秘密はいつもティーカップの向こう側 ―SNACK SNAP―

天月りん

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悪魔の饗宴

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「なっ……美緒、何を!?」
「ダメだよ、白石さん!」
「あぁっ!美緒ちゃん、そんな……」

 その所業に皆が慄くのを眺め、美緒は唇に残った味の余韻を舐めとった。

「さあ、みんなも一緒に地獄に堕ちるのよ!」

 ***

 この日。
 どこか不自然な空気が、ローズメリーには漂っていた。

 紅茶が薫る店内でくつろぐ常連客の姿はなく、サンドウィッチをテイクアウトする者もない。
 誰もいないはずのに、水面下では不穏な何かが蠢いているような――。
 そんな違和感が、翠の胸を去来していた。

「なんだか嫌な予感がするわ」

 朝一番。湊が入り口のベルを鳴らしたとき、こんな感覚はなかった。
 今日もいつも通りの日常が始まる――そう思えたのに。

「考えていても仕方ないわね。さあ、そろそろ二階にランチを運ぼうかしら」

 気を取り直して厨房に戻ろうとした、そのとき。

 チリン。

「いらっしゃいませ。――あら」

 来客を知らせる音に振り返ると、そこに立っていたのは。

「美緒ちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは、翠さん」

 常連客の女子大生、白石美緒だった。
 
 真っ白なファーがついた、淡いピンクのダウンコート。
 そこから伸びる足は、暖かそうなウール素材のパンツに包まれている。
 手には茶色い紙の包みと白いレジ袋。
 冷たい外気のせいだけではなさそうに、頬は紅潮している。
 そして――彼女のチャームポイントである大きな瞳は、何かを期待するように爛々と輝いていた。

「師匠と藤宮くん、いますか?」

 弾む声音にやや気圧されて翠が頷くと、美緒は店内をぐるりと見渡した。

「ふふ、いいタイミング。これなら翠さんも一緒にいけるわ!」
「……美緒ちゃん?」

 今日の美緒は、何かがおかしい。
 翠の背中を、冷や汗が伝う。

「翠さん。二人を呼んできてください」
「わ、わかったわ」

 有無を言わせぬ圧から逃げるように、翠はキッチンの奥へ歩を進めた。

 ***

「白石さん、こんにちは」
「何をしにきた、美緒。お前のことだから、どうせくだらないことだろう」

 いつも通りのテンションで現れた二人は、店内に漂う香りに眉を寄せた。

「何だ?この匂いは」
「ふっふっふ」

 テーブルを庇うように立っていた美緒は、サッと体をずらした。
 すると、より強い香りが立ち込める。

「あれ、この匂いって」
「そう、藤宮くん。これは――冬の風物詩、焼き芋よ!」

 美緒が手をかざしたテーブルの上には、大きな焼き芋が四本。
 広げた新聞紙の上に置かれた芋は見るからに熱々で、湯気がホワホワと立っていた。
 ところどころ皮が焦げているのが、なんとも食欲をそそる。
 
 けれど。

「美緒、ここはティールームだぞ。そんな匂いの強いものを広げるなんて」
「お客さんがいないことは、ちゃんと確認しました~!もし誰かいたら、二階に持っていくつもりだったし」

 美緒は三人の背後に回り込むと「ほらほら」と背中を押し、半ば強制的にテーブルへと追いやった。
 戸惑う翠と、ため息を吐く亜嵐。
 それを見て、湊は努めて明るい声を出した。

「それにしても立派な焼き芋だね。焼きたてみたいだけど、どこで買ったの?」

 その問いに、ふふんと胸を張って美緒は答えた。

「最近この近くを焼き芋屋さんが回ってるの。試しに買ってみたらすっごく美味しくてね。絶対みんなにも食べてほしくって!」

 それを聞いた亜嵐と翠は、顔を見合わせた。

「そんなもの、回ってましたか?」
「さあ……私は知らないけれど」
「と・に・か・く!」

 大きな声で全員の注目を集めると、美緒はテーブルの上の芋を手に取った。

「あちちっ!ほら、熱いうちに食べて!ね?」
「うん、いただきます。ほら、せっかくだから二人も」
「え、ええ。そうね」

 新聞紙で包んだ芋を受け取った亜嵐は、それを半分に割った。
 途端白い湯気がぶわっと立ち上がり、イモの甘さと焼けた皮の香ばしさが混ざり合って、鼻孔をくすぐった。
 風物詩というだけあって、キンと冷えた冬の空気とよく合う香気だ。

「ほう。確かにこれは美味そうだな」

 ほくほくとした、黄金色の粉質な断面。
 近頃流行りの蜜芋系ではないのも、亜嵐の興味を引いた。

「まあ、とっても美味しそう」
「焼けたサツマイモって、なんでこんなにいい匂いなんでしょうね」

 翠と湊も、割った焼き芋を眺めたり、匂いを嗅いだりして楽しんだ。
 そして三人が「いただきます」と口をつけようとしたとき。

「待って、まだよ。ここからが本番なのよ」

 その場の視線が、焼き芋を持ち込んだ女子大生に注がれる。
 ニヤリと唇の端を上げた美緒は、満を持したように白いレジ袋をがさがさと漁った。

 ***

「えっ?」
「それは……」
「あら」

 美緒が取り出したものに、三人の目が大きく開く。
 というのも。

「ふふっ。甘さを引き立てるには、やっぱり塩味じゃない?」

 それは有塩バターだった。

「えぇー、そりゃあ美味しいだろうけど」
「うむ。プラスワンとして成立してはいるが」
「ちょっと怖いわよねぇ?」

 炭水化物に脂質をプラスする罪深さに、翠も亜嵐も苦笑した。
 湊だけは瞳にワクワクとした色を湛えているが、それでも自重が勝っているようだ。

「何言ってるの、これで終わりじゃないんだから!」

 そう言って美緒が取り出したもう一つのアイテムに、今度こそ三人は仰天して目を剥いた。

「さらにミルク感を足せば――もうそれは、スイートポテトよ!」

 その手に掲げられたのはコンデンスミルクのチューブ。

「そんな……さらに糖分を足すだと!?」
「危険すぎるわ、美緒ちゃん!」
「さすがにそれはやり過ぎじゃないかな!?」

 慌てふためく三人の目の前で、美緒は熱々の芋にバターを載せた。
 熱であっという間に蕩け始めたそこに、コンデンスミルクをちゅるっと絞り出し――。

 バクッ!モグモグ……ゴクン!

「ん~~~~~っ!これぞ幸せの味っ!」

 頬っぺたが落ちないように手を添えて、至福の表情を浮かべる美緒。
 それを見る三人の顔は蒼白だ。

「眺めてるだけじゃなくて、みんなもほら。冷めないうちにやってみて!」

 突き付けられた無理難題に、三人は顔を見合わせた。
 亜嵐などは唇をひくつかせ、「いや、私は……」とすっかり腰が引けている。

 どうにもこうにも膠着状態。
 のっぴきならない状況と思われたとき、覚悟を決めた若い声が響いた。

「藤宮湊、いきますっ!」
「湊っ!?」

 湊はおもむろにテーブルからバターを一欠片取ると、焼き芋に載せた。そしてコンデンスミルクをとろりと糸を引くように垂らして――バクッ!

「……っ!?」

 ビクッと体を震わせて動かなくなった湊に、全員の視線が集中する。

「み、湊……?」
「藤宮くん、大丈夫かしら」
「大丈夫!絶対に美味しいはずだから!」

 次の瞬間、湊は膝から崩れ落ちた。
 まるで何かの天啓を受けたように。

「湊!」

 隣にしゃがみ込んで顔を覗き込むと、湊の瞳はうるうると輝き、唇は微かに震えている。
 やがて、ぽつりと呟いた。

「何だこれ……美味し過ぎる」
「何だって?」

 小首を傾げる亜嵐に、湊は詰め寄った。

「亜嵐さん、これは絶対に体験するべきですよ!甘味の悟りが開けます!」

 盲信者の強い目線に射抜かれ、亜嵐の理性がぐらりと揺れる。
 頭の中で甘みと塩味、そしてミルクの風味が輪郭を持っていく。
 とうとう誘惑のリリスが、そっと耳元で囁いた気がした。

「……まあ、試してみるくらいなら」

 亜嵐はごくりと唾を飲み込み、バターとコンデンスミルクを焼き芋に載せた。
 とろみのあるミルクが、焼き芋の横に流れ出す。
 それを舐め取るように、はむっとかじりつくと。

「なんたることだ……」

 地獄から天国。
 そう言わんばかりに目をとろりと蕩けさせた亜嵐を見て、湊はコクコクと何度も頷いた。
 
 ゆっくりと目を閉じ、口の中のものを飲み込むと、亜嵐は湊に手を差し出した。
 二人ががっちり握手を交わす様子に、翠はため息を吐いた。

「もう、ふたりとも。そりゃあ美味しいでしょうけれど、大袈裟すぎよ?」
「いいえ。百聞は一見に如かずです」
「そうですよ、翠さん。やってみればわかります!」

 二人の剣幕に押されてバターと練乳を手にした翠は、「しょうがないわねぇ」と苦笑しながらそれを口に運んだ。
 次の瞬間。

「……だめよ、これは……」

 思わずテーブルに手をついて、翠は顔を伏せた。
 その肩はふるふると揺れている。

「だめ、だめ……こんな食べ方を覚えてしまったら、もう戻れないわ」
「戻る必要なんてないですよ!美味しいは正義なんですから!」

 正義の皮を被った悪魔の食べ物を揚々と掲げ、美緒は叫んだ。
 あまりにも堂々たるその宣言に、三人の目から鱗が落ちる。
 背徳すぎる甘さと美味さに、誰も抗うことなどできなかった。

「そうか……美味しいは正義。君の言う通りだ、美緒」
「うん。美味しいものを食べると、幸せになれますよね!」
「たまのご褒美くらいなら許されるわ、きっと」

 全員が一点を見つめて頷き合う。 
 そうして四人は、バターとコンデンスミルクをトッピングした焼き芋を、貪るように堪能したのだった。

 ***

 翌日。

「……はぁ」

 翠はため息を吐いた。
 
 昨日とは打って変わり、今日のローズメリーは常連客で賑わっている。
 翠はハチドリのように店内を素早く動き回っている――つもりだけれど。

(なんだかちょっと、体が重いのよね)

 紅茶を淹れながら、翠が無意識に腹をさすっていた頃、二階では。

「湊、今日はメープルシロップは控えめにしようと思う。……いや、ホットケーキ自体を止めよう」
「そうですね。翠さんに野菜サンドを頼んできます」
「ああ、そうしてくれ」

 亜嵐はデスクの椅子にどっかりと座り込み、湊は「よっこらしょ」と呟きながらソファから立ち上がった。
 二人そろって、所作がどこか重い。

「やはり昨日のアレは、悪魔の食べ物だったな」
「そうですね。もう手を出さないようにしないと」

 野菜サンドをゆっくりと食べ終え、亜嵐は紅茶を口に含んだ。
 そしてふと、湊に尋ねた。
 
「それにしても。湊、君はこのあたりを回っている焼き芋屋とやらを知っているか?」
「いいえ、全然。大学の近くでも見たことないです」
「ふむ。あの焼きたて感からして、この近くで買ったものに違いないのだが……」

 突如現れた『冬の風物詩』
 冬の陽に誘われて現れた、一日限りの幻だったのか、はたまた――。

「人ならざる者……悪魔の囁きだったのか?」

 亜嵐の言葉に、ティーカップを持つ湊の手がぶるりと震える。
 誰も見たことのない焼き芋屋の正体――それは一体?

「まあ、考えても仕方がないことだ。今後は自重しよう」
「そ、そうですよね!」

 湊はぎこちない手つきで、カップに紅茶を注ぎ足した。
 ミルクも入れると、琥珀色と白がゆるりとマーブル模様を描いていく。

 美緒の突撃のない小春日和の午後は、静かに時を刻んでいった。



 秘密はいつもティーカップの向こう側 SNACK SNAP
 悪魔の饗宴 / 完

 ◆・◆・◆

 秘密はいつもティーカップの向こう側
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 ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。

 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
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