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第一章 初陣

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この日、村は朝から緊迫した空気が感じられた。
 ここ数日、少年は夜間に起こされ数分で武装し、僅かな武器と手荷物を手に、野営という訓練が何日も続いている。
 毎晩、寝所には野営に持ち出す荷物や武器。衣服を整えて床に着いた。
こういった訓練は三月みつきに一回行われ、五日間続く。今日はその最終日。今夜までの辛抱だ。少年はそう思っていた。
 いつものように各部屋に響くベルが鳴り、ベッドを出る。黒い髪と灰色の瞳の少年。容姿からは知性と優しさ。強さが感じられる。名はカノイ。今年で十七歳になる。 
 彼は数分で衣服を着換え、体を守るための防具を纏う。衣服の至る所に武器を隠し持っている。剣や弓の他にも多くの武器を扱えるように教育された。
 戦う事だけでなく、医術いじゅつ薬学やくがく化学かがく魔法岳まほうがく宗教学しゅうきょうがく農学のうがく。異国の言語。歴史。作法。政治。文化。。。恐らく、学者並みの勉強もさせられ、沢山の知識を叩きこまれた。
 一方、多くの事を学ぶ中で自分たちが何故、こんな辺境の地に、両親と引き裂かれてまで、異民族に交じり、高い知識を身に付けさせられた必要があるのかという疑問も感じてはいたのだ。
 床に置いていたものは、すべて身につけた。明け方は風が強いので、丈の長い外套マントを羽織り部屋を出た。
 部屋を出ると、そこには自分と同じ年ぐらいの少女が立っている。ダークブラウンの髪色でくせっ毛の肩まで伸びた髪。赤茶色した瞳。大人びた可愛さの少女。彼と同じように武装して、外套マントも羽織っていた。
「ノアーサ。急ごう」
 そう言って二人は外に飛び出す。まだ、夜も明けきらない深夜。夜風も冷たく肌を掠めてゆく。
 ここ数年、何度も繰り返してきた訓練。でも、今日はこれまでとは違う。二人にはそう、感じ取れた。
 外に出て、いつもの集合場所に駆けつける。
 そこにはいつも訓練指導してくれる師匠、松木の姿はなく、ノアーサと呼ばれた少女の兄が待っていた。
 彼は、村の民俗衣装ではなく、アスケニア王国騎士団の軍服を身に付けていた。  
「時間通りだな」
 彼の名はノルマン。優しく落ち着いた顔立ちで、髪のくせっ毛はこの兄妹の特徴と言えるだろう。やや緊張の面持ちで二人に語りかけた。
「カノイ。ノアーサ。聞いてくれ。今宵は訓練ではない。実戦だ」
 そう言って彼は、二人を村の小高い丘へと連れてゆく。その丘の前には、隣国とを隔てて連なった標高三千メートルの山脈が聳えている。
 その小高い丘から松明が見える。間違いない。侵入者だ。
「山賊にしては、数が多すぎるとは思わないか?」 
アスケニアの北方に聳えるロゥリェイ山脈。その反対側にはタルタハという王国がある。
 山脈を越えての侵入者という事は、タルタハ国内で自然災害か紛争があったと推測すべきであろう。
「ここ数日、村の周辺を調べた。結果、夜明けまでには間違いなくこの村は襲撃されるであろう」
兄の言葉にカノイとノアーサは戦う覚悟を決めた。
「私たちも村を守るのね」
ノアーサは呟く。これまでに山賊の襲撃が村に何度かあって、威嚇的な攻撃経験はあった。 
「お前たち二人は『国の預かり者』だ。ここで怪我や事故を負わせる訳にはいかない。俺はお前たちの保護者として、王都に届ける義務がある」
そう言うと、ノルマンは妹を抱き締めた。そして妹の顔を再び見る。
「ノアーサ。お前は母さんに似ているなぁ。ごめんよ逢わせてあげられなくて。母さんがどんなにお前との再会を願っていたか、俺は母さんの寂しさをいつも側で感じていた」
 ノアーサとノルマンの母、ローズは三年前、アスケニア南部の紛争の時、野戦病院に医師として参戦していた。そこで紛争に巻き込まれ亡くなった。
 三年前の紛争はカノイの両親の命をも奪い、カノイは天涯孤独になってしまった。
 この村で十年修業を詰めば、親元に返して貰える。それだけを希望に二人は厳しい訓練や、勉学にも励んできた。その希望が絶たれたのである。そんな時に、兄のノルマンが婚約者と二人で村にやって来た。
「一緒に暮らさないか。二人とも年頃だから、互いに意識し合うと思う。相談する相手も必要だろう」
 その言葉に二人は家族という平凡な幸せを得る。
 ノルマンはカノイの相談相手となり、亡くなった両親が王国騎士として活躍していた話や、人柄を。その話を聞けただけでもどんなに救われたか知れない。
 また、ノアーサも兄の奥さんになってくれたアンに、体の成長や女同士の相談ができた。
 彼女の手伝いをする事で家事の他に料理。裁縫といった家庭的な事にも興味を持つようになる。
 七年もの間、家族の温もりに触れる事が出来なかったカノイとノアーサ。このまま、この平凡な日常が続いてくれると信じていたのに。
「ノアーサ。お前の大切な人はすぐ近くにいる。その人と幸せになれよ」
ノルマンはそういって妹を再び抱き締める。
その後、カノイを呼び寄せ、彼を強く抱き締め囁くように言う。
「カノイ。俺の弟になってくれたらどんなに良いか。妹ほどお前と相性の合う女はいないと思うよ。さっさと手を付けてしまえ。兄の俺が許す」
「えっ!」
 カノイは思わず声を出す。そんな彼の肩軽く叩いた。
「女の扱い方はちゃんと教えただろう。優しく、愛情持って。妹を頼むな」
「こんな時に、何、いってるんですか」
カノイは顔を赤くしながら答える。ノアーサには聞かれていないらしい。
「緊張していたら、これから敵陣を抜けるのに生き残れないぞ。お前なら大丈夫だ」
 ノルマンは三年前の紛争で指揮を勤めていただけの事はある。これから戦うという時に余裕の表情を浮かべている。こんな感じで戦場でも騎士や兵士の緊張を和らげていたのかも知れない。
「カノイ。ノアーサ。これから大切な事を告げる」
そう言って妹も呼び寄せた。
「お前たち二人はこれから村を出て、滝のある森を目指せ。そこで落ち逢おう。道中は刺客から逃れられないだろうが、日頃の訓練を思い出せ」
そう言うと、飼いならしている鷹の足に文を結び付ける。
 兄夫婦は村に住むようになってから、猛禽類を飼いならす楽しみを覚えたようだ。兄ノルマンが飼いならしている鷹のビシンは兄に懐いているようで、王都に手紙を届けたりしている。文を手早く括りつけると、鷹を空へと離した。

「滝に辿り着いたら、三日間待機だ。もし、俺たちが来なかったとしても、村には決して戻ってはならない。約束してくれないか」
 更に兄は滝の近くにある洞窟に不足した時の為の武器と食料。王都に持ってゆく荷物を隠してあるとも告げた。
「カノイ。俺はお前が本当の弟だったら良かった」
「兄さん」
 ノアーサはこれが兄との永遠の別れになるような気がした。別れというのは突然に訪れる。三年前の母の死もまだ、彼女は受け入れられずにいる。
「お前たちは生きろ。衰退してゆく王国の現状を知って欲しい」
母国アスケニアは今、各地で内戦や暴動が繰り返されていた。
「王様は、この十年間に三千万人もの民を粛清してきた。国のために尽くし、忠義を誓い、国の発展のために活躍してきた貴重な人材を」
王都から離れ、異民族の村で過ごす二人でもその情報は学んだ。
 そして、自分たちは王国騎士団の子息として、人質にされて十年もの間、暗殺者アサシンとして育てられた事も。 
 兄は三年前の紛争で心に傷を抱えたままだ。
 紛争が終結しても、母や友、知人は戻っては来ない。
 紛争の原因は今の王にある。即位して十二年。国王は民を苦しめ続けている。
「この国が今の王様のままだと、あと持って数年。カノイ。ノアーサ。それでもお前たちを王都に還さなきゃならない。それがこの村でお前たちを育ててくれた人たちの希望だから」 
 そう言うと二人を強く抱き締めた。
「お前たち幸せになれよ」
そのまま二人の肩を叩いて送り出した。
「さぁ、行け。王都にはノアーサ、父さんもだが、お前たちが遣える主君が待っている」
兄はそれ以上は何もいわず、二人を村の外へと出した。まだ、夜も明けない夜の闇に。
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