秘密はいつもティーカップの向こう側 ~サマープディングと癒しのレシピ~

天月りん

文字の大きさ
1 / 6

第一話 図書館にて

しおりを挟む
「も~~~っ!栄養学なんて、大っ嫌い!!」

 初夏の陽射しが強さを増す、ある日の午後。
 悩める子羊の絶叫が、静まり返った図書館の地下室に響き渡った。

 ***

 文系キャンパスにある巨大な建造物。
 煌びやかなエントランスをくぐった瞬間、一筋の汗がつぅと背中を伝った。

(何だろう……今日は落ち着いて勉強できない予感がする)

 レポートの提出期限が近付いた水曜日。
 休講でぽっかり空いた時間を有効に使おうと、俺は大学の図書館に足を運んだ。

 歴史ある大学だけあって、その蔵書は街の図書館よりもずっと充実している。

(栄養学や食品加工学の専門書なんて、普通はそう簡単に見つからないもんな)

 高い天井、明るい照明、そして広々とした読書フロア。
 新刊コーナーには華やかな女子学生たちが集まり、はつらつとした空気を作り出している。

 それを横目に見ながら、俺はカウンター横の鉄の扉を押し開けた。
 すると、薄暗くて無機質な階段室が現れる。
 階段を慎重に下り、折り返しの先にある扉をくぐった瞬間――。

(そう、ここなんだよ)

 一階とは全くの別世界が、目の前に広がった。

 陽の差さない空間に、白々しい蛍光灯。
 天井は低く、むき出しのコンクリート壁に囲まれた空間に、冷たいスチール製の書棚が並んでいる。

 ここが地下一階の専門書コーナー。
 俺が探す栄養学関連の本は、その最奥にひっそりと集められている。

 壁際に並んだ机は、いつもなら大抵食品栄養学科の学生で埋まっている。
 メンバーが固定されているので、学年が違っても、なんとなく顔見知りのような感覚だ。
 ――と、その中に。

(……あれ?)

 長い髪を束ねる、カラフルなヘアゴム。
 見覚えのない華奢な後姿に、俺は首を傾げた。

(珍しいな。一年生かな?)

 何か悩んでいるのか、左右に小刻みに揺れるその後ろを通り抜け、書棚の一番奥に進む。
 目当ての本を探し出し、さて、空席を探そうとしたそのとき――。

「もう無理!全然わかんない!」

 勢いよく引かれた椅子が、がたりと床を鳴らす。

「う、わっ!?」

 突然立ち上がった女生徒に行く手を遮られ、思わずのけ反る。
 同時に、分厚い本を抱え直した俺の耳に、彼女の恨み節が届いた。

「なんで栄養学なんて勉強しなきゃいけないの!?意味わかんない!聞いてるだけで眠くなるんだってば!」
「いや……それ、俺の専攻なんだけど」
「えっ!?」

 女生徒が振り返ると、肩に届くポニーテールが勢いよく揺れた。
 シンプルな細身のパンツ、ヘアゴムと揃いの紐で結んだスニーカーは、動きやすさ重視のスタイルだ。
 けれどシャツの襟に刺繍された小花が、控えめに女の子らしさを演出している。

(元気と可愛さ、両方持ってるタイプ……かな)

 そんなことを考えている間も、女生徒は無遠慮にこちらを眺め、訝しげに口を開いた。

「……あなた、誰?」
「えっ?……あ、俺は藤宮湊。食品栄養学科の二年です」
「食品栄養学科……?」

 その言葉を繰り返した途端、彼女の表情がぱっと明るくなった。

「やった!今日の私、ツイてる!――ねぇ、お願い。レポート手伝ってもらえないかな?」
「えっ!?」

 突然の展開に、理解が追い付かない。
 戸惑う俺に向けて、女生徒は明るい笑みを浮かべた。

「私は白石美緒。看護学部生で、あなたと同じ二年よ」

 あまりにも爽やかに「よろしく!」と手を差し出されたものだから、うっかりその手を取ってしまう。
 その瞬間、彼女――白石さんは、俺の腕をぐいと引っ張った。

「というわけで、私たち、たった今友だちになったよね?そうだよね?だから――お願い、藤宮くん!栄養学のレポート手伝って!」
「えぇー……」

 どう考えても図々しい。けれど――なぜだろう、嫌な気分になれない。
 俺は小さく息を吐いて頷いた。

「わかったよ。ただ、少し静かにしよう。みんな勉強してるんだから」
「うん、そうね。ごめんなさい。それから――ありがとう」

 周囲を見やって肩を竦め、えへへと笑みを浮かべる姿に、つい絆されてしまう。

(ちょっと……いや、かなり強引だけど。素直な子なんだな、きっと)

 この不思議な出会いが、特別なものになるなんて――。
 このときの俺は、全く想像していなかった。

 ***

「はぁ~、助かった!本当にありがとう。さすが食品栄養学科ね!」

 自販機横のベンチに腰掛けて、俺たちはジュースを飲んでいる。
 地下室での強引な助っ人要請から一時間、レポートの骨子ができあがったところで、俺はどうにか解放された。

「ね、ね。お礼にジュースおごらせて!」
「え?いいよ、別に」
「ダメ!藤宮くんだって、本当は勉強をしに来たんでしょう?それを邪魔しちゃったんだもん。――それともジュースじゃ不満?」

 という若干強引なお誘いで、図書館の休憩スペースにやってきた次第だ。
 終始彼女のペースに巻き込まれっぱなしだったけれど、こうして並んで話してみると、彼女の人となりが見えてくる。

「そりゃあね、炭水化物とタンパク質と脂質って言葉くらいは覚えられるわ。だけど、どの食べ物がどれに当てはまるかなんて、全部覚えるのは無理なのよ。しかもどの栄養素が体や病気のどこに作用するかとか……」

 ふぅ……とため息を吐いてミルクティーをあおる白石さんに、しかし俺は同情半分だ。

「けど、病気の患者さんにとって、栄養は大事なことだよ?」
「それもわかってるよ!だから病院には、藤宮くんみたいな栄養士さんがいるんじゃない!」

 びしっと言い切られて、俺は口を噤んだ。

(俺もまだ、栄養士じゃないんだけどな……)

「私ね、それぞれのプロフェッショナルがそれぞれの分野で活躍すれば、それでいいと思うの」

 白石さんはペットボトルを目の高さに掲げ、揺らめく液体を覗き込んだ。

「看護師はドクターのサポートをしつつ、患者さんに寄り添ってケアをする。栄養士は患者さんの病状に合わせて、最適な食事を提案したり提供する。そういう役割だもんね。それとも――私が言ってること、違う?」
「……違わない、と思う」
「でしょう!?」

 ほらご覧なさい!とばかりに、白石さんは胸を張った。
 
「私こう見えても、栄養学以外の成績は悪くないのよ。本当に栄養学だけ苦手なの。あーあ、やんなっちゃう!」

 途端に背中を丸め、しゅんと項垂れる。
 その姿に、どうにかできないかと俺は思案を巡らした。

(うーん。教科書で勉強するから、わかりにくいのかも……?)

 手に持っていた炭酸水をベンチに置いて、俺は、ぽんと手を打った。

「じゃあさ、家で食べるご飯に当てはめてみたらどうかな。ほら、カレーならお肉はタンパク質で、タマネギやニンジンは野菜でビタミン、白飯は炭水化物――って感じでさ」
「家のご飯……?」

 良い案だと思ったが、白石さんは困ったように視線を泳がせた。
 
「えっと……うちね、両親ともに看護師なの。だから家でゆっくりご飯を作る時間なんてほとんどなくて。冷凍食品やお弁当ばっかりなのよ」
「えっ、そうなんだ……」

 悪いことを言ったかと声のトーンを落とすと、彼女はハッとしたように俺の顔を見た。

「でもね、それを悪いなんて思ってないよ。家のことはあまりできなくても、お父さんとお母さんが誠実に看護に取り組む姿勢、カッコ良くて尊敬してるんだ。だから私も『看護師になりたい!』って思って勉強してるの」

 そう語る彼女の瞳は、誇りと、未来への希望に満ちていた。

 冷凍食品や弁当ばかりと聞いて、ちょっと不憫に思った自分が情けない。
 彼女にとっては食卓よりも、両親の働く姿が温かな思い出なのだ。

(……そうか。それが白石さんの世界――俺にはなかった感覚だ。でも、だからこそ。彼女に、栄養学の意味を知ってほしい)

 彼女の真剣さに触れた今だからこそ、俺の胸にはその想いが息づき始めていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

秘密はいつもティーカップの向こう側 ~追憶の英国式スコーン~

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 紅茶がつなぐのは、人の想いと、まだ癒えぬ記憶。 大学生・湊と英国紳士・亜嵐が紡ぐ、心を温めるハートフル・ストーリー。 ――つまり料理とは、単なる習慣ではなく、歴史の語り部でもあるのだよ―― その言葉に心を揺らした大学生・藤宮湊は、食文化研究家にしてフードライターの西園寺亜嵐と出会う。 ひょんな縁から彼と同じテーブルで紅茶を飲むうちに、湊は『食と心』に秘められた物語へと惹かれていく。 舞台は、ティーハウス<ローズメリー> 紅茶の香りが、人々の過去と未来を優しく包み込み、二人の絆を静かに育んでいく――。 ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

短編)どうぞ、勝手に滅んでください。

黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。 あらすじ) 大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。 政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。 けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。 やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。 ーーー ※カクヨム、なろうにも掲載しています

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

後の祭り 

ねこまんまときみどりのことり
ライト文芸
 母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

処理中です...