傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

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第309章 崩壊は内側から始まる

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長い沈黙ののち、ミノタウロス獣皇は深く、重いため息を吐いた。
「……ふう。どうやら、今回の西征は完全な失敗だったようだな」
天幕の空気がわずかに緩む。
その変化を、獣皇自身も、周囲の首領たちも、はっきりと感じ取っていた。
「まあいい。
今もなお、東方の広大な領土は我らの支配下にある。
ボア・マンの領地も相当量を削り取った。成果がゼロというわけではない」
獣皇は自らを納得させるように言葉を重ねる。
「一度戻り、数年の休養を取ればいい。
再び軍を整え、決戦を挑めばいいだけの話だ。
毎回、あの小人どもが、これほどの幸運に恵まれるとは思えん」
その言葉を聞き、天幕内の者たちは、誰も声に出さずに胸を撫で下ろした。
――ようやく、折れた。
それが全員の共通認識だった。
だが、その安堵を打ち砕くように、別の首領が恐る恐る口を開いた。
「獣皇様……。
ただ、問題が一つございます」
獣皇が視線を向ける。
「現在、我らの手持ちの食料は極めて乏しく、
このままでは帰還を支えることができません」
一瞬の沈黙。
「すべての負傷兵を切り捨てれば、何とか……。
ですが、その場合――ジャッカルマンの負傷兵を、どう扱うべきかと」
天幕内の空気が、一気に冷えた。
「ここに放置するか、
それとも……軍糧として加工するか」
言い終えるより早く、隣に立つ白毛のミノタウロスが、怒号を放った。
「いかん!!」
その声は、天幕を震わせた。
「戦死したジャッカルマンを食うのは、百歩譲って仕方がない!
だが、負傷者を軍糧にするなど、断じて許されぬ!」
白毛のミノタウロスは、獣皇を真正面から見据える。
「そんなことをすれば、以後、誰が命を懸けて我らのために戦う!?
傷を負えば待っているのは“食われる運命”だと、
その噂は一瞬で全軍に広がる!」
声が低く、重くなる。
「混乱は即座に爆発する。
我らが長年かけて築いた、ジャッカルマンへの威信は、
一夜にして霧散するでしょう」
理が通っていた。
ミノタウロス獣皇も、それを否定できなかった。
しばらく考えた後、獣皇は低く言った。
「……ならば、連れて帰れ」
白毛のミノタウロスが、息を呑む。
「治療は不要だ。
道中で死んだ者は、ジャッカルマンに食わせろ。
その方が新鮮でいい」
獣皇の口元が歪む。
「ジャッカルマンどもも、文句は言えまい」
白毛のミノタウロスは、愕然とした。
だが、獣皇の決定に、これ以上口を挟むことはできなかった。
(……終わりだ)
心の中で、白毛は悟った。
ジャッカルマンは野蛮だが、愚かではない。
このやり方は、彼ら自身の未来を切り捨てる行為だ。
(戻ったら、すぐに動かねばならん……)
この王庭は、もう長くない。
北へ逃げ、新たなミノタウロス勢力に身を寄せるしか、生き残る道はない。
翌朝早く、ミノタウロス軍は撤退を開始した。
城壁上からそれを見下ろし、フィルードは静かに息を吐いた。
(……耐えきれなかったか)
昨夜の戦いは、双方にとって想定外だった。
相手は、こちらがあそこまで血を流す覚悟を持っているとは思っていなかった。
そして――こちらは、相手があれほどの遠距離戦力を温存していたとは、思われていなかった。
(だが、これでいい)
実のところ、フィルードの用意した手段は、
敵が“大規模集団で攻城してくれなければ”、まるで意味をなさない。
人数が少なければ、コスト回収すらできない。
だからこそ、最初から見せなかった。
――以前の守城戦と、まったく同じだ。
撤退する敵を見ながら、フィルードは隣のローセイに命じた。
「急げ。軍を結集しろ。
守城には数万人残せば十分だ」
視線はすでに、城外へ向いている。
「古参兵をすべて集めろ。十万だ。
我々は後方から追尾する。
ガロには側面支援を命じ、人類軍団にも機を見て参戦させろ」
声音は冷静だった。
「今回は、必ず潰す。
できる限り、ミノタウロスを一匹残らずな」
(この軍を壊滅させれば、主導権は完全にこちらだ)
「そうなれば、以後は我々が攻める番だ。
奴らの領地に踏み込み、ジャッカルマンを徹底的に解放――いや、略奪できる」
ローセイは無言で深く頷いた。
耀獣城全体が、即座に動き出した。
各木寨から青壮兵が徴集され、一日で十万の軍が揃う。
(……やはり、統制が取れている)
フィルードは内心で評価しながら、チャチャに騎乗してガロの陣営へ向かった。
ガロの守備軍はすでに二万。
そのうち一万を率い、人類軍一万と合流し、
ミノタウロスの必経路に伏兵を配置する。
ミノタウロス軍は、負傷兵を大量に抱え、進軍速度は極端に遅かった。
ローセイの大軍は急がず、淡々と後方から追尾する。
(補給はこちらが有利だ。消耗戦に持ち込めば、勝敗は見えている)
今のミノタウロス隊列は、まさに地獄だった。
負傷兵のうめき声が、昼夜を問わず響く。
治療は一切ない。
ミノタウロスはもちろん、同族が手当てしようとしても、強制的に止められた。
やがて、ジャッカルマン上層部は理解した。
――これは、意図的だ。
怒りは、やがて憎悪へ。
憎悪は、静かな決意へと変わる。
夜の闇に紛れ、ジャッカルマンが隊列から消え始めた。
ミノタウロスが気づいた時には、すでに一、二万が脱走していた。
獣皇は戒厳令を発令する。
「逃亡者は即刻捕縛し、腹を裂いて軍糧にせよ!」
だが、その威嚇は逆効果だった。
逃亡は、むしろ加速した。
フィルードは、その変化を見逃さなかった。
(……もう、戦う必要すらない)
彼はローセイに戦術変更を命じる。
決戦を避け、距離を保ち、ただ追う。
敵が、自然に崩れるのを待つ。
(大軍は、使い方を誤れば自滅する)
この戦を通じて、フィルードは確信した。
今後、最大の軍団規模は五万まで。
それ以上は、分割運用が必須だ。
――そうでなければ、後勤が先に死ぬ。
七日後、ローセイ、ガロ、人類軍団は合流した。
総兵力は十二万。
一方、獣人軍は十万を切り、
その中のジャッカルマンは、飢えで足取りすら覚束ない。
フィルードは、静かに剣を握る。
(……終わりだ)
今こそ、致命の一撃を放つ時。
彼は大軍を率い、迷いなく突撃を命じた。
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