あまく、とろけて、開くオメガ

藍沢真啓/庚あき

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獰猛な獣

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 憂璃が何者かに襲われた、と壱岐から連絡が入り、椿は天竹の運転で救急搬送された寒川総合病院へと向かう。
 市の外れの学園から向かうより、こちらのほうが早く到着するはずだ。
 焦った壱岐の話では、アルファの男に床へと叩きつけるように投げ飛ばされたらしい。頭を打ってるのと、傍にいたのがアルファの男だったのもあり、近くの総合病院より主治医のいる寒川総合病院に向かうよう指示したのは椿だ。

 車中で椿は凛に連絡を取り、憂璃がアルファに襲われ怪我をしたことを告げると「すぐに行くから救急入口で待ってて!」と矢継ぎ早に言い、ガチャリと電話を切られた。

「あとどれだけで到着する」
「今日は渋滞もしてませんから、あと十分ほどで到着すると思います」
「多少スピードを出してもいい。できるだけ急いでくれ」
「承知しました」

 天竹の強い快諾に、ここにきて深く息をつくことができる。
 本当は詳細を聞きたくて壱岐を問い詰めたいものの、救急車に同乗するのを断り、車で後を追って運転中の人間にそれをするのは憚られ、焦燥から携帯端末を握り締める。
 ミシ、と嫌な音が掌に伝わったが、それよりも憂璃の安否のほうが大事だ。

 三月になって春休みも間近という穏やかで、変わらない日常だと思っていた。
 椿はいつものように会社に向かい、書類の処理や取引先との対面などをこなしていて、憂璃は授業を終えてからは一年の時からやっている図書委員の仕事をするために大学部にある図書館へと行き、壱岐の送迎で帰ってくると信じて疑わなかった。

(それが……なぜ……)

 ギシリ、と噛んだ奥歯が悲鳴をあげる。だが、憂璃はこれ以上に痛みで体が悲鳴をあげているはずなのだ。

「天竹」
「はい」

 壱岐の部下である天竹は椿の低く怒りを含んだ声に静かに反応する。
 まだ二十七歳だというのに、この胆の据わりかたは幹部に匹敵してもおかしくないと椿は天竹を評価した。

「憂璃を襲った男を壱岐が確保しているそうだ。今、壱岐の車に拘束した状態で連れてるらしいから、一度:実家(総本家)に連行してくれ。壱岐にはそのまま俺と憂璃の着替えを取りに行かせる」
「はい、承知しました。男を本家に預けたら、一度様子を聞きに病院に戻ります。きっと組長も姐さんも心配しているでしょうから」
「……そうだな」

 バックミラー越しに見える天竹の表情を眺めながら、お前だって憂璃の心配をしているだろうに、と揶揄いたくなるが、椿は代わりに煙草のフィルターを咥え火をつける。
 深々と煙を吸い込み紫煙を吐き出す。白い煙に混じって楓蜜の甘い香りが車内に漂う。

(憂璃はこの匂いを気に入ってたな)

 クスリ、と椿は緊張に強ばっていた唇を綻ばせる。
 椿にとっては自分の体の秘密を隠すために吸うようになった銘柄。甘く、強く、フェロモンの匂いですら消してしまう煙草の香り。
 呪いのようだと称したこの香りを、三年前の憂璃はお腹を鳴らし、その後の食事をパンケーキにするほど気に入っていた。

『この匂いを感じると、椿さんを思い出すんです』

 いつだったか憂璃が言った言葉が蘇る。

『あんまり見ない煙草だから印象が強いのもあるけど、時々誰かが吸っているのが風に乗って香ると、椿さん今お仕事頑張ってるかな、とか、ご飯食べたかな、とか考えちゃいます』

 擽ったそうに、秘密を打ち明けるように話す憂璃を、その場で抱きしめたい衝動に駆られた。

 しかしそれは出来ない。しちゃいけない。

(こんなある俺よりも、もっと幸せにしてくれるアルファの方がいいだろう)

 本当はこの手で憂璃を幸せにしたい。
 壱岐は椿の気づいてない本心に気づいていると以前言っていたが、本当は自覚をしている。

 憂璃を愛している。アレは俺の運命だ。

 だから誰にも渡さず、あのマンションへと憂璃を囲った。

 椿は資産運用で不動産をいくつか所有している。仮眠用だったり、女とセックスするためだけに使う部屋だったり、外部に漏らせない重要な会合をする場合だったりとさまざまで、他にも賃貸用に買った物件も複数あった。
 だがあのマンションは、秋槻学園の学園長の甥であり、椿の顧客のひとりである秋槻紘あきつきひろむから、保養所として購入したものの、利便性が悪いと相談を受けたのが出会いだ。
 当時は真逆の位置にある春の街に常駐していたのもあり、転売しようとしたのだ。そんな感情はすぐに消え失せ、富裕層のマンションに建て替えた。
 その際最上階のペントハウスはワンフロアを自身の家にした。
 ある意味秘密基地な気分で、自分の好きなものを集めた。
 壱岐が言うには、縄張りだと笑っていたが。

 縄張りか、と妙に納得してしまった。

 だからこそ、憂璃と出会った瞬間、あのマンションに連れて帰らなくては、と心が逸った。
 壱岐には無茶ぶりを言った自覚はある。それよりも一刻も早く憂璃をあの部屋に閉じ込めたかった。アルファの本能が、運命の番を囲えと椿の焦燥感に火をつけた。

 この時点で憂璃の母に渡したお金はどうでもよくなっていたし、憂璃自身も誰かに渡すなんて気もなくなっていた。

 だが、憂璃は自分を椿に金で買われた商品だと信じている。そう憂璃が思い込む原因を作ったのは自分ではあるが面白くない。
 いつかは椿の元を離れ見知らぬアルファの愛人として買われると疑っていない。
 そのために憂璃は勉学も家事も必死に頑張って今日まできた。
 だから言えなかった。

(お前は俺の運命の番だ……と)

 こんなアルファの番になって欲しい、とは言えなかった。いや、言えるはずもない。
 椿はすぐに憂璃を運命だと気づいたが、憂璃は一生かかっても椿を運命だとは気づかない。

(言えるわけがない。俺にはフェロモンが放出されていないのだから)

 吐き出した煙の中で椿は嘲笑を浮かべる。
 フェロモンを感知しない限り、憂璃が椿を番として認識しないだろう。
 だけど、椿は憂璃のフェロモンを感じることができるのだ。数ヵ月前に初めての憂璃の:発情期(ヒート)がきた時は地獄を見た、と回想する。

 何度も憂璃の涼やかで甘い香りに発情ラットを起こしかけ、その度に椿が誕生日プレゼントで渡したプロテクターを引きちぎりうなじを噛んでしまおうと思ったか。
 あの時は壱岐もアルファだったため、憂璃の面倒を椿ひとりが看たのだ。
 限界以上のアルファ専用の抑制剤をタブレット菓子のように噛み砕き、甘く淫らな痴態で悶え、初めてのヒートに耐える憂璃の看病をした。

 白い肌を赤く染め、助けて、とうわ言のように喘ぐ憂璃の濡れてグズグズになった後孔や小さな陰茎を、舌と指で際限まで快感を引きずり出して気絶させ、意識のない間に風呂に入れ、体液で汚れたシーツを替えた。
 その間も何度か椿の母から看病の申し出をもらったものの、椿はけんもほろろに固辞していた。

 翌日にたまたま連絡してきた凛が往診に来て、応急処置で椿の精子を使った緊急抑制剤を注射して、なんとか落ち着きを戻したのである。
 当然ながら椿は凛にしっかり説教をくらった。玉霞会の若頭を頭ごなしに怒鳴りつけることができるのは、さすが寒川の血といえるのだろう。

 まだ初めてのヒートだからか結局五日ほどで落ち着きを取り戻した。憂璃はほとんど食事ができなかったせいで、椿は抑制剤の飲みすぎで胃を荒らし、ふたりともげっそりとやつれてしまっていた。
 椿は不安になってしまった。
 次の発情期ヒートには耐えられるのだろうか、と。
 たった五日でもボロボロになってしまったのだ。果たして次は憂璃のうなじを噛まずに過ごせるのか分からない。
 憂璃には害はなくとも、椿にとっては憂璃の香りは甘美で惑わす毒なのだ。

(丁度、凛もいるし、前よりももっと強い抑制剤を処方してもらわなくては)

 厄介な体になってしまった、と卑下しながらも、椿は早く憂璃の顔を見たい、と車窓から流れる街の景色に目を移していた。



 天竹が操作する車は救急入口に滑るように入って停車する。
 椿はドアが開くのを待つのがもどかしく、自身でドアを開き病院に飛び込む。専用受付カウンターに凭れるようにして立っていたのは、親友、寒川玲司の義弟で医師の寒川凛だった。

「早かったね、玉之浦さん。まだ救急車はこっちに搬送されてないよ」

 長めの髪を後ろで括り、ペールブルーの細いストライプのシャツとネイビーのスラックスの上から白衣を纏った麗人は、くぁ、と大きな口を開けてあくびをする。
 親友とは真逆の細身の美人であるはずなのに、反してズボラなのは彼が信頼している証拠なのだろう。

「溺愛してる子が心配なのも分かるけどね。玉之浦さんの方が今にも倒れそうだよ。少し座って休んだら?」

 なにか温かいもの買ってきてあげて、と丁度病院に入ってきた天竹に言い、天竹も頷いて自動販売機コーナーへと駆けていく。
 椿はぼんやりとそれを見送り、ずるずるとベンチに腰かける。

「大丈夫だよ。救急隊員の話だと、脈拍も体温も異常なし。まだ眠ってるけど意識レベルも問題なし。ただ、肩を強打したのと頭を硬い床にぶつけたらしいから、念のためにレントゲンとCTは撮るからね」
「……ああ」
「それで本当に大丈夫なようなら、一晩は観察入院してもらうね。頭はね、最低でも二十四時間は様子を見ないといけないから。慎重を重ねるなら三十六時間は必要だけど……玉之浦さんのほうが耐え切れない感じみたいだからさ」
「……ああ」
「部屋は玉霞会で押さえてる特別室にしておくね。あそこなら憂璃君がヒートを起こしてもすぐに対応できるし、玉之浦さんも傍に居たいだろうし」
「……ああ」
「なんなら、フェロモンが漏れない特別構造だから、ふたりがどれだけ番おうと自由だよ」
「……ああ……え?」

 返事をしてしまったものの、内容を反芻した椿は俯けた顔を上げる。凛はちっ、と舌打ちし、引っかからなかったか、と顔に苦々しい表情を浮かべていた。

「あのね、これは医師として言わせてもらうけど、ふたりともいい加減話し合うべきだと思うよ。玉之浦さんは憂璃君を思って真実を言わないと決意しているようだけど。このままじゃあ、ふたりとも壊れる未来しかないからね」

 ちゃんと考えて、と厳しい顔で言う凛の背後から、救急車のサイレンの音と、椿の背後から駆けてくる天竹の足音が重なった。

 椿は天竹から熱いコーヒー缶を受け取りながら、後続できた壱岐の元へと先に向かうように命令する。
 出口に向かって走る天竹とすれ違うようにストレッチャーが救急隊員に押されて入ってくる。思わず駆け寄り覗き込む。
 首から下を白いシーツで覆われ眠る憂璃の顔色は悪い。
 頭を打ったと聞いていたが出血がないのが救いなのか分からないが、見る限りはただ眠っているようにしか思えない。

「憂璃」

 喉から溢れるように椿は憂璃の名を呼ぶ。しかし憂璃の眼蓋は降りたままで、ピクリとも反応しない。

「憂璃、俺だ。起きてくれ」

 すがりたいのに隊員に阻まれできない。

「ご家族の方ですか? これから検査に入りますので急ぎます。あとから医師より説明があると思いますので、しばらくお待ちを」

 隊員のひとりが椿に告げ、憂璃が乗ったストレッチャーは処置室へと消えていく。

「……くそっ!」

 紙のように白い憂璃の顔が脳裏に浮かぶ。
 いつもは頬も唇も桜色に染めて笑うのに、今は色褪せ痛々しく見えた。
 よろめき壁で背中を受け止めた椿は、虚ろな目で呟く。

「許さない。俺の憂璃をあんな風に痛めたヤツを、俺は絶対に許さない」

 椿にはひとつの矜持があった。
 決して何があっても、素人──同業者ではない人間を傷つけない、と。
 だが、椿は父や母から何度も教えられた決まりを今破ろうとしている。
 最愛の人を傷つけられた。
 それが例え守らなくてはいけない普通の人間だったとしても、椿の怒りは戒めの垣根を壊し、全身から憤怒の圧が溢れかえっていたのだった。


「壱岐」
「カシラ」

 憂璃の送迎用の車の傍に、壱岐と天竹が立って椿を迎える。

「憂璃を襲った奴は」
「逃げようとしたので捕獲し、猿轡と手足の拘束をして後部座席に」

 フルスモークで中を改めることができなかったので、椿は後部座席のドアを開き覗き込む。
 オーバーサイズの白いセーターに細身のスキニージーンズを着た男は、金に近い茶髪にパーマでもかけているのか、まるで煮すぎたワカメのように顔を隠している。そもそも顔半分は猿轡のせいで覆われているが。

「こいつは?」

 どこの人間だ、と目線で尋ねれば、壱岐は苦い顔となり言うのにためらいを見せる。

「素人さんじゃないんだな。……どこの組のモンだ」
「……茶咲組の長男です」
「……ほう。茶咲の息子か。それじゃあ話は早いな。すぐに茶咲に電話をしろ。速攻で本家に来い、とな。お前の息子は丁寧にこちらでもてなしてると言っておけ」
「……はい」

 壱岐が傍らで茶咲に電話している間、椿はいつもの煙草を咥える。流れるように先端に火が灯ると、つるべ落としで夕闇に包まれた中で赤い炎が甘い香りを燻らし揺れる。
 自然と椿は唇を笑みに歪めていた。
 それは獲物を見つけ、これから甚振ろうという獰猛な微笑だった。
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