君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

文字の大きさ
38 / 69
嫩葉の終宵

8-紅龍

しおりを挟む
 紅龍は腕の中で意識を失った慧斗の頬に残る涙を指で払い、包み込むように抱きしめた。
 控えめでありながら紅龍を魅了する慧斗のフェロモンを、鼻先を首筋に埋めて深く吸い込む。ずっと胸の中で燻っていた怒りが溶けていくのを感じる。
 オメガが番のアルファの匂いで安心するように、アルファも番のオメガの香りで心を取り戻す。
 互いが互いを補うのが、番が番たるゆえんでもあった。

 その昔、オメガはアルファに支配される奴隷だった。当時はアルファよりもオメガの数が多く、上位アルファはこぞってオメガを侍らせるか競っていたという。
 戯れにオメガのうなじを噛み、番契約をしたかと思えば、飽きたといって強制解除をして捨てる。結果、体と心を壊したオメガが巷に溢れた。
 紅龍が生まれる前は、オメガは当たり前のように人身売買されていたそうだ。それだけオメガの命は軽んじられていた。
 番を切られたオメガは死に向かっていく。それは病死だったり、自死だったりと様々だが、長生きした例はほぼないと言われている。
 数十年でオメガはその人口の半数以下まで減ったそうだ。一時期は絶滅危惧性とも言われていた。
 その事実を知って慌てたのは、オメガを食い物にし、虐げてきたアルファだった。

 別に子孫を残すだけならアルファの男女でも問題ない。しかし、そこに『優秀なアルファ』の子どもとなれば話は別だ。
 アルファの男女間でもアルファの子どもは生まれる。ただ、それが上位アルファ家系を支えることのできる能力がある子どもはまず生まれない。オメガの遺伝子とアルファの遺伝子が混じり合って、優秀なアルファが誕生すると言われている。
 ただ、それも一般のオメガと上位アルファが番になったとしても、発生するかは賭のようなものらしいが。それでもアルファ同士の子どもより確率はグンと上がる。
 約四十数年前、弐本の官僚だったひとりの男が、アルファ保護に乗り出した。
 表では番解除をされたオメガの余生を過ごすための施設を作り、裏ではオメガの特性と自立を目的とした花街を作った。
 抑制剤を普及させようと、実の妹を医療に強い寒川家に嫁がせ、磐石を確固たるものにした。
 彼はオメガだけでなく番のアルファの支持を得て、後に総理へとなった。
 おかげで弐本は安泰だ。紅龍の祖国である大陸でも、後に続けと同じ施策が行われているらしい。例え二番煎じだろうが、ひとりでもオメガが救われるのならいい。
 だがそれは上位の世界での話だ。
 慧斗の世界……ベータが多くいる世界では、オメガもアルファも普通じゃないとされる。
 獣の本能が強いアルファと発情してアルファを誘惑するオメガ。
 ベータの思考ではアルファもオメガも同じ人間じゃないとまで言う者もいる。ジェンダーフリーが叫ばれる昨今、そんなことを声高に発せば攻撃されるのが普通だが。

 さっきは慧斗に箱庭で幸福を感じるのは逃げだ、と言ったものの、紅龍自身も慧斗と紅音を自分の巣に囲ってしまいたい。
 そうすれば慧斗も傷つかずにすむ。紅龍も自分のテリトリーに番がいることで、精神が安定する。
 アルファとオメガとしては正しい選択だが、多分慧斗は反対するだろう。
 長年ベータの世界で生きてきたからか、慧斗の思考はベータ寄りだ。主治医である凛や上司の白糸がオメガの意識をそれとなく教授しているようだが。
 そんな慧斗が紅音を堕胎せずに産んでくれたことに感謝しかない。

「……慧斗、俺がお前たちを必ず守るから」

 慧斗や紅音を害する者からも、ふたりを非難する声や目からも守る。
 いつまでもふたりの笑顔が曇らないようにと願いながら、紅龍は決意をこぼしていた。


 その後若い刑事立ち会いの元、持ち出す荷物をキャリーバッグに詰めた。というのも、窃盗の被害を、慧斗が落ち着いてから出すことになったからだ。
 先に御崎宅の器物破損と不法侵入で捜査を始めるとの話だが、先ほど慧斗に絡んできた年かさの刑事のような者が主である所轄警察はあてにならない可能性が高い。
 何かあれば連絡を、と連絡先を交換し、慧斗を縦抱きにすると片手は旅行の土産とキャリーバッグを引いて御崎家をあとにした。
 しばらくは捜査のために家人であっても気軽に出入りできないとのことだ。
 紅龍は軽い慧斗を抱きながら徒歩数分にある玲司の店へと戻ると、出迎えた玲司に奥のソファ席を案内され、慧斗をそこに寝かせた。

「店はいいのか?」
「近くであんな事がありましたからね。しばらくは近隣の皆さんは夜の外出を控えるそうです」
「懸命な判断だな」
「それに、夜の営業が減ったおかげで、桔梗君と過ごせる時間も増えましたし」

 玲司の目は奥で眠る慧斗に向けられている。どうせ玲司のことだ。
 「馬鹿な連中のおかげですね」と吐き捨てなかったのは、慧斗を思ってのことだろう。もし言葉にしていたら、紅龍が飛びかかることも予想していたに違いない。

「まあ、それはそれとして。例の調査の結果です」

 幾分声を抑えて玲司がカウンターから取り出したのは、何も書かれていない大判の茶封筒だった。紅龍は無言でそれを引き寄せ、中から数枚のプリントアウトされた紙を抜き出す。

「……どうやら、峯浦氏はあの事件のあと、家から追い出されたようですよ。父親の方は彼は見聞を広めるために留学したと吹聴しているようです。息子ですら切り離すなんて、ある意味経営者の鑑ですね」
「アレの親がどうしようが関係ない。それで、あのストーカーは今どこにいる」
「毎夜飲み歩いているようです。しかも、あまり宜しくない感じのね」

 紅龍は玲司の言葉に耳を傾けながら、手の中の紙片に目を通す。
 確かに峯浦は現在ビジネスホテルやネットカフェ、または交友ある人物の家を転々としているとある。出入りしている店も怪しげなクラブやバーが多いようだ。

「リストのある店は、椿が管理している所か?」
「残念ながら関係ないところのようです。偶然なのか意図してなのかはわかりませんけど」
「つまりは店内の様子は把握できなってことか」
「まあ、椿の部下の方が潜入でもすれば探ることはできるかもしれませんが」
「そっちは俺の雇っている探偵に頼んでおく。一応、椿とも情報共有しておいてくれ」

 はいはい、と嘆息した玲司が、紅龍の前に湯気のたつコーヒーを置く。読み終えた書類をカウンターテーブルに乗せ、紅龍はカップの縁に唇を寄せて熱い液体を啜る。苦味が舌を刺激し、ようやくひと心地つくことができた。

「あ、そうだ。慧斗がお前に頼まれた物があるって言ってたが、これでいいか?」

 傍に放置していた保冷バッグを玲司に渡す。それが何か気づいたらしい玲司は「ええ、それです」とにこやかに笑みを浮かべて受け取った。
 夏場だったのに大丈夫かと尋ねれば「保冷剤が詰まってますので問題ありません」と返ってくる。バッグの大きさの割に重かったのは保冷剤のせいだったのかと、紅龍は呆れた顔をした。
 保冷バッグの中は、慧斗が玲司に頼まれたという、別邸近くの牧場で購入した加工肉が数種入っていた。

「本当は僕だけであれば移動も問題ない距離なんですけどね。桔梗君を留守番させるのも嫌ですし、かといってあの近辺に連れて行くのも不快になるだけなので」

 助かりました、とバッグの中身を出し切った玲司は、いそいそと店の奥に入っていく。冷蔵庫へ片付けに行ったのだろう。
 玲司の義母である薔子も、桔梗が別邸に来ることはない、と告げていた。
 確実に桔梗に何かがあったと分かるが、今は慧斗や紅音のことに頭が傾いているため、勘ぐろうとは思わなかった。
 ほどなくして戻った玲司から「そういえば」と口火を切られ、紅龍は飲んでいたコーヒーをそのままソーサーに戻す。

「慧斗君の家があのような状態ですし、今日はどこに泊まるんですか」
「ああ、そうだな。紅音は白糸氏が預かってくれると言っていたが、あまり好意に甘え続けるのも慧斗が萎縮するだろうし。とりあえずは前に泊まっていたホテルだな。家はその間に考えるつもりだが……」
「これから探すのでしたら、少しアテがあるので待ってくれますか?」
「?」

 そうにこやかに言い、玲司はエプロンのポケットからスマホを取り出すと、どこかにかけだす。すぐに悪友のひとりである玉之浦椿と気づき、極道と家になんの関係が? と首を傾げている内に通話はあっさりと終わってしまった。

「椿はいつの間に不動産にまで手を出したんだ」
「違います。椿が所有しているマンションがあるのですが、そこならセキュリティも万全ですし、学園からも近いから、空きがあるか聞いてみたんです」
「学園の近く?」
「紅龍も何度か目にしたことあると思いますよ。学園の山近くに高層のマンションがありますよね」

 確かにあのあたりでは随分と目立つマンションがあったな、と頷くと。

「あれ、秋槻理事に頼まれて購入した椿のマンションなんです。最上階は椿の家で、その下に壱岐君が住むフロアがあるのですが、そこの一室に空きがあるのを思い出しましてね」
「それで?」
「紅龍なら問題ないと返事がありました。憂璃君も喜ぶだろうから是非にと」

 紅龍はふむと長い指で顎をなぞりながら思案する。
 北関東を統べる玉霞会の若頭の住まいなら、VIP並のセキュリティだろう。今の消沈している慧斗や紅音を囲うには十分な環境だ。

「ひとまず慧斗が起きたら話をしてみる」
「おや、紅龍なら即答してキャッシュの準備をすると思ったのに」

 尻に敷かれてますね、と苦笑する玲司に、紅龍は揶揄う悪友を無視して、慧斗をどうやって説得するか頭を巡らせた。

 結局、セキュリティ面と学園に近く通勤も楽になるからと、目を覚ました慧斗から承諾を得ることができた。
 引越しまでの間は紅龍が泊まっていたホテルに滞在するつもりだと言えば、難色を示したものの最後には紅音も楽しめるだろうと頷く慧斗の姿に、紅龍が内心で安堵したのは言うまでもなかった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。 オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか

まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。 そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。 テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。 そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。 大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。 テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...