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第四話 遠い日の手紙
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キッチン脇の扉をくぐり、階段を一段ずつ上がる。
そのたびに、どくん、どくんと心臓が脈を打つ。
(……亜嵐さん……)
あれから三十分。
俺も白石さんも、俯いたままの翠さんに声をかけることができなかった。
結局パイはテイクアウトにしてもらい、白石さんは何度も振り返りながらローズメリーを後にした。
俺もそうしようとして――。
「藤宮くんは、もう少し残ってくれる……?」
今にも泣き出しそうな翠さんに言われて、俺は今、亜嵐さんの部屋の前に立っている。
亜嵐さんは一体、何者なのか。
翠さんとはどういう関係なのか。
初めて会ったときから、その疑問はずっと胸の底に沈んでいた。
けれど、二人がいて、この場所があって――居心地のいい穏やかさを壊したくなくて、俺はずっと目を背けてきた。
(誰にだって、踏み込まれたくない場所はある)
この扉をノックすることは、亜嵐さんの静かな心の底へ、土足で踏み込むことに繋がる――。
持ち上げた手が、宙に止まる。
その時だった。
――ドタン!
部屋の中から、大きな音が響いた。
反射的に扉のノブをつかみ、勢いのまま開け放った。
「亜嵐さん!?どうし――」
「……いたた……」
まだ日が高いというのに、部屋の中は薄暗い。
カーテンは閉じられ、照明も消されている。
仕事用のデスクランプだけが、ぼんやりと辺りを照らしていた。
そんな中、亜嵐さんは天井まで届く書棚の前にひっくり返って、腰をさすっていた。
「まさか……落ちたんですか!?」
転がった踏み台、散らばる本と書類。
その光景に思わず駆け寄ろうとするが――。
「問題ない!こっちに来るな!」
鋭い声が部屋の空気を震わせ、びくりと足が止まる。
その声音はいつもの冷静さを失い、怒りと焦りをはらんでいた。
しかしすぐ我に返ると、亜嵐さんは気まずげに眉を下げた。
「……すまない」
低く漏らし、視線を泳がせる。
そしてがしがしと頭をかきながら、無理矢理作った笑みを顔に貼り付けた。
「湊。これくらいの書類なら、私ひとりでも片付けられる。だから、今日はバイトは無用だ」
その表情が痛いほどぎこちなくて――俺の胸は掻きむしられるように痛んだ。
(放っておいたら、この人は薄いガラスのように壊れてしまう)
触れた指先でさえ、亀裂を入れてしまいそうな脆さ――。
ずっと感じていた不安が、確信に変わった。
「……亜嵐さん。俺――」
一歩を踏み出した足先が、こつんと何かに当たる。
視線を落とすと、古びた分厚い本が一冊。
革張りの表紙に、金の文字で刻まれたタイトルは日本語だった。
(……もしかして、おばあさんの本?)
「亜嵐さん、これ――」
そう言いかけて屈んだとき、すぐ隣に一通の封筒が目に入った。
少しくたびれたエアーメール。
淡い青が、埃の中で微かに光っている。
その紙に浮かぶ文字を、呟くように読み上げた。
「……アラン、ウェストフィールド……?」
「湊!!」
叫び声を上げて、亜嵐さんが飛び込んできた。
本と封筒をひったくるように抱え込むと、震えるように息を吐く。
その肩は、かたかたと揺れている。
「亜嵐さん……本名はアラン・ウェストフィールド……なんですか?」
返事はない。
小さく見える背中だけが、沈黙のまま凍りついている。
(――この人は、何を抱えてきたんだろう)
胸に血が滲んだ気がした。
同情ではない。
もっと深い場所で、静かに響く痛み。
(この人の過去に、俺が触れていいんだろうか……)
逡巡――。
手を伸ばすことも離れることもできず、俺はただ、その背中を見つめ続けた。
秘密はいつもティーカップの向こう側
囀るパイバード / 完
***
秘密はいつもティーカップの向こう側
シリーズ四作目「郷愁の山帰来」
引き続きよろしくお願いします☕
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
そのたびに、どくん、どくんと心臓が脈を打つ。
(……亜嵐さん……)
あれから三十分。
俺も白石さんも、俯いたままの翠さんに声をかけることができなかった。
結局パイはテイクアウトにしてもらい、白石さんは何度も振り返りながらローズメリーを後にした。
俺もそうしようとして――。
「藤宮くんは、もう少し残ってくれる……?」
今にも泣き出しそうな翠さんに言われて、俺は今、亜嵐さんの部屋の前に立っている。
亜嵐さんは一体、何者なのか。
翠さんとはどういう関係なのか。
初めて会ったときから、その疑問はずっと胸の底に沈んでいた。
けれど、二人がいて、この場所があって――居心地のいい穏やかさを壊したくなくて、俺はずっと目を背けてきた。
(誰にだって、踏み込まれたくない場所はある)
この扉をノックすることは、亜嵐さんの静かな心の底へ、土足で踏み込むことに繋がる――。
持ち上げた手が、宙に止まる。
その時だった。
――ドタン!
部屋の中から、大きな音が響いた。
反射的に扉のノブをつかみ、勢いのまま開け放った。
「亜嵐さん!?どうし――」
「……いたた……」
まだ日が高いというのに、部屋の中は薄暗い。
カーテンは閉じられ、照明も消されている。
仕事用のデスクランプだけが、ぼんやりと辺りを照らしていた。
そんな中、亜嵐さんは天井まで届く書棚の前にひっくり返って、腰をさすっていた。
「まさか……落ちたんですか!?」
転がった踏み台、散らばる本と書類。
その光景に思わず駆け寄ろうとするが――。
「問題ない!こっちに来るな!」
鋭い声が部屋の空気を震わせ、びくりと足が止まる。
その声音はいつもの冷静さを失い、怒りと焦りをはらんでいた。
しかしすぐ我に返ると、亜嵐さんは気まずげに眉を下げた。
「……すまない」
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そしてがしがしと頭をかきながら、無理矢理作った笑みを顔に貼り付けた。
「湊。これくらいの書類なら、私ひとりでも片付けられる。だから、今日はバイトは無用だ」
その表情が痛いほどぎこちなくて――俺の胸は掻きむしられるように痛んだ。
(放っておいたら、この人は薄いガラスのように壊れてしまう)
触れた指先でさえ、亀裂を入れてしまいそうな脆さ――。
ずっと感じていた不安が、確信に変わった。
「……亜嵐さん。俺――」
一歩を踏み出した足先が、こつんと何かに当たる。
視線を落とすと、古びた分厚い本が一冊。
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(……もしかして、おばあさんの本?)
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そう言いかけて屈んだとき、すぐ隣に一通の封筒が目に入った。
少しくたびれたエアーメール。
淡い青が、埃の中で微かに光っている。
その紙に浮かぶ文字を、呟くように読み上げた。
「……アラン、ウェストフィールド……?」
「湊!!」
叫び声を上げて、亜嵐さんが飛び込んできた。
本と封筒をひったくるように抱え込むと、震えるように息を吐く。
その肩は、かたかたと揺れている。
「亜嵐さん……本名はアラン・ウェストフィールド……なんですか?」
返事はない。
小さく見える背中だけが、沈黙のまま凍りついている。
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同情ではない。
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