは兵士たちを率いて馬小屋へと突入した。
火の手が夜空を赤く染め、馬たちは恐怖に嘶いていた。
彼女が短く号令をかけると、兵士たちは次々と手綱を切り始める。
――いいぞ、暴れろ。お前たちの蹄音が、奴らの悪夢を呼ぶんだ。
自由を得た馬たちは一斉に駆け出した。
わずか百頭足らずの戦馬が、まるで嵐のように陣をかき乱しながら夜闇へ消えていった。
ここまでで任務の半分以上が完了だ。
チェリルは燃え盛る炎を背に、振り向きもせず次の戦場へ向かった。
農奴兵たちはテントの中で震え上がり、まるで巣に隠れる小鳥のようだ。
動こうとするのは、わずかな正規兵のみ。
その怯え切った様子に、チェリルは冷ややかな笑みを浮かべた。
「分隊単位で動け。三人一組、一つのテントを担当。突入して一通り斬りつけたらすぐ撤退だ。――長居は命取りだ、忘れるな。」
言うやいなや、彼女は最初のテントへと飛び込んだ。
闇に閃く大剣。
血の飛沫が灯火に照らされ、赤い花のように散った。
続く兵士たちもそれに倣い、次々とテントへ突入していく。
そして、峡谷には豚を屠るような悲鳴がこだました。
農奴たちはまるで生まれたばかりの子犬のように震え、わずかに刃が触れただけで天地を揺るがすような悲鳴を上げた。
やがて、兵士たちは命令通りすばやく撤退していく。
だが、混乱は止まらなかった。
農奴兵たちはパニックに陥り、陣営を四方八方に逃げ惑う。
その勢いは、まるでダムが決壊したようだ。
彼らの暴走は、皮肉にも味方の正規軍を蹴散らし、混乱の波はさらに拡大していった。
激昂した正規兵が剣を抜いた瞬間――混乱は最高潮に達した。
「敵だ!」「違う、味方だ――ぎゃああっ!」
地獄絵図。
夜光の中、混乱は爆発的に広がっていく。
遠くからその光景を見ていたフィルードは、腕を組みながら呟いた。
「……やはり、狙い通りだな。」
炎に照らされた彼の横顔には、不敵な笑みが浮かんでいる。
敵の陣営は完全に崩壊していた。
「よし、兵を休ませろ。夜明けには次の一手を打つ。」
冷静な声で指示を出すと、彼は城壁の上に篝火を灯させ、奇襲部隊の帰還を導いた。
やがて、闇を切り裂くように奇襲兵が戻ってきた。
出撃103名。帰還91名。
残る12名は――おそらく、もう戻らない。
「よくやった。あとは俺たちの番だ。」
夜はまだ明けきらぬ。
だが敵陣では、まるで永遠に夜が続くかのような混乱が続いていた。
夜明けとともに、ヴァール子爵は焼け焦げた陣営を呆然と見つめていた。
彼の目の前には、瓦礫と灰。
焼けた食糧の山、逃げ散った馬、そして地に転がる無数の死体。
「……なぜだ。なぜ私が、こんな……。」
もはや嘆く気力すら残っていなかった。
農奴兵の三分の二は逃亡、正規兵の半数も行方不明。
軍用物資は散乱し、まるで災厄が通り過ぎた後のようだった。
彼は空を仰ぎ、しわがれた声で呟いた。
「……兵をまとめ、領地へ撤退せよ。」
その言葉が終わるより早く、木柵の門が爆ぜるように開かれた。
「出撃だッ!」
フィルードの声が響く。
先頭には二十名の騎兵――ジャッカルマンの戦士たちが飛び出し、その背後から五百の歩兵が規律正しく進軍してくる。
ヴァール子爵はその光景を見て、顔を引きつらせた。
「……ば、化け物め。」
敵兵たちは一晩中の混乱と疲労で、まるで亡霊のようだった。
それでも子爵の怒号に支えられ、何とか陣を組み直す。
しかし――その気迫の差は、誰の目にも明らかだった。
100メートルの距離で、弓兵同士の矢が交錯する。
矢羽根が風を裂き、幾つもの命を奪っていく。
だが、フィルードは微動だにしなかった。
「矢など怖れるな。盾を上げろ、進め。」
彼の声には、不思議な力があった。
その一言で兵士たちの士気が一気に高まる。
――俺たちは勝てる。いや、勝つしかない。
距離が十数メートルに迫る。
敵は槍や斧を投げつけてきたが、鉄盾がそれを弾き返した。
「止まれ!陣形を整えろ!」
フィルードの命令が飛ぶ。
刀盾兵が前列を固め、槍兵が肩越しに長槍を突き出す。
その背後から投槍が次々と飛び、敵の隊列に突き刺さる。
ヴァール子爵は焦燥の色を隠せなかった。
「鉄甲兵、突撃だ!あいつらを押し潰せ!」
だが、その命令に応じた兵士たちは、すでに疲弊し切っていた。
重い鎧に動きは鈍り、槍を構える手が震えている。
激突の瞬間、勝敗は決した。
わずか数分で敵の陣形は崩壊し、子爵軍の士気は地に落ちた。
フィルードは前線を見つめながら静かに息を吐いた。
「……終わりだ、ヴァール。」
マイク率いる騎兵隊が敵陣の背後を駆け抜け、投槍を雨のように浴びせる。
もはや抵抗の意思を持つ者はいなかった。
残ったのは、ヴァール子爵と三名の親衛。
全員が超凡者――貴族の誇りを捨てきれぬ者たちだ。
フィルードは前に出た。
「ヴァール子爵、もう終わりです。降伏なさい。あなたに貴族らしい最期を与えましょう。」
しかし、ヴァールは狂気の笑みを浮かべていた。
「降伏?この俺が?笑わせるな!殺したければやってみろ!
 我ら三人は貴族だぞ。殺せるものなら、殺してみろ!」
フィルードは眉をひそめた。
確かに、ここで無理に突撃すれば被害は避けられない。
一拍置いて、彼は低く言葉を放った。
「あなたと私は、もともと争う理由などなかった。
 ただ、あなたの部下――いや、息子かもしれぬが――彼の愚かな貪欲さが、この戦を呼んだのだ。」
ヴァールの目がわずかに揺れた。
「もし、あなたが身代金を払っていれば……こんな結末にはならなかった。
 だが、あなたの傲慢さが、それをすべて閉ざした。」
フィルードは馬上で槍を掲げ、冷たく続けた。
「あなたは、あなたが軽蔑した“泥足の田舎者”に敗れた。
 だが安心しろ――俺は貴族の矜持を理解している。
 あなたを辱めるつもりはない。ただし――代償は払ってもらう。」
彼は手を掲げ、部下に合図した。
「あなたの部下――あの赤ひげの男の指、切り落とされたままだろう?
 今すぐ王都に送り、治療を受けさせろ。七日を過ぎれば、もう繋がらん。
 その程度の情けを、俺はまだ持っている。」
沈黙。
ヴァールは唇を震わせ、ついに膝を折った。
――傲慢の代償は、あまりにも高くついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元勇者は魔力無限の闇属性使い ~世界の中心に理想郷を作り上げて無双します~

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
ファンタジー
  魔王を倒した(和解)した元勇者・ユメは、平和になった異世界を満喫していた。しかしある日、風の帝王に呼び出されるといきなり『追放』を言い渡された。絶望したユメは、魔法使い、聖女、超初心者の仲間と共に、理想郷を作ることを決意。  帝国に負けない【防衛値】を極めることにした。  信頼できる仲間と共に守備を固めていれば、どんなモンスターに襲われてもビクともしないほどに国は盤石となった。  そうしてある日、今度は魔神が復活。各地で暴れまわり、その魔の手は帝国にも襲い掛かった。すると、帝王から帝国防衛に戻れと言われた。だが、もう遅い。  すでに理想郷を築き上げたユメは、自分の国を守ることだけに全力を尽くしていく。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

転生社畜、転生先でも社畜ジョブ「書記」でブラック労働し、20年。前人未到のジョブレベルカンストからの大覚醒成り上がり!

nineyu
ファンタジー
 男は絶望していた。  使い潰され、いびられ、社畜生活に疲れ、気がつけば死に場所を求めて樹海を歩いていた。  しかし、樹海の先は異世界で、転生の影響か体も若返っていた!  リスタートと思い、自由に暮らしたいと思うも、手に入れていたスキルは前世の影響らしく、気がつけば変わらない社畜生活に、、  そんな不幸な男の転機はそこから20年。  累計四十年の社畜ジョブが、遂に覚醒する!!

辺境で静かに暮らしていた俺、実は竜王の末裔だったらしく気づけば国ができていた

平木明日香
ファンタジー
はるか五億四千万年前、この星は六柱の竜王によって治められていた。火・水・風・土・闇・光――それぞれの力が均衡を保ち、世界は一つの大きな生命のように静かに巡っていた。だが星の異変をきっかけに竜の力は揺らぎ、その欠片は“魂”となって新たな生命に宿る。やがて誕生した人類は文明を築き、竜の力を利用し、ついには六大陸そのものを巨大な封印装置へと変えて竜王を眠りにつかせた。 それから幾千年。 現代では六つの大国がそれぞれ封印を管理し、かろうじて世界の均衡を保っている。しかし各地で異常な魔獣が出現し、封印の揺らぎが噂されはじめていた。 そんな世界を気ままに旅する青年がいる。名はブラック・ドラグニル。三年前からハンターとして魔獣を討伐し、その肉を味わいながら各地を渡り歩く放浪者だ。規格外の実力を持ちながら名誉や地位には興味がなく、ただ「世界のうまいものを食べ尽くす」ことを楽しみに生きている。 ある日、光の王国ルミナリア近郊で王女ユリアナが大型魔獣に襲われる事件が起きる。死を覚悟した騎士団の前に現れたブラックは、その怪物をわずか数十秒で討ち倒す。彼にとっては雑魚同然だったが、その圧倒的な強さは王国中に知れ渡る。王女は自由に生きる彼の姿に心を奪われるが、ブラックは次の目的地へ向かう計画を練るばかり。 だが彼自身はまだ知らない。 自らが竜族の末裔であり、世界を再び“統合”へ導く鍵となる存在であることを。 竜の封印が揺らぐとき、自由を愛する青年は世界の命運を左右する選択を迫られる。 これは、竜の記憶と人の魂が交錯する壮大なファンタジー叙事譚である。

追放されたけど実は世界最強だった件 〜異世界でスローライフを満喫してたら、元婚約者が泣きついてきた〜

にゃ-さん
ファンタジー
王国一の魔術師と呼ばれながらも、冤罪で追放された青年レオン。 田舎でのんびり暮らすつもりが、助けた村娘が実は聖女、拾った猫が神獣、弄った畑が伝説の大地に!? やがて彼の存在は国を超えて伝説となり、かつて彼を見下した者たちが次々とひざまずく――。 ざまぁあり、無自覚ハーレムありの、スカッと系異世界リベンジ譚。

辺境の落ちこぼれと呼ばれた少年、実は王も龍も跪く最強でした

たまごころ
ファンタジー
村で「落ちこぼれ」と呼ばれた少年アレン。魔法も剣も使えず、追放される運命だった。 だが彼の力は、世界の理そのものに干渉する“神級スキル”だった。 自覚のないまま危機を救い、美女を助け、敵を粉砕し、気づけば各国の王も、竜すらも彼に頭を下げる。 勘違いと優しさと恐るべき力が織りなす、最強無自覚ハーレムファンタジー、ここに開幕!

英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~

ヒミヤデリュージョン
ファンタジー
帝国辺境でただ静かに生き延びたいだけの少年・ヴァン。 彼に正義感はない。あるのは、母が遺したノートに記された、物理法則を応用した「高圧魔力」の理論と、徹底した費用対効果至上主義だけだ。 敵国三千の精鋭が灰燼城に迫る絶望的状況。ヴァンは剣を振るわず、心理戦と補給線攪乱だけで、たった三日で敵軍を撤退させる。 この効率的すぎる勝利は帝国の中枢に届き、彼は最高峰の帝国軍事学院への招待状を手に入れる。 「英雄になりたいわけじゃない。ただ、母の死の真相と父の秘密を知るため、生き残らなきゃならないだけだ」 無口最強の仮面メイド・シンカク、命を取引に差し出した狼耳少女・アイリ。彼は常にコスパの高い道を選び、母の遺したノートの謎、そして生まれて一度も会ったことのない父・帝国大元帥のいる帝都の闇へと踏み込んでいく。 正義も英雄も、損をするなら意味がない。合理主義が英雄譚を侵食していく、反英雄ミリタリー学園ファンタジー。

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

処理中です...