10 / 10
第十話 嵐の予感
しおりを挟む
「もう一切れ、も~らいっ!」
「美緒、少しは遠慮というものをだな……」
「だってすっごく美味しいんだも~ん!」
「……っ、これは!湊が私に焼いてくれたホットケーキだっ!」
ギャーギャーと騒ぐ師弟を眺めながら、俺はホットケーキミックスの袋をもう一つ開けた。
(卵も牛乳もまだあるし……)
「すぐに次のが焼けますからねー!」
そう声をかけると、亜嵐さんと白石さんはピタリと動きを止めて、「イエース!」と某ハンサムかぶれの返事をした。
あの夜から二日――。
ローズメリーには、これまで通りの日常が帰ってきた。
亜嵐さんは相変わらず毒舌の蘊蓄家で、白石さんはとびきり元気。
翠さんは癒しの存在で、俺は――その中にいる。
けれど一つだけ違うことがある。
俺は、亜嵐さんの隣という指定席を手に入れた。
恋人とか、そういうのではない。
(こういうの、ソウルメイトって呼ぶんだろうな)
俺にとって亜嵐さんは、そして亜嵐さんにとって俺は、互いを温めあえる存在だ。
そんな相手がいることが嬉しい。
まるで心の中に清らかな泉が滾々と湧き出す、そんな感じだ。
フライパン一杯に広げたホットケーキをじゅっとひっくり返すと、すぐ後ろで感嘆の声が上がった。
「ほぉ……。いつ見ても大したものだ」
「うわっ、びっくりした……!急に後ろに立たないでくださいよ」
「構わないだろう?君と私の仲だ」
余裕ぶった笑みが小憎らしい。
フライ返しを手に睨みつけると、亜嵐さんはスキップを踏むように離れていった。
「あ~、いいなぁ。私も大切な相手がほしいぃ~!」
白石さんがぼやいた瞬間――ノックもなしに、勢いよく扉が開いた。
「美緒!それは私でどうだろう?」
飛び込んできた人を見て、全員が固まる。
「えっ?なんで……?」
「イギリスに帰ったはずでは?」
スーツケースを抱えて満面の笑みを浮かべるのは、イギリスに帰ったはずのオリヴァー・ウェストフィールド氏。
二日ぶりに見るその姿は、キラキラと輝く夏の太陽のようだ。
「文化の風を届ける使者、オリヴァー・ウェストフィールド、登・場!確かに一旦帰ったが、すぐに来ると言っただろう?はっはっは!」
ウィンクをしながらポーズを決める紳士を、白石さんは一刀両断した。
「やっぱり胡散臭い~っ!」
「うむ。否定できんな」
「そんなぁ!……ん?何やら甘い匂いがするね」
鼻をくんくんさせるオリーさんを見て、俺は慌ててフライパンを確認した。
「あっぶな!……よかった、焦げてなかった……」
皿に取り出したホットケーキは、均一なきつね色をしている。
「ホットケーキ?何だい、それは。パンケーキとは違うのか?」
「違うとも!イギリス式と違うのはもちろん、カフェで出されるパンケーキとも違う。湊が焼くホットケーキは、地上唯一にして至上の味なのだ!」
(……また言ってる……ミックスを混ぜて焼いただけなのに……)
力説する亜嵐さんを横目に、バターをたっぷり塗って放射状にカットしたケーキを、ローテーブルに置く。
これまでもホットケーキを焼くたびに賛辞を贈られてきたので、もはや突っ込む気にもなれない。
オリーさんはスーツケースを放り出すと、目を輝かせてテーブルに走り寄ってきた。
「へぇー、そんなに美味しいのか。それでは私もご相伴に預からせてもらおう」
「えぇっ!?」
「何だと!?」
白石さんと亜嵐さんが、同時に目を見開いた。
「ちょうど小腹が空いていてね。いやぁ、実にいいタイミングだ」
「図々しいぞ、オリー!」
「そうだ、引っ込めー!」
二人からのブーイングをものともせず、オリーさんは小皿にホットケーキを一切れ乗せた。
「いただきます!……んぅっ、これは……美味いな!」
メープルシロップが付いた唇をぺろりと舐める仕草すら、一流の絵画のように決まっている。
亜嵐さんはホットケーキが褒められてうれしいやら、鳶に油揚げをさらわれて悔しいやらで、複雑な顔をしている。
白石さんは頬をぷくっと膨らませて、オリーさんを睨んだ。
と、そこへ――。
「あらあら。オリーさんまで藤宮くんに甘えちゃってるの?」
開け放った扉から、翠さんがひょっこり顔を覗かせた。
その表情は「仕方ないわね」と言いたげだ。
「翠、あなたも一切れどうだ?これは食べる価値があるよ」
「もう、オリーさんったら。……まぁ、本当にきれいに焼けているわね!」
盆の上に乗った大きなティーポットからは、優雅な紅茶の香りが漂っている。
それをテーブルの脇に置いた翠さんは、ちらりとこちらを見遣って微笑んだ。
「私も一切れいただいていいのかしら?」
「……うっ、ど、どうぞ……」
「ぐっ……構いませんとも」
白石さんと亜嵐さんが、翠さんに物申せるわけもない。
天国と地獄が同時にやってきたような光景に、俺はため息を吐いた。
(ホットケーキミックス……追加で買ってこよう)
賑やかな輪を抜けてバッグに手を伸ばすと、すかさず亜嵐さんに見咎められた。
「湊!どこへ行く?」
「ホットケーキミックスを追加で買ってきます」
「待て、それなら私も一緒に行く。シロップの追加も欲しい」
出かける支度――といっても、財布をポケットに突っ込むくらいだ――をしていると、オリーさんの陽気な声が飛んできた。
「ヒュー!相変わらず仲が良いな!」
「……ばか者め」
そう言い置いて、亜嵐さんは部屋のドアを後ろ手で閉めた。
薄手のジャケットを羽織る亜嵐さんと並んで、一階へ続く階段を降りる。
数日前、俺は惨めな気持ちでここにいた。
(もうずっと前のことみたいだ……)
チリン。
ローズメリーの扉を開けると、湿った熱波が肌にまとわりつく。
「……湊。迅速に済ませよう」
「ですね」
石畳の歩道。日陰のない眩しい道を、二人で歩く。
それがただうれしい。
けれど。
このときの俺は、まだ知らなかった。
――この平穏が、ほんの束の間のものだなんて。
***
「……西園寺亜嵐?」
ダイニングテーブルに置きっぱなしにされた名刺を、藤宮司は小さな声で読み上げた。
秘密はいつもティーカップの向こう側
郷愁の山帰来 / 完
***
秘密はいつもティーカップの向こう側
第五作「過ぎし日に蕩ける卵」
引き続きよろしくお願いします☕
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
「美緒、少しは遠慮というものをだな……」
「だってすっごく美味しいんだも~ん!」
「……っ、これは!湊が私に焼いてくれたホットケーキだっ!」
ギャーギャーと騒ぐ師弟を眺めながら、俺はホットケーキミックスの袋をもう一つ開けた。
(卵も牛乳もまだあるし……)
「すぐに次のが焼けますからねー!」
そう声をかけると、亜嵐さんと白石さんはピタリと動きを止めて、「イエース!」と某ハンサムかぶれの返事をした。
あの夜から二日――。
ローズメリーには、これまで通りの日常が帰ってきた。
亜嵐さんは相変わらず毒舌の蘊蓄家で、白石さんはとびきり元気。
翠さんは癒しの存在で、俺は――その中にいる。
けれど一つだけ違うことがある。
俺は、亜嵐さんの隣という指定席を手に入れた。
恋人とか、そういうのではない。
(こういうの、ソウルメイトって呼ぶんだろうな)
俺にとって亜嵐さんは、そして亜嵐さんにとって俺は、互いを温めあえる存在だ。
そんな相手がいることが嬉しい。
まるで心の中に清らかな泉が滾々と湧き出す、そんな感じだ。
フライパン一杯に広げたホットケーキをじゅっとひっくり返すと、すぐ後ろで感嘆の声が上がった。
「ほぉ……。いつ見ても大したものだ」
「うわっ、びっくりした……!急に後ろに立たないでくださいよ」
「構わないだろう?君と私の仲だ」
余裕ぶった笑みが小憎らしい。
フライ返しを手に睨みつけると、亜嵐さんはスキップを踏むように離れていった。
「あ~、いいなぁ。私も大切な相手がほしいぃ~!」
白石さんがぼやいた瞬間――ノックもなしに、勢いよく扉が開いた。
「美緒!それは私でどうだろう?」
飛び込んできた人を見て、全員が固まる。
「えっ?なんで……?」
「イギリスに帰ったはずでは?」
スーツケースを抱えて満面の笑みを浮かべるのは、イギリスに帰ったはずのオリヴァー・ウェストフィールド氏。
二日ぶりに見るその姿は、キラキラと輝く夏の太陽のようだ。
「文化の風を届ける使者、オリヴァー・ウェストフィールド、登・場!確かに一旦帰ったが、すぐに来ると言っただろう?はっはっは!」
ウィンクをしながらポーズを決める紳士を、白石さんは一刀両断した。
「やっぱり胡散臭い~っ!」
「うむ。否定できんな」
「そんなぁ!……ん?何やら甘い匂いがするね」
鼻をくんくんさせるオリーさんを見て、俺は慌ててフライパンを確認した。
「あっぶな!……よかった、焦げてなかった……」
皿に取り出したホットケーキは、均一なきつね色をしている。
「ホットケーキ?何だい、それは。パンケーキとは違うのか?」
「違うとも!イギリス式と違うのはもちろん、カフェで出されるパンケーキとも違う。湊が焼くホットケーキは、地上唯一にして至上の味なのだ!」
(……また言ってる……ミックスを混ぜて焼いただけなのに……)
力説する亜嵐さんを横目に、バターをたっぷり塗って放射状にカットしたケーキを、ローテーブルに置く。
これまでもホットケーキを焼くたびに賛辞を贈られてきたので、もはや突っ込む気にもなれない。
オリーさんはスーツケースを放り出すと、目を輝かせてテーブルに走り寄ってきた。
「へぇー、そんなに美味しいのか。それでは私もご相伴に預からせてもらおう」
「えぇっ!?」
「何だと!?」
白石さんと亜嵐さんが、同時に目を見開いた。
「ちょうど小腹が空いていてね。いやぁ、実にいいタイミングだ」
「図々しいぞ、オリー!」
「そうだ、引っ込めー!」
二人からのブーイングをものともせず、オリーさんは小皿にホットケーキを一切れ乗せた。
「いただきます!……んぅっ、これは……美味いな!」
メープルシロップが付いた唇をぺろりと舐める仕草すら、一流の絵画のように決まっている。
亜嵐さんはホットケーキが褒められてうれしいやら、鳶に油揚げをさらわれて悔しいやらで、複雑な顔をしている。
白石さんは頬をぷくっと膨らませて、オリーさんを睨んだ。
と、そこへ――。
「あらあら。オリーさんまで藤宮くんに甘えちゃってるの?」
開け放った扉から、翠さんがひょっこり顔を覗かせた。
その表情は「仕方ないわね」と言いたげだ。
「翠、あなたも一切れどうだ?これは食べる価値があるよ」
「もう、オリーさんったら。……まぁ、本当にきれいに焼けているわね!」
盆の上に乗った大きなティーポットからは、優雅な紅茶の香りが漂っている。
それをテーブルの脇に置いた翠さんは、ちらりとこちらを見遣って微笑んだ。
「私も一切れいただいていいのかしら?」
「……うっ、ど、どうぞ……」
「ぐっ……構いませんとも」
白石さんと亜嵐さんが、翠さんに物申せるわけもない。
天国と地獄が同時にやってきたような光景に、俺はため息を吐いた。
(ホットケーキミックス……追加で買ってこよう)
賑やかな輪を抜けてバッグに手を伸ばすと、すかさず亜嵐さんに見咎められた。
「湊!どこへ行く?」
「ホットケーキミックスを追加で買ってきます」
「待て、それなら私も一緒に行く。シロップの追加も欲しい」
出かける支度――といっても、財布をポケットに突っ込むくらいだ――をしていると、オリーさんの陽気な声が飛んできた。
「ヒュー!相変わらず仲が良いな!」
「……ばか者め」
そう言い置いて、亜嵐さんは部屋のドアを後ろ手で閉めた。
薄手のジャケットを羽織る亜嵐さんと並んで、一階へ続く階段を降りる。
数日前、俺は惨めな気持ちでここにいた。
(もうずっと前のことみたいだ……)
チリン。
ローズメリーの扉を開けると、湿った熱波が肌にまとわりつく。
「……湊。迅速に済ませよう」
「ですね」
石畳の歩道。日陰のない眩しい道を、二人で歩く。
それがただうれしい。
けれど。
このときの俺は、まだ知らなかった。
――この平穏が、ほんの束の間のものだなんて。
***
「……西園寺亜嵐?」
ダイニングテーブルに置きっぱなしにされた名刺を、藤宮司は小さな声で読み上げた。
秘密はいつもティーカップの向こう側
郷愁の山帰来 / 完
***
秘密はいつもティーカップの向こう側
第五作「過ぎし日に蕩ける卵」
引き続きよろしくお願いします☕
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
