傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

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第295章 重い餌――二万を捨てて、四万を刈る

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こうしておけば、緊急事態が起きてもすぐ山へ上がって守れる。
周囲には獣人部族の影すらなく、広がっているのは破壊の痕跡ばかり。
ここは建設中の獣定城からそれほど遠くない。
行程にして約二日。
人間・ミノタウロス・ボア・マン――三勢力すべてから“程よい距離”にある。
(距離は武器だ。近すぎれば噛まれる。遠すぎれば届かない)
ローセイは到着しても、すぐに突入しなかった。
まず大量の斥候を放ち、辺境の状況を丸ごと把握する。
焦って踏み込むのは、勝ち筋を捨てるのと同義だ。
数日偵察を続けると、この周辺に獣人軍の姿はほとんどないことが分かった。
主戦場はもっと北。ここは空白地帯に近い。
ただし――対岸のミノタウロス側は、やたら活発だった。
数も多い。
けれど大半は眷属部族で、“本物のミノタウロス部族”が見当たらない。
それを見た瞬間、フィルードの胸が冷たく跳ねる。
(……いい。
やっと“正規軍”が動く匂いがする。
本命を釣り出せる)
ローセイとボア・マン獣皇の契約には、時間制限だけじゃない。
早期達成条件がもう一つある。
――ミノタウロス精鋭、累計三千体討伐。
これを満たせば任務完了とみなされる。
大軍は山脈沿いに進み、そのままミノタウロス領内へ入った。
そこでフィルードの指示通り、ローセイは軍を二十隊に分割する。
各隊千人。
古参兵五百+新兵五百。
中小部族を地毯式に“削る”。
狙いは青壮年と物資。
虐殺ではない。奪うための作業だ。
一時、ミノタウロス南部領土は戦火に包まれた。
今回はフィルードが本気だった。
ボア・マンの防衛線を安定させる――そのために、略奪を徹底する。
フィルードはローセイに釘を刺す。
「抵抗しないなら殺すな。首領だけでいい」
五日。
数え切れない中小部族が潰れ、さらに二つの大型部族はローセイが直接叩き潰した。
当然――ミノタウロスは激怒する。
北から大量の軍勢が南下し、この“侵入者”を掃討しに来た。
だがこちらには空がある。
敵の動きは隠せない。
その日、ローセイは略奪を止め、軍団を収束させた。
山脈のふもとの平原。
ローセイは捕虜を中央に囲い、兵士たちに長槍を構えさせ、外周を締める。
捕虜の数は膨大だった。
視界の果てまで続いている。少なくとも四万、いや五万。
統制の方法は単純だ。
食糧を一箇所に集める。
捕虜は大軍の後ろに付いてこなければ、飢えて死ぬ。
ローセイは命令通り、捕虜に簡易訓練を施した。
――初期選別。
三、四日かけて整列。返事。隊列。
命令に従えるかどうか、それだけを見た。
フィルードが欲しいのは“従う青壮”だ。
五万から選べたのは、二万に届かない。
残り三万には数日分の食糧を渡し、北へ略奪に行かせた。
同時に古参兵を数名、密かに混ぜる。内応者だ。
出発前、ローセイは彼らに告げる。
「生き延びたければ奪え」
さらに隊長格の古参兵には、思想を染み込ませるよう命じた。
――「上等種族は信用できない」
――「獣人は解放されるべきだ」
残った二万弱の“まだ使える”青壮には、ローセイが本格訓練を開始する。
十日で多少は形になったが、限界も見える。
(結局、時間が要る。
軍は土台が全てだ。
奇跡で埋まる部分は、ほんの僅か)
そしてその日。
メイヴが大鳥で戻ってきた。焦った声が風を裂く。
「団長! ミノタウロス大軍が、あと五十里以内! 明日には殺到します!」
フィルードは無表情で頷く。
「数は? ミノタウロスは何体だ」
メイヴは即答する。
「総勢四万前後。ミノタウロスは少なくとも六千。正規軍団です。装備は粗末ですが、多層皮甲が大半!」
――正規軍。
――六千の本隊。
フィルードの腹が、すとんと落ち着く。
(来た。
ここが正念場だ。
抜ければ、こちらの“格”が上がる)
「分かった。引き続き遠距離偵察。近づきすぎるな。異常があれば即報告」
メイヴが頷き、再び空へ舞い上がる。
隣でローセイが硬い表情をしていた。
フィルードは横目で彼を見て、淡々と問う。
「数日前に命じた、山脈奥への伏兵配置。進捗は?」
ローセイは力強く頷く。
「ほぼ完成です。乱石の多い山頂を三箇所。地形の癖がそれぞれ違います。
一箇所は“量が多くて満足度が高い”場所。
残り二箇所は隠密性が高く、確実に返り討ちにできます」
フィルードは小さく頷いた。
「いい。だが忘れるな。
俺たちの手口は、もう向こうにかなり知られている。
騙すのは簡単じゃない」
そう言って、山下で訓練している獣人青壮を指さす。
「だから重い餌が要る。
……あれが、その“餌”だ」
ローセイの顔色が変わった。
「団長大人……つまり?
あの連中は、将来の兵になりうる素材です。連れて帰って育てるはずでは……!」
フィルードは首を振り――それから頷いた。
ローセイは完全に混乱する。
フィルードは淡々と続けた。
「確かに獣人の中では鍛えがいがある。
だが忘れるな。知性生物を食い、同族相食までした者たちだ。
編入すれば危険が常にある。使わないのも惜しい。
……なら、正しい位置に置く」
ローセイの喉が鳴る。
「明日、敵が殺到したら――まずあの連中に正面を受けさせる。
もちろん報酬は約束する。
だが結果は見えている。持ちこたえられず崩れる」
フィルードの声は冷たいほど落ち着いていた。
「その後、お前が大軍を率いて逃走を開始する。
溃兵もお前について逃げる。
――そして事前に仕掛けた伏兵地点へ誘導する」
ローセイが息を呑む。
「そうすれば、伏兵が刺さる。
お前は大功を立てる。
生き残った獣人は“贖罪を果たした”と扱える。
……多少鍛え、一定の信頼を与えてやればいい」
ローセイは背筋が凍った。
フィルードの口ぶりでは、下の獣人新兵は牛や羊と同じ“資源”だ。
命を命として見ていない冷たさが、はっきり伝わってくる。
長い沈黙の後、ローセイは絞り出すように言った。
「団長大人……それでは、二万の新兵は壊滅的損失です。
せっかく集めた、兵に育てられる獣人を……もったいなくありませんか?」
フィルードは一瞬だけ目を細めた。
(もったいない?
……兵は“集める”ものじゃない。“作る”ものだ。
そして作るには、代価が要る)
彼は答えを急がなかった。
明日の朝、四万の正規軍が――その問いに、血で結論を出す。
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