秘密はいつもティーカップの向こう側 ~サマープディングと癒しのレシピ~

天月りん

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第二話 料理下手の意地

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 チリン!

 軽快にベルを鳴らして、店内へ足を踏み入れる。 

「こんにちは、翠さん」
「あら、藤宮くん。いらっしゃい」

 ふんわりとした笑みを浮かべて迎えてくれたのは、英国風ティールーム『ローズメリー』の女主人、桂木翠さんだ。
 ふとした出来事がきっかけで知り合い、以来、俺はちょくちょくこの店を訪れるようになった。

「亜嵐さん、今日はお仕事が忙しいのか、朝から降りてこないのよ」
「え?朝からって……」

 ため息交じりの翠さんと俺の視線は、壁にかかった古時計へ向かう。
 その針は、一番上の数字をとっくに回っていた。

「様子、見てきます!」
「お願いね。あとでお茶を持っていくわ」

 カウンターの脇を抜け、店の奥の扉を押し開ける。
 俺は、二階へ続く階段を駆け上がった。
 
***

「亜嵐さん!俺です!」

 階段を上がりきり、突き当たりのドアをノックするも――応答なし。

(……まさか、倒れてるとかじゃないよな?)

 不安に駆られてドアノブをひねると、それはあっさり開いた。

「……亜嵐さん?」

 広い部屋を見渡すと、ローテーブル前のソファに、ぐったりと座り込む人影が……。

「ちょっ、亜嵐さん!?何かあったんですか!」

 慌てて駆け寄ろうとして――気付く。

「ん?なんか――焦げ臭い?」

 呟いた瞬間、ソファに沈んでいた人物が、がばりと立ち上がった。

「気のせいだ!焦げ臭くなどない!!」

 背筋を伸ばして虚勢を張るその人――西園寺亜嵐。
 職業は、食文化研究家兼フードライター。
 明るい光の下では赤毛にも見える栗色の髪、ヘーゼルカラーの瞳を持つ、ちょっと見ないほどの美形だ。

「いやいや、明らかに臭ってますって……あれ?」

 鼻をきかせて小さなキッチンへ足を向けると、シンクの三角コーナーに正体不明の黒い物体が打ち捨てられていた。

(……焦げ焦げの……卵?いや――)

 近付いてよく確認しようとした、その瞬間。
 後ろからぐいっと腕を引かれる。

「見てはいけない、湊。あれは――忌まわしき呪物だ」
「呪物って……ホットケーキじゃないですか」
「……っ!」

 振り返ると、亜嵐さんは目を逸らして頬を染めていた。――どうやら図星らしい。

「スーパーで見つけてしまったのだ……『混ぜるだけ』と袋に書いてあったから、試してみたのだが……」

 明後日の方向を見ながら小声で告白する姿は、なかなかにかわいらしい――が。

「ダメでしょう!フライパンは使わないって約束でしたよね!?」

 めっ!と指を突きつける。
 すると普段なら威風堂々を地でいく紳士は、しゅんと肩を落とした。

 俺がこの店に出入りするようになって、早一ヶ月。
 亜嵐さんの『やらかし』はこれで三度目だ。

 最初は紅茶を淹れようとして、水を入れていないケトルを火にかけた。
 二度目は翠さん曰く、フライパンでトーストを焼こうとして、もう少しで火事になりかけたとか……。

「ガスを止められたくなければ、フライパンは使わないでちょうだいね?」

 笑顔の翠さんに首根っこを捕まれた亜嵐さんは、まさしく『借りてきた猫』だったそうだ。

 ***

「それより湊。用があって来たんじゃないのか?」

 明らかに話題を逸らそうと、亜嵐さんが質問を振ってくる。
 俺は気を取り直し、図書館で出会った白石さんのことを話した。

「……ふーん」
「ふーんって……もっと他にないんですか?」

 あまりに素っ気ない反応に不満を漏らすと、亜嵐さんはつんと顔を背けた。

「私は君のガールハントに興味はない」
「ガッ……!?なんてこと言うんですか!」
「おや、違うのか?」

 ふんと鼻を鳴らすその様子にハッとする。

(もしかして……拗ねてる?)

 腕を組んだまま目を合わせようとしない青年に、俺はわざとらしくがっかりして見せた。

「なんだぁ……知識の宝庫な亜嵐さんなら、きっと彼女を助けられると思ったのに。あーあ、俺の買い被りだったのかぁ」
「なっ、何を……っ!?」
「だってそうでしょう?アドバイスできないから、ガールハントなんて意地悪を言うんですよね」
「そ、そんなわけ――」

 慌てて立ち上がる亜嵐さんを見遣り、しめしめとほくそ笑む。
 もう一押しで落ちそうだ。

「じゃあ、できるんですか?」
「その女生徒とやらが、食に興味を持つきっかけを作ればいいのだろう?ふん、それくらい朝飯前だ!」
「わぁっ、さすが亜嵐さん!ありがとうございます!」

(よし、かかった!)

 うまく釣り上げた……はずなのに。何故だろう、本当にうれしくて仕方ない。
 満面の笑みを浮かべると、亜嵐さんはまんざらでもない様子で咳払いをした。

「こほん。ところでその白石女史とは――どんな女性なんだ?」
「はい?どんな、とは?」
「……だから、外見とか雰囲気とか」

 言いにくそうに告げる亜嵐さんに、俺は慌てて声を上げた。

「ちょっ……、まさかナンパしようなんて思ってませんよね!?」
「馬鹿なことを言うんじゃない!君の話しぶりからして、なかなか発展家なお嬢さんのようだから、少し心配になっただけだ!」

 発展家?
 聞き慣れない単語に首を傾げると、亜嵐さんはぶすっとした声で言った。

「この場合は『異性に対して積極的』という意味だ。……いや、失言だったな」

 なるほど、そういう意味か。――じゃなくて。

「よく知りもしない人を、そういうふうに言うのはどうかと思いますけど?」
「だが初対面の男子生徒に、レポートの手伝いをさせたのだろう」
「本当に困ってたんだと思います。俺にだって苦手なことのひとつやふたつ、あるからわかるし……」

 その言葉を聞いた亜嵐さんは、不思議な色の目をカッと光らせて、こちらに詰め寄ってきた。

「何だって!?湊にも苦手なものがあるのか!?――言ってみたまえ、私にできることがあれば、どんな手助けでも」
「あ、無理ですね」

 素っ気なく言うと、亜嵐さんはさらに必死になった。

「無理などと……やってみなければわからないだろう!?」
「いや、本当に無理なんですって」

 俺は先日の授業での失敗を、亜嵐さんに説明した。

「調理実習でデザートの盛り付けを……その、ちょっと失敗っていうか、不格好になっちゃって。教授に苦笑いされちゃったんですよね、ははっ……」

 すると亜嵐さんはすんっと真顔に戻り、ソファにどさりと身を投げ出した。

「亜嵐さん?」
「……どうせ私は料理下手だ……君の力にはなれない」

 ぐるりと丸まって背中を向ける姿は、気品ある紳士というより、拗ねた子どものようで……。
 思わず苦笑してしまう。

(……やっぱり放っておけないな、この人)

「あの、亜嵐さん」
「……何だ」
「もしかして、ホットケーキはお昼に食べるつもりだったんですか?」

 ちらりとこちらに目を向けた青年に、俺は肩を竦めてみせた。

「もしそうなら、お腹空いてますよね?」
「…………」
「粉、まだあるでしょう?俺が焼きますよ、ホットケーキ」

 その途端、亜嵐さんは勢いよく立ち上がった。

「君が?ホットケーキを?」
「はい」
「私に、焼いてくれる?」
「はい。焼きますよ」

 さっきまで膨れっ面を極上の笑みに切り替えて、亜嵐さんは俺の腕を取った。

「では、今すぐ頼むよ!実はひどく空腹でね」
「はいはい、わかりました」

 小躍りする男に半ば引きずられるようにして、俺は小さなキッチンに立った。

 ***

 フライパンに一度に生地を流し入れ、俺は一枚の大きなホットケーキを焼き上げた。それを放射状に切り分ける。
 表面はきれいなきつね色で、ふちは大きく立ち上がって厚みもある。立ち上る香りは、甘くて優しい。

「これは見事だ!」

 亜嵐さんが瞳を輝かせた、そのタイミングで――。

「お待たせしてごめんなさいね。紅茶を持ってきましたよ」

 銀色の盆を手に、翠さんが部屋へ入ってきた。香り高い湯気の向こうで、柔らかな笑みを浮かべている。
 けれど視線がシンクに向かうや否や、眉根がすうっと寄った。

「亜嵐さん――フライパンを使ったわね?」

 こういうときの翠さんは、有無を言わせない迫力がある。
 いたずらが見つかった子どものように、亜嵐さんの表情が強ばった。

「い、いや、これは湊が……!」
「藤宮くんのせいにしないの!どうせ最初は一人でやろうとしたんでしょう?」
「ぐっ……!」

 痛いところを突かれた亜嵐さんは、体を縮こまらせた。
 その様子に苦笑しながら、俺は取り皿やカトラリーをテーブルに並べた。

 キッチンの棚に用意されていたメープルシロップは、最も癖のないゴールデン・デリケートだ。

(こんな上等なシロップを準備して失敗したのか……そりゃあ凹むよな……)

 ぷりぷりする翠さんを、まるで触らぬ神のようにそっと見送る。
 ドアが閉まった瞬間、亜嵐さんは体をグッと伸ばした。
 そして頬を緩ませてホットケーキをパクつきながら、幸せそうに「ラブリー!」を連発した。

「ラブリーって、何ですか?」

 多分美味しいという意味だろう。
 しかし食べ物にはあまり似つかわしくないと思って尋ねると、亜嵐さんはパチパチと目を瞬かせた。

「……ああ、日本ではあまり馴染みがないのか。スラングだよ、美味しいという意味のね」

 なるほど。俺の乏しい英会話の辞書に、新たな単語が加わった。
 そんなことは露知らず、亜嵐さんはホットケーキの感想をつらつらと語り出した。 

「見ろ、この厚みを。適度な気泡が出来ている。ふんわりとした食感は実に素晴らしい。バターとシロップが染み込んで、言い知れぬ味わいを醸し出している。――ふむ、下手な店など目ではないな。どうやったらこんなに上手く焼けるのだろう?」
「そんな大げさな……」
「大げさなものか!ほら、湊も食べたまえ。一緒に食べれば、尚美味くなるというものだ」

 その言葉に、俺も一切れいただくことにする。
 ――うん、我ながら上手く焼けている。
 と、フォークを握ったままの亜嵐さんが、興味津々といった眼差しを俺に向けてきた。

「――それで、湊。その白石女史とやらは、どんな人物なのだ?」
「えっ、今ここでその話題ですか?」
「当然だとも!甘美な料理を前にすれば、私の好奇心もまた甘美に膨らむ。さあ、語ってみたまえ!」

 そう言われて、俺は詳しく語り始めた。
 あのとき感じた、白石さんの『渇き』のようなものを。
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