秘密はいつもティーカップの向こう側 ~郷愁の山帰来~

天月りん

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第四話 並ぶ楽しさ

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 街路樹にしがみつく蝉の鳴き声が、晴れ渡った空にわーんと響く。
 けれどその鳴き声や照り付ける太陽以上に、俺の胸は熱く高鳴っている。

「湊!」

 その声に振り返ると、せかせかと行き交う人波の中を、こちらに駆けてくる亜嵐さんの姿が目に入った。

「亜嵐さん!おはようございます」
「すまない、待たせたか?」
「いいえ。十時まで、あと五分ありますよ」

 腕時計をちらりと確認して、俺は苦笑した。

「楽しみ過ぎて、早く着いちゃったんです」
「それは――私も同じだ。だが君より遅れていては、立場がないな」

 顔を見合わせ、同時に吹き出す。
 ――ああ、またこんな時間を持てるなんて。

 今日も亜嵐さんはおしゃれだ。
 陽射しに弱いからと、彼は夏でもジャケットを欠かさない。
 ざっくりと織られた夏仕様の布地は風通しもよさそうで、動くたびにその裾がふわりと揺れた。

 この人と並んで歩いても大丈夫なよう、今日の俺のトップスは襟付きだ。

(ちょっとでも大人っぽく見えるといいな……)

 特別に上等な品ではないが、新しい服に袖を通すには、今日ほど相応しい日もない。 

「新幹線の時間まで、もう少しある。何か旅のお供でも買っておこう」
「あ、おやつは大丈夫ですよ。オレンジのショートブレッドを焼いてきました」

 すると亜嵐さんは、あんぐりと口を開いた。

「君の手作りか!?」

 思いの外大きな声に、顔が熱くなる。

「ちょっ……亜嵐さん!声が大きい!」

 周囲を窺い人差し指を立てると、亜嵐さんは「……失礼」と言って咳払いをした。

「コホン。……では、紅茶を買っていくとしよう」
「はい!」

 そうして俺たちは、新横浜駅を出発した。

 ***

 駅ビルのコーヒーチェーンでストレートのアイスティーを買い、改札を抜ける。
 ホームに流れる発車メロディを背に、俺達は指定された列車に乗り込んだ。

 並んだ座席に収まり、引き出したトレイにアイスティーを置く。
 やがて緩やかに車体が動き出した途端、亜嵐さんは手を擦り合わせ、満面の笑みでこちらを見遣った。

「では、湊。早速ティータイムにしようではないか」
「その前に、今日の取材対象を教えてくださいよ」

 渡されたチケットには『名古屋』の文字。
 この時間の出発だから、それほど遠くではないだろうと考えていたが――予想していたよりは遠方だ。

「ふむ――いや、食べながら話そう。それほど長い旅でもないからな」

(ぷっ……早く食べたいんだな)

 そんな子どもっぽい言動が、こそばゆくてうれしい。
 内心で照れながら、揃えて差し出された両手に、俺はショートブレッドの袋を乗せた。

「ほぅ、これは……!オレンジとレモンが爽やかに香っているな」
「刻んだオレンジピールと、レモン果汁を入れてます」
「なるほど、湊らしい工夫だ。どれ、味は――」

 長方形に切り分けた菓子にかじりつくと、亜嵐さんは目を瞬かせ、微かに息を呑んだ。

「これは――素晴らしい!」

 すかさず紅茶を一口含み、至福の表情を浮かべた。

「さっくりした歯触りも、ほろっとした口溶けも、完璧だ。そして柑橘の香りが実に夏らしくて、紅茶にもよく合う」
「えへへ、よかった!」

 俺も袋からひとつ取り出して、口に放り込んだ。
 ――うん、確かに上手くできている。
 豊かなバターの風味を感じたあとで、オレンジピールのわずかな苦味とレモンの爽やかな香りが鼻に抜ける。
 ストレートティーを口に含めば後味は爽やかで、流れる車窓にピタリと当てはまる気がした。

「それで、今日は何の取材なんですか?」

 水を向けると、亜嵐さんは二つ目のショートブレッドを取り出しながら、ちらりとこちらを見た。

「いわゆる『名古屋めし』の一つだ。今日は『きしめん』を食べに行く」
「きしめん……?」

 聞き慣れない食べ物だ。
 名古屋と言えば、味噌カツや手羽先、モーニング文化などが有名だが。
 はて?きしめんといえば……。

「うどんの一種だ。薄く幅広に伸ばしてある」
「――あっ!あれか」

 その説明で思い出した。といっても、食べたことはないのだけれど。
 雑誌の特集で、写真だけなら見たことがある。

「うどん版のフェットチーネですよね!」
「ふっ、面白い表現だ。私より喩え上手なくらいだな」

 アイスティーで口の中を洗い流して、亜嵐さんはにやりと笑った。

 褒め言葉の真偽は置いておくとして。
 俺も栄養士の卵、未経験の料理への好奇心は人一倍だ。

 窓の外の風景は、ものすごいスピードで流れ去っていく。
 それに負けないくらい、俺の胸もどんどん高鳴っていった。

 ***

『まもなく名古屋です。今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました』

 車内アナウンスを合図に、降車の準備を整える。
 開いたドアを抜けると、蒸した夏の空気が肌にまとわりついた。

「うっ……蒸し暑い……」

 横浜よりも、空気の密度が一段濃い。
 たっぷりの蒸気を吸い込んだように、肺が重苦しくなる。
 けれどそれが、ここが旅先であることを感じさせ、かえって胸は高鳴った。

「確かに暑いな……」

 薄手とはいえジャケットを着ている亜嵐さんは、俺よりも辛いだろう。

(早く涼しいところに出なきゃ……)

 空調があまり効いていないホームを、俺達は素早く通り抜けた。

 改札前は、広場になっていた。
 待ち合わせらしき人たちが、あちこちに立っている。

 見知らぬ場所に、つい、きょろきょろしてしまう。
 ここからどうやって店に行くのだろう?
 すると亜嵐さんはタブレットを取り出して、コンコースの案内図を確認した。

「湊、こっちだ」

 手を引かれ、改札からまっすぐに伸びるコンコースを歩くこと一分。

「到着だ」
「……えっ?ここですか?」

 目の前にあるのは、ビルの壁面に埋め込まれたような小さな店。
 何というか……本当にここが?

「ここのきしめんが、なかなか美味いらしいのだ」

 亜嵐さんは満足げに頷くが、俺は豆鉄砲を食らった鳩の気分になった。

(……もっと、こう……老舗みたいなところに行くのかと思った……)

 正直言って、拍子抜けだった。

 もっとも、コンコース内にあるからといって、信用できないとは限らない。
 店の前には行列ができていて、ここが繁盛店であることを物語っている。
 何より、亜嵐さんの顔が自信満々だ。

(きっと美味しいんだ……)

 食に関して、彼以上に信頼できる人などいない。
 二人して、店の横に置かれた券売機とメニュー表を眺めた。

「……ほう、冷たいきしめんもあるのか」
「あ、いいですね!」

 何しろこの暑さだ、冷たい麺をちゅるっといただくのは、のど越しが良いに違いない。
 けれど亜嵐さんは顎に手を当てて、首を傾げた。

「だが今回は、取材も兼ねているからな。スタンダードを選ばない訳にもいかない」

 その言葉に、俺はピンと閃いた。

「じゃあ、温かいのと冷たいの、両方注文しましょうよ!シェアすればどっちも食べられます。そのほうが、いい記事が書けるんじゃないですか?」
「おぉ、冴えているな、湊!そうしてもらえると助かる」

 名古屋名物の天むすがついたセットを選び、俺達は行列の最後尾に並んだ。
 二十分ほど待っただろうか。

「二名でお待ちの西園寺様ぁ!」

 呼ばれて正面に立つと、店員は案内ボードと亜嵐さんの顔を交互に見遣った。

(わかる。わかるよ、その気持ち……!)

 仰々しい名前を呼んでみれば、それに応じて現れたのが美貌の外国人紳士。驚かないほうが難しい。
 うんうんと頷く俺を横目でじろりと睨みつけて、亜嵐さんは店員に続いて店の中に入っていった。

 案内されたテーブルは小ぶりの二人席で、男二人では少しばかり窮屈だった。
 周りを見ると、どこもギュッと詰まっていて、肩を寄せ合って麺を啜っている。

 店内に広がるのは、甘辛い醤油の香りと、濃い魚の出汁の香り。
 鰹節だと思うが、その奥にもっと力強い何かが潜んでいるような気がする。

「いい匂いですね、亜嵐さん」
「ああ、かなり濃い香りだ。そういえばきしめんの出汁は鰹だけでなく、ムロアジも使うそうだ」

 ムロアジ――このがつんとくる香りは、それだったのか。

 濃厚な旨味をたたえた汁の味を想像して、思わず唾を飲み込んだ。
 名古屋の味は濃いと聞くけれど、ただしょっぱいだけではなさそうだ。

「お待たせしましたー!」

 小柄な女性店員が、盆を二つテーブルに置いた。
 
「……おぉ」
「わぁ……!」

 覗き込んだ途端、出汁としょうゆの香りがぶわっと立ち上がる。
 揚げたての天麩羅は見事に花が咲き、ほこほこと湯気を上げていた。

「美味しそう!いただきます!」

 あらかじめ頼んでおいた小さな椀に、まずは温かなきしめんを取る。
 ふーっと息を吹きかけて、ひらりとした麺をすする。
 すると意外なことに、麺にはしっかりとしたコシがあった。

「……んっ!ぺらぺら、ってわけじゃないんですね!」
「そうだな。もっちりとした歯ごたえがある」

 出汁はやはり色が濃い目で、醤油の味がしっかりと残っている。

「だがこれは……ただの醤油ではないな。もっと濃くて甘みのある……」
「たまり醤油、かな?」

 思ったことを口にすると、亜嵐さんは「それだ!」と頷いた。

「湊、今日は本当に冴えているな。君と一緒に来たのは、やはり正解だった」
「へへっ、ありがとうございます」

 さくっとした衣の天ぷらをかじりながら、俺の口角はにんまりと上がった。

「さて。次は冷たいきしめんをいただくとしよう」
「そうですね」

 そちらも椀に取り分けて啜る。
 ――と。

「ん?」
「えっ?」

 先ほど食べた温かい麺との食感の違いに、俺も亜嵐さんも目を見開いた。

「うわっ、冷やしはもちもちだ!」
「うむ。これは良い食感だ」

 温かい方にもコシはあったが、冷たい麺はさらに強い弾力を感じる。
 キンと冷えた汁も濃い目で、麺にしっかり絡んで味わい深い。

「へぇー、きしめんってこんなに美味いんだ!」

 はふはふと食べ進める俺を見て、亜嵐さんはうれしそうに目を細めた。
 その顔に、ローズメリーで初めてクリームティーを食べた日の思い出が蘇る。

 二人で囲む食卓――その時間が戻ってきたことが、何よりもうれしい。
 その気持ちがスパイスになって、シェアするきしめんをより一層美味くした。
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