秘密はいつもティーカップの向こう側 ~郷愁の山帰来~

天月りん

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第十話 嵐の予感

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「もう一切れ、も~らいっ!」
「美緒、少しは遠慮というものをだな……」
「だってすっごく美味しいんだも~ん!」
「……っ、これは!湊が私に焼いてくれたホットケーキだっ!」

 ギャーギャーと騒ぐ師弟を眺めながら、俺はホットケーキミックスの袋をもう一つ開けた。

(卵も牛乳もまだあるし……)

「すぐに次のが焼けますからねー!」

 そう声をかけると、亜嵐さんと白石さんはピタリと動きを止めて、「イエース!」と某ハンサムかぶれの返事をした。

 あの夜から二日――。
 ローズメリーには、これまで通りの日常が帰ってきた。
 
 亜嵐さんは相変わらず毒舌の蘊蓄家で、白石さんはとびきり元気。
 翠さんは癒しの存在で、俺は――その中にいる。

 けれど一つだけ違うことがある。
 俺は、亜嵐さんの隣という指定席を手に入れた。

 恋人とか、そういうのではない。

(こういうの、ソウルメイトって呼ぶんだろうな)

 俺にとって亜嵐さんは、そして亜嵐さんにとって俺は、互いを温めあえる存在だ。
 そんな相手がいることが嬉しい。
 まるで心の中に清らかな泉が滾々と湧き出す、そんな感じだ。

 フライパン一杯に広げたホットケーキをじゅっとひっくり返すと、すぐ後ろで感嘆の声が上がった。

「ほぉ……。いつ見ても大したものだ」
「うわっ、びっくりした……!急に後ろに立たないでくださいよ」
「構わないだろう?君と私の仲だ」

 余裕ぶった笑みが小憎らしい。
 フライ返しを手に睨みつけると、亜嵐さんはスキップを踏むように離れていった。

「あ~、いいなぁ。私も大切な相手がほしいぃ~!」

 白石さんがぼやいた瞬間――ノックもなしに、勢いよく扉が開いた。

「美緒!それは私でどうだろう?」

 飛び込んできた人を見て、全員が固まる。

「えっ?なんで……?」
「イギリスに帰ったはずでは?」

 スーツケースを抱えて満面の笑みを浮かべるのは、イギリスに帰ったはずのオリヴァー・ウェストフィールド氏。
 二日ぶりに見るその姿は、キラキラと輝く夏の太陽のようだ。

「文化の風を届ける使者、オリヴァー・ウェストフィールド、登・場!確かに一旦帰ったが、すぐに来ると言っただろう?はっはっは!」

 ウィンクをしながらポーズを決める紳士を、白石さんは一刀両断した。

「やっぱり胡散臭い~っ!」
「うむ。否定できんな」
「そんなぁ!……ん?何やら甘い匂いがするね」

 鼻をくんくんさせるオリーさんを見て、俺は慌ててフライパンを確認した。

「あっぶな!……よかった、焦げてなかった……」

 皿に取り出したホットケーキは、均一なきつね色をしている。

「ホットケーキ?何だい、それは。パンケーキとは違うのか?」
「違うとも!イギリス式と違うのはもちろん、カフェで出されるパンケーキとも違う。湊が焼くホットケーキは、地上唯一にして至上の味なのだ!」

(……また言ってる……ミックスを混ぜて焼いただけなのに……)

 力説する亜嵐さんを横目に、バターをたっぷり塗って放射状にカットしたケーキを、ローテーブルに置く。
 これまでもホットケーキを焼くたびに賛辞を贈られてきたので、もはや突っ込む気にもなれない。

 オリーさんはスーツケースを放り出すと、目を輝かせてテーブルに走り寄ってきた。

「へぇー、そんなに美味しいのか。それでは私もご相伴に預からせてもらおう」
「えぇっ!?」
「何だと!?」

 白石さんと亜嵐さんが、同時に目を見開いた。

「ちょうど小腹が空いていてね。いやぁ、実にいいタイミングだ」
「図々しいぞ、オリー!」
「そうだ、引っ込めー!」

 二人からのブーイングをものともせず、オリーさんは小皿にホットケーキを一切れ乗せた。

「いただきます!……んぅっ、これは……美味いな!」

 メープルシロップが付いた唇をぺろりと舐める仕草すら、一流の絵画のように決まっている。
 亜嵐さんはホットケーキが褒められてうれしいやら、鳶に油揚げをさらわれて悔しいやらで、複雑な顔をしている。
 白石さんは頬をぷくっと膨らませて、オリーさんを睨んだ。

 と、そこへ――。

「あらあら。オリーさんまで藤宮くんに甘えちゃってるの?」

 開け放った扉から、翠さんがひょっこり顔を覗かせた。
 その表情は「仕方ないわね」と言いたげだ。

「翠、あなたも一切れどうだ?これは食べる価値があるよ」
「もう、オリーさんったら。……まぁ、本当にきれいに焼けているわね!」
 
 盆の上に乗った大きなティーポットからは、優雅な紅茶の香りが漂っている。
 それをテーブルの脇に置いた翠さんは、ちらりとこちらを見遣って微笑んだ。
 
「私も一切れいただいていいのかしら?」
「……うっ、ど、どうぞ……」
「ぐっ……構いませんとも」

 白石さんと亜嵐さんが、翠さんに物申せるわけもない。
 天国と地獄が同時にやってきたような光景に、俺はため息を吐いた。

(ホットケーキミックス……追加で買ってこよう)

 賑やかな輪を抜けてバッグに手を伸ばすと、すかさず亜嵐さんに見咎められた。

「湊!どこへ行く?」
「ホットケーキミックスを追加で買ってきます」
「待て、それなら私も一緒に行く。シロップの追加も欲しい」

 出かける支度――といっても、財布をポケットに突っ込むくらいだ――をしていると、オリーさんの陽気な声が飛んできた。

「ヒュー!相変わらず仲が良いな!」
「……ばか者め」

 そう言い置いて、亜嵐さんは部屋のドアを後ろ手で閉めた。

 薄手のジャケットを羽織る亜嵐さんと並んで、一階へ続く階段を降りる。
 数日前、俺は惨めな気持ちでここにいた。
 
(もうずっと前のことみたいだ……)

 チリン。
 ローズメリーの扉を開けると、湿った熱波が肌にまとわりつく。

「……湊。迅速に済ませよう」
「ですね」

 石畳の歩道。日陰のない眩しい道を、二人で歩く。
 それがただうれしい。

 けれど。
 このときの俺は、まだ知らなかった。

 ――この平穏が、ほんの束の間のものだなんて。

 ***

 「……西園寺亜嵐?」

 ダイニングテーブルに置きっぱなしにされた名刺を、藤宮司は小さな声で読み上げた。



 秘密はいつもティーカップの向こう側
 郷愁の山帰来 / 完

 ***

 秘密はいつもティーカップの向こう側
 第五作「過ぎし日に蕩ける卵」
 引き続きよろしくお願いします☕

 ◆・◆・◆

 秘密はいつもティーカップの向こう側
 本編もアルファポリスで連載中です☕
 ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。

 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
 ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
  シリーズ本編番外編
 ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
  シリーズSS番外編
 ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
  シリーズのおやつ小話
 よろしければ覗いてみてください♪

 

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