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………またかよ

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「え、舞台公演のチケット?」

「昨日、客からもらったんだよ。3枚」

「このチケット、なかなか入手が難しいって言われている劇団のチケットじゃないっ!」

「マジかよ」

アルフォードは料理の盛り付けをしている手を止め、リーゼロッテに渡したチケットを覗き込んだ。二人はチケットに目が釘づけになる。それほど有名なのか。

「その舞台の公演日程は明後日らしいよ」

「明後日なの?」

「明後日はこの店休みだろ。二人で行って来たら?」

「え?でもこのチケット、レイがお客さんにもらったものでしょ?」

「私、こういうのまったく興味ないんだよ。絶対寝るから」

私は厨房台にもたれながら言った。どうせだったら興味のありそうな人間が観にいったほうがチケットも無駄にならないだろう。

「ちょうど3枚あるからさ、あんたら二人とウィルとで一緒に行ったらいいよ」

「私行きたいな。見る機会なんてなかなかないし」

そう言ってリーゼロッテは目を輝かせた。

「俺はいいや」

アルフォードはいつのまにか盛り付けの作業に戻っていた。どうやら、あまり舞台には関心がないようだ。

「休みの日は材料の仕入れやケーキの新作の研究がしたいし。それに俺もあんまりそういうの興味ないんだよな。レイ、せっかく善意で客からもらったもんなんだろ?」

「興味ないって言ってるじゃんか」

アルフォードが行かないとなるとチケット1枚が無駄になるな。

「一緒に行こうよ、レイ」

リーゼロッテは琥珀色の大きな瞳で見つめ、私に詰め寄ってくる。

「だから私寝るって言ってるだろ?」

「そんなの行ってみなきゃわからないじゃない」

「なんでそんなに私を行かせたがるんだよ。ウィルと二人で行けばいいじゃん」

一枚無駄にはなるが必ずしも舞台を見に行かなければいけないわけではない。
それに私は確信している。ほぼ百パーセントハプニングに遭遇する。ただ行って舞台を観劇して普通に帰ってくるなんてありえない。

昨日でもう実感した。例え、面倒事に巻き込まれなくてもキャラクターの遭遇イベントは免れない。
ここは絶対に回避してやる。

「それに私基本休日は家にいたい派なんだよ。なんでいちいち舞台観劇なんて興味もないことに外出なんて―」

「ぶたいってなぁに?」

「うおっ!?」

びっくりした。いつのまにか一回りも小さいウィルが私の横にいた。ウィルはきょとんとした大きな瞳で私を見上げる。

「おい、ウィル、厨房には近づくなって言っておいただろ」

アルフォードは首だけを動かし、少し口調を強めながら叱咤した。

「ごめんなさい。おねえちゃんたちとすこしおはなしがしたいなっておもって」

ウィルはしょんぼりしながらおずおずと答えた。

「どうしても厨房に入りたいって思ったときは入る前に声をかけろ。危ない調理器具がたくさんあるんだ。わかったな?」

「うん」

アルフォードは頭ごなしに怒鳴らず、冷静に諌める口調で言った。たしかにこういうただ闇雲に責めるより冷静になぜ駄目なのか言い聞かせたほうが子供にとっては受け止めやすい。

「それでぶたいって?ぼくのなまえもきこえたよ」

ウィルは私のスカートの裾を引っ張りながら聞いてきた。

「あ~、それは」

私は視線をそらした。いまだに子供の純粋無垢すぎる視線は苦手だ。

「ウィルくん舞台に興味があるの?」

リーゼロッテはウィルに目線を合わせるように屈んだ。

「舞台っていうのは劇団員という人たちが私たちに披露してくれるお芝居のことだよ。実はチケットが手に入ったの。もしよかったら明後日一緒に見に行かない?」

「おしばい?」

「ブーツを履いたネコっていう演目をやるみたいなの」

「ネコ?」

その言葉を聞いたときウィルの表情が明るくなった。舞台という言葉よりも猫という言葉に反応したらしい。

「ぼく、いきたい」

ウィルはその場でぴょんぴょん飛び跳ねる。
『ブーツを履いたネコ』が私がよく知っているあの童話の話の内容と同じなら子供でもわかりやすいだろう。

「おねえちゃんは?」

ウィルは私をじっと見上げてくる。

「おねえちゃんは行かないの?」

「あ~、私はちょっとのっぴきならない用事が……」

「レイも行くぞ」

アルフォードが私の言葉を遮った。
何言ってるんだ。
ジトッとアルフォードを見据えながらそう意思表示しているが、アルフォードは素知らぬ顔で盛り付けの手を動かしている。

「そうだよな、レイおねえちゃん」

アルフォードはにやりとしたむかつく顔で振り向いた。

「私は―」

「おねえちゃんもいくの?」

「私は行か」

行かないとぴしゃりと言い切ろうと思ったのに言えなかった。ウィルはまるで花が咲いたような笑顔を向けてくる。直視できないほどまぶしい笑顔だ。私の邪な部分もすべて照らされてしまうほど。

「行こうレイ。ずっと家の中じゃ身体がなまっちゃうよ」

おいこら、リーゼロッテも乗っかるんじゃない。
ウィルは私の次の言葉を待ちながら見上げてくる。リーゼロッテとアルフォードだけなら真っ向から拒否できる自信がある。

しかし、ここにはウィルがいる。
負けるな私。行かないって言え私。子供の瞳に負けんじゃない。
また、同じことを繰り返すのか。絶対、面倒ごとが待ってるぞ。

「おねえちゃん」

ウィルは不安そうな声で身体を寄せてきた。

「………………………はぁ」

負けた、またしてもウィルの瞳に。

「絶対寝るからな。もしそこで寝ても起こすなよ」

そっぽを向きながら呟く。

「行ってくれるの?ウィルくん、一緒に行くって」

「ほんとう?」

二人とも嬉しそうに声を弾ませている。
私は内心頭を抱えたい思いなのに、まったく不快だ。
行きたくない。でも、直接的ではないにしろ行くと意思表示してしまった。

「ウィルってもしかして怜の弱点?」

(オマエは黙ってろ)

私を面白おかしく眺めているうさぎをぎらりと睨み付けた。
あとで覚えてろよ。

「まったく、なんで今日ウィルがいるんだよ」

「なんでって、さっき言ったと思うんだけど」

「わかってても言いたくなるわ」

アルフォードとリーゼロッテは双方カフェで働いているためどうしてもウィルの相手をずっと見ているわけにはいかなかった。そのため、週に4日間リーゼロッテのいる孤児院で夕刻まで預かってもらっている。最近はお店を9時まで延長したため、預ける期間を院長と相談しているらしい。厨房で作業しているとき、ウィルはどうしているのか聞いたらそう、リーゼロッテが話してくれた。
今日はウィルが居る日だとも教えてくれた。

なんでこんなタイミング良くウィルに聞かれるんだ。ご都合主義に反吐が出る。せめて今日、孤児院に預けている日であってほしかった。

「ちょっと、会計いいかしら?」

店内のほうから厨房に向かって客が呼びかけた。

「あ、今行きます」

その呼びかけにリーゼロッテは答えた

「じゃあ、ウィルくん。私たち仕事に戻るから」

「うん、わかった。おしごとのじゃましないようにこんどからきをつけるね」

ウィルは軽く手を振りながら店の奥の扉に向かっていった。
扉が閉まった後、外から階段を駆け上がる音が響く。おそらく2階の自室に行ったんだろう。この店は1階はカフェ、2階はアルフォード達の自宅になっている。ウィルを見送った後、リーゼロッテは客の元に駆けていった。

「レイ、パンケーキの盛り付け出来たからあそこの客に持って―」

私は店内から見えない角度でアルフォードの膝を蹴りつけた。

「痛って!突然なにしやがる!」

アルフォードは厨房にだけ響くように堪えながら私を睨み付けてきた。

「何じゃねえよ。わかりきったこと聞くなよ。人がせっかく気を利かせてやったのに」

「はぁ?」

「デートできるようにお膳立てしてやったんだろ?」

「な、何言って!」

今度は厨房の外にも漏れそうなほどの声量で叫んだ。
すぐに我に返ったアルフォードは自分の口を塞ぐ。その顔は真っ赤になっている。
相変わらずわかりやすい。

「まだそんなこと言ってんのかよ」

「まだ認めないのかよ」

「ふざけたこと言ってる暇があるんなら働け。はやく持っていけ」

冷静に振舞っているがどこか行動が挙動不審気味になっている。野菜の数を何回も数えたり、皿を落としそうになったり、自分が手元に持っているくせにその調味料をきょろきょろと探していたりしている。
ほんとわかりやすい。

「怜、はやく持っていきなよ」

うさぎが声をかけてきたときしぶしぶながらも私も仕事に戻ろうとした。

「おまたせいたしました」

パンケーキを客の前に置き、その場を離れ、周囲を一瞥する。
今日も店内は客で満席状態だ。でも、一昨日のような目まぐるしさはない。

現在時間は4時ちょうど。
時間のせいもあるのか忙しさに慣れてきたせいもあるのか合間にリーゼロッテ達と話しこめる程度には余裕ができていた。

「レイ」

リーゼロッテが私に耳打ちしてきた。

「何?」

「あのお客さん、レイに相談したいって」

その客のほうに目を向けると女性客がチラチラと私達の様子を窺っている。

「またかよ」

うんざりする。今日これで4回目だ。
こうなってしまっているのは一昨日のことが原因だ。私のことをいつのまにかあのちょっとした騒ぎを丸く治めることができた助言者として広められていた。それも大げさといっていいほど。
そのせいで女性客が次々と私に男性に関する様々な悩み相談してくる。

まったく、いい迷惑だ。私はカウンセラーじゃないだよ。恋愛相談をガチでされても私は男と一人も付き合ったこともないんだ。相談相手完全に間違えているだろ。正直、客の一身上の悩み事なんてまったく興味がない。逆にあまりにも下世話な話は聞いていてこっちが不快になる。

そう思いつつ、結局は最後まで話を聞いてしまう自分自身が一番嫌になる。


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