秘密はいつもティーカップの向こう側 ~郷愁の山帰来~

天月りん

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第六話 打ち解けた緊張

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 チリン。

「翠さん、ただいま帰りました!」

 慣れ親しんだ景色にほっと息を吐き、『クローズド』の札が掛かった扉を押し開ける。
 すると柔らかな声が、俺たちを出迎えてくれた。

「お帰りなさい、二人とも。――あらまあ、たくさんの荷物だこと!」
「何しろ美緒がいますからね。……おや、姿が見えないようですが」

 テーブルに土産物の袋を置いて、亜嵐さんは店内をぐるりと見渡した。
 すると翠さんは、苦笑しながら入口の方へ視線を向けた。

「ちょっとね、お買い物に行ってもらってるの。牛乳が足りなくなる気がしたものだから」
「……ほう?」
「お手伝いは不要よって伝えても、『手伝います!』と言ってきかないんだもの」

 チャーミングに肩を竦める翠さんの眉は、やや下がり気味だ。
 ――つまり。体よく追い出されたのだ。

(白石さん……今日は何をやらかしたんだろう?)

 深く追及はしないでおこう。
 そう思ってため息を吐いたところに。

 チリン!

「翠さん、ただいまー……って!藤宮くんだ、おかえりー!」
「ただいまと言った直後におかえりか。相変わらず騒々しいやつだな。それに、私もいるぞ」

 牛乳が入った袋を翠さんに渡した白石さんは、亜嵐さんに向かって「べーっ!」と舌を出すと、ぷいっとそっぽを向いた。

「ふーんだっ!人の気持ちがわかんない師匠のことなんて、知りませーん!」
「……ほぅ、誰が愚鈍だと?お前が喜ぶだろうとこれを買ってきた私に、そんな口をきいていいのか?」

 亜嵐さんが菓子の入った紙袋を手に掲げると、白石さんはぴょんと飛び上がり、俺の顔をまっすぐに見据えた。
 
(……本当に、心配をかけちゃったんだな)

 申し訳なさが先に立つものの、彼女の真心が心底嬉しい。
 だから俺は、精一杯の笑みを浮かべた。

「俺ならもう大丈夫だよ。ありがとう、白石さん」
「そう、そうなの……なら!」

 顔を伏せたまま、つかつかと亜嵐さんの前に歩み出た白石さんは――次の瞬間、満面の笑みで顔を上げた。

「師匠~っ!いろんな意味でお帰りなさい!お土産、ありがとうございま~す!」
「ふん。お前に心配されるようでは、私もまだまだ、ということだな」

 今度は亜嵐さんがそっぽを向く。
 その脇腹を肘で突いて、白石さんは土産袋を受け取った。

「どれどれ……わっ、小倉トースト味!?おもしろーい!こっちは……八丁みそ味?うーん、どんな味だろう。それから……」
「白石さん、これは俺から。――食べ物じゃないけど」

 そう言ってバッグから小さな袋を取り出すと、白石さんは瞳をきらきらさせてこちらに寄ってきた。

「おぉっ、金色の魚?……あっ、金シャチか!へぇ、かわいい。このキモ緩い感じ、何ともいいねぇ!」

 キーホルダーを矯めつ眇めつして、白石さんは「ありがとう!」と笑った。

「キモ緩いというのは、どういう感覚なんだ?なぜそれがかわいいと繋がる?」

 不可思議なものを見るような目の亜嵐さんに、翠さんがそっと囁く。

「若い人にしかわからない感覚よ、きっと。でも私もああいう感じ、嫌いじゃないわ」
「よかった!実は翠さんにもあるんです」
「まぁ!……あら、これもかわいいわ。ありがとう、藤宮くん」

 翠さんに渡したのは、小さな金シャチがたくさんプリントされたハンドタオルだ。
 正直言って、こういう土産を上手に選ぶセンスなど俺にはない。
 けれど――。

(喜んでもらえたみたいで、よかった)

 喜ぶ白石さんと翠さんを見て、こちらも笑顔になる。
 二人の横で「私も十分若いと思うのですが!」と躍起になっている亜嵐さんも、とても微笑ましい。

(本当に、この場所に戻ってこられたんだ)

 胸の奥がじんと温かくなる。
 それを実感したとき――。

 チリン――軽やかなベルの音。

「ハロー!アラン、翠――おや?」

 真夏の陽光を背負ったような男が、ついに姿を現した。

 ***

「いらっしゃい、オリーさん」
「翠、お招きありがとう。大したものじゃないけれど」
「まぁ!ありがとう。きれいね」

 ヒマワリが入った明るい印象の花束を、オリヴァーさんは翠さんに手渡した。
 
 その様子を、一歩下がった位置で白石さんと眺める。
 いつも明るい白石さんの顔からは、笑みが消えていた。

『藤宮くん、あの人が師匠の従兄?』
『うん、そうだよ』
『ふーん……確かにハンサムだけど、なんか胡散臭くない?』
『声、大きいよ!』

 ぎくりとした瞬間、陽気な声がこちらに飛んできた。

「お褒めに預かり光栄ですよ、レディ。けれど私は、胡散臭くなどありません」
「わぁ、聞こえてました?」

 清々しくも白々しいセリフに、オリヴァーさんは動じない。
 それどころか白石さんの前で片膝をつくと、恭しい動作で彼女を見上げた。

「まずは自己紹介をしましょう。私はオリヴァー・ウェストフィールド。亜嵐とは祖父母を同じくしています。気軽に『オリー』と呼んでください」
「初めまして、オリヴァー・ウェストフィールドさん。白石美緒です。藤宮くんと同じ大学に通っていて、そこに立ってる紳士の弟子をやってます!」

 鼻息荒く、白石さんは好戦的に言い切った。
 そこでようやくオリヴァーさんは笑顔の仮面を外したが、それでも怒っている様子はない。

「ふーむ。どうやら美緒は、私のことがお気に召さないようだ。――そこにいる藤宮くんのせいかな?」
「せい、ってなんですか?自分の至らなさを他人になすりつけるのは、どうかと思いますけど!」
「ちょっ……止めよう!ね?」

 掴みかからんばかりの白石さんを制して、俺はオリヴァーさんに頭を下げた。

「ごめんなさい、オリヴァーさん。悪気はないんです」
「どうして藤宮くんが謝るの!?それに生憎、私には悪気しかないわよ!」

 彼女らしくない剣幕に、俺は戸惑った。
 亜嵐さんと翠さんは、呆気に取られてこちらを眺めている。
 オリヴァーさんは困ったように眉を下げ、次の展開に全員が息を呑んだ、そのとき――。

「ぷっ」

 堪えきれないように、オリヴァーさんが拳を口元に当てた。

「はははっ、これは……っ!――いや、失敬。確かに私の失言に違いない。それでも……ぷはっ!」

 ローズメリーの店内に、オリヴァーさんの笑い声だけが響く。
 場の視線を一心に集めてひとしきり笑うと、オリヴァーさんは亜嵐さんに向き直った。

「やっと良い友人たちに巡り合えたんだな、アラン」
「……そうですね」

 差し出されたオリヴァーさんの手を握る亜嵐さんの耳は、ほんのり赤く染まっていた。

 手を解くと、オリヴァーさんは憑き物が落ちたような笑みを浮かべて、こちらを見た。

「美緒、私はね。藤宮くんを除け者にしようなんて、本気で考えてはいなかったよ。けれど――私の存在は、君の言う通り胡散臭かった。もし私が藤宮くんの立場でも、いい気はしなかっただろうな」
「そう思うなら、少しは改めなさいな、オリーさん。……美緒ちゃん。こんなだけど、本当に情の深い人なのよ、彼は」

 翠さんに言われては、さすがの白石さんも矛を収めるしかない。
 けれどまだ納得しきれない表情で、俺の顔を見た。

「藤宮くんは?それでいいの?」
「うん。オリヴァーさんは、底知れない凄い人だよ。それは間違いない」
「……そっか。それなら――ごめんなさい、オリーさん。私、失礼なことを言いました」

 白石さんがぺこりと頭を下げると、オリヴァーさんは破顔一笑した。

「うん、美緒はやはり素敵なレディーだ。あなたと知り合えて良かった。――それから藤宮くん、君にもぜひ『オリー』と呼んでもらいたいな」
「わかりました……オリーさん」
「ありがとう。それと――意地悪をしてすまない。アランのことがどうしても心配でね。私にとって彼は、大切な弟なんだ」

 その笑みには、以前のような皮肉さは微塵もない。
 それでやっと俺も、わだかまっていた警戒心を解くことができた。

 なんとか全体が和解した雰囲気になったところで、翠さんが小さく手を叩いた。

「さあ。それじゃあみんな揃ったことだし、食事にしましょう。ね?」
「はーい!もうお腹ペコペコです~」
「君は常に食い気が最優先だな」

 いつもの日常が戻ってきたことに、俺は安堵の息を漏らした。

 *** 
 
「いやぁ、やはり翠の料理は素晴らしいな!」

 オリーさんの言葉通り、今夜の食事も素晴らしいものだった。
 ただ、いつもと比べてちょっとだけ軽めというか――食後の余白を残せる内容だった。

「亜嵐さんたちが買ってきてくれたお土産がありますからね」

 ふふ、と微笑む翠さんの言葉に、亜嵐さんが片っ端から菓子を買い込んだことを思い出した。

(初めからそのつもりだったのか……)

 それにしたって買い過ぎな気もするが、そこはサービス精神と好奇心ゆえだろう。
 確かに名古屋独特の味付けは、試してみたいものばかりだった。

「へぇーっ!きしめんとあんことアイスクリーム!面白い組み合わせだね」
「そうなんだ。でも案外よく合ってて。――ね?亜嵐さん」

 食休みのお供に名古屋での体験を披露すると、翠さんと白石さんは目を丸くした。
 オリーさんは昭和の喫茶店に興味津々だ。

「なるほど、レトロなジャパニーズ・カフェか。――実に興味深い。新しい企画が立案出来そうだ」
「そういえばオリーさん。和菓子職人さんやお茶の先生とはどうだったんですか?」

 オリーさんの訪日理由を思い出し尋ねると、ハンサムな経営者は華麗にウィンクを決めた。

「アランのおかげで良い出会いがあったさ。持つべきものは、優秀な弟だな」

 絵になり過ぎるその姿に、白石さんはぽつりと呟いた。

「……やっぱり胡散臭いわ」
「オーゥ!酷いな、美緒。私は自らを『西洋と東洋を繋ぐ希望の架け橋』と自認しているのだよ!」

(き、希望……!?それ自分で言っちゃうかな!?)

 驚いていると、亜嵐さんは『自称・架け橋』さんをじろりと見遣った。

「昨日は『陽気な文化のバイヤー』と名乗っていたな。その前は『歩くジャパン・アドバイザー』だったか。連れ出す先々で奇妙な名乗りをするのは、勘弁してもらいたいのだが」
「奇妙?これでも毎晩寝る前に、明日のキャッチコピーを真剣に考えているんだよ?」

 唖然とする。
 少しおどけて見せるのは、彼なりの戦略というか、ビジネスシーンの仮面だと思っていたけれど。

(本当に、ちょっと……変な人なのかもしれない)

 底の見えない印象は変わらないけれど、いつの間にか『オリヴァー・ウェストフィールド』という人が、どこか身近に感じられるようになっている。
 白石さんも同意見のようで、「胡散臭い」を連発しつつ、その目は笑っていた。

「――さて。そろそろデザートタイムにしましょうね」

 そう言って立ち上がると、翠さんは厨房へ消えていった。

「わーい!どのお菓子を開けようかな?豪華なパッケージのえびせんべいも捨てがたいけど……あ、こっちのクッキーがいいかな。えへへ、ミルクティーに合うのはどれかな~?」

 テーブルに山積みになった土産の箱を、白石さんが楽しそうに物色し始める。
 すると亜嵐さんはその隣に立って、彼女の手を制した。

「美緒、待ちたまえ。まずは別の菓子をいただこう」
「え?別って?」

(……あ、もしかして……)

 最後に亜嵐さんが買った『何か』を思い出した。

(きっとあれだ)

 そして同時に、亜嵐さんの瞳に揺れた、切なげな影が頭を掠める。

 その菓子に秘められた思いは、きっと亜嵐さんにとって喜びに満ちたものではない。
 彼が背負ったものを、俺は今度こそ目を逸らさず受け止められるだろうか。

 そう考えたとき。
 こつこつと木の床を踏む足音が近付いてきた。

「お待たせしました」

(……あれ?)

 空気に漂う「それ」に、強い違和感を抱く。
 穏やかに微笑む翠さんがまとっていたのは、いつもの紅茶の香りではなく――清らかな風のような緑茶の香りだった。
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